「高峰秀子の流儀」 

新潮社 斉藤明美著
~わかっちゃいるけど難しい~



日本映画を愛好すれば、高峰秀子の主演映画は全部じゃなくてもどれかは必ず観る事になる。この人のフィルモグラフィは半端じゃない作品ばかりだ。とても素通りすることはできない。高峰秀子を上手い女優だと誰もが言う。確かに凄いほど上手い女優だ。でも、ワタシは上手いなぁとは思いつつ、人としての彼女については余り興味を持たずに来た。ところが先日、書店に平積みになっていたこの本を見て、ふと気になり、手にとって最初のページを読んだ時、お!と思った。買って帰ってあっという間に読んでしまった。高峰秀子本人の筆になる「私の渡世日記」よりも、ワタシにとっては面白く、示唆に富んだ本だった。
高峰秀子は余分な虚飾や贅肉をそぎ落としてエッセンスだけがそこにあるような人であるらしい。そして一切、過去を振り返らず、自分の日本映画に残した足跡や功績などに一顧も払わない。全く興味がないらしい。こういう人だから、無論自分の出演作など全く観ないし、手元にも出演作のソフトなど殆どないらしい。人に求められても語らない。成瀬巳喜男の生誕100年の年に、高峰秀子に成瀬を語って貰いたいという依頼は当然ながら降るほどに来たが、彼女は一切受けなかった。なぜか~と著者が問うと、「(成瀬さんが)その仕事をいいと思って、私もいいと思った。それでいいんだよ」と答えたという。現在、日本映画専門chでは仲代達矢の仕事、という特集を組んでいて、仲代氏は自分の過去の仕事や出会った監督や俳優について、はたまた日本映画について、大いに語っている。黒澤や成瀬についても語っている。他に語るべき人が物故してしまったので、お鉢が廻ってきたのだろうが、ワタシは、黒澤を語るなら敏ちゃんに語ってほしかったし、成瀬を語るなら高峰秀子に語って欲しいなと思ったりした。でも、高峰秀子がなぜ語らないのかは本書を読んでよくわかった。

高峰秀子は求めない人であるという。他人に何かを期待しない。自分をこう見てほしい、こう思ってほしい、という期待を一切しない人であるらしい。人は人、自分は自分なのである。だから媚びない。俳優~特に女優にインタビューして過去を語らせると、必ず自慢話の様相を帯びるものであるのに、高峰秀子にはそれがない。常に自分を離れたところから冷静にきびしく見極め、引き締めるもう一人の自分という透徹した客観性を持つ人であることに著者は感嘆する。高峰秀子のエッセイも、自分をしっかりと持ちながらも風景のように自分がでしゃばらない筆致が特徴であると書く。それは老人になった今も、「愚痴」と「昔話」と「説教」の全くない人である高峰秀子の客観性のなせる技なのだ、と。
…ふぅん、何か説教が好きそうな人のように誤解していた。お見逸れしておりました。

女優を生業としていて「私って凄い~」「私ってキレイ~」「私って上手い~」という自分への興味をさらさら持ち合わせない人など殆どいないだろう。高峰秀子以外には。
女優などをしていなくても「我」を出さないというのは、常にかなり気をつけて引き締めてないと難しい事だ。自分に甘い人間にはこれがなかなか難しい。殊にもブログなんて媒体は、常に物凄く気をつけていないとタガが緩みっぱなしで野放図になる。見苦しいほどの「自分語り」のオンパレードに、あっという間になってしまうツールである。よそのブログなどで、無邪気や天真爛漫を装ってつれあいとのノロケをヌケヌケ書いたり、「こんな私を褒めて~!」「ほぅら、私って凄いでしょ~」と鼻をうごめかしているのがアリアリと見えるような記事をみた時、あぁ、こういうマスターベーションは恥ずかしいねぇ、と思うのだけど、他人のフリみて我がフリを直すこともずっと一貫して徹するのは難しい。まぁ、たまにはいいか、なんて確信犯でちょこっと翼を広げてしまうこともある。とほほなことに。これを厳しく律するには強い意志の力と、厳しい判断力が必要になる。そして、高峰秀子は空気を吸って吐くように自然に、長いこと、見事な客観性をキープしてそういうところにはまらずに来た人であるらしいのだ。

