アナスタシア伝説

-ロマノフ王朝、シベリアに果つ-



少し前にナショジオの特集でロマノフ王朝終焉に絡む謎の特集を放映していたのを久々に見て、そういえば欧米人ってアナスタシア伝説がやたらに好きだなぁ、と改めて思った。映画やアニメにもなっているが、有名どころではハリウッドに復帰したイングリッド・バーグマンの第一作めが「アナスタシア(邦題「追想」)」だったりする。この映画はバーグマンも良かったが、パリに亡命していた皇太后を演じたヘレン・ヘイズが良かった。

「追想」

そういえば「英国王のスピーチ」でも、行状を憂慮される皇太子を見て、「ロマノフ王朝のようになったらどうする!」とジョージ5世が嘆くシーンがあったが(ちなみに英国は亡命を求めたニコライ2世の要請を黙殺した)、欧州の王家にとって、民衆の不信や不満が蓄積すると、いつバクハツして革命が起き、何年続いてきた王朝であろうと一朝にして斃されてしまうかしれない、という事が、ロシア革命とロマノフ王朝の終焉ほど骨身にしみた事例はなかっただろう。

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ロシア最後の皇帝ニコライ2世は、日露戦争時のロシア皇帝でもある。欧州の王家はロシアも含めて婚姻により複雑な姻戚関係にあるが、ニコライ2世は英国のジョージ5世のいとこでもある。確かに面差しが似ている。ニコライ2世の妻はドイツから迎えたアレクサンドラ。このアレクサンドラはビクトリア女王の孫に当るが、ドイツ系だったこともあり、国民には不人気だったらしい(なんか顔もゴツい)。この皇帝夫妻の間に生まれた子供は、オリガ、タチアナ、マリア、アナスタシアの4人の皇女と皇太子アレクセイ。ニコライ2世がハンサムだったせいか、子供たちもみな美形だったので、革命前の皇帝一家は国民の好感度が高かったという。


ニコライ2世

皇帝は、美形の子供たちとの家族写真をパブリシティに上手く利用したらしい。表向きのポーズだけでなく子煩悩なマイホーム・パパでもあったようだ。だが4人の娘のあとでやっと生まれた大事な皇太子のアレクセイは美少年だったが血友病で、小さな傷でも血が流れ出したら止まらないため、常に護衛がついて怪我などしないように気を配り、また世間に血友病であることが知られないようにしていた。この大事な世継ぎの血友病に悩んだ皇后アレクサンドラは、祈祷を行う怪僧ラスプーチンを側近として宮廷に引き入れる。悪名高いラスプーチンを側近にした事がロマノフ王朝の躓きの序章だったという感じがする。


皇太子アレクセイ 無事に成長すればさぞかし端正な美青年に育っただろうに…


怪僧ラスプーチン まさに怪僧的面構え

革命前夜の頃、第一次大戦によるドイツとの戦闘でロシアでは400万人が死亡し、国土と国民は疲弊し、飢えが全土を覆った挙句、民衆は怒り、全土で蜂起してロシア革命に突き進む。強大な帝国を治め、巨万の富を持ち、神のごとき絶大な権力を持っていた筈のロシア皇帝は革命の嵐の前になすすべもなく退位させられ、シベリアに近いエカテリンブルグの館に家族と幽閉される。2ヵ月ほどたったある夜、突如として一家は全員地下室に集められ、銃殺隊の前に並ばされた。安全なところに移動するという名目で真夜中に叩き起された皇帝一家を待っていたのは警備兵の銃口だった。皇帝は一斉射撃で処刑される。皇帝ばかりでなく、その家族、専属医師、女中、料理人、従僕も共に処刑された。ただ、皇女たちはコルセットに縫いこまれた夥しい宝石が防弾チョッキ代わりになって一斉射撃では死なず、兵士達から銃剣で刺されたり殴られたりして死に至ったらしい。全く酷い。
皇帝一家と使用人を含めた遺体は硫酸をかけられて森に埋められた。が、ソ連政府はずっと処刑したのは皇帝のみで、家族は生きていると言い続けて真実を隠蔽したために、革命を逃れた遺族の生存説が根強く流れることになったのだとか。

その最も強力なものがアナスタシア伝説。1920年代から30年代にはアナスタシアを名乗る偽者が多数出現した。その裏には、革命の影がさし始めた頃、皇帝が莫大な資産を海外の銀行に分散して預けたため、革命後、遺産は受け取り手もないまま手付かずになっていたという事があった。ホンモノと認められれば、その莫大な財産を手中にすることができるのだ。というわけで、史上最も有名な「なりきりアナスタシア」が登場した。アンナ・アンダーソンという女性である。


