「シェーン」 (SHANE)

~アウトローの挽歌~
1953年 米 ジョージ・スティーヴンス監督


諦念を湛えた物静かなヒーロー アラン・ラッド一世一代の当り役・シェーン

今年の1月にイーストウッドの「許されざる者」を観ている間中、なんだかしきりと観たくてたまらなくなった映画があった。それはあの「Shane! come back!」の「シェーン」だった。
「許されざる者」も悪くはなかったのだが、何かラストでしっくりこないものを感じたワタシは、遠い昔にTV放映で観たきりの西部劇「シェーン」の美学と哀愁に無意識に心が向かってしまった。それから数ヶ月、思い出したり忘れたり、借りようと思うとDVDが出払ってたりするので、ついに先日、ワンコインDVDを購入して久々に観賞した。
映画が始まり、テーマ曲「遥かなる山の呼び声」が流れると、なんだか早くもジーンとしてくる。そして、あの山の景色。緑したたるワイオミングの青い山々。ふ~~~。
これも他の諸々のクラシックスと同じく民放の洋画劇場の放映で、父の解説付きで子供の頃に観たのが最初である。その後のTV放映で1度観たが、今回は本当に久々の観賞で、しかもTV放映の吹替え版でないものを初めて観たので、アラン・ラッドの肉声も初めて聞いた。なかなか低くて落ち着いた渋い良い声である。
姿だけ観ているともっと薄い甲高い声を出しそうにも見えるのだけど。



アラン・ラッドは金髪のやさ男で、小柄で細身で、なで肩で内股っぽく、西部の荒々しさとは普通に考えると全く無縁な俳優である。なかんずく、そのブロンドの波打った髪は、煙草と汗と酒と牛の皮のニオイのマルボロ・カントリーの男としては、あまりに異質である。肩幅も狭いので体格的にも貧弱だし立ち姿もさしてサマにはなっていない。あまつさえバックスキンの上着にはフリンジが付き、ガンベルトはやけに装飾的でロデオショーに出るカウボーイのようでもある。(衣装担当は、あのイディス・ヘッド)要するに、パッと見にはちっとも強そうでない。喩えると、サンダーバードの人形が人間の間に交じって芝居をしているような感じとでも言おうか。


ちっとも強そうに見えない、どことなくバランスの悪い立ち姿

だが、そんなひよわそうな彼の顔にそこはかとなくよぎる哀愁の翳、物静かで礼儀正しい物腰、落ち着いた声がタダモノならぬ空気を醸し、そしてそんな静かな男が僅かな物音にも体が反応し、殺気が漲る瞬間に、観客は「おぉ!」となるのである。

通りがかりに水を貰った事から開拓移民スターレット一家と知り合い、そこで農場の手伝いをすることになった流れ者のガンマン、シェーン(アラン・ラッド)。スターレット一家は主人のジョー(ヴァン・ヘフリン)、妻のマリアン(ジーン・アーサー)、一人息子のジョーイ(ブランドン・デ・ワイルド)の3人家族。家族は仲良く暮していたが、彼らはその近隣で最大の土地を持つ牧畜業者ライカー一味に嫌がらせを受け、土地を追われるか否かの堺に立たされていた。ここらでさすらいのガンマンの足を洗って堅気の道を歩もうかと思っていたシェーンだが、世話になったスターレット一家のために、一度は封印した銃を再び身に付けることになる。

