「ぼくのエリ 200歳の少女」 (LAT DEN RATTE KOMMA IN)

~血の味のファーストキス~
2008年 スウェーデン トーマス・アルフレッドソン監督



これもずっと観たくて封切りを楽しみに待っていた作品。現在、まだあちこちの都市で上映しているわけではなく(順次公開)、東京ではテアトル銀座の1館上映ゆえ、サービスデーは大入り満員、要予約である。そんな事はともかくも、まずは観られて良かった。スチール写真を見て、ざっと梗概を読んで、想像していた通りの映画だった。主役の少年の、イメージ通りの北欧顔もこの満足感に一役買っている。

監督が、主役のオスカーを演じる少年カーレ・ヘーデブラントのルックスをとても気に入っていたのだろうな、という事がカットをみていて伝わってくる。少年の表情をアップで捉えた映像が非常に多く、彼の姿から何かを伝えようとしている気配が読み取れる。何しろこの少年は、北欧の少年と聞いて脳裏にイメージが浮かぶ通りの少年、いわゆるビョルン・アンドレセンの系統である。顔の造作もその類型だと思うけれど、年齢の割にひょろりと背の高い、手足の細長い植物的な体つきに、しみひとつないような真っ白な肌、白金のやや乾いた金髪にブルー・グリーンの瞳など、まさしくイメージの通りの、北欧の少年そのものだ。タッジオを少し幼くしてヘタレにして時折寒さに洟を垂らさせると本作のオスカーになる、という感じ。バイキングのビッケ風味もちょっと入っているだろうか。



映画が始まると暫く無音でクレジットが表示され、徐々にかすかな雨音か何かが聞こえてくると思うと、それはストックホルム郊外の集合住宅地に、深夜降り積む雪の音なのだった。学校でいじめに遭っているオスカーは、鬱屈した気分をどこにぶつけようもなく、いつか復讐してやると思いつつ自分の部屋で一人鬱勃としている。そんな彼の見降ろす窓の下にタクシーが止まり、中から中年男と、自分と同年齢くらいの少女が雪の中に降り立つ。二人は深夜にひっそりとオスカーの住む部屋の隣に引っ越してきたのだった…。

オスカーの両親は離婚していて、彼は母と二人で無味乾燥な集合住宅に住んでいる。日本で言うと、都営住宅みたいな感じだろうか。母親は働いていて、わりに遅く帰ってくる。オスカーは一人でいる時間の長い少年だ。たまに会う父との時間も楽しんではいるが、父は更に郊外に住んでいてそうしょっちゅうは会えない。一人で屈託を抱える彼は、自分を苛める連中にどうかして仕返しをしたいがその勇気もなく、夜の中庭に出てナイフで木をブスブスと刺す。そんな彼の背後から深夜に越してきた不思議な少女エリが声をかける。二人はおずおずとながら徐々に知合っていく。


いじめられっ子のオスカー

プラチナに近いブロンドのヤワなオスカーに対し、エリはブルネットで、野性的な味わいもあり、非常に対照的。二人に共通しているのはひょろりとした骨細の、細長い体つきである。エリを演じるリーナ・アンデションは、どことなくジプシーを思わせるルックス。当初はさほど美形でもないなと思うのだが、観ていると段々にエリを演じるために生まれてきたのかと思えて来る不思議な魅力を放つ。少女でもあり、獣でもあり、魔物でもあるようなエリの独特の存在感を、そのもののように体現していた。オスカーがエリにちょっと臭いよ、というシーンがあるが、血と獣(ジャッカルとかだろうか)の体臭が混ざったような異臭が、こちらにもかすかに漂ってくるような気がする。複雑な色の大きな瞳がとても印象的で、じっと見ていると一瞬にして何百年もの時を遡ってしまいそうな気分にさせる。姿は少女のようだが、何百年も生き続けている魔物であるエリ。人の血を吸わなければ生きていけない因果な生き物である、時をかける「少女」。エリもまた孤独であり、その世界を閉ざす闇の深さとその果てしない孤独は到底オスカーの比ではない。


