「マルタの鷹」 (THE MALTESE FALCON)

~ハードボイルド、それはいかなる時にもオレ流を押し通すということ~
1941年 米 ジョン・ヒューストン監督



レイモンド・チャンドラーのフィリップ・マーロウと並んでハードボイルド探偵の双璧といえば、ダシール・ハメットのサム・スペードである。マーロウについてはいろんな監督がいろんな俳優で映画化していて、ボギーことハンフリー・ボガートも演じているが、前からしつこく書いているように、ワタシはロバート・ミッチャムがマーロウを演じた「さらば愛しき女よ」が個人的には一番好みである。ボギーは、サム・スペードを演じた「マルタの鷹」が一押しだと思う。この作品でのボギーは、いわゆるハードボイルドとはこういう事よ、という感じで、とにかくバッチリと決まっている。ワタシ的には格好をつけつつもウジウジと過去に捉われた男を演じている「カサブランカ」よりも「マルタの鷹」のクールなボギーが彼のベスト・パフォーマンスだと思う。ジョン・ヒューストンの歯切れのいい演出とも相性ピッタリだ。


この煙草の持ち方もボギー流

ボギーが若くてキビキビしてるなぁと思ったら、これは1941年の制作。それはつまり昭和16年で、日本が真珠湾を攻撃し、「欲しがりません、勝つまでは」の無謀な闘いに入った年の制作という事になる。昔である。ボギーって古い時代の人なのだな、なんて今更に思ったりして。彼の映画では50年代に入ってからのものを割に観ているので、40年代初めのボギーというのは新鮮で、やはりシャープでいい感じだな、と思う。

フィリップ・マーロウがハードボイルドの探偵としては意外におセンチなのに較べると、サム・スペードはクールでドライである。しかも女に手が早い。サム・スペードは、「スペード&アーチャー探偵事務所」というのを開いている。つまり彼にはアーチャーという相棒がいる。この相棒をコケにしていたのかどうか、スペードはアーチャーの女房にも手を出している。が、それはもちろんただの遊びである。スペードは抜け目が無く、金に目が無く、女に手が早いのだ。金にはあまり欲が無くて決まった日当と経費以外は取らず、ややストイックで実はおセンチなマーロウと較べると、スペードはもっとダーティなキャラクターである。が、そのように持ち味の違う二人がハードボイルド・ヒーローとして共通しているのは、「いかなる時にもブレない自分の流儀(=スタイル、ルール)があり、それを貫く」という点である。これが無かったらスペードなんてケチな小悪党と大差ない。



そんなスペードの元に、ある日、女の依頼人が現れる。彼女のでっちあげの依頼で現場に赴いた相棒・アーチャーはあっけなく撃たれて死ぬ。女房は相棒に寝取られるわ、わけもわからず撃たれて死ぬわ、このアーチャーという相棒は気の毒な男である。しかし、アーチャーを撃ったとされる男もあっという間に殺され、その容疑がスペードに掛かる。相棒が死んだ事で、事務所の看板からさっさとアーチャーの名を消しながらも、一方で何者かに消された相棒に対してまるきり感慨がないわけでもないスペード。


すぐに殺されてしまう相棒アーチャー(右)と女依頼人の話を聞く

そんなスペードに、再び女依頼人ブリジット(メアリー・アスター)から電話が掛かって来る。彼女の宿に赴いたスペードは、彼女を取り巻く欲望の渦、ニカワで全体を黒く塗られた鷹の彫像~実は宝石をちりばめた黄金の鷹~の争奪戦に巻き込まれていく。

ブリジットを演じるメアリー・アスターは、ヘアスタイルがイケてない感じでさしていい女とも思えないが、よく観ると美人には違いない。ちょっと国生さゆりに似ている気もする。この人は30年代の人気女優だが、「青い日記帳」スキャンダルでも有名な人。アスターは奔放な恋愛体質の上、少女の頃から日記になんでも書くクセがあり、30年代の半ば、医師と結婚していた時にスタミナ抜群の劇作家との浮気を克明に日記につけていたのを夫に読まれて離婚訴訟となり、その際にスキャンダラスなその日記も一部公けになり、世間を騒然とさせた。が、女優としてのキャリアにそのスキャンダルは一向にマイナスにならず、むしろプラスに作用したのは特筆もの。こうした彼女の私生活での奔放な発展家ぶりが、「マルタの鷹」のブリジット役にも十二分に生かされているわけである。



口を開けば嘘ばかりのブリジットを胡散臭いと思いつつも、彼女の芝居気たっぷりな言い草を面白がる様子や、「私を助けて」という彼女の願いを一応は了承する代わりに手持ちの金を全てよこせ、という場面など、ボギーのスペードは容易にほだされないありようがクールで良い。女が500ドル持っていながら400ドルしか寄越さず、100ドルは当座の生活費に持っていようとするのまで全部取り上げ、生活費は何かを質屋に入れて賄え、というあたりは面目躍如である。相手の女に興味があっても、唯々諾々と鼻毛なんか読まれないのだ。


女から有り金を全てまき上げる

この作品でのボギー=スペードは、いかなる状況にあっても、その状況を余裕をもって楽しむという空気があり、折々、いかにも楽しくてならぬようにニヤっと歯をむきだして笑う。このニヤっという笑い方は英語では、grinと表現されるものだろうと思うのだけど、歯をむきだした笑顔がボギーにあまり似合わず、どこか卑しい感じがするので余計に印象が強い。


