「霧の旗」

~生娘の青白い怒り~
1965年 松竹 山田洋次監督



今となっては珍しい山田洋次監督のサスペンス。松本清張の原作を松竹が独占状態で映画化していたうちのひとつで、お!という役者が顔を見せているのが面白かった。ヒロインに倍賞千恵子というのはいつもの山田組だが、その兄に山さんこと露口茂(まだ若い)。ヒロインの先輩ホステスで市原悦子なども登場。有名弁護士役の滝沢修が実に役にハマっている。昔はこういう重厚感のある俳優がきちんと映画を締めていたのだなぁ、と実感。橋本忍の脚本で描く復讐譚。モノクロのシャープな画面に、若い女の固く凍った怒りが迸っている。ビデオオンデマンドサービスの邦画ラインナップの中に入っていたので観賞してみた。
金貸しの老婆殺しの容疑をかけられ、無実の罪で起訴された兄を救おうと、妹・桐子は、一人、熊本から東京へ旅立つ。高名な弁護士の大塚(滝沢修)に兄の弁護を依頼するためである。だが、金もコネもない桐子がどう粘っても、大塚は事件を引き受けなかった。1年後、「兄は二審の控訴中に獄中で病死した」という桐子からのハガキが大塚の元へ舞い込む。すっかり忘れていた大塚は、そのハガキから事件が気になり、今更とは思いつつ資料を取り寄せて調べてみるのだった…というわけで、冤罪を晴らす術もなく獄中で死んでいった兄の無念を引き継いだ妹の復讐劇。この妹・桐子を演じる倍賞千恵子は若く、青白く、生硬い。野太く吊り上がった眉とその下の鋭い目、ヘアスタイルをはじめとして全体にモッサリと垢抜けない感じが、いかにも地方から思い詰めて出てきた気の強い娘の雰囲気を出している。



小心な兄を演じる露口茂もまだ若い頃で、実直で不運な若い教師を朴訥に演じている。両親は既に亡く、兄と妹の二人暮し。教員の兄は就学旅行の金を落としてしまい、町の金貸しに借金をするが、なかなか返せず矢のような催促を受けている。ある夜、少し待ってもらおうと談判に向かうと、婆さんは既に何者かに殺されていた。嫌疑がかかってはマズイと警察に届けず、さらには自分の借用証書だけを持ち出したりと妙な小細工をしたことが仇になり、兄は殺人容疑で逮捕される。露口茂は小心な田舎教師の感じがよく出ている。若い頃の山さんはちょっと可愛い。



兄の死後、桐子は再び東京に出てきて、クラブ勤めをしている。銀座のホステスもピンキリだとは思うが、こんな垢抜けない愛嬌もない山出しのホステスでも商売になったもんだろうか、とつい思ってしまうほど、倍賞千恵子の桐子はカチンと凝り固まって、口を真一文字に結び、愛嬌もへたくれもない。この処女性の生硬さが桐子の真骨頂である。外見は凝り固まって冷ややかだが、桐子は火の国・熊本の女である。内面は火のような復讐心が激しく燃え盛り、一切の妥協がない。火の国の処女を怒らせたら大変なのである。


保母さんか、看護師という感じ 銀座のホステスにはちょっと…

滝沢修の弁護士は妻帯しているが、仲の冷えた妻と離婚して愛人関係にある銀座のフランス料理店の女主人・河野経子(新珠三千代)と結婚しようと考えている。滝沢修のいかにも謹厳な弁護士然とした様子や、新珠三千代のくねくね、しなしなとした和服美人の色気が、なんとも実にオトナでいい感じである。二人は横浜のホテルや、箱根一泊旅行などで密会を重ねる。箱根の宿で、霧の渦巻く窓の外を眺めて、大塚が「霧は音をたてて流れるというね」という台詞がある。「霧の旗」というタイトルの由来がそのへんにあるのかもしれないと漠然と思ったが「霧の旗」とは何の事かはっきりとは分からない。





ともあれ、今はこういう感じのオトナな男女が居なくなったなぁと思う。わけても新珠三千代とか池内淳子とか、この手のしっとり系和服美人はいまや殆ど絶滅種である。また新劇の名優・滝沢修は物静かなインテリで、悪気はないが地方で起きた事件の弁護を面倒で断ったものの、再度事件を調べていて、自分が弁護をしていたら助けられたかもしれない可能性が出てきた際、内心に慙愧の念が疼く感じもよく出ていたと思う。何より、滝沢修はいかにも高名な弁護士に見える。そして、特に悪徳弁護士でもなんでもない男がうっかり落ちてしまった人生の落とし穴の深さと暗さに、好事魔多しとか、一寸先は闇などという教訓的常套句も脳裏をよぎるわけである。