「シェーン」の背景になっているのは、荒々しい開拓時代も終わりを告げ、南北戦争も終わって随分たち、西部の荒野でも無秩序な無法時代が終わろうとしている19世紀末である。アメリカも徐々に法治国家への道を歩み出そうとしており、銃が全ての決着をつける時代は過ぎ去ろうとしている。流れ者のガンマン、シェーンは自分がさりゆく時代に属している人間だという事を痛いほどに知っている。穏やかそうでいながらも、僅かな音にも身構え、すぐに銃に手が行くシェーンが、どのような修羅場を潜ってきたのかは想像に余りある。はからずも堅気のスターレット一家と知りあった事で、シェーンはまっとうな暮らしの味を知り、できれば血なまぐさいガンマン暮らしに別れを告げたいと思うようになる。そしてジョーには次第に深い友情を感じ、その息子ジョーイには、自分が持たない子供との触れ合いに心を和ませる。そして、ジョーの妻マリアンと微かに惹かれあってしまうシェーン。そこにはシェーンが心の底で求めて来たもの、またはかつては持っていたが失ってしまった(のかもしれない)ものがあった。
がしかし、それらは全て彼のものではなく、ジョー・スターレットのものなのである。
今回、久々に観賞して気づいた事に、シェーンの指輪というのがある。シェーンは左手薬指にかなり目立つゴリゴリした大きな指輪をはめているのである。それはかつてシェーンも結婚して家庭をもっていたという事を示しているようであり、その家庭を失った事とさすらいのガンマンになった事とは何か因果関係がありそうだ。ここでまた、語られないシェーンの過去について、指輪という示唆があったのか、などと顎をさすった。ジョージ・スティーヴンス、色々な投げかけをひっそりと行っている。
そしてスターレット家は深刻なトラブルに直面していた。一宿一飯の恩義からも、彼らへの友愛からも、シェーンは横車を押すライカーと決着をつけに行かなくてはならない。
ジョーを殴り倒しても、一人で決闘の場に赴かなくてはならないのだ。


青く美しいワイオミングの山々を背景に ワイオミングはあの「骨折り山」の舞台でもある

アラン・ラッド演じるシェーンは、腕っ節は銃の腕ほどではないので、殴り合うシーンはけっこうあるが、一発で相手をノックアウトできるようなパンチはない。決闘に向かう前にもジョーと殴り合うわけだが、ジョーの方が体格も良く強いので、シェーンは劣勢である。どうしても大勢を挽回できないので銃の柄でジョーを殴る。アラン・ラッドの体格や容姿を踏まえたこのような演出もきめ細かい。

そして、自分の妻も息子も、シェーンにどうしようもなく惹き付けられている事を知り、ライカーと一騎打ちに出ることで自分は世を去り、シェーンに後を託そうと覚悟するジョー。このヴァン・ヘフリン演じるジョーが好きだという人も「シェーン」ファンには相当数いるだろう。無骨な顔で妻と息子をこよなく愛し、流れ者のシェーンに深い友情を感じる男。彼には妻や子の気持ちがよく分る。自分もシェーンという男が心底好きだからだ。だからといって、自分は死んで身を引いて、妻や子供を譲ろうとまで思うかどうかは人によるだろうけれど、自分よりもシェーンの方がマリアンやジョーイにふさわしいと思ってしまうおとっつぁんの心情が泣かせるところである。ジョーとしては、せめて死に花を咲かせる事で永遠に輝く英雄になり、家族の中に思い出として生きたいと願うのだ。
男心のせつなさである。


気のいい男

ジーン・アーサーは開拓民のおっかさんとしてはこんなもんだろうと思うけれど、さして綺麗でもないので他の女優でも良かったのではないかと思ったりもするが、だからといって悪いわけでもないのでまぁいいか、という感じ。この人は声があまり良くないですね。でも、素朴な開拓移民の妻が物静かな男前の流れ者を好きになってしまうという感じはよく出ていた。夫は夫で愛しているし、大切な人でもあるのだが、それとは別に恋心がうずいてしまうわけである。このおっかさんが息子に「シェーンをあまり好きになってはいけないわ。別れる時に辛いから」と言うのだが、それはもちろん息子に対してではなく自分を戒めている言葉に他ならない。



伝説的名子役・ブランドン・デ・ワイルドの演技については、今更何をかいわんやであるけれども、ジョージ・スティーブンスはこの子に、実に自然に子供らしい表情をさせている。初めてシェーンに会った時に人見知りをする様子や、好奇心や憧れの視線や表情、透き通ったハイトーンのボーイ・ソプラノで「シェィン」と呼びかける様子など、顔の美醜を越えた少年らしい愛らしさがあって、この良さはもう恒久不変でしょうね。それにしても、馬で決闘に向かうシェーンを、走って追いかけ、さして離されずについていくこの子の健脚っぷりは設定として凄い。だって、牧場から酒場まで相当な距離でしょうに。子供がそんなに走れるのか、とか余計な事まで考えてしまったりして…。


