「シングルマン」 (A SINGLE MAN)

~死の接吻~
2009年 米 トム・フォード監督



公開をずっと楽しみに待っていた本作。東京では3館で上映されているが、お馴染み六本木ヒルズでの上映もあるので当然ヒルズで、と思っていたら、プレミア・シートのみの上映だと分り、ヒルズでの観賞予定は消滅。残るは新宿と立川となれば、もう選択肢は新宿しかないと決まったようなもの。渋谷同様に気の進まない新宿なれどもそこでしか観られぬとなれば致し方ない。映画の日にしか割引デーのない新宿バルト9だからといってえり好みはできない。というわけで、かなり久々に新宿に赴き、バルト9での初観賞とあいなった。
冒頭から水中を漂う男性の裸体映像が美しい幻影のように流れてくる。しかもこの裸体はコリン・ファースその人とあっては、余計に値打ちが増そうというもの。長い脚や引き締まった胴が美しく水中でゆらめき、アーティスティックでさえある。

とにかく全編に渡って映像が美しい。落ち着いた色調が基調だが、時にモノクロになり、時に鮮やかに発色している。そしてこだわりの背景や小道具類。コリン演じる大学教授の住む木とガラスの家の居心地の良さそうな様子と高いデザイン性、彼の乗るヴィンテージのメルセデスの優美なフォルムとウッディな内装、彼の纏うシックな衣服、彼が持つ小物類など、どれもこれも上質で上品な物ばかりである。拳銃でさえクラシカルな逸品だ。時代設定は1962年。場所はロサンゼルス。クラシカルでクラスのある小物や車やインテリアや建物の優美さは、この60年代初頭という時代設定をうまく活かしたものである。


この車も非常に優美なシロモノで内装もシックだった

***
16年間も一緒に暮らした恋人を、突然の交通事故が奪い去る。しかも、法的には他人である男性同志であれば、本人たちはいかに濃密に愛し合っていても、恋人の遺族が彼を葬儀に招かないと決めたら、それに従うしかない。死に目にも遭えず葬儀にも立ち合えず、彼~ジョージ(コリン・ファース)は一人、木とガラスの家で亡き人の思い出にまみれながら、夢にうなされ、目覚めて泣くしかない。


思い出の中で、恋人はいつも、いつまでも輝かしい

大学教授のジョージの長年の恋人だった建築家のジムを演じるのはマシュー・グード。年若い彼のブリリアントな微笑が、追憶の中でいつまでもいとおしい恋人の面影を印象づける。冒頭、横転した車の下で横たわっているジムの瞳は、曇りガラスのように幕が張って、もはや何も見えず、うつろに見開かれているだけである。常に輝いていた彼の青い瞳が…。その恋人の死に顔に、ジョージは死の接吻をする。 夢の中で。雪にまみれて。


もはや、その瞳は何も見ない

失意のジョージは抜け柄のようになって、恋人の死後8ヶ月をどうにか生きながらえてきた。抜け殻の体を努力して大学へ運び、講義をし、人前での彼の役割を演じてきた。だが、それにももはや疲れ果て、彼はそんな自分の人生を終わらせようと決意する。大学での居室を整理し、珍しく講義でやや感情的になり、貸し金庫の中身を取り出し、装飾的な拳銃の弾を買う。

だが、その日を人生の最後の日にしようと決めた彼の前に、それまで無縁の存在と思っていた一人の男子学生が水面下から浮上するように彼の前に登場する。この学生ケニーを演じるのはニコラス・ホルト。ほっそりとした長身にブルーグリーンの瞳。薄く開けた口元から覗く真っ白い歯。絵に描いたようなおいしげな美青年が、これまた意味ありげにじっと孤独な教授を見つめるのだ。半開きの唇で。ケニーは自分はみんなの中の黒ウサギだと思っている。周囲との違和感を感じている。自分は異質だと。そして、そんな自分が腹を割って話ができるのは気難しげなこの教授だけなのだと、不思議な直感により分かっているのだ。同類を嗅ぎ分ける嗅覚である。