新珠演じる河野経子は、自分の店のボーイで、桐子が勤めるクラブのママの弟である男(川津祐介)とも、かつて愛人関係にあった。弁護士・大塚に本気になった経子は未練がましくまとわりつく若い愛人と別れ話をしようとした矢先に、あいびきのために借りていた家で男が何者かに殺されているのを発見してしまう。その家の前にちょうど桐子が立っていたので、経子は桐子を屋内に引き入れ、自分が犯人ではない事の証人になってくれ、と懇願する。桐子は当初、動転していたが、経子の名を聞いて、大塚の愛人と知る。知ったからには、そんな千載一遇のチャンスを桐子が逃す筈もない。桐子は現場から密かに犯人の持ち物であろう証拠品を持ち去り、代わりに玄関に落ちていた経子の手袋を血だまりの中へ落としておく。かくて大塚の愛する経子は殺人容疑で逮捕されてしまう。愛する女を救いたい一心の弁護士は場末の小さなバーで働く桐子の元へ日参するが、どんなに大塚が懇願しても桐子は、経子などには会ってもいないし、そんな家などは知らないとクールな顔で言い続ける。



一度決めた事は何があろうと絶対に翻さない頑なな性格、処女ゆえの呵責なさ、その一念に凝り固まった厳しい表情などを見ていて、ふと山本周五郎の「五瓣の椿」を思い出した。この復讐譚のヒロインも処女である。苦労人の父を死ぬまで踏みつけにした多情な母とその愛人たちに復讐するべく、処女のヒロインは海千山千の女を装って男たちに近づき、その命を断つ。ヒロインの火のように激しい妥協のない怒りは処女性の怒りである。苛烈で清浄な一直線の怒りなのだ。映画では岩下志麻がヒロインを演じた作品(1964年・松竹)が白眉。お志麻さんの清潔さと艶やかさが役柄にぴったりと合っていた。「五瓣の椿」のヒロインはさんざん男を手玉に取りながらも最後まで処女をキープし続けるのだが(それは多情な母へのアンチテーゼとしてぜひにも守られねばならないものだった)、「霧の旗」の桐子は最後の最後に切札として自分の処女を捨てる。それが大塚弁護士を永久に葬ってしまう蜂の一刺しとなるのだ。大塚弁護士も情けないが、男というのは哀しいサガの生き物だなぁと同情したくもなった。



貧乏な他人が無実の罪に苦しんでいても指一本動かそうとしなかった弁護士が、自分の愛人が無実の罪に問われるとなれば、当然ながら必死になって奔走する姿の滑稽さと皮肉さも勿論きっちりと描かれる。「犯人でないものが無実の罪に問われるような悲惨な事を防ぐために弁護士があるのだ」と愛人に懸命に言う大塚弁護士の台詞のなんという皮肉さ。皮肉といえば、熊本の金貸し殺しも、フランス料理店のボーイ殺しも、真犯人は同一人物である。不思議な悪運から、この真犯人は二人も人を殺しながらどちらの罪も免れる事になるのだが、薄々犯人の見当をつけた大塚弁護士が、証拠を差し出して真実を証言してくれれば兄さんの無実を証明する、というのを桐子は硬い表情で退ける。神の軍隊をもってしても、この女の決心を変える事はできない。今更、無実を証明したところで兄が生き返るわけではないのだ。大塚の申し出は桐子の怒りに油を注ぐだけなのである。



いつも生硬く無表情な桐子であるが、大塚が店に来た時と、クライマックスで自分の部屋に誘い込んだ時だけ、うってかわったように色気をみせるのも、「五瓣の椿」を想起させる。倍賞千恵子の腕の見せどころという感じだが、全体を通して、硬く凍りついたような表情と雰囲気で桐子という女をよく表していた。ひょんな事から桐子と関わり、彼女を諌めたりお節介を焼いたりする雑誌記者に近藤洋介。その上司に金子信雄。また、とらやのおばちゃんでお馴染みの三崎千恵子が、熊本での桐子兄妹の隣人のおばちゃんでワンシーン登場する。


おばちゃん登場

クールに凍りついて陰翳の深いモノクロ映像の質感や、冗長さを排してよどみなく流れる展開、登場人物の性格描写、桐子の激しく厳しい怒りなどが的確な演出と共にシャープなモノクロの映像でよく表されていた。タイトルバックの間に熊本から東京まで延々と電車を乗り継いで上京する桐子の思いつめた表情を移り変わる景色とともに見せるのも上手い。また、弁護士と愛人のオトナの空気感や昭和30年代の銀座の夜景なども映画に華を添えている。


光る地球儀のようなものは昭和30年代の銀座のシンボル 森永キャラメルの広告塔

ワタシは、山田洋次作品は喜劇でない方が好きかもしれない。少なくとも本作には、彼の作品に特有な臭味や説教くささなどが漂っていないのが好ましかった。

ラスト、ダメ押しに証拠のライターを深い海に投げ込んで冷ややかに使命完遂の微笑を浮かべる桐子。その表情のアップを見ていて、この女は、この先、一体どんな人生を歩むのだろうか、とため息が出た。 かたくなな処女を怒らせると怖い。