透き通った声と自然な子供らしさがカワイイ永遠の少年ブランドン・デ・ワイルド

敵役のライカーも、その後の西部劇に登場するようなあくどい敵役からすれば、頑固ではあるが悪辣度はさほどでもない。ジョーに言い値で土地を買い取るがどうだ~と談判を持ちかけたりもする。問答無用の無法者、というわけでもない。この頑固爺さんには爺さんの言い分がある。自分たちが最初に未開の荒野に分け入って、インディアンの襲撃をかわしつつ土地に根を張った。切り開いたのは俺たちなのに、後から何も苦労せず、断りもなくよその土地からやってきて居座る連中は許せない。
ここいらの土地は全部、苦労した俺たちのもんだ、というわけである。
だが、そういう考え方そのものが、もう時代遅れなのである。

シェーンはライカーに言う。
「あんたの時代は終わったよ」と。
ライカーは言い返す。
「お前の時代はどうなんだ~」
シェーンは答える。
「俺は、分かっている」

ワタシの父はこのシーンがとても好きで、子供相手に何度もこのシーンの良さを力説した。だからというわけでもないが、ワタシもやはりこのシーンが好きである。
そして、もう1つ父が熱意をこめて解説してくれたのは、ライカーに雇われた殺し屋ウィルソンを演じるジャック・パランスの味わいについて、である。



ヴァン・ヘフリンやブランドン少年と共に、「シェーン」を支える重要な脇役としてジャック・パランスの存在は大きい。彼のファンも多いだろう。
後半も後半に至って登場するパランスは、出演シーンは多くないのだが、細身で長身、黒っぽい衣装と帽子が似合い、不気味なニヤニヤ笑いを絶やさない早撃ちウィルソンを印象深く演じ、これ1本だけでも永遠に名前の残る俳優になった。その点では、主演のアラン・ラッドも同様で、この1本で不滅の名声を獲得したわけである。



0.6秒の闘いを制し、少年の見守る前で真の早撃ちガンマン、シェーンの銃が火を噴く。
だが、いかなる時にも用心を怠らない彼が、銃をくるくると廻してホルスターに収めるのは幾分早すぎた。
このあたりに、僅かな期間でも堅気に交じって額に汗して働く生活をした後で、シェーンの野性の勘が少し鈍っている事が窺えるのである。ジョーイの百舌のような叫びで背後の相手をしとめるが、自らも撃たれて傷を負う。

一緒に帰ろうというジョーイに、シェーンは物静かに「それはできない」と言う。
ここで、諦念を湛えた静かな眼差しと低い落ち着いた声で少年に語りかけるアラン・ラッドは、まさに一世一代の名演技をみせる。アラン・ラッドの低い、シブイ声が最高潮に生きている。甲高い声だったら全て台無し。思えば、声というのは本当に重要である。

「人間は、自分の器を破ることはできない。
俺も努力はしてみたが、やはり出来なかった。
一度人を殺した人間は、もう後戻りはできない。
人殺しの烙印からは、生涯、逃れる事はできないんだ」



…お前はまっすぐな強い男になれ 父さんと母さんを大事にな

ベッドの上でまっとうに死のうなんて束の間の夢だった。何人もの人を殺して生き延びてきた人間が、そんな夢を見てはならない。シェーンは静かに自分の宿命を改めて受け入れる。時代遅れのガンマンは、時代の幕を引きつつ、荒野へと一人去っていかねばならないのである。シェーンが体現しているのは、無法時代への挽歌である。そして、宿命を慫慂として受け入れるという美学である。何人も人を殺した“許されざる者”が、うまく大金をせしめて、どこか知らぬ土地で商売で成功したりしてはならない。
自分にけじめをつけて、人知れず、一人寂しく去っていかねばならないのだ。


Shane! come back!

