「野いちご」(SMULTRON-STALLET)

~追憶の森の野いちご~
1957年 スウェーデン イングマール・ベルイマン監督



イングマール・ベルイマンの作品は、「第七の封印」及び「秋のソナタ」しか観ていないなかった。「夏の夜は三度微笑む」も遠い昔の子供の頃にNHKの放映で見たような気がするのだけど、何も覚えていないので観たとは言えないだろう。「第七の封印」はVHSを持っているので何回か観ているが、そうオイソレとレビューの書けるような作品ではないのでまだ凍結状態。そんなワタシの3本目のベルイマンは「野いちご」。
先日、BSで放映されたのを後日しみじみと観賞。
医師イーサクは人嫌いの偏屈な老人。妻には先立たれ、一人息子はルンドに住んでいる。そんなイーサクは長年の医学の業績を讃えられルンド大学から名誉博士号を送られる事になった。その前夜、死の幻想に満ち満ちた夢を見るイーサク。翌日、息子の嫁とともに会場のルンド大学まで車で向かう途中、青年時代を過ごした別荘に立ち寄り、別荘近くの野原で野いちごを見て、遊び人の弟に奪われたかつての婚約者を思い出すのだった…。



というわけで、老医師イーサクを演じるのは映画監督でもあるヴィクトール・シェストレム。折々の表情が何とも言えない。冒頭のイーサクのモノローグのシーンからしてなにがなし引き込まれるものを感じる。一人暮すイーサク。身の回りの世話は老家政婦のアグダに任せ、書斎に籠もって好きなように過ごしているが、孤独であることは認めざるをえない。イーサクの家には、少し前から息子の嫁マリアン(イングリッド・チューリン)が身を寄せている。夫婦仲がギクシャクして舅の元に避難していたが、授賞式に向かうという義父の車に同乗して、ルンドに戻る事にする。彼女には、夫に告げねばならない決意があった…。道中で立ち寄るガソリン・スタンドのオヤジでマックス・フォン・シドーが顔見世的に登場している。

車での道中、傍目には人格者と思われていても、あなたはエゴイストだ、と嫁はイーサクをズケズケと批難する。助けを求めたのは間違いだった、と。プライドの高い夫はあなたにどこか似ている、と嫁は言い、息子は私を尊敬しているというイーサクに、どこかで憎んでもいるわ、と言う。イーサクがそんなに人格に問題のありそうな意固地な老人にも見えないので、嫁の台詞はかなりキツイなと思うが、イーサクは殊更反論もせず、静かに運転を続ける。だが嫁の言葉にはショックを受けた様子は窺える。
この前夜、イーサクの見る夢のシーンはモンタージュの極地。


ズケズケと言いたい放題を言う嫁とイーサク

どこともしれないひと気のない町。町角の時計には針がなく、そんな時のない町の通りを一人とぼとぼと歩くイーサク。そんな彼の目の前を無人の馬車が通りかかり、街路灯に突っかかりながらも強引に通り過ぎつつ、道端に荷を降り落としていく。それは棺で、落下の拍子に蓋がずれ、中から死人の手が飛び出す。イーサクは狼狽しながらもずれた蓋を元に戻そうと手を伸ばすと、棺から出た死人の手が彼を掴む。
棺の中に横たわっていたのは他ならぬ彼自身だった…。


時のない町 針のない文字盤


一人彷徨うイーサク

棺の中に横たわる死んだ自分が、生きている自分を捕らえようとするというこの死の幻想は、ある意味、定番的なシチュエーションなのかもしれないが、この映画での、このシーンのインパクトはかなりの強さだ。静かな町にただよう静寂と死の気配。時のない石畳の通りで棺の中の自分と体面し、慄然として目覚めるイーサク…。生きながら死んでいる自分を自覚しているという事の現れか。針のない時計の文字盤の放つ得体の知れない怖さ。この針のない文字盤は、イーサクが道中、老母の家に立ち寄るシーンで再度登場するのだが、何のメタファーだろうか。

また、野いちごを見て昔の婚約者サーラ(ビビ・アンデショーン)を思い出すシーンでは、老人のイーサクの中で、昔の婚約者は永遠の瑞々しさを湛えている。自分は老人のままで、若いサーラをいとおしげに見つめるイーサク。老人になっても思い出は瑞々しく色あせない。昔の恋人が婆さんになった現在の姿も知ってはいるが、イーサクの思い出の中では、サーラはいつまでも若く美しい乙女のまま、森で野いちごを摘んでいる。

あちこちに立ち寄りつつ、途中で人を乗せたりしながら続くルンドへの旅の途中、休憩などで折々短い眠りにおちたイーサクは幾たびか夢を見る。それはいずれも彼の過去に絡んだ、恐ろしく、物悲しく、自己否定に満ちた寂しい夢だ。


