「旧前田侯爵邸」および洋館見学についての雑感



今年は久々に冬らしい冬で、なかなか寒いですね。日本海側は殊に雪が大変な気配。
全国の天気をみると東京なんてあったかい方なので、
あまり寒い寒いと言っているのもナンだな、とは思います。 が、しかし寒い。
本当に寒い冬にしか着ない超あったかコートが今年は大活躍でございます。
が、しかし、寒くてもカラリと晴れた日が多いのが東京の冬。
富士山も真っ青な空の中にクッキリと見える日が多い。
そんなわけで、ある晴れた寒い日に、久々に洋館探訪してまいりました。
ワタシはレトロ建築が大好きで、とりわけ近代の洋館には目がありませぬ。レトロなビルも大好物なのだけど、銀座・有楽町界隈からも段々古いビルが姿を消していっており、あぁ、そこにあるのが当たり前だと思ってウカウカしてたら、写真撮る前に解体されちゃった、という物件が銀座・有楽町界隈だけでも4~5棟ありますね。しまったわ。三信ビルや瀧山町ビルヂング、交詢社ビルなど、健在な時に写真を撮っておくべきだったと後悔しきり。壊されるとはつゆさら思わなかったのよね、迂闊なことに。昔からあったから、今後もそのままあり続けるに違いないと思ってました。油断ですねぇ。でも日本は旧帝国ホテルのような建築でも平気で解体してしまう文化だから、いつまでもあると思ってはいけないのね。

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昨年の秋ごろ、洋館好き、レトロ建築好きの間ではつとに有名な建築探偵(正式には工学博士で建築家)・藤森照信氏の本(「建築探偵の冒険」)を読んでいたら、そこに興味深い洋館の話が出てきました。三島由紀夫の「鏡子の家」のモデルになった古い洋館が信濃町の高台にある、というんですね。え~あの家は実在するの~と忽ち興味深々のワタクシ。遠く明治記念館の森を見下ろす信濃町の高台の洋館はヒロイン鏡子の住む家で、彼女の仲間たちのサロンにもなっている場所。実質的な小説の主人公は鏡子ではなく、彼女のサロンに出入りする4人の青年(それぞれに三島本人の投影が伺われる)で、彼ら各々のフォール&ライズが描かれた作品。三島の長編の中ではあまり知られていないし、既に忘れられた地味な作品という感じですが、ワタシは昔から割にこの小説が好きで、5年に1度ぐらい思いだして読み返したりする本だったりします。



眼下にJR信濃町駅を出入りする電車が見えるというこの洋館が実在するなら、ぜひ観にいかなくっちゃだわ。休日に新宿方面に出るついでがあるときに寄ってみよう、と決め、つい先日、そちら方面に行く用事があったので、では「鏡子の家」も見物しに行こうかと、とりあえずネットで下調べを始めたら…ガーン!とっくの昔に解体されて跡にはもうマンションが建っていると判明。そういえば藤森照信氏の存在やその著書を知ったのは15年ほど前だけど、「建築探偵の冒険」はつい最近読んだ本なんですね。これは初期の著作で、出版されたのは随分前なんですのよね。
この洋館は「デ・ラランデ邸」といい、デ・ラランデさんという建築家が明治43年に自分の住いとして建てた家だそうな。デ・ラランデさんの後は、実業家がこの家を買って長らく住んでいた。藤森氏が訪ねた頃はその実業家の未亡人が健在でお住いになっていたらしい。その後、空き家になってからも暫く建っていたが、解体されたのは20世紀末の事だとか。そうか、10年ちょっと前にもはや無かったのね…。デ・ラランデ邸は江戸東京たてもの園に復元・移築される予定ではあるものの、都の財政難で文字通り現在は解体されたままお蔵入りになっているらしい。とほほ。