ジョーイに百舌のような声で「帰ってきて!」と呼びかけられつつも、
シェーンは一人、遠い山裾へと去っていく。
片手をだらりと垂らして、俯き加減に、とぼとぼと馬を進めていく。
シェーンの周囲はいつしか低い木製の十字架が不規則に並ぶ、
さびれた墓場になっている。

今回、撃たれた傷が致命傷でなかったとしても、
彼を待ち受けているのは路傍の死である。
それは荒野の死、野ざらしの死、いつか命運が尽きて迎える、彼の末路である。


一人、墓場の中を行く

このラストの1カットがあるゆえに、「シェーン」の美学は奥深く、流れ者が来て事態を解決して去っていくというだけの、ただの娯楽西部劇では終わらない、ひとつの時代の挽歌になっているのだ。そこに被って流れるのは、あのヴィクター・ヤング作曲の「遥かなる山の呼び声(The call of the far away hills)」。 まさしく完璧な幕切れである。

傑作には美学がある。
それが、制作から何年がたとうとも、人の心を揺さぶり続けるゆえんなのだ。

コメント

  • 2010/05/05 (Wed) 02:18

    恥ずかしながら、「シェーン」は未見なんですよ。とても「西部劇好き」とは言えません・・・。で、観たことなくてもストーリーは知ってるんですよねえ・・・。なんでも、うちの母親が唯一観たことのある西部劇がこれでして、よく話を聞いたもので・・・。
    アラン・ラッドは本当にこれが当たり役ですよね。逆を言えば、これ以外ないというか・・・。ただ、銃を抜くのは本当に早かったらしいですね。数いる西部劇俳優の中で、彼が一番じゃなかったでしたっけ?(確か2番はゲイリー・クーパー)。
    ジーン・アーサーはこの作品が久々の復帰作だったんですよね。で、確かこれが彼女の最後の作品だったような・・・。でも彼女はやっぱりモノクロの方が似合う女優さんだな、と思います。
    それにしても、いつかこの作品は観なければ・・・。

  • 2010/05/05 (Wed) 09:14

    mayumiさん。「シェーン」は観なくっちゃ。やっぱり良いもの。ワタシも随分長らく忘れていたんですが、「許されざる者」を観ていて、なんだかなぁ…と思った時、ふっと「シェーン」を思い出したんですよ。久々に観ましたが、もう、冒頭から良いです。ラストの余韻も尾を引きます。やっぱり傑作です。深いです。
    アラン・ラッドは40年代からスターにはなってたんだけど作品はB級アクションばかりで、名作と言われるのはこれ1本だけですわね。確かに銃を抜く手が早かった。(笑)でも、これ1本だけが残ったというのもアラン・ラッドらしいというか…。本人は売れなくなった壮年期にノイローゼになって睡眠薬自殺をしてしまうのだけど、息子は二人ともプロデューサーとして名を馳せてますよね。殊に長男のアラン・ラッドJrはメジャーな映画会社の社長を歴任した辣腕の人で、そんな息子達の活躍がアラン・ラッドの寂しい晩年のイメージを払拭した観もありますね。
    ジーン・アーサーは確か30年代が全盛期の人ですよね。これがキャリアの最後を飾ったというのも幸運な女優人生だなと思います。

  • 2010/05/09 (Sun) 23:18

    こんばんは。
    「シェーン」とはまた古いものを。昭和の御世までは結構西部劇もTVでやってくれましたね。いつも家族で見てました。
    その頃はまだ子供で登場人物たちの心の機微まではわからなかったので、kikiさんのレビュー見て再見してみたくなりました。
    昔見た時の思い出としては、あの子の名セリフを、そこだけ言語で流してました!(彼も若くして亡くなったと聞いてます)
    そういえば、シェーンは呼ばれても振り返らなかった事でもうあの時点で死んでたって説があるそうですね。