鏡をご覧なさい あなたはもう老人よ、とイーサクを追い込むサーラ

そんな夢の中で、鳥がいっせいに塒に帰る時刻、森の中で野いちごを摘んでいたサーラと老人イーサクは体面し、サーラはイーサクに鏡をつきつけ、あなたはもう老人だ、と言う。学業にまい進し、立派かもしれないがついていけないものをイーサクに感じていたサーラ。あなたにあるのは知識だけ。私はジークフリート(イーサクの弟)と結婚するわ、とサーラは宣言する。この婚約者サーラを弟に奪われたことと、のちに結婚した妻カーリンが不貞を働いた事がイーサクの過去の大きな癒えない傷なのである。


「笑って」と言われて泣き笑いの表情になる

が、彼女たちをそんな行動に走らせたのは自分だったのだと老境のイーサクは悟るのだ。本当の意味で人と触れ合う事がなく、煩わしい事を避け、自分を保ち、守る為に、他人と向き合う事を避けてきた、その事が相手を傷つけてもきた、自分自身の「冷たい優しさ」のせいなのだ、と。

そんなイーサクの前に、かつてのサーラにそっくりな若い娘(ビビ・アンデショーン2役)が現れる。天真爛漫な彼女は男友達二人とハンブルクへ行く途中だと言い、イーサクは彼らをルンドまで乗せていく事にする。車での旅の間に、人生という旅の記憶が老人の脳裏を巡る。自分の世界を乱されるのが嫌さに、ずっと周囲との間に距離を置いてきたイーサクは、この若い三人組と触れ合い、なかんずく、若い娘から別れ際に「大好きよ」と言われて、ほのかに自分を赦す気持ちになる。

旅の目的である授与式に出席した夜、ずっと主人と使用人として接してきた老家政婦にも親しみを見せ、息子やその嫁とも精神的に距離が縮まるイーサク。その夜、イーサクの観た夢は、それまでの自己否定と内省と孤独に満ちた哀しい夢ではなく、相変わらず老人のままの自分が、ハツラツと若く美しい婚約者サーラと会話し、彼女に手を引かれて、若かった両親が入江で釣りをしている姿を眺めるというほのぼのとした夢だった。老いた自分のまま、若い両親を眺めるイーサク=ヴィクトール・シェストレムの表情がなんとも言えない。万感の思い、とはこういう表情の事だろうかと思った。このシーンを見ていて、ワタシの父が、70を過ぎた自分がいま一番話をしたいのは亡くなった両親だ、と言った事を思い出した。



イーサクは終始、老いた姿のままで思い出の中でもけして若返る事はない。それは78歳の老いたイーサクの視点というもので映画が貫かれているからなのだろうけれど、ずっと老人のままなのがとても良かったと思う。そして、何といってもヴィクトール・シェストレムの場面、場面での表情が本当に見事で、彼なくして「野いちご」の余韻は有り得なかっただろうなぁとつくづく感じた。殊に、あなたの弟と結婚する、と夢の中でサーラに宣言された時の泣き笑いのような表情には胸がきゅっとなった。



人は老いれば老いるほど、遠い過去の記憶はいつまでも鮮やかに脳裏に甦ってくるものなのかもしれない。枯れた老人の中で、思い出は永遠に瑞々しい輝きを放っている。それまで、過去の自分を悔いる寂しい夢ばかりをみていたイーサクが、最後に若い頃の幸せな家族の肖像の中にほっこりと抱かれて静かな幸せを感じるシーンは、それまでの哀しい夢のシーンが非常に印象的なので、余計にラストのしみじみとした余韻を増している。エリック・ノードグレーンの音楽も、そんな本作の感興を静かに盛り上げるのに寄与していた。

コメント

  • 2010/07/18 (Sun) 02:18

    ベルイマンって難解なイメージがあって、私も何本か見てますが、「理解した」と言い切れる作品がひとつもないんですよね~。
    で、この「野いちご」。DVDを持ってますが、老人の夢はシュールでしたよね。針のない時計や、棺桶の中の自分・・・。
    この作品、自分が年を取ったら理解できるようになるのかしら、と思ったりもしましたが、この作品を撮った時、ベルイマンは39歳なんですよね。うーん。深い・・・。
    ベルイマン作品で観てみたいのは「ファニーとアレクサンドル」なんですけど、これはDVDは廃盤らしく、ヤフオクで出回ってるものはかなり高騰してるんですよねえ・・・。

  • 2010/07/18 (Sun) 09:31

    mayumiさん。ところどころ分らない部分があっても、ベルイマンの作品というのは何か惹き付けられますね。たとえばファンの多い監督でもリズムというか何かが合わないと観ているのがキツいのだけど、(ワタシはジム・ジャームッシュがダメなのね)ベルイマンやヴィム・ヴェンダースは作品にもよるけれど、何となく好きですわ。で、「野いちご」ですが、このような作品は却って自らが老境に入ってしまうと作れないものじゃないかなという感じがします。ベルイマンはおそらく自らの親を見て何か感じるところがあったのじゃないかと推察するんですけどね。ワタシは本作を観ていて、昔の日本映画の秀作を観ているような気分になりました。
    「ファニーとアレクサンドル」廃盤なのか…。長いしね。でも、そのうち新しく出ますよ、きっと。変に高騰してるのを買うよりももう少し待ってみた方がいいかも。

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