「小さな恋のメロディ」 (MELODY)

~つまらぬオトナにならないうちに…~
1971年 英 ワリス・フセイン監督



忘年会シーズンも始まった上に、この秋冬は劇場封切りで食指の動く映画が少ない。まぁ、こんな時は肩こりなしに気楽に観られる定番作品でも楽しむに限りますわね。というわけで今回は「小さな恋のメロディ」。映画チャンネルから捕獲しておいたのを凄く久々に観賞。これも子供の頃にTVの洋画枠で吹替えで観たのが最初だったと思う。アラン・パーカーの監督作品だとずっと思い込んでいたのだけど、彼は脚本担当だったんですね。ふぅん。マーク・レスターは昔から興味もないし、どうでもいいのだけど、ワタシにとってこの映画は永遠の少年(ジャック・ワイルド)と少女(トレーシー・ハイド)、そしてビー・ジーズの曲に尽きる、という感じだ。



鼻が上を向いたジャック・ワイルドのワルガキらしい雰囲気と、ほっそりとしたロングヘアの美少女・トレーシー・ハイドの表情や姿がとても印象に残る映画。トレーシー・ハイドも少女期が最高のルックスだったというクチなのだと思うけれど、とにかく、彼女の姿は「永遠の少女」の輝きに満ちている。棒のような贅肉のない体で、僅かに胸が膨らみはじめたかどうか、というあたりの少年と少女の境目の時期。前にも「14歳という年齢」で書いたけれど、美しい少年にとっても、美しい少女にとっても、その男女不可分の時期のギリギリのあたりが、もっともその美しさが輝く時期ではなかろうかと思う。そういえば、トレーシー・ハイドと、12歳ごろのナディア・コマネチは何となく似ている。ほっそりした美少女とレオタード姿というのもまたよく似合う取りあわせなのだ。


左:トレーシー・ハイド 右:12歳ごろのナディア・コマネチ

メロディが小さなガラス瓶に入れた金魚をさげて嬉々として町を歩き、パブで昼間からビールを飲む父親の元へ行く。その背後に流れるのはビー・ジーズの「メロディ・フェア」。栗色のロングヘア、眉のあたりで切り揃えた前髪、軽やかで透明感のあるビー・ジーズの歌声が彩る少女の姿は永遠に瑞々しい。
♪メロディ・フェア 髪にくしを 美しくなるために… 
いや、彼女は将来美しくなるのではなく、その時が一番美しかったのだ。
厳しい人生レースが本格的に始まる前の束の間の時期、猶予が許されている期限つきの楽園に住めるのは束の間の少年・少女の時期でしかない事を大人はもう知っている。子供の頃は同じ学校に通っていても、その後だんだんに家の経済状態などにより進路と人生は分かれて行かざるをえないのだ。


金魚を下げて歩くメロディ 脇にさりげなくダブルデッカー

どことなくお嬢さん風の美少女メロディ(トレーシー・ハイド)だが、家は余裕のない労働者階級で、狭いアパートにお婆ちゃんも同居している。マーク・レスター演じるダニエルの家は少しましな中産階級のはしくれという感じ。ジャック・ワイルドのトムは、もっとも貧しい家庭だ。それゆえ、現実の波はトムの人生に一番先に押し寄せてきつつある。元気に飛び回ってはいるが、貧しいアパートに口やかましい祖父と暮らすトムは、卒業したら上の学校へは進めず、否応なしに働き始めなくてはならないだろう未来がほの見える。



トムとダニエル、二人の住む世界が違う事は冒頭から細かいエピソードで語られる。中古ではあるが、マイカーで息子を学校に迎えに来るダニエルの母。その車に便乗したトムは表通りの小奇麗なアパートの前で車を下ろしてもらい、ダニエルの車が去って行くと、裏通りに廻ってボロアパートに入っていく。また、学校帰りに二人でダブルデッカーに乗り、ウエストエンドまで行ってはしゃぎ、戻る際にダニエルは躊躇なくタクシーを止めて乗り、高いんだぜ、とまごついているトムを同乗させる。トムとダニエルが曲がりなりにも同じ地平の上に立っているのは、今の時期だけなのである。

密かに描かれた貧富の差とともに、ロンドンの様々な光景も印象的に捉えられている。冒頭の朝焼けのテムズ川の光景や、街を走るダブルデッカーの姿などは目に鮮やかで、ワタシより上の世代の人は、ブリティッシュ・ロックだのこの映画だのでイギリス・フリークになってしまった人が多いんだろうなぁ、と思ったりする。時代色やUK色は、メロディを含む少女たちのグループが、静かな墓地の一角で秘密の儀式のようにミック・ジャガーのポスターにキスするシーンなどにも、詩的かつ印象的に現われている。