コメント

  • 2010/10/28 (Thu) 22:37

    kikiさん、これ面白そうですね。
    山田洋二監督のサスペンスものって見たことなくて、なんとなく畑が違うのではないのかなあなんてぼんやりと思ってて手つかずでしたが、kikiさん評を読んでぜひ見てみたいと思いました。しかしそういえば、「砂の器」は確か山田洋二と橋本忍の共同脚本だったような。サスペンス、嫌いじゃないんでしょうかね。単なるサスペンスに陥らず人間的味付けをする感じを受けますね。
    で、TSUTAYAに入ったらレンタル中。あらら・・。今こちらのTSUTAYAは旧作100円キャンペーンが5月くらいから延長に続く延長で、来月までまた延びて嬉しい限りです!とりあえず「乱れ雲」(成瀬カントク)と「薄桜記」(雷蔵&勝新)を借りてみました。
    返却時に「霧の旗」あるといいんですけどねえ。

  • 2010/10/28 (Thu) 22:58

    ミナリコさん。これはきっとミナリコさんもお好きそうな映画だと思いますよ。そうそう、「砂の器」は山田洋次と橋本忍の共同脚本でしたね。あの後半の、親子のお遍路が旅するシーンには山田洋次テイストが全面展開で出ていたように思います。この人は本人が思っているよりサスペンスは意外に上手いんじゃないのかな。もっとサスペンスを撮ればいいのにね。お涙ちょうだい系や説教がましい映画は撮らずに。これは百恵・友和コンビでリメイクもされてるようですが、見なくてもこのオリジナルの方がいいに決まっています。倍賞千恵子があまりに若くて山出しな雰囲気なのも要チェックです(笑)
    ご近所のツタヤで、来月まで旧作100円なら、今回ダメでも、またいつでも機会はありそうじゃないですか?「乱れ雲」は雄三ですね。「薄桜記」は白塗りでメバリで付け睫バチバチの二枚目メイクの勝新という世にも珍しいものが見られる作品でしたっけね。白塗り系の役では雷蔵に勝てなくてスーパー按摩の方向にシフトするのね。返却時に「霧の旗」があれば言う事なし、ですわね。

  • 2010/11/06 (Sat) 19:10

    kikiさん、見ました!
    おっしゃるように山田洋次ぽくなくてサラリとアッサリしててスラっと見れました(笑)。
    倍賞千恵子が若くて可愛い。それとわたしも冒頭の汽車のタイトルバックいいなと思いました。お、これいけそう!と直感が働きました。
    「張り込み」(デコ)も冒頭に長い汽車のシーンがあったように記憶してますが、これも清張ものでは好きですねえ。
    本作見て、推理・サスペンスものが見たくなってきました。特にこういう、女性が主役のもの。なにかおススメございませんか??(「薄桜記」、ワタシ的にはちといまひとつでした。勝新がなんて言ってるかよく聞き取れない・・。いやそれだけが理由ではないけれど)

  • 2010/11/07 (Sun) 10:03

    ミナリコさん。借りられましたね。でしょ?洋次臭がなくてベタつかないキリっとした映画でしたよね。デコの出る「張り込み」は一度ぐらい見てるけど殆ど覚えてないなぁ(笑)でも松本清張作品に汽車および時刻表というのは付き物ですわね。で、女性が主役の推理・サスペンスものだけど、清張もので「疑惑」というのがありますが、もうご覧になったかしらん。岩下志麻×桃井かおりで、二人の個性をうまく活かしたキャスティング。バチバチ火花が散っている上に、映画としてもけっこう面白かったです。他にもあるんだろうけど、いますぐに思いつくのはそれぐらいかな。

  • 2016/09/13 (Tue) 15:59
    実は小説にはヒントになった原作があるのです。

    これには原作と言っても、松本清張自身が、この小説のヒントは、フランス映画、アンドレ・カイヤット監督の『目には目を』だと明かしています。

    アルジェリアの話で、フランス人医師のところに「女房が死にそうだ」と往診を依頼にアルジェリア人が来るが、彼は断ってしまう。
    今度は、医師が砂漠に残されたとき、アルジェリア人に復讐されるという話で、フィルムセンターの「初期カラー映画特集」で数年前に見ました。1
    この復讐が非常にしっつこくて、やはり日本人の話じゃないなと思いました。

    山口百恵と三浦友和のもあり、これも結構いい作品でした。
    監督の西河克己は絶賛していますが、確かに彼女は凄い貫禄で、到底29歳には見えません。

  • 2016/09/14 (Wed) 23:10
    Re: 実は小説にはヒントになった原作があるのです。


    フランス映画がベースだったとは知りませんでした。ギトギトとしつこい肉食系の復讐劇なんですね。くどそうです。

    百恵と友和のもありましたね。トーンとしては「赤い」シリーズなんかの時の百恵と同じようなトーンだな、という感じだったと思いますが、あまりよく覚えてないですわ。百恵は21か2で引退しているので、これのリメイク映画に出ている時は19か20ぐらいだと思います。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する