「ヒア アフター」 (HEREAFTER)

~それぞれの癒し~
2010年 米 クリント・イーストウッド監督



イーストウッドの監督作品とはあまり相性のよくないワタシなのだけど、これはトレーラーを観て少し引っ張られるものがあったので観に行くことにした。いつものイーストウッド作品とは味わいが異なる作品。マット・ディモンは繊細な演技も上手い。舞台がパリ、ロンドン、サンフランシスコと三都市の三人を巡る展開なのもイーストウッド作品に新鮮な印象をもたらしたと思う。話の展開はある程度予想がつくのだが、語り口の上手さで最後まで引っ張られた。
冒頭、東南アジアでバカンスを楽しんでいたフランス人ジャーナリストのマリーが大津波に巻き込まれるシーンのリアルさから、まず映画に引っ張りこまれる。傍から災難を眺めているのではなく、当事者目線のカメラに臨場感が溢れている。アレヨと言う間に海から大波が押し寄せて全てを飲み込み、なぎ倒しながら迫ってきたらただ逃げるしかない。逃げても結局は流れに飲まれて流されていくしかない。どこから何が流れてきてぶつかられるか予測もつかない。そんな流れの中では何がこちらに流れて来てもよけようもない。あぁ、こういう場合には、どうする事もできずに、ただ流されていくしかないんだろうなぁ、そういうものなんだね、とやけにリアルに実感できた。



波に飲まれて溺れ、臨死体験をしたジャーナリストのマリーはその時に垣間見たあちらの光景が忘れられずに、辛口でバッサリとゲストを斬る筈の、自身がキャスターのTV番組でもボヤっとして役割を果たせず、やんわりと降板を促される。番組を休んで本を書く事にした彼女だが、休んでいる間に仕事も恋人も失ってしまう。マリーと恋人のディレクターがディナー・デートをするシーンにはふんだんにおフレンチなムードが流れて、ハテ、どこの国の映画を観てたんだっけ~と思ったり。到底イーストウッド映画とは思われない。今回、ワタシが新鮮な気持ちでイーストウッド映画を観られたのは、パリとロンドンのロケによるヨーロッパの雰囲気が心地よく感じられたせいだと思う。

マット・ディモンも良かった。当初は、なんでマット・ディモンがサイキックよ~とも思っていたが、登場して台詞を言い始めたらあっという間に違和感は消えた。初めて「そうか、上手いのね」と実感した。マット演じるジョージは、ずっとサンフランシスコで暮らしている。病気の手術で臨死体験をしてから、望んでもいないのにあちらと繋がるようになってしまい、他人に触れると相手の抱えている亡き人への想いや秘めた過去が見たくもないのに見えてしまう。その事に心底疲れ果てているという感じがよく出ていた。見たくもないものが見えてしまったらさぞ疲れるに違いない。他人に触れると防ぎようもなくそれらが雪崩れこんでくるなんて困るだろうと思う。オンとオフとを自分の意志で切り分ける事ができないのだ。いつとしもなく自分の中に降り積もって行く他人の人生の、その重さに耐えかねて交霊の世界と縁を切り、工場勤務をしながら、週1回の料理教室に通うジョージ(マット・ディモン)。教室でペアになった女性と、目隠しをして、互いに色々な食材を食べさせ合うシーンはひっそりとエロティック。ここぞとばかりに有名どころのアリアもBGMに流れる。「じゃ、口を開けて」なんて静かに言いつつ、目隠しした女子の口にスプーンで食物を含ませるマット・ディモン。(イタリア料理教室だからってこんな授業やるんですのぉ~)妙にセクシーである。このシーンのマット・ディモンは良い。初めて男子として魅力的に見えた。
ただ、いやがるジョージにムリに交霊をさせた挙句に人生を底の底まで知られてしまい、彼の前から姿を消す女性は、そんなに知られたくない過去があるならしつこく迫らなければいいに、自業自得だよ、と思った。



パリのシーンとマット・ディモンだけでは映画にさほど引っ張れる事もなかったと思うのだが、ロンドンの双子の少年のエピソードがこの映画の核である。本作は巧みな編集で、パリとサンフランシスコとロンドンとを並行に描いていくのだが、ロンドンに場面が切り変わると、パリのシーンとも、シスコのシーンとも異なる空気が流れ出す。ヤク中の母との母子家庭で、生活保護を受けながらもグレもせず、助け合って暮らす双子の少年、マーカスとジェイソン。12分先に生まれたジェイソンが兄、マーカスが弟。口が達者で面倒見のいい兄に頼りきりだったマーカス。だが、彼に代わって母の使いに出たジェイソンは事故で還らぬ人となってしまう。ヤク中の母がふらふらしているだけの不安定な生活でも、どうにかやってこられたのは兄弟で助け合って来たからなのに…。どうすればいいかいつもテキパキと指示してくれた兄はもうこの世に居ないのだ。



貧しい人が次から次に葬儀のために訪れる教会で、あまりにアッサリとジェイソンの葬式は終わり、あまりにアッサリとジェイソンは灰にされてしまう。一人骨壷を抱えて教会を去るマーカス。彼の気持ちは察して余りある。母は更正施設に入る事になり、マーカスは里親に預けられることになる。里親は良心的で、家にいるよりマシな生活を送れるようになるのだが、マーカスの心はひたすらにジェイソンを求めて彷徨う。もう一度、兄と話したい。ずっと一緒に居て欲しい、と。兄と話がしたくて自称霊能者を訪ね歩くマーカスだが失意は重なるばかり。藁にもすがるとはこの事だが、すがりようもない藁ばかりなのが辛い。そんなマーカスが兄の死以来被り続けている帽子が落ちて、地下鉄に乗りそびれたシーンは、ドッカーン!で驚いた後に、じんわりとする。 イーストウッド、やっぱり上手いのか。ロンドンのマーカスのシーンでは久々に映画を見ていて時折涙した。たまに少し泣くのは目のために良いらしい。