アンナ・アンダーソン

彼女は1920年にベルリンで自殺未遂を企てた記憶喪失の女性だったが、年格好や風貌から周囲がアナスタシアではないかと言い出し、本人もすっかりその気になって自らそう信じ込んだらしい。このアンナ・アンダーソンはロシア皇室関係者しか知らない事柄を知っていたり、アナスタシアと共通する身体的特徴があったりしたので、彼女を信じる熱烈な支持者を多数持ち、死ぬまでその真偽について論争され、裁判で争われた。このアンナ・アンダーソンのなりきりアナスタシアぶりがあまりに有名だったので、その存在をヒントに映画も作られ、アナスタシア伝説はより強固に広まったらしい。でも、写真で見ると耳の形はどうかわからないが唇や鼻の形などはまるで違うし、可憐だったアナスタシアがオトナになってこんな顔になるかしらん。見るからに違うじゃないの、という感じがするけれど、アンナをアナスタシアだと信じる人が多かったのは、そのなりきりぶりがかなりのものだったのに違いない。


皇女アナスタシア

ちなみにアナスタシアをよく知る皇太后は、アンナにけして会おうとしなかったらしい。1984年にアンナが死に、彼女がアナスタシアであったのか否かは永遠の謎になるところだったが、1994年になってミトコンドリアDNA鑑定により、ロマノフ王家の人間ではない事が明らかになった。それどころか、ポーランドの農家出身の女性であることも判明したが、そんな彼女がなぜロシア皇室関係者しか知らない事を知っていたのか、自分をアナスタシアだと死ぬまで信じていたのか、などは永遠に謎のまま残された。激しく思い込むと、憑依現象が起きたりするのだろうか。うーむ…。
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バーグマン主演の映画「アナスタシア(邦題「追想」)」では、彼女を一応ホンモノであると、気難し屋の皇太后も認めたというのに、彼女はブーニン(ユル・ブリンナー)と一緒になりたいばかりにその立場を捨てて駆落ちしていく、というメロドラマになっていた。メロドラマでも俳優がいいのでそれなりに見応えもあったし、何よりヘレン・ヘイズの皇太后が「恐怖を感じると咳がでる」というアナスタシアの癖を無意識に出す女(バーグマン)を遂に孫娘だと認めるシーン、また抱き合いながら「たとえあなたがあの子じゃなくても、私には黙っていて」と呟くシーンは印象に残る。ユル・ブリンナーも精悍で良かった。


「マレンカイア!」

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ソビエト共産党時代は封印されていた皇帝一家皆殺しの真実は、ベルリンの壁が崩壊し、ロシアの大統領にエリツィンが就任してから、やっと公けになり、エカテリンブルクの森に人知れず埋められたままの遺体も発掘調査が行われたが、使用人を含めて11体分あるはずの骨は9体分しかなく、子供の骨が2体無い事が明らかになり、うち1体は皇太子のアレクセイで、もう1体はアナスタシアではないかと推測された。年若かった二人が暗殺を逃れて生き延びたのか!と再び20世紀末にアナスタシア伝説が甦った。

森から発見された遺骨のうち5体は、ミトコンドリアDNA鑑定でロマノフ王朝の人々の骨だと分った。このミトコンドリアDNAは母方から受け継がれて、何代たっても変化しないものらしい。ロマノフ王朝の血を引くエジンバラ公も鑑定に協力したとか。残りの2体の行方が知れなかったので、ひとしきりアナスタシア伝説が甦ったが、結局2007年にエカテリンブルク郊外で残り2体の骨が発見され、鑑定の結果、皇太子アレクセイと第三皇女マリアの骨だと分った。 アナスタシアは最初に発見された9体の遺骨の中にいたのだった…。

