「勝手にしやがれ」 (A BOUT DE SOUFFLE)

~刹那的に生き、刹那的に死ぬ~
1959年 仏 ジャン=リュック・ゴダール監督



ふと思いだして観たくなり、久々に観賞。
若くて痩せっぽちのベルモンド。永遠に古びないジーン・セバーグ
ザラザラとした粗い粒子のモノクロ画面に映し出されるパリの街。そして音楽。
「勝手にしやがれ」って邦題も巧い。


ジャン=ポール・ベルモンドは本国フランスではドロンを凌ぐ人気だったと聞いた事がある。それは本作や「気狂いピエロ」等のゴダールとのコンビ作が預かって力があったのではなかろうか。でも、フランス人がドロンよりベルモンドを好んだというのは、何となく分るような気もする。うまく説明できないけれど、なんとなく。
ドロンと共演の「ボルサリーノ」も再見してみようと思ってはいるのだけど、毎度、どうしたわけか開始15分ぐらいで飽きて他の事を始めてしまって、なかなかちゃんと観られない。



そして、ジーン・セバーグ。いろいろと出てはいるが、彼女の代表作はこれと「悲しみよこんにちは」であり、双方1950年代後半の作品。ということは昭和30年代の前半ということで、よく考えたら随分昔の人なのだけど、彼女がこのままのルックスで2010年のいま登場しても、間違いなくたちどころにスターになったことだろう。この時代を超越したルックス。多分、彼女は普通にセミロングの髪をグレース・ケリーやモンローのようにカールさせ、セットしていたら、美人かもしれないが平凡な印象の女優に留まっただろう。しかるにこのベリー・ショートの衝撃力。おまけにサングラス。まったくもって似合いすぎ。





この作品でヌーヴェル・ヴァーグのミューズになったジーン・セバーグだが、以降作品に恵まれなかった上に、一時期ブラックパンサーと近づいた事からFBIに睨まれ、ノイローゼになるほど精神的に追い込まれた挙句に、1979年、睡眠薬自殺を遂げてしまう。ルノーの後部座席で発見された遺体は毛布に包まれ、腐乱していたという。アメリカに戻らずに、ずっとフランスで仕事を続けたらどうだったのだろうか…。この作品で彼女を観るたびに、こんなステキな娘がどうしてそんな最期を…と思わないわけにはいかない。下手に目立ってフーヴァーの標的にされてしまったのが不運だった。1950~1960年代にあっては、短すぎる髪は反動的とみなされたのか。

*****
ミシェル(ベルモンド)は刹那的に生きるチンピラ。金が無ければちょいと他人から失敬し、車に乗りたければ道端に止まっている車を失敬する。散々あちこち走らせておいてタクシー代は踏み倒す。盗んだ車は売り飛ばす。勝手にし放題である。自分の起こした事件の記事が載ってないかどうかチェックするために買った新聞をざっと見て、もはや意味のなくなった新聞でぞんざいに靴を磨いてそこらに投げ捨てる。ミシェルのキャラクターが短い間によく現れている。警官を殺してパリに舞い戻ってきたミシェルは、片時も頭を離れないアメリカ人留学生のガールフレンド、パトリシアとイタリアに行く事だけを考えているが、パトリシアにはそんな気はない。

コラムニスト志望の文系女子パトリシアにとって、目に一丁字もないようなミシェルはそもそも本気になるような相手ではない。(「ウィリアム・フォークナーって誰だ~前に寝た男か~」)こういう娘は、年上で衒学的で哲学的に聞こえる意味不明な事を意味ありげに言うような文系オヤジに弱いのだ。
一方のミシェルはパトリシアにぞっこんである。彼にはパトリシアという女が分らない。美しく、自分とは異質で、よく分らないところに惹き付けられているのかもしれないが、自分でも厄介な女に惚れてしまったと自覚しつつ、もう彼女以外ではダメなのだ。刹那的に生き、行き当りばったりで犯罪を重ねつつも、ミシェルはどこかでそんな生き方に疲れ始めている。ミシェルがパトリシアに惹かれたのは、彼女がいずれ自分の死神になる事を漠然と予感したからなのかもしれない。女も車も乗り捨てて来た男なのに、生まれて初めて執着した女が命取りになる。粗いモノクロの画面に軽快に映し出される、このどこまでも乾いたアイロニー。