人に甘えず、物事に動じない高峰秀子の厳しい自制心は何から培われたのか。それはとりもなおさず、その生い立ちと無縁ではない。4歳で実母に死に別れ、父の妹(叔母)に強引に養女に貰われてのち5歳で子役として働かされ始め、幸か不幸か売れてしまい、子役から少女スター、女優へと成長する過程で増えるギャラに目の眩んだ養母が更に親類を東京に呼び寄せて金のなる木(高峰)にたかって贅沢三昧をする中、当の女優は学校にも行けずに朝から晩まで撮影所で仕事に明け暮れる日々を送った。小学校もろくすっぽ行けなかったので文字も独学で覚えた。年端もいかぬうちから大人の世界に放り込まれた彼女が大人に混じって望んでもいない仕事をしながら、そして尋常ならざる性格の養母との相克を通じて、その鋭い感性と知性で身に付けた処世訓、それが、「高峰秀子の流儀」を作り上げるベースになったのだろう。普通に甘やかされて育った人間が、ここまで透徹することは多分難しい。高峰秀子の半生を思うとき、生まれるとすぐに立ち上がるカモシカかキリンの子を思い出す、と著者は書く。すぐに立って走り、自分で餌を取ってこられなければ生き延びられない草食動物の子供を。
また、その自己管理の行き届いた病院要らずの生活ぶりに野生動物のような人だ、とも書いている。少しぐらいの風邪や骨折なら医者に行かずに自然治癒力で治してしまう。そのためには、日頃からなるべく怪我や病気をしないように用意周到に過ごし、いざその時になっても重くならずに切り抜けられるようにしておく、という自己管理能力にたけているのだ、と。高峰秀子は50年の女優人生を無遅刻無欠勤で過ごした。その根底にあるのは、甘えない精神なのだと著者は書く。

だが、そんな高峰秀子がいかに可愛い女性であるか、ということも、本書ではあますところなく語られている。麻布の静かな住宅街での、夫・松山善三との静かで豊かな生活。彼女は夫のために万年筆のインクでシャツを染め、夫のために三度三度、美味しい食事を作り、常に家の中をキレイに片付け、それ以外の時間はベッドの上でひたすらむさぼるように本を読んでいるのだそうだ。誰にも甘えず、誰の思惑も気にしない彼女が、この世で唯一人甘えを見せ、その顔色を気にする人物、それが夫の松山善三である。5歳から大人の世界で働き、人間のズルさや醜さ、人の世の裏や表をごく早い時期に見聞してしまった高峰秀子にとって、誠実で清廉な人柄の松山善三のピュアさは掃き溜めのツルのように輝いて見えたのだろう。主演スターと助監督のサードという身分や収入の違いなどどうでもいい事だったに違いない。高峰秀子が何よりも大切にするのは、当たり前の、ごく普通の暮らしを丁寧に楽しみつつ営む、という事なのだという。夫が一人前の脚本家として立っていくようになると、高峰秀子は55歳で女優業を引退する。辞めたくてたまらなかった女優業。50年をかけて、遂に彼女は自分が理想とする生活にたどり着いたのだ。本書の中には30代~40代の松山・高峰夫妻の写真が数葉、掲載されているが、高峰秀子はこれと見込んだ男の傍らでいつもしんから嬉しそうに微笑んでいる。それらの写真を見て、ワタシは初めて高峰秀子を美しいと思った。 そうか、本当に、大好きなんだね…。

高峰秀子のありようを読んでいて、幾分スケールは小さくなるが山口百恵をふと思い出した。暗い不幸な生い立ち。家族を養うために芸能人となり、売れても有頂天にならぬ冷静さを保ちながら、売れっ子の彼女が願っていたのは芸能界を引退し、普通の主婦になることだった。そして実直で誠実な男と結婚し、僅か22歳で初志を貫徹して芸能界を去った。以降は家庭で夫に尽くし、母として妻としての生活にまい進している。山口百恵も高峰秀子も料理が上手いそうだが、こういうタイプの女性は料理が下手なわけもない。高峰秀子と山口百恵に共通するのは、女優や歌手として名を成す才能とともに、極めて冷静に自分や自分の置かれた状況を見極める客観性と、多分に生い立ちゆえにごく普通の家庭を営むという事への強い憧れを持っていたこと、夫に尽くす事を幸せとする古風な女らしさをもつ女性であるという事だろうか。