そんなわけで「鏡子の家」探訪は潰えたのだけど、折角建築探偵気分になっているのに、何かその界隈で代わりの物件はないものかしらん、と思って、ふいに思い出したのが駒場の「旧前田侯爵邸」。ここは都の文化財指定を受けているので解体されるオソレはないけれど、その気になった時に見物しておかないと、何が起こるかわからぬし、いつ気が変るかもわかりませんわね。思いたったが吉日。調べたら土日のみ見学可でしかも無料。これは行っておかないと。



駒場東大前のホームから

所用を済ませた新宿から渋谷経由で井の頭線に乗り、「駒場東大前」から歩くこと10分。軒並みセコムしてるおうちが並ぶ静かな住宅街を進み、駒場公園内に。東門から入ると侯爵邸が近い。日本家屋の方も見学できるのだけど、もうあまり時間がなかったのでまっすぐに洋館の方へ。「旧前田侯爵邸」は16代目当主の侯爵・前田利為が昭和4年に建てた洋館で、非常に造りがしっかりしているという印象のお屋敷。敷地は公園になっているので緑も多く、玄関前にはお約束の車廻し。おっと、写真撮影もOKらしい。見学無料の上に内部の写真OKなんて。前田侯爵邸、太っ腹なり。
ここは、元は本郷にあった本邸の土地を東大に譲った代わりに前田侯爵が取得したもので、東京帝大農学部があった駒場校地の一部が前田家の土地となり、そこに駒場本邸を建てたとのこと。前田侯爵家と東大は関りが深いですね。ハクビ総合学院学長などを務め、マナーのオーソリティとして存在した故酒井美意子女史は前田家16代目当主・利為の長女で、この駒場本邸で育ったそうな。







で、内部はどうかというと、華麗というよりは質実剛健という感じのする洋館でしたね。広い部屋などは、ところどころ椅子やテーブルなどを配して当時の雰囲気を出そうとしている気配。それでもやはり当時のままのインテリアが全部そのまま残っていたらもっと素晴らしいんだけどねぇ…と、毎回この手の洋館の見学に行くと感じることをやはり感じてしまいましたね。照明だけは付いているけど、あとは窓と暖炉があるだけでガランとした部屋などを見ていると、一体どんな家具調度で飾られていたんだろうか、と、とても知りたくなる感じ。前田邸の照明の意匠などは、ところどころ白金台の旧朝香宮邸のそれと似たものを感じました。








16代当主と夫人の寝室の窓辺に置かれたドレッサー







2階は旧古河邸と同じく和洋折衷の部屋が何部屋かありました。
洋館の中の畳の間というのは珍妙で面白い光景ですわね。




昔の洋館においては暖炉も装飾的に重要なポイント





今回は、館内に説明員だかなんだかの職員のおじさん(音もなく背後に居たり、どこかからじっと見張っているような様子があり、あまり感じのよくない職員さんだった。説明を求めてこない見学者は面白くないらしい)がうろうろしていたのと、他の見学者の撮影を妨げちゃいけないと思ったりして、サクサクと写真を撮ってまわったせいか、ブレちゃった失敗写真が多かった。…むぎゅうぅ。でも、普段殆ど乗らない井の頭線に乗り、閑静な住宅街を散策がてらの久々の建築探偵は、何とはなしに満足感がありました。本音を言うと、こういう旧華族のお屋敷系では、戦後オーストラリア大使館になった蜂須賀侯爵邸が最も見たかったお屋敷なのだけど、大使館じゃそうそう見学もならぬし、第一とっくの昔にこれも解体されちゃって、もう跡形もないんですね。蜂須賀侯爵邸こそは東京たてもの園に移築保存して欲しかったなぁ。あんな屋敷をただぶっ壊さないでちょうだいよ。昔TV番組でちらっと紹介された内部を見た事がありますが、居間の窓に家族の干支にちなんだステンドグラスがはまっていたりして、意匠的にとても観たい心をそそるお屋敷だったんですのよね。う~ん。蜂須賀さんのご遺族も、本邸と土地を大使館に売らないでくれれば屋敷は都の文化財として残っただろうに。勿体なかった。


オーストラリア大使公邸として使われていた、ありし日の蜂須賀侯爵邸(三田綱町)
外見は地味だが、内部は洗練され、隅々まで贅沢が光る意匠だったらしい


優雅な邸内の装飾(TV番組より)