  • 2010/05/10 (Mon) 00:03

    garagieさん。うちのブログは新しい映画だけを追いかけないので、古い作品もジャンジャン出ますのよ。で、「シェーン」は育毛剤の会社がCMにラストシーンをイラストかアニメにして使っていたのも覚えてます。「カミ(髪)ンバーック!」ってね。いずれにしても昭和時代の事ですね。そうそう、ラストでのシェーン死亡説ってのがあるそうですが、ワタシはまだ死んでいないという見解です。ただ、あの時点では死んでいなくても、いずれ遠からぬうちにシェーンにも死が訪れる、という暗示は非常に強く効いてますね。それがアラン・ラッドの最期とも被って何かしんみりとします。あのブランドン少年も30歳で交通事故で亡くなったらしいですね。ジャック・パランスは長生きしたなぁ。…ともあれ、この機会に再見してみてください。

  • 2010/05/10 (Mon) 00:18

    kikiさん 私も「シェーン」は好きだなぁ~。
    初めて観たのはやっぱりTVで。淀長さんの日曜洋画劇場あたりでしょうね。
    牧場一家との暖かいふれあい。ジョーイ少年の可愛さ。シェーンの男気と哀愁。目を奪われるワイオミングの美しい自然。もう全部が良いですよね。

    2度目に観た時は、さすがにアラン・ラッドの小柄さに、あら、と思いましたが(サンダーバード・・・って、ハハハ~~~kikiさん上手い!)たしかに端正な顔立ちなんですよねぇ。これでタッパがあってガッシリした体躯であったなら、ケーリー・グランドと張り合えたろうになあって思いません?

    アクションシーンはそうですね、撃ち合いより殴る乱闘シーンの方が多かったような・・・だから撃ち合いのシーンが却って印象に強く残ってますね。
    殺し屋J・パランスは強烈でした。ジョーの友達を撃ち殺した時の何とも憎々しげな表情。黒いベストと帽子でシャープに決めて、かっこよくもありましたね。

    ママ役J・アーサーは綺麗でない? あいかわらずkikiさん手厳しいな(笑)。私はこの役は聡明でそこそこ美人でいいなと思うんですよ。NHKで放送されてた「大草原の小さな家」のインガルス一家の母さんを思い出します。kikiさんは見てなかったかしらね。

    そして「刈上げ坊や」ブランドン・デ・ワイルドは、本当に自然な演技でしたよね。十代になってP・ニューマンの「ハッド」に出ていたのを見つけた時は、おっ♪と思いました。叔父であるハッド(ニューマン)に憧れながらも、祖父と叔父の確執の間にたつ役どころで、なかなか良かったんですよ。そして、たしか彼は早逝してたように記憶してます。アラン・ラッドとワイルドの死を思うと、なおさら切なく観てしまいますね。思い入れたっぷりな記事を読ませてもらって、また観たくなりましたよ。

  • 2010/05/10 (Mon) 00:54

    ジョディさん。前から時折思いだしてはいたのだけど、「許されざる者」を見ていてやたらに「シェーン」が脳裏に浮かびましてね。でもなかなか映画チャンネルでも放送しないし、近所のビデオ屋にもないしで、ついに買って観たので、そのぶん思い入れは強くなったかもですわ。アラン・ラッドはかなり小さかったらしくて、IMDbの身長記録によるとダスティン・ホフマンより小さいんですよね。二枚目だけど、Mの字額もかなり広いし、あの衣装もなんだかなぁ…という感じではあるのだけど、「シェーン」はよく出来た映画なので、観ているうちにそういう事が気にならなくなるんですね。アラン・ラッドの静かな持ち味も最高に活かされてたし。彼が長身だったとしても、やっぱりこれ以外にはさしたる作品は無かったんじゃないかという気はします。これ1本が永遠に残ったという事で良いんじゃないかと。
    お母さん役は確かにそこそこキレイぐらいでいいかな、とは思いますけどね。ジーン・アーサーって花がないし、この時点でけっこう年なので彼女でなくてもいいのでは?とも思いました。ジョディさんは高峰秀子系の女優に肩入れする傾向がおありのような(笑)「大草原の小さな家」は時折観てましたよ。あれのお母さん役の人はけっこうキレイだった記憶がありますねぇ。
    ジャック・パランスは「シティ・スリッカーズ」で久々に観た時に、顔の印象があまり変わってないのでほほぉ!と思いました。その時まだ存命だった事にも驚いたんですけど。ブランドン少年は「ハッド」にも出ているらしいですね。割にオトナになってもいい感じの脇役として活躍しそうだったのに亡くなったという事で。早死にしそうな雰囲気じゃない子だったのにね…。思いだして、観たいと思った時に観るのが一番いいので、ジョディさんも近々半額の折にでも是非。

