似たもの同志 シシーとルートヴィヒ



先日、デジタルリマスターで久々にヴィスコンティの「ルートヴィヒ 完全復元版」を見た。撮影も綺麗だけれど、ワグナーを主体とする楽曲(殊にローエングリン)から、いいところをうまく編集してロマンティックに流れてくる音楽がとても耳に心地よく、何かをやりながら映画を流して音だけを耳にしていても楽しめる映画だな、と思ったりした。ワタシはどうしてもこの映画でエリザベートを演じているロミー・シュナイダーがエリザベートに全く似ていないのでミスキャストな気がするのだけど、その細いウエストだけは唯一シシーっぽいかもしれない。
この二人だけが美貌に恵まれていたのか、そもそも美貌の家系なのか(多分こっちでしょうね)、共にバイエルンのヴィッテルスバッハ家の出身であるエリザベートとルートヴィヒは何枚もの肖像画を描かれるにふさわしい輝かしい美貌の持ち主で、目元や、口角の上がった上品な口元など面差しもよく似ていると思う。美青年をしか愛さなかったルートヴィヒが、唯一人心を許した女性がエリザベートだった。

年齢はオーストリア皇后になったエリザベートの方が8歳年長。空想好きで気まぐれで、堅苦しい生活や義務を嫌い、経済をかまわない猛烈な浪費家で、現実から逃避し、「隠遁する夢想家」ともいうべき生活を送った点でも、この従姉弟たち(正確にはエリザベートにとってルートヴィヒは従兄の息子にあたるらしい)は似ている。さまざまの面倒な事がわだかまる現実に対処していく忍耐力も気力もなく、我儘で身勝手な夢想家だっただけで、王族として特に立派な事をしたわけではないにも関らず民衆には人気があり、そのドラマティックで短い人生と、何といっても、その輝かしい美貌によって全てのマイナスは覆い尽くされて甘美な翳りと彩りとなり、「悲劇」と「美貌」という2つのファクターの相性の良さもあいまって、二人とも歴史上に「ロマンティックな困ったちゃん」的存在として強い印象を残す事となった。二人とも、自分とは正反対の絶対的な存在を熱烈に崇拝していた点でも似ている。エリザベートはマリア・テレジアを、ルートヴィヒはルイ14世を。
到底届かない遠い憧れの星として…。

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エリザベートはルートヴィヒの伴侶に自分の妹ゾフィーを推すが、ルートヴィヒが婚礼を何度も遷延した挙句、ついに断ったために絶交した。映画では、その後ルートヴィヒが建てた3つの城を順繰りに見て廻ったエリザベートが最後にリンダーホーフ城を訪れたのに、ルートヴィヒは醜く太って変貌した自分を恥じて会おうとせず、踵を返して城を去るエリザベートの姿を遠く眺めつつ、「エリザベート…エリザベート…」と部屋にこもって慟哭するシーンが切ない。このシーンでロミー・シュナイダーのエリザベートは黒い衣装を着ている。エリザベートは一人息子の非業の死以降、死ぬまで喪服しか着なかったらしいのだが、ルートヴィヒの在世中にはまだ息子は生きていたので、このシーンの黒い衣装は喪服というわけではないのかもしれない。完全版で観ると、ノイシュヴァンシュタイン城の未完成の階段室を侍女を従えたエリザベートが歩くシーンがある。鏡の間を模した大広間を見物するシーンは「ルートヴィヒ 神々の黄昏」にも入っていたかと思うのだが、階段室の階段を登るシーンは無かった気がする。完全版は「神々の黄昏」より1時間程度長いので、ところどころ初めて観るシーンが挟まってくるのと、シーンの流れが「神々の黄昏」よりも分り易い編集になっているのが興味深かった。つけ足しただけかと思いきや、暗殺されたエリザベートがベッドに横たわっているシーンなどは完全版から消えていたように思う。


ベルサイユのそれを模した華麗な階段室はガラスの天井を持つ


黒い衣装のエリザベート ロミー・シュナイダーが何故エリザベートなのか…

人前に出るのを嫌い、孤独を好み、何よりその美貌を謳われたという点ではワタシの中でエリザベートはどことなくグレタ・ガルボとイメージが被ったりする。別に顔が似ているわけではないが、長身で美貌なれども気難しく人嫌いで人目を避ける女、というところで世間に与える印象がミステリアスかつロマンティックな点で共通しているかもしれない。
ガルボは「クリスチナ女王」で王族を演じている。故国スウェーデンの男装の女王の役で、それなりには合っていたと思うけれど、ワタシがその時代にMGMでプロデューサーをやっていたら、ガルボがエリザベートを演じる企画を立てたかもしれない。なおも勝手な注文をつけると、活躍時期がずれているから実現は不可能だけど、ガルボのエリザベートをヴィスコンティが監督した作品が観てみたいなぁ…などと思ったりもする。



ちなみに、ガルボ自身もエリザベートに共鳴するものはあったらしく、ジャン・コクトーの「双頭の鷲」には珍しく自ら出演を希望し、セシル・ビートンがプロデューサーのアレクサンダー・コルダにもちかけて実現寸前まで行くのだが、結局出演は叶わなかった、というエピソードがある。エドウィジュ・フィエールが素晴らしかった作品だろうと思うので、今更なんだけれど、ガルボ版も見てみたかったという気持ちがファンとしては抑えがたい。