出会ってはまた別れ、盗んだ車でパトリシアを彼女の行き先に送っては、街をぶらぶらし、ヒマさえあれば電話をかけているミシェル。
「ボギー…」 ミシェルがハンフリー・ボガートの「殴られる男」のポスターにじっと目を止めるシーンがある。オヤジになってもシブいボギー。こんな男になりたいぜ、という顔つきでマジメにポスターをみつめるミシェル。若いベルモンドの目が真剣でかわいい。どこの国でもボギーはカッコイイオヤジ代表、という事になっているのか。根強いなぁ。


俺はこういうオヤジになるまで生きられるだろうか、と思っているようにも見える

とにかく、昼も夜も、屋外も屋内も、パリの街が魅力的だ。石畳の道の両脇に延々と駐車されているルノーやシトロエン。どこかとぼけた暢気なそのフォルムは、パリの街ととても似合っている。車が道の両サイドに止まっている石畳の裏通りを、背後から撃たれたミシェルがよろめきながら走って行く。
あれほど執着した女に裏切られた事を知った彼は、逃げる事をやめ、疲れ始めていた人生の幕を引く事にするのだ。



このラストのシークェンスも、やはり何度観ても、とことんドライで文句なし。
表通りに出たところで力尽きて跳ね返るように倒れるミシェル=ベルモンド。
自分の手で自分の目を閉じて息絶える。
「まったく最低だ」のいまわの一言は、まったくもって最高である。ミシェルのクセをまねながら「最低ってなんのこと~」と言い、くるりと背を向けるパトリシア。
自分のした事に後悔はしないという意志の表明か。
魅力的でないものが何ひとつ映っていない、ジャン=リュック・ゴダール
1959年のマスターピース。

コメント

  • 2010/07/24 (Sat) 15:20

    ゴダールは苦手だけど、これは大好きな作品。(ゴダールは苦手っていうほど観てないか・・・。ヌーヴェルヴァーグが苦手なのかな)
    ジャン=ポール・ベルモンドも、他の作品ではさほどカッコイイとは思えないのに、この作品では最高にカッコイイ。モノクロっていうのもあるのかもしれないけれど。
    ジーン・セバーグはこの作品では本当にキュート。頭の形がいいからこそできるあのベリーショートがメチャクチャ似合ってる。

    製作されて50年以上経ってるとは思えないほど、洗練されてますよね。ゴダールってやっぱり天才なんだなあ、と。でもこれ以外の作品苦手だけど・・・。

  • 2010/07/25 (Sun) 09:36

    ワタシもゴダールは数本しか見てないけど、他の作品についてはどうもね。今の時代の目で観ると、これはジーン・セバーグの存在感が作品の生命線のような気がします。ワタシ的には彼女が出てなければ味わいも半減以下かな。苦手というと、ワタシはヌーヴェルヴァーグ作家ではトリュフォーがダメかな。ゴダールって、何か60年代のインテリの典型って感じ。毛沢東にカブレたりね。ベルモンドは久々に観たら、なんか凄く若くてカワイイな、と思いましたね。ジーン・セバーグはもはや言う事なし。 これ、珍しく邦題がいいのね。

  • 2010/07/26 (Mon) 00:11

    kikiさん。ゴダール作品って一本もみたことがありません・・。なんだか難しそう、っていう先入観で。でもkikiさん評を読んでぜひ見てみたくなりました。
    わたしもトリュフォー作品は苦手な感じです。一応ヌーヴェルヴァーグは抑えとかなきゃ、とその昔「突然炎のごとく」を見ましたが、「???」。高尚(?)な作品はどうも苦手みたいです。
    仏留学時代に、ちょうどテレビで「大人はわかってくれない」が放送されて初めて見たんです。これはちょっとだけわたしのアンテナにひっかかりました。次の日、映画好きな仏女性の先生にその話をしたところ、てっきり「よかったでしょう~!」って返事がくるかと思いきや、「あの作品退屈で、わたしはヌーヴェルヴァーグって大嫌い」と一蹴されました(笑)。当然のことながら、仏にもトリュフォーやらゴダールやらキライな人がいるわけで。愛国心あふれる方たちなので、自分の国のものを臆することなく「好き」っていう人種なんだろうとぼんやり思ってましたが、この先生の反応を受けて逆に好感度が上がった次第です(笑)。
    ジーン・セバーグのこのベリーショートは永遠ですね。わたしはもっと歳をとったら思いっきりショートにしたいとずっと思ってまして。年上の女性がこれくらいのショートヘアーで、でも女性らしさを失わず颯爽と闊歩している姿はとても魅力的で。自分がそうなれるかどうかはともかく(笑)、ルックス的にとっても憧れる女性のひとりでございます。