  • 2013/06/17 (Mon) 14:38

    アラン・ラッドについて調べたくて単に立ち寄っただけだったのだが・・・・。
    名解説に思わず涙が出てしまった。

    私が5歳のときの映画だったんだねえ・・・

  • 2013/06/17 (Mon) 22:33

    権兵衛さん
    この記事は「シェーン」のレビューなので、アラン・ラッド個人については殆ど何の情報も入ってないですが、レビューに涙していただいたとのことで、書き手としては嬉しい限り。

  • 2013/10/24 (Thu) 16:19
    吹き替えの声

    突然お邪魔してすみません。

    先日お亡くなりになった、石田太郎さんについて調べていて、こちらに
    来ました。

    私が初めて「シェーン」を観たのは小学生の時で、日テレの「水曜ロードショー」だったと
    思います。
    水野晴郎さんが解説されてました。

    その時、アラン・ラッドの吹き替えを担当したのが、石田太郎さんだったようなのですが、
    どうも記憶に無いのです。
    カリオストロ伯爵のイメージが強すぎるのかな?

    その後、淀川長治さんの「日曜洋画劇場」で放映された時は、
    アラン・ラッドの吹き替えを担当した中田浩二さんの声を、ハッキリと
    覚えています。

    まさに素晴らしい低音で、ジョーイ少年に「人を殺した人間はね、居るところは無いんだよ。」と
    語りかけるシーンは、仰る通り甲高い声だったら台無しですね。

    さらにその後、テレ東だったか?佐々木功さんの吹き替えも観たのですが、
    やはり佐々木さんの声は高すぎて、シェーンには合わないと思いました。

    BSで字幕版を観た時、違和感を感じなかったのは、やはりアラン・ラッドの声がシブかったからでしょうね。

    長々と失礼いたしました。

  • 2013/10/24 (Thu) 22:25
    Re: 吹き替えの声

    ユートーモさん こんばんは。

    ワタシも小学生の頃に多分初めてTVで「シェーン」を見たと思います。でも何曜日だったかなんて全然覚えていません。水曜ロードショーだったということを覚えておられるんですね。記憶力がいいですね。
    ただ、石田太郎さんは、声質的にシェーンというのはないんじゃないかな、という気がします。中田浩二さんはいかにもな感じですよね。ワタシが見た吹替え版は中田浩二さんがシェーンの声を担当されていたんじゃないかな、という気がします。
    字幕版を見て違和感がなかったのは、アラン・ラッド本人の声が渋かったからでしょうね。低くて落ち着いた、静かないい声ですね。あのシーンでキーキー、薄い軽い声でしゃべられたんではもう全て台無し。低い声で本当に良かったです。映画のためにも、観客の為にも。

  • 2013/10/25 (Fri) 00:02
    声質

    ありがとうございます。
    私も、Wikipediaの「シェーン」のページに、吹き替えが石田太郎さん
    となっていたので、「えっ?」って思ったのです。

    中田浩二さん、合ってましたよね。
    サンダーバードのスコットの声もやってましたし・・・

    ウィルソンに向かって、「その前にコイツの言い分を聞きたいな」
    ウィルソンが、「おめぇ、調子に乗るんじゃねぇよ」
    ライカー  「ウィルソンには抜かん方が為だぞ。」
    シェーン  「やはり・・ジャック・ウィルソンか」
    ウィルソン 「だったらどうした?シェーン」
    シェーン  「噂は聞いてるぞ」
    ウィルソン 「ほう、どんな噂かな?」
    シェーン  「弱い者いじめが得意の、イカサマ野郎だそうだな」