臨死体験を伝えたいマリー、交霊に疲れたジョージ、再び双子の兄としゃべりたいマーカスが、いつ、どこで、どうやって接点を持つのか、と思いつつ見ていたが、ロンドンのブックフェアにぎゅーっと収斂していく手際はなかなか。…なるほどね。子供はそうオイソレと外国に出られないしね。ジョージがディッケンズの愛読者であるという伏線も早い段階からちゃんと張られている。ジョージが至福の表情で聞き惚れるディッケンズの「リトル・ドリット」の朗読会シーンで、デレク・ジャコビがジャコビその人として登場している。

*****
この映画のテーマは「癒し」なのだろうと思う。パリのマリーは自分の臨死体験を本に書き、それを分かち合える相手に出会えた事で癒しを感じたのだろうし、ジョージは他人の人生の重さや喪失感を抱え込むのではなく、死者のメッセージを伝える事で、受け取った人間が癒される事に力を得る。マーカスは兄からのメッセージを受けて癒され、人生を覆う喪失感から解放されて新たな一歩を踏み出す事ができるようになるのだ。
疲れ果て、失意の果てに、もう終わったと思ったところから新たに始まる。
それが人生なのかもしれない。



人は死んだらどこへ行くのか。来世はあるのだろうか。死んだら、ただ無なのではなく、死者はこの世の何ものからも解き放たれてふわふわと平和に過ごしているのだろうか…。ワタシにはやはり、来世はあるとも無いとも分からない。あるかもしれないし、無いかもしれない。それは死んでみないとわかるまい。生きている間はわからないのだ。それでいいと思う。
ただ、来世があるのか否かとは別に、近しい人を亡くした喪失感は、しかるべき時間を経て、もう二度と会えないという隔てられたものではなく、亡くなった人を自然に自分の内側に感じるようになるという心理的な作用はあると思う。時の癒し効果で心の中にその人の収まるべき場所が定まる。それは亡くなった人が生きている人の中で新たな生命を得たという事かもしれない。

マーカスが一歩を踏み出すシーンで終わっていた方が良かった気もするけど、ずっと一人で他人の人生の澱みにあえいできたジョージにもちっとぐらい春が来たっていいかもしれない。イーストウッドにしては甘っちょろい(ロマンティックと言うべきか)ラストだが、たまにはそういうのもアリ、という事で。

コメント

  • 2011/02/25 (Fri) 12:34

    ほほぉ、kikiさんの記事を読んで急速に見たくなって来ました。
    イーストウッド翁の映画はどれも辛そうで、良いんだろうなぁ、と思いつつ避けていました。(『チェンジリング』なんて、子持ちの身としては想像しただけで気が狂いそう(苦笑))でも、これなら行けそうです。
    マット・ディモン、ちょっと見ないうちに何か老けてませんか?わざとそう見せている?
    これから映画関係はラプンツェルと仮面ライダーの予定が入っているのですが、何とか時間をやりくりして見に行かねば!です。

  • 2011/02/25 (Fri) 22:07

    xiangさん。いつものイーストウッドのノリが好きな人には物足りないのだろうけど、いつものノリがダメな人(ワタシなどもそうですが)には見易いイーストウッド映画だったと思います。少々甘っちょろくて予定調和ではありますが。語り口がワタシ的には好ましく感じましたね。同じくイーストウッドがいつものノリでなく作った映画「インビクタス」は、見ていてアクビもので、こんなゆるいもん作ってヤキが廻ったわね、と思ったのだけど、本作はキライじゃなかったですね。ユルイという事においては「インビクタス」と似たようなものなんだけど(笑)
    マット・ディモンは確かにちょっと老けてましたね。髪も白髪が混じってたし。役作りで少し白髪を混ぜてたのかしらん。素かしらん。ふほほ。

  • 2011/02/27 (Sun) 19:27

    kikiさん

    今日観て来ました。早速続きを開けて読み、コメントします。
    長いけどだれることなく観る事ができました。町のちんぴらのでてくるところ、ヤク中のお母さんの場面ではああ、どろどろと重苦しい描写になるかと思いましたが、そうでもなく、ほっとしました。
    なるほど、あまり死や来世にとらわれず、希望をもって生きたいものですわ。ラストでマットが初めて未来を描いたのがほほえましかったです。イーストウッド、80歳、いろんな意味ですごい監督です。

  • 2011/02/27 (Sun) 21:25

    ふうさん。ご覧になられましたのね~。
    イーストウッドの、いつもの重苦しい、救いのない映画じゃないですわね、これ。そして、そうか、マット演じるジョージはラストで初めて自分のハッピーな未来を思い描けたんですわね。確かにそうだわ。やけに甘っちょろいわね、と思いつつ見ていたので、そういう認識で見てませんでした。あはは。何か別なものを期待していた人には期待はずれだったりするかもしですが、割にシンプルで見易い映画でしたよね。全体の空気感もキライじゃなかったです。でもイーストウッド、次あたりは久々にガツンときそうな感じがしますけどね(笑)

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する