「こころ」

~寂しい先生と明治の精神~
1955年 日活 市川崑監督



市川崑が「こころ」を撮っていた事は漠然と知ってはいたのだけど、夏目漱石の「こころ」の映画化では新藤兼人の現代劇のATG作品「心」を見た事があるきりだったので、市川崑の方は、このほど初めて観た。何と言っても圧巻の森雅之の先生ありきの作品だが、登場人物以外に印象深かったのは雑司が谷墓地のロケを始め、スタジオセットやオープンセットなどで実に自然にしつらえられた明治の空気感の見事さと、しんしんとしたモノクロ映像の美しさである。ワタシにはワタシなりに小説や映画や写真などで自分の中にあれこれと蓄積された明治のイメージがあって、そのイメージとこの映画「こころ」の明治は非常にピッタリとフィットし、「あぁ、明治の空気が漂っているなぁ」と強く感じた。
先生の奥さんに新珠三千代。ほっそりとして儚げで適役。「私」(映画の中では日置という名が与えられている)は安井昌二。元気一杯で若くて快活な書生の雰囲気がよく出ている。しかし、この「私」は単純そうでいながらも、先生のような人に何故とも知れず心を惹かれる内面性を持っている。「真面目に人生から教訓を得たい」私は、十分な学識がありつつも世の中へ出て仕事をせず、いくばくかの財産を喰い潰しながらひっそりと妻と二人で隠棲している先生のありようや、その表情に時折よぎる翳、先生が内奥にずっと抱えているに違いない秘密に、いやおうなく惹き付けられる。原作にも、どちらかといえば人付き合いの悪い、世間の片隅に隠れて暮らしているような先生に、そんなにも親しみを感じているのは自分ぐらいなものであろう、と「私」が感じている事が書かれている。





先生と「私」が初めて出会う鎌倉の海岸のシーンは、原作ではどこからこんな都会人種が湧いて出たのだろうと思うぐらいに海水浴の客で賑わう夏の鎌倉の海岸で、たまたま西洋人と話をしていた先生に「私」が目を止めるのだが、映画では、人っ子ひとりいない快晴の夏の海辺で、一人沖に向かって、“ゆきてかえらぬ人のように”泳いで行く先生が気になり、理屈ぬきに着物を脱いで先生のあとを追って海に入り、傍に泳いで行く「私」の姿が描かれる。映画的にうまく脚色されたシーンだと思う。



穏やかでいながら曰く言いがたい翳りと苦悩をにじませる先生を演じて、まさに森雅之は間然するところがない。既に中年らしい顔の衰えも出ている森雅之がそのまま若い書生時代も演じているのだが、おためごかしに友人Kを自分の下宿先にムリに誘っておきながら、彼がそこの生活に慣れて、自分の意中のお嬢さんと予想外に親しげな様子を見せ、彼女への思慕を抱くようにさえなると、嫉妬にかられ、焦りに焦った挙句に友情よりもエゴイズムに走り、K(映画では梶)が留守の間に先回りをして、下宿の奥さんに娘との結婚の内諾を得てしまう若かりし日の先生の卑怯さ、小心さなどが、大写しになると書生というには老けすぎて見えるその老成した表情などから、逆にうまく表現されていたように思う。


「先生!」と言って追いかけたくなるような謎と孤独と痛ましさをたたえた森雅之の先生

若い書生時代もそのまま演じているのが心理描写に非常な効果を上げていた

まさに適役

本名は有島行光 有島武郎の長男で、12歳の時に父が情死する

自分より頭がよく、哲学や思想などに打ちこむ一徹な姿勢や純粋さが自分などよりずっと強く、ある種の芯のある人間であるKに対して、どこかにずっと畏敬と引け目を感じてきた先生が、養家に勘当されて学費が出ないKよりも経済的には恵まれている事から、彼の苦境を救おうと自分の下宿先に斡旋し、その食費などを賄うのだが、それはどこかで潜在的に、ずっと適わなかった相手にささやかに施しを与えたという優越感に繋がらなかったとは言えないだろう。だが、人として勝てないKに恋愛でも負けそうになり、先生は窮余の策に打って出る。Kにお嬢さんへの想いを打ち明けられ、その時に自分の想いについては黙っていながら、日頃「道」を求道する高邁な姿勢を標榜しているくせに、思想と行動に矛盾があるとKの苦悩を激しく糾弾する先生。そして悶々としつつ彼を出し抜く事を考えるのだ。その日、病気と偽って下宿に残った先生のために、Kは薬さえ買ってきてくれていた。御しがたいエゴイズムのために自分を裏切った友の薬を…。