ルートヴィヒは、ヘルムート・バーガーが一世一代の熱演で、はまり役なので文句なし。それにしても、ヴィスコンティの映画を観ていても、こんな自分の趣味にだけ巨額の国費を投じて、王としての義務には背を向け、現実から徹底的に逃げとおして、白鳥の騎士の夢ばかり追っている男色の王様なんて、家臣からしてみたら本当に困っただろうなぁ、と思う。時代は19世紀。王制が揺らぎ、変容する激動の転換期にあって、建築と音楽と芝居にうつつを抜かし、移り変わる世の中に対応していこうという意欲も気力もない王というのは実際、困るでしょうね。嫌にもなっちゃいますわね。


ご存知、ヘルムート・バーガーのルートヴィヒ

実際にはどうだったか分からないけれど、精神異常というレッテルを貼ってでも禁治産状態にしないと国が危うい!と思ったとしてもムリはないと思われる。ほとほと手を焼いたんでしょうねぇ。若い頃の写真や肖像画をみると、確かにとても綺麗なのだけれど、見開かれて一点をみつめる目つきが、ちょっと常人とは異なる空気を醸し出しているような気もする。平たくいうと、なんかイっちゃってる感じの目つき、である。やっぱり…。



ルートヴィヒは「僕は他人にとっても自分にとっても、永遠の謎でありたいのだ」とのたまったそうだけれども、確かに誰にも理解はされなかったに違いない。でも、エリザベートと違って、ルートヴィヒが残したものは擁護したワグナーの音楽といい、巨費を投じてほとんど使われなかった3つの城といい、後世、立派に存在意義を誇っている。殊に王の死後、ふた月を経ずして一般公開されて今日に至るノイシュヴァンシュタイン、ヘレンキムゼー、リンダーホーフの3つの城は、莫大な浪費が転じて、貴重な観光資源と化してバイエルンの財政を潤し続けている。狂王死して城を残す。とことん趣味を極めればマイナスが大いなるプラスに転換するという好例かもしれない。

コメント

  • 2011/02/03 (Thu) 10:39

    kikiさん朝から失礼します。
    ノイシュバンシュタイン城。外から見ると本当に綺麗なんですが、内部は異様にギラついた趣味で、ルードウィッヒが常人でないことを嫌でも教えてくれるものでした。(恥ずかしい余談ですが・・お手洗いに行きたいのに、ココの有料トイレが汚く、使わず我慢して見ていたので、なんか落ち着かなかったこともあります)

    エリザベートはまともな躾もされずに育ったようですが、それは美化されていますよね。教養もなく美貌だけが取柄のじゃじゃ馬でしたし、自己愛の強さ、自己評価の高さはルードウィヒと被ります。それならフランツ・ヨーゼフはどうなんだ、と思ってしまいます。父を飛び越え18歳で皇帝になってからずっと、1日3時間しか睡眠をとらずに激務にあたっていたとか。母に頭が上がらなかったとしても、育ちが普通の人ではないわけですし、非難されるようなことでもない。

    ロミー・シュナイダーは少女期にシシィ役で大スターになりましたが、シシィのイメージがずっと付き纏って、大人のスターになるのに苦労しましたね。シシィのイメージは美しき都オーストリアを象徴していますが、やっぱりどこか悲劇的な寂しさを感じます。ロミーは彼女と一緒に、そのイメージを引きずりながら生きてしまったんじゃないかと、私は深読みしておりますが。

  • 2011/02/03 (Thu) 22:58

    mogomogoさん。
    ルートヴィヒの作った城は、非常に端正で豪華なのだけれども、実際に観てみたいという気がしない城なんですわね。城の特集番組で3つの城が紹介されて、内部も紹介されてましたが、住むために作った城じゃないなぁ、という感じですわね。何かもう息苦しくなりそうな、ね。常人が思いついた城じゃないって空気は、想像がつきますわ。

    そういえば有名なベルサイユも一応、見に行ったけれどもつまらなかったなぁ。何も感興がなかったですね。建築としてだったら、アール・デコやアール・ヌーボーの建物をパリの街中で見ている時の方がよっぽど嬉しいって感じでした。

    ロミー・シュナイダーの「プリンセス・シシー」はそれこそLaLaか何かで放映された時に見た事がありますが、目と目が離れているのは昔からだし、シシーって言われても…な違和感は拭えないままでした。ドラマの出来も平板な感じだったし。ただ、欧州では今だに人気のある番組だそうで、クリスマスになると流れるらしいですね。確かにロミーはそのイメージからずっと逃れられなかったのかしらん…という気配はあります。当り役を持つというのも両刃の刃で辛いものかもしれません。

    エリザベートは、美人じゃなかったら非難轟々だったかもですが、悲劇的な最期で帳尻が合っているのかもしれません。フランツ・ヨーゼフも器量好みだけで結婚したために一生の不作だったということで(笑)

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