時のはざまを生きるエリ

頭はいいが、いじめられっ子で孤独なオスカーは、夜しか姿を現さないエリと徐々に打ち解けていくが、近隣ではひんぴんと謎の殺人事件や、殺人未遂事件が起き始める。エリと共に住む中年男はエリの父ではなく、エリを保護し、エリが命を永らえるための生贄を狩る役目を負っているエリの保護者で、彼自身は生身の人間だ。だが、観ているこっちが「そんな無謀な…」と思うほどに不器用かつ、タイミングの悪い狩りのやり方で、幾度か失敗をした挙句、ついに抜き差しならぬところへ追い込まれてしまう。硫酸を被って病院に運ばれた彼に裸足で会いに行くエリ。彼は最後は我が身を捧げて飢えたエリの咽喉を潤す。
保護者を失ったエリとオスカーの距離はますます縮まっていき、エリの励ましでいじめっ子に対抗しようという気概が生まれてくるオスカーだが、人の血がなければ生きていけないエリは、折々人の咽喉元に喰らいつき、その姿を目撃されるようになってしまう。この土地を去って生きながらえるか、このままここで死ぬか、彼女の選択肢は2つに1つしか無いのだが…。




エリが生きながらえていくためには、保護者は必須の存在だ。エリの保護者は生身の人間なので、始めは同じ年の少年でも、いずれ兄になり、父になり、やがて祖父の年齢になってしまうだろう。老いれば、彼女のために狩りをすることもできなくなる。その時が着たら、その身をエリに捧げて魔物に尽くす一生を終えるのだろう。そしてエリはまた、新しい保護者を求め、さらなる時を生きながらえていくのだ…。そんなにまでして生きながらえてどうするというのだろう。何人もの人間を屠り、その血で生きながらえて、この世の果てに彼女は何を見るのだろうか。だが、「人を殺しても生きたいと思うこと、それが生きることなの」だとエリは言う。
そうして彼女は長い時を、人の血を啜りながら、ただ永らえてきたのである。

エリの正体に気付き、さすがに腰が引け気味になるオスカーを、夜、尋ねてきたエリは、自分を拒否するなら死ぬ、という静かな気迫を示す。このシーンは迫力があるが、恐ろしさよりも、深い哀しみと孤独に満ちている。このシーンを観た時、「ポーの一族」で少女時代を送った世代としては「おいでよ、一人では寂しすぎる」とアランを一族に加えてしまったエドガーをついつい思い出した。オスカーはあちこちから血を噴出させた彼女を抱きしめる。そうしないわけにはいかないのだ。そして、エリの血まみれの唇が、オスカーの唇に触れる。血の味のファーストキス。こんなキスを味わったら、少年は永劫、エリの虜である。彼女とともに各地をさすらうさだめを、血の味のキスで引き受けることになるのだ。



本作は、いかにも北欧らしい風景や人物が、ひとしお物語に余韻を与えていたと思う。原作小説のタイトル「モールス」は、壁を隔てて互いの部屋にいるオスカーとエリがモールス信号で会話する事からつけられたのだと思うが、安アパートの薄い壁を通して、オスカーにはエリと中年男の会話が殆ど筒抜けに聞こえてくるのに、モールス信号を使う意味があまり無かったようにも見えたし、さほど頻繁にモールス信号を使うシーンが出てくるわけでもないのだが、原作ではもっと比重が高いのかもしれない。

※原作には書かれているが映画では省かれている事が幾つかあるらしく、映画だけを観た場合と、原作を読んでいて映画を観た場合とでは解釈が分れる作品でもあるようだ。ワタシは映画のみを観たので、オスカーはエリの新たな保護者としての役目を引き受けたのだろうと思ったが、原作では必ずしもそういう事ではないらしい。また、エリの保護者だった中年男性は少年時代にエリと知合って、ずっと彼女のしもべとして生きてきたのではないかと推察したが(「今夜はあの少年に会わないでくれ」と男がエリに懇願するシーンは、男のエリに対する想いの深さが現れている事が分かる)、原作では、男は少年時代からエリに付き添っているわけではないらしい。また、オスカーの父についてもあまりハッキリとは語られないので、彼の問題がどこにあるのかは映画を観ただけでは分らない。観客がその性的傾向についてある推察をしてもムリはない気がする。映画を観た人がみな原作を読んでいるわけでもないし、映画のみを見て伝わってくる事が原作を読んだ場合と異なる事も往々にしてあると思う。