人としても学問に対する姿勢からも、どうしても勝てないものを感じるK(手前)と先生

観ていて、まぁ、嫌な男だね、と思うような雰囲気を、森雅之は上手く出している。若いはずなのに爺むさい、その坊主刈り頭の下の老成した顔が、殊更に姑息な、狡猾な印象を与える。ここで自分のエゴイズムを引っ込めて、表面的に友情を尊重した結果不幸を招くのが「それから」の代助である。いずれにしても報いは受ける。

梶(K)を演じるのは三橋達也。かなり頬がこけた顔で、無精ひげをはやし、無愛想でとりつく島もないような外見の内側に、殉教者のようなストイックさや求道者の苦悩を秘めているKをなかなかうまく演じていて、三橋達也は意外な適役だった。Kは先生とお嬢さんの婚約を知ると、深夜、ふいに自殺をする。先生の裏切りにあったから、という事もあったかもしれないが、Kの中では、彼の高邁な思想と彼に取憑いた恋愛感情との間に折り合いがつけられなかった、という事もあったかもしれない。彼の理想とする生き方と彼の現実の欲求とがズレ出して破綻を生じた事が、潔癖なKには耐えられなかったのかもしれない。いずれにしてもKは先生に遺書を遺しつつも、何故死ぬのかについては一言も具体的に言及せずに逝ってしまう。ずっと生きてて執念深く恨み節を言われるのも閉口だろうけれど、何も言わずにあっさりと死なれてしまうと、加害者意識のある先生にとって、永劫の呵責としての重みは比較にならぬだろう。


雑司が谷のKの墓に一度だけ妻を伴う先生

それから、先生の長い贖罪の日々が始まる。相応の学識がありつつも世の中に出ないのは、先生が自らを罰しているからなのだが、この、いくばくかの資産があるから仕事をしないで生活する-いわゆる高等遊民の生活というのは、漱石が理想とする生活だったのだと思う。漱石はおよそ好みでない妻との間に子供が何人も出来、さらには養父にいつまでもたかられて、イヤでたまらない教師生活を長く続けなくてはならなかった。ずっと家に居て、書物を読んだり絵を描いたりしながら悠然と過ごし、好みの妻と極めて趣味的にひっそり暮らす、というのは彼の叶わぬ夢であり、永遠の憧れだったのではないかとワタシは思うのだ。

夏目漱石の「こころ」の中では明治大帝の崩御とそれに続く乃木将軍の殉死がとても印象的にフィーチュアされている。若い「私」はともかくも、「私」の父や先生は、明治大帝の御不例とその後の崩御に強いショックを受ける。明治天皇の死とともに明治が終わり、明治の精神も死んだのだ、と先生は言う。ご大葬の日、棺を載せた御車が号砲の音に送られて宮城を出ていくと、先生は永遠に去って行く歴史の足跡だ、と感慨をこめて言う。その後の乃木大将の殉死にあまりに感銘を受けている先生の様子に、奥さんが「それならあなたも殉死でもしたらいいじゃありませんか」と冗談を言うと、先生は、「僕が殉死するなら誰か特定の個人のためではなく、明治の精神に殉じるつもりだ」と答える。先生の言う明治の精神とは何なのかワタシにはどうもピンと来ないし、それまでズルズルと生きながらえてきた先生が、大帝の崩御とそれに続く乃木将軍の殉死で背中を押されたように死に向かうのもこじつけのような感じがしなくもない。でも、漱石と同時代を生きた明治人には、それは極めて自然な流れと受け取られたのかもしれない。が、ワタシには先生のエゴイスティックな恋愛と「明治の精神」との間に、いかなる関係があるのかどうもよく分からない。”明治の精神に殉ずる”事で先生としては贖罪を果たしたということになるのだろうか。それとも罪の意識から永遠に逃げただけであろうか。今ごろ死ぬならもっと早くに死んでいるべきだったのではないか。13年も結婚生活を送ったあとで、一人奥さんを置き去りにして死ぬぐらいなら、天寿をまっとうするまで辛抱して生きながらえるべきだったのではないか、などと思いつつも、そう理屈通りにはいかないのが人の「こころ」であると、漱石先生は言いたかったのだろうかねぇ、と思った。