先生は危なっかしいんだもの…とか言っちゃって

この道の人たちの同類を嗅ぎ分ける嗅覚というのは野性動物に近いものがありそうだが、人生最後の日と決めた日に、このケニー以外にも先生はスパニッシュの美青年に酒屋の前で見染められ、ナンパされかけたりしてしまうのである。このスパニッシュ系の美青年がこれまた非常に印象的な目元のラテン系のハンサムマン(ジョン・コルタハレナ)で、ジミー・ディーン風のリーゼントがよく似合っていた。本作はとにかく美青年がこれでもかと登場するので非常に目の保養になる。トム・フォードが自らの好みと審美眼に従って選んだ人材なのだろうけれど、誰もみな、長身のコリン・ファースよりも更に長身で細身でスラリとして目元が印象的な美青年ばかりだった。スパニッシュの美青年カルロスに、じっと悩ましげな目つきで見つめられ、煙草に火をつけてもらったりしながらも、先生は自殺の決意を曲げない。「二人でどこかに行こうよ」という彼の誘いを振り切って立ち去るのである。…勿体ない。なんて勿体ない事を。ワタシは学生のケニーよりも、このカルロスの方が好みだったので、先生、もったいないわよ。生きてればまだまだオイシイ事があるじゃないの、カルロスとさっさとどっかに行ってきなさい、と心の中で呟いた。


何故かイケメンにモテモテのセンセイだが…

ジョージがゲイとしての自分に目覚める前に付き合った事のある女性チャーリー役でデコッパチことジュリアン・ムーア登場。彼女はどういうわけか美人女優ポジションだが、ワタシは彼女を一度も美しいと思ったことがない。正面から見ればまだしも、横顔は到底美しいとは言えない。額が張り出し過ぎて一種異様な横顔だ。おまけに我の強い女の役が多いせいか、存在自体がどうしても好きになれない。でも、今回の役はそんな美しくないジュリアン・ムーアがそれゆえに役にピッタリとハマっていた。さすがにトム・フォード。ゲイの人を見る目は鋭い。ジュリアン・ムーアは人生でただ一人愛した男がゲイだった女の憐れさを、容姿ともどもよく出していた。赤毛の女は異様に色白だというが、その分そばかすも出易いのだろう。あの背中と腕一面に浮き出ていたそばかすはホンモノだろうか。だとしたら、毎回肌を出すたびにボディメイクがさぞかし大変な事だろう。厚化粧の衰えかけた女のすがれた佇まいが、そのあらわなニの腕に浮き出たそばかすで一層、強調されていた。最愛のジムを突如失った失意のジョージを慰めたのは近所に住む彼女ではあるが、ジョージは彼女に昔馴染み以上の感情を持っていない。どうしても愛せない相手に対する男と、どうしても愛してくれない男にすがりつく女。あぁ、愛の残酷。この女の無残な感じがよく出ていたのは、好きではないもののジュリアン・ムーアがやはり上手いという事なのだろう。でもやっぱり好きじゃないけれど。



そして自宅に戻った先生は準備万端を整える。遺書や持ち物を机にきちんと並べ、葬儀に着せて欲しい服を一式揃えて置いておく。そんな彼の背後に流れるのはカタラーニのラ・ワリー「さようなら、ふるさとの家よ」である。シーンと音楽がよく合っている。映像、衣装、小道具類以外にも随所にトム・フォードのセンスを感じた。この後のシークェンスはシリアスな筈のところをコミカルに演出していて軽やかなおかしみがある。でも、そのシークェンスを見ていると先生はもう本気で死のうとしていないんじゃない~と思えてくる。本当にもはやこれまでと思えば、瑣末な事など気にしたりはしないだろうし。結局、決意を先送りした彼の前に天使のごとく学生ケニーが現れる。そばかすだらけの赤毛の中年女は彼の決意を変えられないが、魅力的な美青年は死よりも生の方へ先生の意識を引き寄せるのだ。先生の心に再び希望の火が点り、装飾的な拳銃は引き出しにしまわれ、鍵がかけられる。だが…というわけで、終わったと思ったところから始まり、始まったと思ったところから終わるのも、また人生という事であろうか。

床に倒れたジョージ(コリン)の傍にすぅっと現れる艶やかな黒い靴。
幻のように揺曳する忘れ難い微笑。 死の接吻。
「それはダメだよ」とジョージに告げる声が聞こえたような気がした。


*****
ストーリーとしては特に捻りはないものの、そういうシンプルなストーリーを美しく印象的な映像と、流れるような演出、そして効果的な回想シーンの挿入で澱み無く見せ、ラストに一抹の余韻を残す。初監督作品とは思えない完成度といかにもな美意識に貫かれた作品。ともすれば中年体型になりがちだった最近のコリン・ファースだが、本作では見事にお腹も引き締め、贅肉のない体を披露している。20歳以上若いかもしれない青年と並んでも遜色ない引き締まった体で60年代風の衣装をスマートに着こなし、水中での芸術的なヌードも鮮やかな印象を残す。コリン演じるジョージはモテモテで、先生一人が何故モテる~状態なのだが、まんざら説得力がなくもないな、という感じだった。