    やっぱり、中田さんと小林清志さんのやりとりが素晴らしい。

  • 2013/10/25 (Fri) 22:32

    ユートーモさん

    中田浩二さんは、スコットやシェーンの声にぴったりな声質ですね。
    それにしても、「シェーン」の吹替え版に強い思い入れを持っておられるんですね。私は子供のころに吹替え版を見たきりで、あまりよく覚えていませんで、つい最近見たのでオリジナルの英語版の方が印象が強いです。大体において洋画はオリジナル版の方が好きで、吹替え版は子供の頃に見て印象の強い、昔の声優が吹き替えていたものに限りOK、という感じです。ユートーモさんの「シェーン」も昔の吹替えに愛着を持っておられるんでしょうね。

  • 2013/10/26 (Sat) 00:49
    刷り込み

    私も、吹替え版至上主義というワケでは無いのです。
    ただ、刷り込みというか、子供の頃に吹替え版を観て印象に残った
    作品は、吹替え版の方が好きな場合もあります。
    人間が古いんでしょうね。
    「アラン・ドロンのゾロ」とか、「スティング」なんかは、最初観たのが
    オリジナル版でしたから、オリジナル版の方が好きです。

    • ユートーモ #QyOixb7.
    • URL
    • 編集
  • 2013/10/27 (Sun) 01:05


    確かにね。子供の頃に見た吹替え版はワタシも好きなものが多いです。

  • 2015/10/22 (Thu) 19:08

    kikiさん、
    素晴らしいコメントの数々、ありがとうございます。

    私は多分日本で一番「シェーン」を見ている男、だと思います。
    高校時代にリバイバルで見て以来、場末の二番館、三番館まで追いかけ、さらに数年するとまたロードショーでカムバックする、また見に行く、の繰り返しでした。家には最初にアメリカで出たVHS、日本で発売されたVHS、そして何枚ものDVDがゴロゴロ・・・・
    仕事で(「シェーン」の影響で映像関係の仕事につきました)何回もLA、ハリウッドにいくたびにシェーンやアラン・ラッドの資料、写真etcを手に入れ、3年前にはジャクソンホール(ロケ地)にも行ってきました。
    「シェーン」の解説は淀長さん、荻さんはじめ各ジャンルの名士たちがさんざんされていますが、もちろん一定の評価はあるものの、概して“辛口”のものが多いですね。ヒット西部劇であるが故に、コアな西部劇ファンも高い評価はしていないようです。
    しかしアメリカでは今だにAFI(アメリカン・フィルム・インスティテュート)が選ぶ、過去から現在までの全てのアメリカ映画作品のベスト100に毎年「シェーン」は40位台に入っています。西部劇では「捜索者」(ジョン・ウェイン主演)がもっと上位で入っているだけ。ちなみにオードリー・ヘプバーンやジェームス・ディーンの作品は一本も入っていません。
    アラン・ラッドについてもkikiさんだけでなく日本ではさほど評価されていませんが、アメリカでは40年代から50年代にかけて、ボックスオフィス・スター(最も人気のある、興行実績にすぐれたスター)の1位を何度も取った、押しも押されぬトップスターでした。
    そもそも This Gun For Hire で一夜にして人気スターになった彼を、パラマウントは「ジョージ・ラフトの後釜」として主に都会的ハードボイルドの役柄で売り出しました。このころの作品は日本では殆ど紹介されていませんが(グレート・ギャッツビーも演っています)、ダブルのスーツにソフト帽、タバコを咥えたまま表情を変えずにドスの利いた声で喋る端正な二枚目として絶大な人気を誇りました。後年の「シェーン」のような、哀愁のあるもの静かなたたずまいではなく、粋でいなせでタフでクールというのが持ち味で、当時は女性と特に少年たちに人気があったようです。その後、西部劇に進出していくのですが、高校時代に水泳の選手として鍛えた肉体は“100万ドルの筋肉”と言われ、彼の映画では必ず上半身裸になるシーンがファンサービスとして用意されました。「シェーン」前半の、切り株をスターレットと一緒に押し倒すシーンがそれですね。
    また指輪についてですが、kikiさんの目の付け所はすごいなと思ったのですが、アラン・ラッドは彼の代理人として彼をモーレツに売り込んでスターにしてくれたスゥ・キャロル(元サイレント期の大女優)とその後結婚して、彼女への気遣いもあり、どんな役柄でも絶対に結構指輪は外さないという契約を結んでいたそうです。そもそもスティーブンスはシェーン役に「日の当たる場所」で一緒に仕事したモンゴメリー・クリフトをオファーしていましたが、パラマウントとしては当時ややマンネリで人気に陰りの見えてきたアラン・ラッドをぜひ、と押し込んだそうです。結果的にはこれが大正解だったのですが、その後スティーブンスは「ジャイアンツ」のジェット・リンク役にラッドをぜひとオファーしたところ、スゥ・キャロルから主役でない役は引き受けないと断られたそうですよ。後でアランもスゥも大後悔したそうですが・・・。
    ラッドが小柄だった、というのは彼も大いに気にしていたようですね。映画監督の大林宣彦さんに教わったんですが、ハリウッドでは今でもハコウマに使うアップルボックスを「アラン・ラッド」と呼ぶそうです(日本ではセッシュー、ですね)。ただし金髪で小柄な男性スターというのは彼が第一号だったそうで、そのお陰で後のロバート・レッドフォードはスターになれたんだ、と聞いたことがあります。
    あっ、キリがありませんね!

