「約束された場所で」 

~何があなたをそうさせる?~
村上春樹著 文藝春秋刊



メインで読んでいる小説の合間に全く別な種類の本を読みたくなって、刊行時から興味がなくずっとスルーしてきた本書を今ごろになってふと読んでみた。これはいわゆる1995年の3月20日に起きた地下鉄サリン事件を引き起こしたオウム真理教の信者だった人々に村上春樹がインタビューしたもので、事件の被害者にインタビューした「アンダーグラウンド」と対をなすノンフィクションだ。
一応「アンダーグラウンド」と一対で借りてきたのだが、数ページめくるうちに、申し訳ないことに被害者よりも元信者や在家信者のインタビューの方に興味を引かれて「約束された場所で」の方を読み始めてしまったら、そっちの方が面白くて一挙に読んでしまった。ワタシは全く信仰心や、宗教への関心などが無い人間なので、どういう経緯である種の人々はあんな胡散臭い教団に足を踏み入れる事になったのか、そのへんが妙に知りたくなってしまったのだ。このインタビューには様々なタイプの元信者、在家信者が登場するが、これを読んでワタシは初めて、何か重大で深刻な問題が人生に起きたからではなく、先天的に、根っから宗教に向かうように出来ている人間というものが存在するのだ、ということを知った。
それまでのワタシの概念では、日本で人が宗教に走る場合というのは、お寺に生まれたとか、親が強固に何かの宗教の信者だったとかいう場合を除き、何かよほどしんどい心の問題を抱えた人、人生の悩みを抱えた人が、思い余って藁にもすがるという感じで、新興宗教を含む様々な宗教に救いを求めてハマっていくのだろうと思っていたのだが、先天的な傾向として、人生の諸問題を突き詰めて考えたい人、求道的探究心旺盛な人、現世で起こる様々な事柄に興味がない人、哲学的な思索を逍遥するうちに、仏教などの宗教に入り込んで行く人などが存在し、密教系の新興宗教でヨガ道場なども開いていたオウム真理教が、どういうわけか、当時のそういう人々のニーズに応えるものだったらしい、という事を知ったわけである。

いわゆる空中浮揚などの客寄せ的な「超能力」に引き寄せられてオウム信者になってしまったという手合いも勿論いるが、現世の事柄に殆ど興味がなく、衣食住を質素にして、思索に耽ったり、ヨガに励んだりなど、いわゆる静かに修行をしたい人々にとっては、興味の持てない浮世で暮すよりも、出家して、同じような素質的傾向を持ち、同じような行動や考え方を共有できる仲間と共同生活をしながら、心の平和を求めて暮らしていきたいと考えるのはある意味ムリからぬこととも言える。やむにやまれぬ欲求といった方が近いかもしれない。こういう人は浮世では暮らしていきにくかろう。親や兄弟とも価値観が合わないだろうし。(それでも、親の了解を得て信者になった女性なども居て、考え方は異なるが親と疎遠になっているという人ばかりでもなかったりする)興味深かったのは、大学を出て、小学校や中学校で先生をしていて、付き合っている女性なども居たりしながら、自分はいずれ出家する人間だからと結婚せず、義務教育の教師をしながらも、遠からぬ未来に出家する自分を想定して暮らしていた男性が、教師としての仕事に意義を見出しつつもオウム信者になって出家してしまったという例で、特に深刻な悩みを抱えているわけでもないのに、自分はいずれ出家する、などと思いながら暮らしている人間がいる、という事にワタシのような非宗教型人間はかなりビックリしてしまうのだ。…ほんとにビックリする。殆ど理解がいかない。

そういう「道を求めたい人々」の受け皿になるものが、オウムのような団体しかなかったというところに問題があり、それが非常に残念な事なのだ、と村上春樹は書いている。確かにそうかもしれない。
この、静かな一般信者にとってはオウムは修行を志す人の集う、質素な生活共同体であって、おそるべき暗殺集団などではなかったわけである。彼らは何も知らされず、事件がオウムの仕業ともつゆさら思っていなかった。事件の日には信者でない国民と同じく「怖いねぇ、何があったんだろう?」などと額を寄せ合っていた。あるいは、基本的に出家信者はラジオや新聞とも無縁に過ごしているので、事件を知らない人も多かったらしい。当初は全くオウムの仕業だなどと信じなかったが、今ではもしかするとやったのかもしれない、と思うようになった、と信者(および元信者)達はインタビューに答えている。(この本が刊行されたのは事件から3年後)

それにしても、ヨガ道場に通っていたら出家を薦められて出家した、などという人とは別に、様々な本を読んでずっと精神世界を探求し、哲学的な思索を重ねてきたような人も居て、そういう人がなんであんな見るからに胡散臭い教祖に魅了されたりしたのか実に摩訶不思議という他はないが、元信者たちが異口同音に語るところによると、麻原がたちどころに、簡潔に自分の問いに対して答えをくれたから、という事が大きかったようだ。まぁ、あてずっぽうだろうとハッタリだろうと、何かしら他の人間にはないオーラを発していないと、とてもあんなに多くの人間に深刻な影響力をふるうことは出来なかっただろうので、何かしらそういうものは持っていたのだろうが、はたから見ると、なんであんなのに丸めこまれたりするのか甚だ納得がいかない。どうしても不思議でしょうがないわけである。オウムに限らずこういう事柄については『何があなたをそうさせる?』のオンパレードで、到底腑に落ちる答えなど出ては来ないのだろう。縁なき衆生は度し難し、というところだろうか。

ただ、ワタシとは全く異なる精神構造をもった先天性の宗教型人間とでもいうべき人が、世の中には存在するのだ、という事だけはよく分かった。また、こういう本というのは、事件が生々しいような時期ではなく、15年もたった今になって、ふと読んでみるのもなかなか興味深いものだとも思った。

1995年の事件当日はどうしていたのかとつらつら思い出してみるに、その頃ワタシはJRを使って通勤していたので地下鉄の騒動には全く巻き込まれなかった。会社に着いて職場の空気がどうだったのか、思い出そうとしても特に何も思いだせないのだけど、周辺に深刻に巻き込まれた人などが居なかったせいで特筆すべき事がなかったのだろう。1995年といえば、年明け早々に阪神・淡路大震災が起きた年でもある。天災、人災が次々に押し寄せた凶事の多い年だったのだな、と今さらに思った。

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する