いやおうもなく眷属の生活を背負わされ、5歳から働き通しに働いてきた高峰秀子。彼女がもし、20代の終わりで松山善三に出逢わなかったら、その後の彼女はどうなっていたのだろうか。たら、ればの話はしても仕方がないが、ワタシは本書を読みながら折々そう思った。それは高峰秀子の後半生を左右する大きなポイントであることは間違いない。沢木耕太郎も高峰秀子にそういう質問をしたことがあるそうだが、それに高峰秀子がどう答えたかは本書には書かれていなかった。他人事ながら松山善三という伴侶に出逢えなかった場合の高峰秀子を思うと、少し怖いものがある。そして、大好きな男のために、80を過ぎても美味しい食事をつくり、居心地のいい家をキープする高峰秀子は可愛いなぁと思い、つくづくと善ちゃんに出会えてよかったね、と思うのである。女にとって、顔色を伺っていたい男がいるというのは幸せな事以外のなにものでもない。


本書の中には幾つか心に引っ掛かるフレーズが出てきたが、中でも
「人は、その生きたように老いるのだ」という言葉は鋭いと思う。人は老齢になったからといって突然、自制の箍が外れるわけでもなく、また、年をとったからといって急に立派になるものでもないのだ、と。高峰秀子が老いてもなお、佇まい美しく、自分を律して、自分の流儀を崩さずに生きているのは、若い頃からの積み重ねに他ならない。ローマは一日にしてならず、である。

また、spoilという言葉を「甘やかす」と解釈している人は多いが、その第一義は「~をいためる、傷つける、損なう、ダメにする」という意味である、という部分。spoilなどという英語を知る以前のほうが、日本人は子供を厳しく躾けていた。躾けという美しいものが消えてしまったのは一体いつからのことなのか…と著者は詠嘆する。甘やかされるなどという状況とは無縁に育った高峰秀子は損なわれずに大人になることができたのだろう。

「子供を甘やかす親は、それが自分自身を甘やかしていることだという事に気付かない。~中略~ そして甘やかされた子供は、生涯その甘えに足を引っ張られながら、何とか逃れようと苦しみ続けることになる。」という一節も正鵠を射ている。

知合って22年になるという著者は高峰を「かあちゃん」と呼び、子供のように可愛がられて松山邸に出入りの許されている関係である。傍でつぶさに見る高峰秀子の姿を浮き彫りにしながら、自身の感じたこと、考えていることをさりげなく表現する観点が心地よい。そして、当然ながらその客観性ゆえに、高峰秀子本人の書いたものよりも、高峰秀子という人のありようがくっきりと鮮やかに伝わってくる。

動じない 求めない 期待しない 振り返らない 迷わない 甘えない 変らない 怠らない 媚びない 驕らない こだわらない という高峰秀子の流儀。わかっちゃいるけどやめられない事の多い世の中、高峰秀子ほど厳しく自制できるわけもないけれど、自分に甘いワタシも、最も気になるあたりから気をつけるようにしてみようかな、と思った次第。
筋の通った生き方をする、ということの潔さと困難さが心に沁みとおり、スゴカワイイ女・高峰秀子その人について少しだけ分った気がした一冊。

*追記*
高峰秀子さんは、2010年12月28日に86歳で逝去されました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。