音楽も映像もしんみりとして美しく、演出も、微妙な表情の変化で心理を表現するような繊細さが物語に合っていた。(表情の微妙な変化という点でも、エリ役のリーナ・レアンデションの表現力は水際立っていた)主役の少年少女の容姿ともども、ストーリー展開など映画全体が見る前に想像していた通りのもので、深い満足感を味わえた。こういうものが観たい、または観られるに違いない、と期待して行って、その通りのものが観られた時のカタルシスは言葉にできない。なかんずく北欧というのが効いている。東欧でも、西欧でもなく、北欧。北欧というのは白夜やオーロラなどのイメージで欧州でも独特なエリアだし、殊にスウェーデンは、映画関係ではイングマール・ベルイマンにグレタ・ガルボ、イングリッド・バーグマンらを輩出した国であり、またジェイク・ギレンホールの父方のルーツでもあって、ワタシとしては何かと気になる国でもある。
北欧って何がなし興味深い。
ヴァンパイア物+初恋というと、ハリウッド製の、全米ティーンの集団ヒステリーの受け皿みたいなヒットシリーズがあるけれど(あの志村のバカ殿みたいなヴァンパイアのボクを笑わずに見られたらスゴイとワタシは思ってしまう)、やはりこういうジャンルは欧州に限ると思う。この映画を間違ってもハリウッドでリメイクしようなどと企まないで貰いたいものだと切に思う。

コメント

  • 2010/07/17 (Sat) 10:53

    こんにちは。はじめまして。
    楽しく読ませていただきました。
    少し気になった点があったので書かせていただきます。

    「ホーカンはオスカーの未来」説
    「オスカーの父親はゲイ」説

    原作を読まず映画だけ観た人の多くが陥る説ですが、共に誤解です。
    下記IMDbに、観客や読者による解釈の違いは尊重しつつ簡潔にまとめられています(ネタバレ注意)。

    ttp://www.imdb.com/title/tt1139797/faq

  • 2010/07/18 (Sun) 00:39

    kikiさん。北欧ものが続いておられますね。吸血鬼もの、というか血みどろ系は苦手なジャンルなのですが、北欧タッチはまた趣が異なる気がしてちょっと気になりました。子供のヴァンパイアものっていうのも珍しいですよね。考えてみると北欧の映画ってほとんど観たことないような・・・。「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」くらいかな。これ好きでした。ラッセ・ハルストレム監督。その後の「ギルバート・グレイプ」「サイダーハウス・ルール」「ショコラ」なども好きでお気に入りの監督だったんですが、今wikipediaで調べてみると最近「ハチ公物語」リメイクを手掛けたとのことで「あれれ・・どこへ行くのやら、方向性にがっくり」といった感じです。まあ、そんなことはさておき、期待して行って期待に違わぬものを観れたというのはほんとうに嬉しいことですね。わたしは期待がたびたび大きすぎて裏切られることがままあります(笑)。そういう面では昔の邦画は、わたしの場合気軽にレンタルして観ているという気安さもあるとは思いますが(わざわざ劇場に出掛けて行くのでなく)、期待を裏切られることもほとんどなくてヒットも多くて嬉しい限りです!
    そうそう、ヴァンパイアものではコッポラ監督の「ドラキュラ」がちょっとB級ぽいけどかなり好きですね。
    kikiさんのこの作品は全く知りませんでした。恐らくは有名俳優や有名監督の作品ではないのではないかなと推察しますが、それでも東京では一館の上映とはいえ、満席になって要予約とはまあ都会の人たちのアンテナはビンビンと敏感に巡らされているのだなあと妙なところに感心した次第です(笑)。

