「ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士」  (LUFTSLOTTET SOM SPRANGDES)

~そして自由を手に入れた~
2009年 スウェーデン/デンマーク/ドイツ ダニエル・アルフレッドソン監督



ミレニアム・シリーズでは、昨年夏「ドラゴンタトゥの女」をビデオ・オン・デマンドで観てから原作に興味が湧き、図書館に予約を入れたものの、1作目のドラゴンタトゥは大人気でさっぱり順番が廻ってこぬため、2作目、3作目の原作を先に読んだ。ワタシは2作目の原作を殊に面白く読んだ為、その秋、ちょうど連続封切りになった2作目「火と戯れる女」、3作目「眠れる女と狂卓の騎士」のうち、順序としてまず2作目を渋谷シネマライズに見に行った。ところが、原作を先に読んでしまった弊害でか、筋をなぞっただけの凡庸で平板な映画という印象が強く、興がそがれて、出来れば行きたくない渋谷に行ってまで3作目を観る気がなくなってしまった。それから約3ヶ月。このほどビデオ・オン・デマンドに3作目の「眠れる女と狂卓の騎士」が入ってきたため、一応シリーズの完結だし、どんな事になっているのか見てみようか、ということで観賞してみた。
梗概:宿敵ザラとの直接対決で瀕死の重傷を負ったリスベット。ミカエルによって発見された彼女は、一命は取り留めたものの、厳重監視の病室で外部との接触さえも困難な状態に置かれてしまう。そんな中、亡命スパイのザラを利用して数々の犯罪に手を染めてきた秘密組織が、国家的スキャンダルを闇に葬り去ろうとリスベットはじめ関係者の口封じに動く。そして彼女の運命を狂わせた精神科医ペーテル・テレボリアンと共謀し、リスベットを精神病院送りにするべく狡猾に立ち回っていく。対してミカエルは、妹でもある敏腕弁護士アニカ・ジャンニーニ、リスベットを雇用する警備会社社長ドラガン・アルマンスキーら彼女の数少ない理解者たちを総動員して“狂卓の騎士”を結成し、巨悪に立ち向かっていく。そしてついに、舞台は法廷での全面対決の時を迎えるが…。(all cinema onlineより)

結論から先に書くと、これは面白かった。原作を読んでから少し間があいた事もあるかもしれないが、原作を先に読んでいてもなお、3作目は面白く観ることができた。監督もスタッフ・キャストも殆ど同じ2作目と3作目で何が違うのかというと、脚本家が違うのである。同じ監督でも脚本の出来によって演出のリズムも変ってくるのだろう。今回は映画がピリっと引き締まっていて、ところどころメリハリが利いており、リスベット役のノオミ・ラパスも「そうこなくちゃね」とニヤニヤしてしまうぐらいに目力充実でハマリ役のオーラを存分に放っていた。

また、1作目ではリスベットの世話になるばかりでしまりない事夥しかったミカエル(ミカエル・ニクヴィスト)が、2作目からはなかなか活躍するようになり、3作目では遂にリスベットに恩返しをするほどに活躍するのも見ていて楽しい。オッサンがいつまでも小娘に助けられてばかりじゃ、しまらないものね(笑)



原作には警察内部の人間模様とか、闇の組織「班」に関った人間について、例によってあれこれと書かれているのだが、警察関連の人間模様については殆ど割愛し、焦点を絞って上手く脚色していると思う。やはり脚本家が良いのだろう。もっとも、このシリーズは映画として公開されたもの以外に長い完全版というのがあって、それは劇場公開版ではカットされたこまこまとした原作に従ったシーンが全部入ってくるような感じだ。だから劇場公開版については脚色よりも編集が作品の出来を左右するといえるかもしれない。

公安警察内の非合法組織「班」については、原作を読んでからけっこう経っているので細かい事は忘れてしまったのだが、あぁ、そういえばそんな名前が出てきたな、という感じで、映画を観ながら追確認。まぁ、どういう人間がいて、どういう位置関係で、などという事はあまり知る必要がなく、要するに、亡命スパイ・ザラチェンコから情報を引き出しつつ庇護してきたグループで、その表沙汰に出来ない過去に含まれるリスベットを世間から葬り去りたい連中である、という事が分かれば問題はない。