コメント

  • 2010/11/17 (Wed) 23:32

    kikiさん、この著書、わたしもずっと気になってて、amazonで買っちゃおかなとサイトを覗き、読んだ方々のレビューを読んだらその気がなくなってしまってました。著者の方がある意味「身内」なので客観性に欠けるところがあり、個人的・主観的表記もあって云々・・ということで、デコちゃんを褒めまくっているだけの内容だったらムズムズしそうだなと思って若干興味を削がれてました。が、kikiさん評を読んでやっぱり読みたくなりました(単純ですねえ)!
    デコさんのストイックさというのがどこから来ているものなのか、恐らくその生い立ちやお母さんや親類との人間関係などが大きく関わっているのだろうなとは思うけれど、その徹底ぶりは(よく知りはしませんが)半端でない気がして大いに興味をそそられるところです。
    kikiさんのデコ評「ガラッパチのデコッパチのズべ公」(でしたっけ?)がわたしもなんだか感化されてそんなイメージを持ってしまっているのですけど(笑)、善三さんとの出会いってやっぱり転機だったんでしょうね。「家庭におさまり夫に尽くす可愛いデコちゃん」の出現ですもんね。黒澤監督とそういう関係にならなくてよかったですね(きっとすぐに破綻してそうですしね)。会うべくして善三さんに会ったということでしょうね。
    そうそう、kikiさんがおっしゃるように、成瀬監督のことはデコさんに語ってほしいですよね。デコ的流儀があってそこから外れたことは一切したくないしするつもりもないという考えなのでしょうが、後世まで語り継ぐべき故人のことを語るのは生きている人の仕事のような気がするからです。黒澤監督なんかは夥しいほどの著書が刊行されているけども、成瀬監督は残念ながらそういった著書を探すのさえ難しいのでは・・と思うし成瀬監督のことを語れる人も恐らくは黒澤さんのそれに比べて数的に危うしという状況だと思います。故人を知る人がいて語れる立場にある人がそれをしなくて一体誰がやってくれるのでしょう、という思いです。
    黒澤監督のこと、敏ちゃんはあんまり語ってないですよね(私が知らないだけかもですが)。口下手な敏ちゃんとはいえ、いわゆる「黒澤論」でなくとも監督との撮影中のエピソードの3つや4つや5つくらい本人の口から聞いてみたかったなあと。我々の知らない小さなエピソードも山のようにある気がします。
    そういえば最近BSであった小林桂樹追悼放映で「名もなく貧しく美しく」を見ました。善三監督ですね。これ好きでした。二人が隣同士の電車の車両の窓越しに手話で話すシーンでほろり。驚くべしは最後の加山雄三。あんたさえ訪れなければ・・あ~あ、チ~ンでしたよ(笑)。善三監督ものは初めてみましたが、こういう作風の人なんだろうなあと思いました(木下恵介的?)。
    とにもかくにもデコさんほど潔くて自律できる人に憧れる部分はありますね。物理的にも精神的にもシンプルライフを目指したいなと。しかし俗世にどっぷりと浸かった甘々なわたくしには手を伸ばしてもデコ・スピリッツに到達するには1億光年ほどの距離がありそうです・・。
    表紙の写真を見るとシャンとしてまだまだお元気なご様子。近況を知るのも難しそうですが、訃報だけはまだまだまだまだ聞きたくないな。

  • 2010/11/18 (Thu) 07:50

    ミナリコさん。
    この本は、ワタシにとってはあれこれとヒントになる言葉が沢山ちりばめられていて、予想外に収穫のあった本でしたが、感想は人それぞれなので、いきなり買ってしまうよりも、まずは図書館で借りてみる、というのもアリかもしれませんよ。ワタシも、これを読み終えたからといって高峰秀子のファンになったという事もないのだけど、幼い頃から人と社会の醜い部分、おぞましい部分を嫌というほど見てきた人だけに、そうはなるまい、という自制心もひときわ強力になったであろうデコが、生きてきた中で身に付けた考え方やルールというのは、それなりに頷けるところが沢山あると思いましたわ。「醜い振る舞いをしないためにはどうすべきか」という観点で読むと、なかなか得るところの多い本だと思います。高峰秀子云々は脇においてもね。ワタシはこの著者を全く知らなかったのだけど、読み進んでいくうちに、彼女の文章にも人となりにもなんとなく好感を持ちました。デコ女史はガラッパチのズベ公であるという見解は今もあまり変らないですが、それは主に彼女の独身時代にそういう雰囲気が顕著だったんでしょうね。「あたいは~でさぁ」なんて言葉遣いやら何やらね。でも、その反面、努力の末に身につけた教養が彼女ほど深い人間もそうそう居ないわけで、学歴と教養は全く無関係である、という事の証左のような人かもしれません。