  • 2010/07/18 (Sun) 09:14

    WOOさん。コメントとご指摘ありがとうございます。
    IMDbのfaqを読みました。なるほど、映画だけではハッキリとは分らないところを原作ではどうなのか、と言う面で種明かしされてますね。興味深かったです。で、ワタシは本作については原作は未読で、映画のみを観ての感想なので、原作を読まずに映画を単独で観た場合には、そういう風に解釈する人が多くなるのもムリはないような撮られ方をしていた事も確かだろうと思います。原作を読まずに映画を観た場合には、オスカーの父はアルコールを愛しているのではなく、やってきた男友達の存在を喜んでいるようにしか見えないし、オスカーとエリは子供同士でどこに行くのか、今後どうやって生き延びていくのか、などを考えた場合に、オスカーはさきざき、単にソウルメイトというだけでは済まされないのでは?という印象を受けます。原作を読んだ場合と、そうでない場合とで解釈が分れるというのも、また面白いところではないかな、とも思います。

  • 2010/07/19 (Mon) 19:00

    ミナリコさん。このところ、ちょっと北欧づいているkikiです。思春期の少年+ヴァンパイア物というと、映画じゃないけれど日本のワタシなどの世代にとっては何といっても「ポーの一族」ですのよね。で、この作品は寒い寒い北欧の冬と、少年たちの容姿、孤独な少年の出会い、それに一応ジャンル的に欠く事はできない残酷描写もなきにしもあらずですが、ハリウッド製とは異なるヨーロッパの空気が随所にしみて、演出、音楽ともども、なんかとても満足しましたねぇ。例によって東京先行上映ですが、随時各都市でも一館ずつミニシアターで公開されていくと思うので、そちらでもそのうち封切られると思います。気が向いたら是非、ご覧になってみてください。こっちで満員大入りだったのはサービスデーだからですが、水曜日がレディースデーではなく誰でも割引料金で見られるシアターなので余計に混雑したんでしょうね。ワタシも最初は予約せずに行って、長蛇の列を見て「うわ!」と思ったらもうソールドアウトだと言われて敢無く退散。プレイガイドで前売りを買って通常の日に捲土重来。やっと観たので思いもひとしお。外れな作品じゃなくて良かったです。これはかなりロングラン上映になりそうな作品のような気がします。そういえば、ラッセ・ハルストレム監督の作品はワタシも好きで何本か見てます。スウェーデン映画って歴史も古いし、けっこう外れないんですよね。北欧ではデンマークも頑張ってますわね。北欧とかドイツの映画も割に気になるんですのよ、ワタシ。

  • 2010/07/20 (Tue) 10:23

    こんにちは。
    レスありがとうございます。

    前回は出かける直前に急いで書き込んだもので、失礼な書き方になってしまったかもしれません m(__)m
    仰ることはごもっともで、FAQはあくまで参考です。

    原作の邦題「モールス」(仏題の流用らしい)ですが、てっきり映画でも同じ邦題が採用されるものと予想していたので、「ぼくのエリ 200歳の少女」という嘘邦題(内容と違う!)を聞いた時は驚きました。
    モールス信号は原作より映画のほうがずっと印象的な使い方をしていたと思いますが・・・

    この映画、よくヴァンパイア版『小さな恋のメロディ』といわれますが、『小さな恋のメロディ』のほうはあまり「子供同士でどこに行くのか、今後どうやって生き延びていくのか」とは語られないんですよね。
    その違いはどこからくるのか、考えると興味深いです。