ボギー “grin”中

また、特別な関係はなさそうだけど(かつてあったのかもしれないが今は何もないという感じでもある)女性秘書エフィとの関係性も目立たないがよく描かれている。スペードは有能で訳知りな秘書・エフィを「エンジェル」などと呼びかけながら最大限に便利に使いこなす。彼女は身近にいて、スペードという人間を表も裏も誰よりもよく知っている古女房のような存在でもある。演じているのはリー・パトリックという女優で、ワタシはこの作品でしか観たことはない。ブロンドなのにも関わらず存在感は地味だが、こういう訳知りな秘書にはピッタリでもある。



さまざまな人間を手先に使って、お宝の鳥の彫像を入手することに異様な執念を燃やす巨漢のガットマンを演じるシドニー・グリーンストリートや、その手先のオカマ男カイロを演じるピーター・ローレは、「カサブランカ」でもボギーと共演しているお馴染みの顔ぶれ。ピーター・ローレが本作で演じているような、香水をぷんぷんつけたオカマチックな小悪党、というのもハードボイルド物によく登場するキャラクターだ。(「さらば愛しき女よ」にも同様な人物が登場する)



鷹の由来をスペードに語るシドニー・グリーンストリート。時折、「ふふん、うふふふん」と含み笑いを交えつつの語り口に妙な愛嬌のある余裕綽綽な佇まいが良い。敵役にも味わいがないと映画が締らない。原作を読んでいないので分らないけれど、グリーンストリート演じるガットマンは同性愛者であるらしい。初めてスペードに会った時にも、やけに慣れなれしくその腕を取って、腕を組むような感じで応接セットの方へ案内するし、用心棒に使っている小柄な若造と愛人関係にあるらしい(やたら可愛がって養子縁組でもしていそうな)気配もうっすらと窺える。このへんは例の検閲に配慮して本当にうっすらとにおわせる程度に気配を漂わせている、という感じである。



焦点であるお宝の鷹は、16世紀の十字軍の時代に端を発する代物で、十字軍からのスペイン王への貢物だったが、贈られる途中で船が難破して行方不明となり、その後は人から人の手を渡り、いつしか上からニカワを塗られて、近年は値打ちを知らぬロシア人の手にあったのを、ガットマンがブリジットを遣って買い取りに行かせたところ、女が欲を出して鷹を横取りしようと画策したのだった。女はガットマンの追及をかわすためにスペードを頼ったのである。かくしてそれぞれの思惑が入り乱れる中、焦点である鷹の彫像はスペードの手中に落ちるが…。


その存在を知る者の夢と欲望をかきたてるマルタの鷹


この映画の良さ、および肝はメアリー・アスターとボギーのラストのダイアローグにある。ボギーのスペードは、様々な状況から目の前の女が相棒のアーチャーを殺した犯人であると察知している。自分を警察に突き出す気だと分った女は、色仕掛けで必死の嘆願を始める。女はひとクセもふたクセもあり、全て口からでまかせ出放題だとは知っていても、彼女は美しく、また一筋縄ではいかない女ゆえにスペードは心が惹かれるのである。だから女の嘆願にも心が動かないわけではない。
しかし、彼はこう言って女の哀訴を退ける。

「君は俺の相棒を殺した。
君には分らんだろうが、相棒が殺されたら男は黙っちゃいられない。
ましてや俺たちは探偵だ。相棒が殺されたら犯人は逃がさない。
それが探偵ってものなんだ」



それだけで、私を警察に突き出すの~となおも食い下がる女にスペードは言う。

「俺が君を逃がそうとしないのは、
本当はどうなってもいいから君を逃がしたいと思っているからだ。
そして、他の多くの男と同じように、俺がそうするだろうと
君が計算しているからだ」
(I won't because all of me wants to regardless of consequences and because you've counted on it the same as you counted on it with all the others.)

ここにサム・スペードの、「俺が俺であるための流儀」が炸裂するわけである。
女の涙にほだされて、逃がしたら何をするか分らない危うい女だと知りつつ逃がしてやりたい気持ちも多分に無くはない(全然無ければ事は簡単である。流儀もへたくれもない)が、いかにその後の夢見が悪かろうと、惚れた女の涙に気持ちが揺れようと、スペードは相棒を殺した女を許さないのである。そして、これまで彼女がいいように操ってきた男たちと同列に扱われる事を拒否するのだ。そんな事を受け入れたら、それはもう「俺」ではないからである。

そして、この俺流炸裂シーンのあと、真相を何も知らない刑事たちがやってきて女を引き取り、テーブルの上の鷹を手にして「これは何だ~やけに重いな」と言う。
スペードは鷹に触れながらぽつりと言う。
「夢が詰まってるのさ(The stuff that dreams are made of.)」



まさにつわものどもが夢の跡を静かに見送るキメの一言だ。
ちなみに、このラストの一言はAFI選出のキメ台詞ベスト100の中で14位にランクインしている。(1位は「風と共に去りぬ」のレット・バトラーのシメの台詞 "Frankly, my dear, I don't give a damn.")また、ボギーと言えば「カサブランカ」というわけで、その超有名台詞 "Here's looking at you, kid."は5位にランクインしている。
70年代以降のアメリカ映画や、AFIの様々なランキングなどを見るにつけ、アメリカ人てつくづくとボギーことハンフリー・ボガート(及び「カサブランカ」)が大好きなんだな、と思う。ワタシはさほどボギー好きってわけでもないけれど、「マルタの鷹」のボギーは、タフでドライでクールでスタイリッシュで、やはりエターナルな輝きを放っていると思うのだ。

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