    その生き方や物の見方がもてはやされる「女流」に向田邦子が居ますが、ワタシは彼女のエッセイは上手いと思うし好きでもあるけれども、あの人はあまりに八方美人すぎるのね。痛々しいほどに。転校生の宿命なんだろうと思うけれど。こっち方面の人に悪く思われないように、あっち方面の人にも愛嬌ふっとかなきゃ、みたいな慮りを、そのエッセイを読んでいて感じる事が多々あって、なんでそんなに人に嫌われるのが怖いんだろうか、この人は、と思って煩わしくなってしまうんですね。ワタシ生理的に好かないんですわ、八方美人て。その点、デコは自分について誰がどう思おうと知ったこっちゃない、というありようが好ましいですね。そして必要最小限度の他者としか関わらない。そういうスタンスは自分に近いな、と感じたので、余計に色々と興味深かったのかも。そして自分のスタイルでさらっと生きる。コビコビせずにね。でも一番凄いと思ったのは、物凄く記憶力が良くて何でも覚えているのに、過去を語らない、振り返らないという点ですね。聞かれれば答えないわけでもないけれども、過去にうっとりなんかしないのね。興味も持ってないのね。あれだけの業績を残していてもね。というか、逆に誰でも知っている確かな足跡を残したから別に自分がわぁわぁ自己宣伝する必要もない、という側面もあるかな、とも思いますけどね。成瀬監督についてあなたが語らなくて誰が語るんです!と、ミナリコさんと同じ事を考えて著者が迫った時にも、それは監督と私の間だけで分っていればいいことだから、といって他者に語らないのね。過去を語るという甘さに浸らないわけですね。それが一番凄いと思う。みんな語っちゃうものね。なんだかんだと。ウットリしながら。デコはそれが嫌なんでしょうね。でもデコみたいな人ばかりだと困るので、仲代氏が語っていても、まぁいいか、しょうがないわ、とは思うわけですが(笑)
    そうですね。敏ちゃんは、ちょっとした撮影時のエピソードみたいなものは黒澤特集のインタビューなんかで語ったりしてるものもあるけど、大幅には語りませんでしたね。何せ師匠だし、三歩下がっていたのかも。今、存命で、頭がハッキリしていたとしても、さして語らないかもしれませんね。デコとは別の理由でね。口下手だし(笑)

    「名もなく貧しく美しく」ワタシもちらっと観ましたよ。有名だけど一度も見た事なかったので。確かになかなかいい映画でしたね。松山善三の人柄の良さが伺える作品だったと思うけれども、あの人が脚本家や監督として、女房の名を凌ぐほどの作家になれなかったのは、その人の良さのせいだろうな、と思いましたね。物創りに必須の「魔」や「毒」がとても薄い人なんだと思います。それがもっとあったら、「名もなく~」以外にも代表作をもっと残せた筈だろうな、と。

    カバー写真は10年ぐらい前の写真を使っているようですわ。現在はもうちょっとお婆さんになってるんじゃないかな。
    いたずらなデコ礼賛本ではなく、デコを通して著者が気づいた事を書いている本ですね。割に鋭い警句もあって、ワタシは久々に一気読みしましたわ。

  • 2010/12/18 (Sat) 21:50

    kikiさん こんばんは
    文才のある人だということだけ知っていましたが、そういう事情があったんですね。それでも愚痴らず。何事も言うは易しですね。シンプルで澄み切った生き方する人は性根が違うと思いましたね。
    木下恵介監督で選んで、何本かを観た程度ですが、猛烈に興味が湧いてきました。図書館になければ、ネット通販で探してみます。ありがとうございます。

  • 2010/12/18 (Sat) 22:54

    mogomogoさん。
    いろんな記事にコメントくださってありがとうございます。
    デコって鼻にかかったような台詞の言い方とかクセがあって、ワタシはさほど好きな女優というのでもなかったんですが、道を究めた人というのは、何か自分独自の哲学を持って生きてますよね。贅肉がそぎ落とされた感じの人生観の人だな、という印象が強くしましたよ。図書館には必ずあると思うので、いきなり買わずに、まずは借りて読んでみられたほうがいいと思います。読んでどう感じるかは人それぞれだと思うので。

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