他に観てみたい洋館としては、高輪の旧岩崎弥之助本邸「開東閣」、三田綱町の三井倶楽部、旧細川侯爵邸「和敬塾本館」、熱海の岩崎小弥太別邸「陽和洞」などがあります。このうち、三田綱町の「三井倶楽部」は三井系の会員施設ではあるけれども、もしかすると知人の結婚式や何かで内部を見られる可能性はなくもない。旧細川邸の「和敬塾」も不定期ではあるが一般公開をしないわけではないらしい。けれども「開東閣」と「陽和洞」については見学はほぼ不可能。これらは三菱系の貴賓施設で一般非公開。何か特別な機会に折りよく便乗するのでなければ中を窺い知る事はできないんですねぇ。残念なことに。「開東閣」は品川の駅前、八ツ山橋の上に広がる御殿山の高台の森の中に鎮座ましましていて、塀の外からではその姿を垣間見る事もできない。八ツ山橋なんて生まれてから何回その辺を通ったかしれないぐらい頻繁に通った道なのだけれど…。癌に侵されつつも、執念でこの洋館の完成を待ちわびた三菱二代目・弥之助さんは住める状態まで出来上がると病床を運び込んであれこれと指示を与え、完成を待ちわびたが、遂に完成した時には癌の転移で両眼を摘出したあとで、そんなにも思い入れた邸宅をもはや見る事はできなかった。そしてその翌月に亡くなった。
…という物語が頭にあるので、そこまで熱意を燃やした邸宅とはいかばかりか見たい気持ちしきりなのだけど、実はこの開東閣、弥之助さんが熱意を籠めた内装は全て空襲で焼けてしまい、内部は昭和39年に改装されたものでオリジナルではないらしい。興味索然。外見と広大な庭はオリジナルのままらしいのでちょっと拝見したい気もするのだけど…。


見学できぬので航空写真で。 第一京浜八ツ山橋のすぐ傍 緑に囲まれている

熱海の「陽和洞」は、三菱四代目当主小弥太亡きあと、その夫人が住まわれていたが、夫人の没後は三菱グループが譲り受けて「開東閣」同様に一般非公開で維持されている。ここは熱海の山をひとつ買ってそこに建てられた別邸で、敷地の中を新幹線と東海道線が走っているというシロモノ。さすが三菱財閥、スケールが違う。


これも航空写真で。敷地の端をJRが通っている こんもりとした山の中に別邸がある

この熱海別邸は戦後、小弥太さんが系列各企業のTOPを呼んで財閥解体を言い渡した場所でもあるとか。多分、小弥太さんが存命だった頃のまま保存されていると思うので、最も観てみたいのはこの「陽和洞」なのだが、「開東閣」とともに門戸は堅く閉ざされており、公式HPも三菱グループ企業の会員だけがアクセスできる。
…き~、しゃらくさいわね。どうにかならぬかしら、と思い、三菱系企業に勤める友人に「陽和洞」か「開東閣」に見学を申し込んで、そこにワタシをこっそり混ぜてくれない~と頼んでみたが、「ムリムリ。あそこは僕らみたいなペーペーなんかお呼びじゃないんだよ。見学なんて全然ムリ」との事だった。そうか、三菱系企業の社員だというだけじゃダメなのね。…旧財閥の壁は厚い。早く偉くなって中に入れるようになってちょうだいよ。

ともあれ、敷地もろともすっぽりと現存しているというのは(見学はできなくても)有難い事ではあります。蜂須賀侯爵邸のように地上から消滅してしまったら元も子もない。でも建物が残っても、レストランになっている小笠原伯爵邸のように地下鉄の出口の背後の駐車場のような場所にぽつんと建っているのも、折角の建物がみすぼらしく見えて可哀想になってしまう。やはりこういうお屋敷は周辺の敷地ともども残して貰わないといけません。