適宜入る回想シーンも美しく、印象的だ

原作のある映画だが、トム・フォード自身の体験も盛り込まれているとか。その思い入れが過剰にならず、美しい映像の中に淡い哀感として漂っている、その自己抑制も見事だと思った。

それにしても、同性愛を描く場合、男同志の方が純愛を描き易いのは何故だろうか。女性同士の恋愛で、哀しいまでに美しい愛の話、というのが映像化された事ってあっただろうか~ 記憶にない。自分が女同志のことに興味がないせいかもしれないけれど、物語として見せる上で、男同志の方がより効果的に印象的に描き易いのかもしれない。切ないまでの純愛は、男同士にこそ良く似合うのかもしれない。

全てがすばらしくよい趣味で統一された映画だったが、なかんずく印象に残ったのは主人公の住む家である。この家は非常に素敵で、美的でありつつ、住み心地もよさそうであって、映画に出てきた素敵な住宅ランキングをつけるとしたらベスト3には確実に入るステキング住宅っぷりだった。映画としての出来も良かったが、色々な方面で目の保養になる映画でもあった。

また、新宿ゆえに今後も他に選択肢がない場合にしか行かないと思うが、バルト9自体は新しいシネコンなので席の段差も十分にあり、なかなか快適なシアターだった。そして久々の新宿も、久々なゆえに何かと新鮮だった。

コメント

  • 2010/10/09 (Sat) 12:54

    これ、気になってるんですよね。
    でも映画館がかなり絞られますね・・・。私も観るとしたら新宿かな~。でも、kikiさん同様、バルト9って行ったことないんですよね。ここはなんだかピカデリーとかと比べて、割高なイメージなんですよ。敷居が高いイメージ。

    ところでジュリアン・ムーア。彼女、肌が汚いですよね。私も別の映画で彼女の二の腕の汚さにギョッとした記憶があります。女優なんだから、何とかしなされ、と思いました。

  • 2010/10/09 (Sat) 22:13

    mayumiさん、そうなの。六本木ヒルズは通常シートでレイトショーのみの上映に変った模様だけど、レイトショーのみじゃねぇ。結局、新宿以外にないでしょう?で、仕方無く友人とバルト9なんてさ…とぶつぶつ言いながら前売りを買って行きました。結果は友人もワタシも映画にとても満足し、たまの事ならバルト9も悪くはなかったです。新宿は久々なので伊勢丹を冷やかしたりして(新宿の伊勢丹が銀座にあってほしいのだけど)。それと、バルト9のあるイーストビルの地下のカフェが広くて、カルチャー系の本や雑誌が豊富で読み放題だし、待ち合わせや時間潰しに持って来いだなと思いました(殆ど新宿行かないから意味ないんだけど)。あのカフェの広さは渋谷には勿論、銀座にも無い。まさに新宿ならではだなって感じがしました。
    で、J.ムーアですが、今回は容姿と役が合ってたのでまずまずでしたが、「美しい人」みたいな設定で現れると飛び蹴りかまそうか、という気分になります。話が来た時点で断るという良識を持ったらどうか、と思っちゃう。背中と腕一面シミのデコッパチのくせに。あぁ、いけすかない。

  • 2010/10/10 (Sun) 20:12

    私も気になっているんです、これ。もう、トム・フォードっていうだけで気になります。細部に至るまでトム・フォードの美意識にこだわって審美眼にかなったものだけが登場しているのでしょう。どんな感じなのか、非常に気になります。
    ところで、やっぱり体型って大切ですよね。20歳以上も若い美青年と並んでも遜色ないほど引き締まっているんだぁ、コリン・ファース。見てみたい!スパニッシュの美青年も見てみたい!

  • 2010/10/10 (Sun) 23:36

    Rikoさん。あまり混んでもいないし、サクッとご覧になってみてください。そしてぜひ感想を。楽しみにしてますわん。
    コリンは、「マンマ・ミーア」の時なんてお腹がポコリンと出てて、うへぇと思ったものの、本作では筋肉はないものの贅肉もなし。生々しくないすっきりとした体つきで、映画全体のトーンとよく合ってましたわ。スパニッシュの美青年はどこかで観た顔だと思ったら、男性モデルでしたわ。GUESSの広告で見た事がありました。映画の公式サイトにトム・フォードの「顔」だと紹介されてます。ラテン系のハンサムマンは一度見たら忘れない印象の強い人が多いけれども、彼もその典型って感じです。目元に憂いがあってビビっと来ますよ。コリンの裸体は冒頭から何度か登場する水中のシーンがキレイです。ほんと、体型って重要。男も女も太っちゃいけません。殊に男前俳優は、いつも、いかなる時も引き締まっているべきだと思いますわ。

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