少女たちは秘密の儀式が好きなのだ

1970年代といえば、イギリスは不況に悩み、失業者も増えて、あまり明るい時代じゃなかったんだろうなぁ、という気配もこの映画からどことなく漂ってくる。ダニエルの家はともかく、メロディの家もトムの家も下層で、パっとしない感じが漂っている。街も学校も等身大で、時折すすけた感じで生活臭があり、少年少女の淡い恋物語の後ろにほろ苦い現実がうっすらと浮かんで見えるのが、この映画の真骨頂だろうと思う。主役の少年少女たちも、いずれいやおうなしに巻き込まれていく夢物語ではない人生をそれとなく浮き上がらせているからこそ、ずっとそこに留まってはいられない事は分かっていながらも、少年と少女が手に手をとって旅立つ事の寓意に籠められた製作サイドの「大人のささやかな願い」が「小さな恋」という表看板の裏側で静かに迸っているのである。



トムを演じたジャック・ワイルドはこの映画の撮影時に19歳ぐらいにはなっているのだが、どう観ても13~4歳ぐらいにしか見えない。周囲の11~2歳の子供達よりも少しだけ背は高いが、結局既に成長期を終えてしまっている彼はずっとそういう大人子供な状態のままなのである。喩えが古くてナンだけれど、要するにイギリス版白木みのるみたいな感じだったのだろうかと思う。単に小柄で童顔だったというだけではなく、成長ホルモンの関係とかで永遠に大人にならないタイプの人だったのかな、と推察するのだが、演技は達者で才能もあったと思うのだけど、やはり実年齢が進むにつれて段々に演じる役もなくなり、酒に溺れた挙句に癌で50代で亡くなったと知ると、この映画でのトムの姿は何か余計にほろ苦い。



赤いクチビルのマーク・レスターも子供の頃はともかくも、大人になったらお呼びじゃなくなって俳優をやめた。マイケル・ジャクソンの死後に妙なところで忘れていたその名を聞いたりしてあらら~、と思った。
トレーシー・ハイドは随分前にTVの「あの人はいま」みたいな番組で20代の頃の姿を観た事があるが、面影は残っていたものの、ぽちゃっと肉がついて、平凡な、どうという事のない娘に育っていた。彼女は女優を続ける事を望まず、割にさっさと辞めてしまったらしい。今は平凡でどうという事のないおばちゃんになっていることだろう。それで正解だったのだろうと思う。



ワタシは特に青春映画とか思春期ものとかが好きという事はないのだけれど、これはやはり主役の少年少女に魅力があった事もあるし、ほろ苦い現実を踏まえた上での寓話という点で映画自体がよく出来ていた事もありで、15年に一度ぐらいの割で、たま~に思いだして観る映画の1本ではある。



子役たちのその後はどうあれ、フィルムに残った少年・少女の姿は一刹那の瑞々しい輝きを永遠に放ち続けている。

コメント

  • 2010/12/18 (Sat) 01:26
    はじめまして

    とても面白い語り口に引き込まれてしまい、読みふけってしまいました。私もこれは10年~15年に一度観ます。年齢を重ねて感想は少しずつ変わっているのかもしれませんが、後に残る爽やかな切なさは同じ。子役の末路は追いかけないほうが無難ですよね。ショックを受けることが多すぎます。

  • 2010/12/18 (Sat) 09:21

    mogomogoさん、はじめまして。
    普段はすっかり忘れているのだけど、たまに何かで思い出してふと見たりする映画ってありますよね。これなどはまさにそんな映画です。音楽も撮影もいいし、子役の可愛さや、物語の設定などもその後に作られたいろんなこの手の映画の中でいまだに光ってますね。そして確かに、子役のその後は見ない、言わない、聞かない、がお約束かも。

  • 2010/12/18 (Sat) 12:54

    こんにちは。

    この映画と「サウンド・オブ・ミュージック」は、私の中では“何となくほのぼのしたイメージだったのに、改めてちゃんと見たらシビアでビックリした映画”として印象深いです。

    公開から40年も経って、主役3人は当然それぞれに変化しているのに、ミック・ジャガーはミック・ジャガーのまま、ってすごいですよね(笑)

  • 2010/12/18 (Sat) 22:37

    xiangさん、そうそう。どことなくほろ苦いんですよね。そこが良いところかも。
    そしてミック・ジャガー。確かに変りませんね。この人も、ほんとに、若くして死んだり、クスリや酒でヨレヨレしてても不思議はないのに、元気いっぱいで本当に変りませんね。無茶苦茶ををしまくってきたようでも、案外ちゃんと安全弁が働いていたのかも。

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