  • 2010/07/26 (Mon) 07:35

    ミナリコさん。ワタシも特にヌーヴェルヴァーグ作品が好きというわけではなく、そう呼ばれるものの中に好きなものもある、という感じです。勿論フランスにだってトリュフォーやゴダールを嫌いな人はいるでしょうね。好き嫌いの激しい民族っぽいし、ましてや現代となれば、ヌーヴェルヴァーグに対して距離があるから尚更ですよね。で、ワタシはゴダール全般にいいとか好きとか言っているわけではなく(何しろウジャウジャと持って廻った台詞も多いし、鼻につく部分もかなりあるし)、これとあと1~2本しか観た事ないですが、これだけなら観てみても損はないんじゃないかなと思います。特に本作については、ジーン・セバーグのルックスが好みだし、この作品での彼女のキャラがルックスに合っててとても好きなんですよね。彼女以外の女優が出ていたら多分観る事はなかっただろうと思います。それと、あれこれのシーンを観ていて、昔はこういうのがいちいち衝撃的だったんだろうなぁ、ふふふ、とか推察しながら見て行くのも面白いというか、ね。で、ある程度の年齢になってのベリーショートというと、樋口可南子みたいな感じですかしらん。

  • 2010/08/16 (Mon) 23:57

    kikiさん、連日おじゃましております。
    やっと本作見ることができまして。恐る恐る見たんですけどね、単純なおつむのワタシにはやっぱり難解そうな気がして。
    ところが予想に反して面白かったですねえ。「面白い」という表現は言い得てないんですけど、なんでしょう、なんと言ったらいいのか言葉が見つからないんですけど、テンポよろしくひょいひょいと見終わっちゃいました(笑)。JPベルモンド、おじいちゃんになった顔しか知らなかったんですけど(若い頃より鼻が異常に大きくなっているような・・)、青年の頃はなかなか愛嬌のある魅力的な顔だったんですね。ハンサムじゃないけど、とってもフランス人的な顔のような気がします。ミシェルという男、今もパリの街に案外ゴロゴロいそうな輩のように思えます。テキトーでほんとに刹那的。そしてやはりJ・セバーグですね。ある角度からの表情、めちゃめちゃラブリーで目が釘付けでした。ファッションも可愛いですね。ボーダーにプリーツスカートを合わせ、シングルボタンのコートをふわりと羽織る。歳とったらやっぱりこんなショートカットにしたいなと改めて思いました。そうですね、言うなれば樋口可南子のような感じですかね。また言いますが、自分に似合うかどうかは別として(笑)。
    監督が何を言いたかったのかとか考えるととんと分からないんです。真面目に考えなくていいんでしょうけど、面白かったけど「なんじゃこりゃ」って頭の中でグルグルまわってました(笑)。
    でもそのテンポの良さと白黒のパリの街にピッタリな二人の魅力と悩ませ過ぎない「なんじゃこりゃ」がわたしにはなんとなく心地よく印象深く残りました。ヌーヴェルバーグをリアルタイムで体験した人たちも当時「なんじゃこりゃ」って感じだったのかなあ。

  • 2010/08/18 (Wed) 00:18

    ミナリコさん。連日のコメントありがとうでごわす~。そちらは東京以上に暑いと思うけど、大丈夫ですかしら。
    恐る恐る観たんですね?ははは。でもこれは観やすい方ですよね。この前、凄く前に一度観たきりの「気狂いピエロ」やってたので録画しといて観始めたけど、あまりの鼻を衝く臭みに観賞中断しました。こういうのは若くていきがってる時じゃないと最後まで観られないな、と実感(笑)でも「勝手にしやがれ」は、既成の価値観や映画文法を打ち壊そうというゴダールの斜に構えた感じと、出演者の魅力とモノクロの映像がうまくマッチして奇跡的に永遠性を獲得した作品て感じがします。ワタシは逆に最近のベルモンドの顔や姿を観ていないので、ずっとボルサリーノあたりのまま印象が止まってるんですが、なんか現在はスゴイ事になってるみたいですね。頭もつるつるしてるみたいな感じだし(笑) J.セバーグは本当に時の流れを凌駕してますね。いつ観ても魅力的で新鮮なのは何故だろう。あのヘアスタイルのせいばかりでもないんだろうけど、やはりヘアスタイルが強力だったのかな。ミナリコさんもベリー・ショートの似合う女を目指してください。

    >ヌーヴェルバーグをリアルタイムで体験した人たちも当時「なんじゃこりゃ」って感じだったのかなあ。

    でしょうね。なんじゃこりゃのつるべ打ちだったのかも。それでガツーンとやられちゃった、みたいなね。(笑)

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