皇居前で大帝のご大葬を見送るために地面に平伏して待つ人々

それでも、それまで妻のためを思って生きてきたのに、時代の終焉とともに自分も命を終えたいと一人で妻には何も説明せずに逝ってしまうというのは、最後の最後まで、先生は途轍もないエゴイストである。天にも地にも、先生一人を頼るしかない可哀想な女だと、奥さんについて言っていながら、生活の心配はないにしても、その寄る辺ない妻を残してさっさと死んでしまう先生のエゴイズムについては、全く、最後の最後まで身勝手なオヤジだね!と思うわけだが、それでもこの悩める先生について、原作を読んでも、映画を観ても、何がなし痛ましいような気分になり、人が生きる事の遣り切れなさについてつい思いを致してしまうのは、先生のキャラの吸引力のなせる技なのだろう。そういう先生のありようを、森雅之が実に絶妙に演じていた。


諦念をたたえた微笑が寂しい先生


「私」に向けて長い告白を兼ねた遺書を書く

下宿をやっている未亡人(奥さんの母)は田村秋子で、じっと人を見極めるようなところのあるしっかり者であるという原作通りのキャラを好演していた。最初に下宿に来た時から先生を娘の夫に、とひそかに狙いを定めていたらしい雰囲気なども、ちゃんとにじみ出ていた。そして、「私」の田舎の母を演じる北林谷栄も絶品。まさに田舎のおっかさんそのもので、大学の卒業証書を持って帰った息子に、瀕死の夫が喜ぶさまを見て、その証書を床の間に飾ろうとする。ところが、額装しているわけでもない紙っぺらの証書は床の間に立てては倒れ、立てては倒れを繰り返す。そのたびに愚鈍なまでに床の間に戻って同じように立て直すだけの母の様子に、田舎の愛情深い愚昧な母の雰囲気がよく出ていた。これは演技も上手いが演出も良いってことですね。
また、やけに無愛想でクセのある女中を登場させるのが好きな市川崑だが、今回は奈良岡朋子が上目遣いで仏頂面の女中を演じていた。


田舎のおっかさん 北林谷栄

無愛想な女中 奈良岡朋子

また新珠三千代も明治時代の奥さんというのに実にハマっていて、お茶の間で一心に着物のくけ縫いをしていたり、着物や衣服に火のし(中に炭を入れた昔のアイロン)をあてて皺伸ばしをする様子などがとても板についている。今の女優がそういうシーンを撮ってもきっとサマにならないだろうなぁ、と思いながら眺めた。

その他、全編に渡ってワタシが感心したのはセットや小道具などの美術をメインに画面に明治色が実に自然で色濃い事で、これは美術考証に木村荘八が加わっている事も無縁ではなさそうだ。


再三登場する美しい雑司が谷墓地のロケ

旅順陥落を祝う提灯行列

いかにも明治らしい風情が全編にしみわたっている

また、旅順陥落を祝うちょうちんが闇の中に沢山浮かんで揺れている映像や、ご大葬の夜、皇居からの沿道に一定間隔でずらりとともされた松明、ご大葬の葬列を見送ろうと、地面に土下座して待つ人々の様子、また、葬列の間、間歇的に鳴り響いている号砲なども、時代色がよく表されていたと思う。
適材適所の俳優たちと市川崑の演出で主題がよく表現されていたばかりでなく、物語を彩る時代色や時代背景なども非常に印象的に画面に織り込まれて物語をしっかりと包んでいた。文芸物の映画化作品を多く手掛けた市川崑だが、これは映像と演出の陰翳とその完成度において屈指の一本だと思う。