  • 2010/07/20 (Tue) 22:29

    WOOさん、こんばんは。
    映画の邦題は大抵問題が多いもので、なかなかこれは上手い!というものは無いんですが、確かにこれはね。「ぼくのエリ」までにしておけばまだしも後半は余計ですね。でも「ぼくのエリ」だけだとただの少年少女の初恋モノと思われちゃってもなぁ、とか考えたんでしょうね。モールス信号はまだ原作よりも映画の方が使われていたんですか。でも「モールス」をタイトルにするにはちょっと弱い気もしますね。原作の原題はどんなタイトルなんでしょう。とかくに原作に対して思いいれが強い場合はいろんな事が気になるものですね。
    で、ヴァンパイア版『小さな恋のメロディ』と言われるというのにはちょっと愕きました。そんなノホホンとしたものでは根本的に無いという感じですよね。しかも邦題の問題とも絡まってきますが、エリが少年でも少女でもない(海外版ではどうか分りませんが、日本公開版ではエリの局部が映るシーンは傷を入れられて見えないようになっていて、なぜそのカットが入ったか全く意味不明な事になっています)という事になると余計にそんなのどかな初恋ではありえないって感じがします。エリが何回か「私が女の子じゃなくても好き?」とオスカーに聞き、オスカーはエリが少女ではない事を漠然と知ってしまうのだけど、それでも二人は一緒に旅立つわけで、そこに至るまでに流された血や宿命の重さを考えると『小さな恋のメロディ』どころの騒ぎじゃないって感じですね。二人の関係は性を超えちゃっているのだけど、それが12歳という男女不可分ギリギリの時期だから可能なのか、オスカーの年齢が増していけば何か変化していくのかなど、様々な問題を孕んでいる感じがします。

  • 2010/07/20 (Tue) 23:33

    kikiさん吸血鬼ものわりに好きなんですのね。「ポーの一族」からなのかしらん。私もミナリコさんと同じくあんまりそういうの興味がなくって見た事がありません。恐がりだからかしら。この写真の子どうでもいいが友達のアメリカ人の子どもにそっくりで、その子が女の子だから、うっかりこの子も女の子かと思っていました。男の子なのね。映画は何も見た事ないが、吸血鬼系の本はちょっと前に「ヒストリアン」というの読みましたよ。割におもしろかったかな。北欧の映画って最近のしか見た事ないのですが昔のもチャンスがあれば見てみたいですねえ。あと数ヶ月前にリリースされた「ミレニアム ドラゴンタトゥーの女」は原作読んだので映画見てみようかと。ずいぶん北欧映画というのとは違いますけどねえ、一応スウェーデンのお話だから。

  • 2010/07/21 (Wed) 07:33

    Sophieさん。特に吸血鬼モノが好きって事もないんだけど、怪奇ものとしてじゃなく、一種のお耽美ロマンとして見てるのよね。「ハンガー」や「インタビュー・ウイズ・ヴァンパイア」なんかはモロにそのライン。要するに、「変らぬ姿のまま自分だけが永遠に生き続けねばならぬ者の悲哀」みたいなものがうまく出ているといいわけです。定番怪奇映画であるクリストファー・リーのドラキュラをひゃあひゃあ言いつつ見てたのは子供の頃のみよ。で、スウェーデン映画は機会があったら、やはりベルイマンを1本は見てみては?無論、「ぼくのエリ」も悪くないですわよ。昼の時間帯は空いてるわよ。
    「ミレニアム ドラゴンタトゥーの女」というのは、タイトルだけは知ってたけどノーチェックだったわ。スウェーデンの作家の作品で3部作なのね。「ミレニアム2」と「ミレニアム3」の映画化作品が9月に封切られるようよ。「ミレニアム」シリーズ、タイトルからだとあまり惹き付けられないけど、面白いのかしら…。

  • 2010/07/21 (Wed) 09:50

    そうだそうだ、きっと耽美系としてみているんだろうなと思ったんだが書くの忘れました。そうよねえ、ベルイマンは一つは見てみるべきだよね。何も見た事ないなんて。やっぱりkikiさんも書いている「野いちご」とかおすすめ?「ぼくのエリ」もう今は夏休みなので単独行動は許されておりません。残念ながら。「ミレニアム」は私も最初封切り時の写真とタイトルを見て、何だこれ、パス・・・だったんだけどそれから本を読んで初めてあの映画はこれだったのかと合致した次第です。話自体はミステリーでとてもおもしろかったけど、読み進むのが辛いところがいくつかありました、テーマ的に。ちなみに「ミレニアム」ってSF的イメージがあるけど(私だけ?)、主人公が出版している雑誌の名前なんです。映画の出来はどうなのだろうか。2、3作目もすぐ読むつもりです。