    ライカーについては、まさにkikiさんの指摘どおりいわゆる悪役という扱いではありませんね。古い権威、滅びようとしている権威の象徴としての役割で、時代も産業の構造も変化していく中でそれについていけず、悪あがきをする権威。それと同じ側にいながらその事実をちゃんと認めているシェーンが、新しい体制の為にあえてそれと戦うという苦味のあるドラマづくりが、「シェーン」に普遍的な価値を与えているんだと思います。
    グラフトンの酒場でのシェーンとライカーのやりとりこそこの映画のコアの部分で、The difference is I know it というシェーンのセリフこそ最も重要なセリフだ、と私も思うのです。
    映画史上に残るラストシーンといわれる「シェーン、カムバ~~ク」の呼び声は、去っていくシェーン個人へのものであると同時に、新しい世代の若い代表(ジョーイ少年)から旧世代のスターへの惜別の辞であると解釈することもできますね・・・・・。
    う~~~ん、長くなりました。スミマセン。
    たまたま見つけたこのブログ、久しぶりに「シェーン」に触れた嬉しさについつい長居をしてしまいました。
    本当にありがとうございます!
    これからも見ますので、ぜひよろしくお願いします。

    • シェーンカムバック #-
    • URL
    • 編集
  • 2015/10/24 (Sat) 12:27

    シェーンカムバックさん
    熱いですね〜。本当にシェーンおよびアラン・ラッドがお好きなことがよく伝わってきました。
    ところで、「素晴らしいコメントの数々」というのは、記事内容のことを言ってらっしゃるという解釈でよろしいんでしょうか?(笑)

    アラン・ラッドが40年代から50年代にアメリカで大人気のスターだったということは知っております。「ジャイアンツ」のジェット・リンクの役を断って後悔していたというエピソードも読んだことがあります。あれは、ジェームス・ディーンでOKだとも思いますが、アラン・ラッドが演じていたら、違う趣きと哀愁が加わって別な味が出たかもしれませんね。そちらも見てみたかったなぁと思います。
    シェーンがはめていた指輪は、アラン・ラッド本人の指輪だったんですね。なぁんだ、そうだったんですか。役の設定とは無関係だったとは、ちっとがっくりでした…(笑)

    また、いつでも遊びに来てください。

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