3作目で印象的なのは脳に銃弾を喰らったリスベットを手術する医師ヨナソンのキャラクター。ちっぽけな小娘のくせに背中一面にドラゴンのタトゥがあり、実の父親の脳天に斧をブチこんだ殺人未遂容疑に問われており、治療が済めば警察に引き渡される事になっているが、淡々とクールで何物にも動じない黒髪でやせっぽちの小柄な女リスベットに、人として好奇心と漠然とした好感を持つアンデルス・ヨナソン医師を演じるアクセル・モリッセが、明るいまなざしとユーモアのある表情で好演だった。



手術後暫くはひたすらに眠り、回復し始めるとリハビリを始めつつ、周囲の誰にも心を開かないリスベットが、理解を示すヨナソン医師には無愛想ながらも微妙にコミュニケーションに応じようとする様子(「背中の刺青はスゴイね、なんでいれたの~」と訊かれ、それには答えないものの、寝巻きを脱いで背中のタトゥを一瞬、医師にみせる)がなかなか良い。ピザの差し入れを嬉しそうにがっついて食べるシーンもかわいい。それにしてもリスベットは悪運が強いね。九死に一生を得た上に、人間的な温かみのある理解者がたまたま主治医になったりして。この医者が官憲の言うなりになるタイプだったり、リスベットに好感を持たなかったら、リスベットはどうなったか分からない。リスベットがいかに超人的でも一人で出来る事は限られており、今回の彼女は、彼女に親近感を持つ男たちに幾重にも助けられ、守られて晴れて自由の身になるのである。



今回のノオミ・ラパスは1作目のリスベットと再び印象が繋がった感じ。無口なリスベットなので台詞は多くないが、無言でいながらも無表情の顔の中でその目だけが非常に強力に雄弁に彼女の気持ちや意思を伝えてくる。ラパスはリスベットになりきっており、その容姿のみならず、感情表現においても、まさに彼女以上のリスベット役はいないと思う。今回は目の表情で感情の動きを伝える演技が実に秀逸で、病床に差し入れられた携帯端末からミカエルのボイス・メッセージが聴こえてきた時の何ともいえない嬉しそうな顔や、ミカエルの妹アニカに、裁判後に何か一言言おうと思うのだが、どうしても言えずに別れを告げるシーンなども、リスベットの心の動き、たゆたいやためらいが手に取るように分った。



2作目では似合わないロングヘアで顔の欠点が強調されていた観のあるノオミ=リスベットだが、今回、退院して検察に引き渡され、独房に入れられるまでは落ち武者みたいなザンバラ髪でいて、公判が始まる際に、長い通路をモヒカンに黒レザーの上下、ジャラジャラとしたシルバーのアクセサリーにピアス満載、パンク化粧で颯爽と登場するリスベットには、「主役登場のカタルシス」が溢れ、スウェーデンではさぞかしこのシーンで観客が盛り上がったんだろうねぇ、などとニヤニヤしながら、花道をゆくリスベットを眺めた。


花道を行く千両役者のように、法廷に通じる通路を歩くリスベット

ミカエル・ニクヴィストのおっさんミカエルも、今回はモタモタしていず、割に行動がシャープで存在感がある。映画を観ながら原作を思い出していく感じの観賞だったので、そうだった、そうだった、と思いつつ、リスベットを救うため(同時に彼が計画している「ミレニアム」最新号がバクハツ的に売れる事も確信しつつ)奔走するミカエルを微笑ましく見守った。
また、ミカエルの妹でDVに強い弁護士アニカを演じるアニカ・ハリンも原作からイメージした通りの雰囲気で適役だった。それにしてもミカエルもアニカも演じる俳優の名前と役名が同じというのは故意か偶然か。



ミカエルがリスベットの為に協力を依頼する「狂卓の騎士」のメンバーには、雇い主だったセキュリティ会社の社長アルマンスキーや、彼女の脳を手術したヨナソン医師、ネット社会での仲間・疫病神(プレイグ)などの他に、リスベットの最初の後見人だったホルゲル・パルムグレンも入っていたように思うのだが、そのへんは映画では割愛されたのかもしれない。これらは数は少ないが、リスベットを理解しようと務め、その驚異的なIT能力や頭脳の明晰さとともに不屈不撓の精神と肉体に感嘆し、誰にも甘えない、誰にも頼らない女だからこそリスベットに手を差しのべたくなるという点で共通の心情を持つ男達である。リスベットを上回る天才ハッカーだがデブの臭い引きこもりであるプレイグが、3作目ではリスベットの為に部屋の外に出て彼なりに活躍するのも見ていて楽しい。
体洗ったか~プレイグ。