建物はよいのだけど周辺環境がどうもねぇ…という感じの小笠原伯爵邸

それゆえ、美術館として敷地ともども残った旧朝香宮邸「東京都庭園美術館」や公園内に文化財として残っている前田侯爵邸、古河庭園、上野の旧岩崎邸はいい形で現存している建造物だと思いますね。でも旧朝香宮邸も年に何回かの特別公開の折には、かつて宮家で使っていた家具や装飾品、絵画や調度品がそのまま配置されたりするようだともっと素晴らしいのだけれどねぇ、と思わずにはいられません。そこまで望むのはムリってものだとは分かってますが、やはりガランとした部屋だけを見ていくと、どことなく物足りなくなってしまうんですわね。この辺がお屋敷見学のジレンマな面でもあります。
ともあれ、建物のみならず周辺の環境もお屋敷を構成する重大な要素。建物だけ残ればいいってもんじゃないのでございます。でも、敷地から完全に残っている場合は財閥の強力なバリアが張られて容易に中を窺う事はできないし…。旧鳩山邸みたいに「どうぞどうぞ」って感じで一般公開されてると、却ってあまり見たくなかったりもしちゃうし。
全くもって、趣味的建築探偵にとっては痛し痒し。
でも、「内部を見たい見たいと思いつつ、なかなか見る事ができない」というのが実は至福の状態なのかも、と思ったりもするkikiでございます。

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コメント

  • 2011/02/01 (Tue) 01:43

    明治や大正期に生き、そこで暮らした人の息遣いが感じられる洋館なら見てみたいです。

    しかし、日本てほんとうに勿体無いことしますね。文化的な遺産よりも金儲けですか?私が金があったら買い取るんやけどな。

    私は京都に住んでいるんですが、祇園の花見小路の裏あたりを
    あるいていても、ドイツ風か?と思うような和洋折衷な家があったりします。色に制限があって変わった壁の色や建て方はできないという条例があるようなんですが、別に日本風じゃなくても良いようです。正直がっかり。嵐山に最近できた本屋は英国風。レトロなおもちゃ屋さんだったんですけどね~。

  • 2011/02/01 (Tue) 23:52

    mogomogoさん、そうなんですよね。日本は平気で貴重な建物をボンボン壊しちゃう文化だったんですよ。バブル期までは。ここ15年ばかりはまるきり壊すんじゃなくて、元のを活かそうとか、一部活かした形でリフォームしようとかいう流れになってますけどね。昔はただぶっ壊して新しいもん建てよう!というだけでしたからねぇ、全くもう。お金があったら本当に買って保存しておきたい建物が随分なくなってしまいましたわ。
    mogomogoさんは京都にお住いですのね。いいじゃないですか、京都。やっぱり好きなので2年に一度の割で訪れますよ。でも京都こそは、そのまま街並みを残しておけばいいのに、けっこう冒険しますわね。なによりまず京都タワーがいかんのね。京都駅と駅前の開発はもうあのへんでやめておかないとね。もっと早く条例作って景観を守るべきでしたけど…。かくなる上は、残ったものを出来るだけキープしませんとね。

  • 2014/06/19 (Thu) 06:03

    はじめまして。
    開東閣は三菱グループ主要約30社の部長職以上に、陽和洞は役員以上が利用出来るようですよ。特に陽和洞は、外装、内装とも当時の姿を忠実に留めているとか。
    両方行った人の感想では、社交場というより、施設の大きさや構想の壮大さに畏敬を感じて、三菱精神と誇りを体感できる、啓発教育の場という雰囲気も色濃いそうです。

  • 2014/06/21 (Sat) 18:28

    buddyさん はじめまして。
    やはり三菱グループ関係者で、ある程度偉くならないと入れない建物なんですよね。開東閣は内装がオリジナルじゃないので、外から外観を観るだけでもいいかな、という感じですが、陽和洞は一度、見学したいものだと切に思っております。が、三菱の役員とコネでも作らないと無理ですねぇ(笑)
    確かに、三菱精神の啓発教育にはおおいに使えるでしょうね。その権化みたいな建物ですし。

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