コメント

  • 2011/01/10 (Mon) 23:14

    kikiさん、「こころ」はツタヤにあるのを知っていて前から気にはなっていた作品なんですが、どういうわけか手を出せずにいました。市川監督って文芸ものをよく手掛けていて「炎上」「おとうと」「鍵」とか好きでしたけど、「こころ」はまさに「人間の心」を描く繊細な物語だと思うので、なんとはなしに市川監督の演出では仰々しくなっているのでは・・と案じていたからかもしれません。しかしいつものことながら、kikiさん評を読んで、今度ツタヤに行ったら借りよ!とあっさり心変わりです(笑)。
    漱石の「こころ」は好きな作品で、高校生のときに世界史の先生から勧められたのを覚えています。何がどうだから読むように言われたのか今となってはかなりうろ覚えなんですが、一つだけ覚えているのは、その先生は乃木将軍の殉死のことを力説していたように思います。若輩高校生のわたしではありましたが、乃木将軍という人が一市民の死に深く関わっていたらしいということを知り(物語上ではありますが)、青臭く感銘を受けたらしく早速読んだように思います。しかし、当時の感想としては先生の死と乃木将軍の殉死の結びつきがよく理解できなかった・・という感じを受けたのを覚えています。kikiさんの書いていらっしゃるとおり。とはいえ、「こころ」は繰り返し読んだ数少ない好きな作品のひとつではあります。
    森さんてスゴイ俳優さんだという認識はあるものの、どういうわけか作品にあまりお目にかかっていないのです。黒澤作品のそれや、前述の「おとうと」、「浮雲」、何篇かの成瀬作品、くらいでしょうか。森さんの「先生」はイメージにとても合っていそうですね。三橋達也のKはとても意外な感じですが、これも適役そうなのですね。意外な俳優が案外ピッタリはまっているのって嬉しい驚きですね。
    (森さんの「あにいもうと」がとても見たいです!しかしそもそも森さんの代表作って何でしょう?絞ってもいっぱいありすぎですね。)

  • 2011/01/11 (Tue) 07:32

    ミナリコさん。「こころ」は比較的新しくDVD化されたのか、どこのツタヤにも割にあるようですね。市川崑の「炎上」は去年やっと見たのだけど余り好きになれぬ作品だったなぁ。映画全体のトーンの曰く言いがたい暗さも嫌だったし(まぁ原作のテーマがテーマなので仕方がないけど)、仲代がケレン強すぎでね(笑)そういえば仲代主演の「吾輩は猫である」も好きじゃないんですよね。面白くないから。原作は面白いのに。 
    でも「おとうと」、「鍵」、「細雪」とかは市川崑ならではの作品ですよね。

    で、「こころ」。漱石の中期~後期作品の中ではかなり早い時期に読んだんですね。中学1年か2年頃だったと思います。だから勿論、ちゃんと読んだというところまで行かないのだろうけど、好きな作品ではありました。でも大人になっても、例の「明治の精神」と先生の身勝手な自殺がどこで結びつくのか、どうもよく分からないんですのよね。けれどもその部分があるせいで、「こころ」と明治という時代は切り離せないものになっているため、この映画化作品が非常に丁寧に隅々まで明治を再現していたのは実に正しいアプローチだなと思いました。
    森雅之の代表作といえば、「雨月物語」(溝口健二)「羅生門」(黒澤明)「浮雲」(成瀬巳喜男)がやはり即座に出てくるところじゃないですかしらん。あとは山口淑子と共演した「わが生涯の輝ける日」とか、久我美子と共演した「挽歌」なんかもありますね。森雅之の「あにいもうと」ってそれこそ日映専chで見かけたような気がするのだけど、何か髭だるまの労働者っぽいあんちゃんを演じてたような…。待ってればそのうちにまた放映するかもですわよ。

  • 2011/01/11 (Tue) 14:03

    kikiさん、こんにちは~
    「こころ」たしか中学生で。きちんと理解できずに終わってそのままの本です。今読むべきですなこれは。映画も今ならズッポリ入り込めそうです。早速近所のレンタル店に出動します。
    市川監督は「細雪」「おとうと」が好きですね。他にも観たと思いますが覚えて無いです。川口探検隊長が麗しかった。幸田文さん役の岸恵子演じるヒロインの悲しみが私の胸に突き刺さった覚えがあります。
    「炎上」たぶん観ましたが、よく理解できなかったというか、これは何か政治思想的な作品なのかなぁ。三島文学読んだことないんで(恥)

    • mogomogo #/qAnB.XI
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  • 2011/01/11 (Tue) 22:34

    mogomogoさん。多分、これはお近くのツタヤにあると思います。出演俳優がみんな役にハマっていたし、イメージ通りの世界を観られた、という感じでした。これは日活だけど、市川崑はとにかく大映時代に代表作が殆ど作られている感じなんですよ。今度、大映時代の映画をご覧になってみると面白いかも。「細雪」はワタシも好きです。
    で、「炎上」は割に世評は高いんですけどね。好きになれない映画だったなぁ。三島の原作(「金閣寺」)も三島作品の中では好きじゃない方なんですよね。原作でも映画でも政治的思想というのとは全く無関係だったと思います。

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