尚、原作シリーズでの些かゲンナリな設定として、作者スティーグ・ラーソンの痛い願望により、ミカエルは40代のジャーナリストで有名人であり、ハンサムで、闇雲に女にモテモテ、というのがある。とにかく、ミカエルが出会う女という女がどんな立場の幾つの女であれ、皆、ミカエルにコロリと参って、自分からベッドに誘ってしまう、という展開になっており、3作目でも、確か原作では女性刑事のソーニャ・ムーディグがやっぱりミカエルにメロメロになってそういう関係になってしまうという余計なシーンがあるのだが(映画ではそのへんはバッサリと割愛されている。ふぅ)、なんかもう、気恥ずかしいですね。こういうモロに作者の願望があからさまな形で出されるというのは。


おっさんミカエル なぜにそんなにモテるのか…

これは大藪春彦の描くバイオレンス小説の主人公が、全て作者の叶わぬ夢の投影であり、こうありたかったが、けしてなれない人物を熱情をこめて描く事で叶わぬ夢を相殺するという作家的マスターベーションであるのと同様の事例である。同じことは林真理子にも言える。「不機嫌な果実」や「花探し」の、美人でプロポーション抜群、思うさま女力を発揮しつつ生きていくヒロインは一目見ると男が必ず彼女に夢中になってしまうような設定になっており、作者の永久に叶わない憧れの投影である。スティーグ・ラーソンにとってのミカエル・ブルムクヴィストは、まさに大藪春彦にとっての伊達邦彦であり、林真理子にとっての村西舞衣子だと言えるだろう。Nobody's Perfect. 欠点やコンプレックスはしばしば作品を生み出す重要な動機になる。平凡で地味な容姿の1ジャーナリストだったスティーグ・ラーソンがパートナーの女性とともに、意外なまでに数多く、深刻な社会問題でもある「男性からの暴力に曝されつつ耐えている女性」のために世に送ったメッセージがミレニアム・シリーズであり、男の暴力に屈しない不屈のヒロイン・リスベットがそこから誕生した。リスベットを介添えする存在としてのジャーナリスト・ミカエルに、ラーソンが自身のささやかな願望を幾らかしつこく投影しても、それには目を瞑ってあげるべきなのかもしれない。

コメント

  • 2011/02/07 (Mon) 17:19

    kikiさん、ちょうど同じタイミングで私は2と3を鑑賞したところでした。ほぼ続けて見た感じなので、今思い出しても要点だけしか浮かんで来ないですが・・・。
    原作とは確かに大きく変えている点もいくつかあったけど、あれはあれで正解だったですね。話がいろんな方向に飛ばなくてよかった気がします。
    私のイメージの中では、プレイグってもう大巨漢で動けません、ってイメージだったので(ギルバートグレイプのお母さんみたいな)あんなに普通っぽい体格でやせてるなあ、なんて。
    リズベットがお父さんが死んだとわかった時に見せたにやりとした微笑みがよかったです。

    原作を読んでから随分経っているので、もう一度読みたくなりました。

  • 2011/02/08 (Tue) 07:45

    Sophieさん。同じ頃ご覧になったざんすか。
    いま、2と3が映画チャンネルとかに降りてくる時期なのよねん。ワタシは劇場で2を観たので、今回はおうちで3を観ましたが、原作を読んで時間がたったせいで、3は面白く感じました。2はほんとストーリー的には怒涛の展開で面白いはずなのに映画はすごく平板に思えたのよね。知らないうちに妙に期待しちゃってたのかな(笑)もう一度観たら少し印象が変るかもだけど。プレイグ、顔は普通だけど、体はかなりドボチョンな雰囲気にはなってましたわよ、一応。でも、確かにもっとデブデブな雰囲気ですね、原作では。動かれぬ!って感じの。
    そして、そうそう、リスベットのあの抑えきれないって感じのほほえみ、印象的でしたね。他力本願だけど、やったぁ!って感じのね。

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