  • 2010/07/21 (Wed) 17:48

    kikiさんこんにちは。
    以前、ムカゴに反応した、てつです
    これは絶対観ようと思っています。

    すでにハリウッドでリメイク製作中のようです。
    『Let me in』というタイトルで「クローバーフィールド」のマット・リーヴスが監督だそうですよ。

  • 2010/07/21 (Wed) 23:09

    Sophieさん。ワタシもベルイマンをちゃんと観たのは3本だけだからあれこれ言えませんが、宗教的主題を扱っている作品ではなく、人生に思いを致す系でテーマも普遍性があるから、やはり「野いちご」が入り易いんじゃないかと思われますわ。なんかね、しみじみ、じんわり、ずわ~んと来るわよ。忘られぬ余韻なり。で、そうか。もう夏休みに入ってるのね~。かいじゅう達が終日騒いでおるわけか。かーさんは大変だ。子供サービス頑張って。
    「ミレニアム」ざっと梗概を読んだけど、確かに読み進むのが辛い箇所がありそうな気配。今のところどうも食指が動かないけど、先々何かでアンテナが動いたら観てみるかも、って感じですかね。

  • 2010/07/21 (Wed) 23:11

    てつさん、こんばんは。
    むかごの記事に反応された時は違うお名前でした?

    で、これは期待を裏切らない作品だと思います。観賞が楽しみですね。
    そして、もうハリウッドがリメイクに入っちゃってるんですか!?
    呆れたなぁ…ハイエナみたいに素早いですね。驚きました。
    いかなる事になりにけるやら…。「クローバーフィールド」の監督ですか。
    なんか微妙な感じですね。

  • 2010/07/24 (Sat) 09:04

    おぉ。ご覧になられましたか。じっくりと観賞された気配が伝わってきます。
    そうですね。原作がある作品でも、映画化された作品は原作と離れて一人歩きを始めるものなので、それぞれに楽しむのがベストでしょうね。この映画をみていると、保護者の男はオスカーのように少年時代にエリと知合ってずっと一緒に過ごす事に決め、以来ずっとエリが人知れず生き延びるための補助をしてきたんだろうな、と思うし、また、彼の末路はオスカーの行く末なんだろうなぁ、と思わないわけにはいきません。その方がドラマティックでもあるし。
    そうそう、エリはもう、オヤジの保護者がちょっとウザくなっていて切り離し時だと思ったかな、というキライもありますね。ドジばかり踏んで足でまといだ、と。で、あの引っかき傷は監督の仕業ですかねぇ。う~ん、そうかなぁ。でも、いまどきあんな乱暴な処理は配給会社はしないかもですね。
    印象が強いのでそう続けて何度も観るという感じの映画ではないんですが、少し間をあけて、公開終了間際にでも、もう一度観てみようという感じがワタシもしています。

  • 2010/07/26 (Mon) 17:00

    こんにちは。

    >で、あの引っかき傷は監督の仕業ですかねぇ。

    あれは映倫の指示です。オリジナルのまま上映しようと説得する配給会社に対し、聞く耳を持たなかったそうです。ネガを輸入したわけではないので、デジタル処理などもできず、あのような処理に。
    私は去年の春に北米版DVDで初めて観ましたが、もちろん修正なしでした。
    説明過多を排したオリジナルでも、観客に最低限の設定を伝えようというシーンですから、あそこに修正を入れてしまっては映画の意味が変ってしまいます。
    ●器が映っているわけでもなく、作り物なのですから、法律に抵触するはずがないのですが。
    世界中で、あのシーンに手を加えたのはおそらく日本だけでしょう。
    「文化後進国」という言葉が頭に・・・

  • 2010/07/27 (Tue) 00:47

    WOOさん。やはり映倫の指示でしたか。昔から論議の的ですが、妙な修正をすると却って猥褻になることに気づかないというおろかさ加減とともに、今回のようにストーリーのバックボーンに絡んでくるような部分がフィルムに傷をつけられて妨げられるというのは困ったもんですね。どうも、そういう映倫の意識だけは昔からちっとも変化してないようですね。

  • 2010/07/28 (Wed) 01:56
    なんだかな〜

    私たちは、映倫の判断によって、違う映画を見てしまうわけですね。
    WOOさん、貴重な情報を、ありがとうございます。

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