1918年にシベリアに近いエカテリンブルクの館の地下室で殺された皇帝一家を、20世紀末にロシア正教会は殉教者として聖人の列に加えた。皇帝一家を惨殺した事への罪滅ぼしをしたいという意図の表れだと言われているが、それにしても、100年前の事とはいえ、それまでの君主一家をこうまで無残に平然と皆殺しにする民族というのは、あまりないんじゃなかろうかと思う。あの溥儀だって、清朝の皇帝でなくなった後に満州国皇帝になっていたにも関らず処刑されたりはしなかった。独裁者は民衆の怒りで無残な最期を遂げている例も多いが、独裁者を打ち倒すというのと、何代も国を統治してきた君主を家族もろとも惨殺するというのは、まるでニュアンスが異なる。しかもその遺体をバラバラにしたり、焼いたり、硫酸をかけたりと死後も無残な取り扱いをしているのは、ほとほと心胆を寒からしめる。せめて一番末の皇女が凄惨な虐殺を免れて生き延びていてくれたら…と思ってしまうのは万国共通の人情ってものかもしれない。事実の凄惨さを知るにつけ、映画の「追想」のように、アナスタシアが生き延びて、恋愛に半生を賭けたりできたらよかったのにねぇ、と確かに思ってしまう。
余談だが、誰か一人生き残ったという物語を作るなら、ワタシはアナスタシアではなく皇太子のアレクセイが生き延びて家族の復讐を誓い、血友病を庇いつつもパリの社交界に謎の白皙の美青年貴族として偽名で現れ、あちこちから情報を蒐集しつつ、虎視眈々と復讐の機が熟するのを待つ…みたいなお話を作っちゃうかな。(なんか昔の少女漫画みたいだけど…) また、映画にするとしたら端正なハンサムマンのアレクセイは誰が演じるといいかしらん…なんてつい脳天気な事を考えてしまうのは、あまりに事実が悲惨だと、暢気な空想で補わなければちとしんどい、という心理が働くからかもしれない。

コメント

  • 2011/06/03 (Fri) 00:51

    皇女アナスタシア・・・(わたしは、アナスターシャ、の方がしっくりします)逃れてどこかで生きていたら、と誰しもが思いたいところでしょうね。残念な結末でした・・・。
    遺体については、数年前に解明されてたんですね~知らなかった~(単に私がニュース等見逃してただけかしら)
    ロマノフ皇一家はあまりに酷い最期ですね。ロシアという国は歴史的検地から、どうしても好意的には見れません(バレエは別ですが)。
    第二次大戦時、日本軍の衰退を見計らって参戦、シベリア抑留、未だ返還されない北方領土・・・。
    でもこのロマノフ2世は親日家だったらしいですけどね。
    やっぱりロシアは、きつね、の印象。

    で最後に、「結局はそこかい!」とkikiさんに突っ込まれるのを覚悟して(笑)
    1986年「アナスタシア 光ゆらめいて」なるTV作品がありまして、アレクセイを演じてるのは、なんと、クリスチャン・ベイルなのですよ~! 
    わたしは未見なんですが、有名な猛烈ベイルファンの方のブログの画像で拝見したらば、それはそれは気品ある皇太子殿下なのですよ~「太陽の帝国」の前年だからまだ12歳、涼しげな美少年♪ 
    肝心のお姉さまアナスタシアはそれほど可愛い感じではない・・のですけどね。
    父君のロマノフはオマー・シャリフなんだそうで、ちょっとごついけど、キャスティングとしては豪華だわねぇ、なんて。
    成長したアレクセイ演じるとしたら、はて、誰あたりでしょうねぇ?
    60~70年代のヨーロッパ映画に出てたような雰囲気のある俳優ならばね。

  • 2011/06/04 (Sat) 07:19

    ジョディさん。
    そういえばロシアにはナターシャという名前があるから、アナスターシャという呼び方もするかもですね。まぁ、どっちでもいいかなと思いますが、アナスタシアという表記の方が一般的な感じがします。
    皇帝一家の虐殺は、スターリンの時代に入っていよよ強固に「なかった事」とされ、皇帝の家族まで殺された事は堅く隠蔽されたので、皇帝一家の遺体は何度も掘り起こされて場所を移されたり、硫酸をかけられたりで、発見されたときは骨もボロボロで本当にヒドイ状態だったそうです。ロシア人というのは実にオソロシい民族だと思いましたわ。ロシアや旧ソ連についていいイメージのある日本人なんて一人もいない気がします。卑怯で二枚舌で、腹黒くて、油断がならない、というのがロシアという国に対するイメージではないかと。今だって日本が災害に遭って、政府も弱体なのをいいことに、何を企んでいるか分かったもんじゃありません。日本もボヤっとしてる場合じゃないですわ。近隣に油断ならない国がウヨウヨいますからねぇ…。と現状を憂えたところで本題に戻りますが、なりきりアナスタシアのアンナという喰わせ者については、何故そんなにも周囲が信じ込む程になりきることができたのか実に不思議です。ジョディさんの大好きなベイル氏が皇太子役で出ているというそのドラマですが、all cinema onlineでちらっとチェックしたら、原題は「ANASTASIA: THE MYSTERY OF ANNA」というので、多分このなりきりアナスタシアのアンナについての映画なんでしょうね。ドラマが作られた時期には、まだアンナの真偽がハッキリしていなくて謎のままだったんだろうと思います。オマー・シャリフのニコライ2世はちとゴツイですね。もうちょっと線の細い優しげな人でないと。それにしても、ジョディさんは本当にベイル氏イノチですねぇ。猛烈ファンが主催するファンブログがあって本当に良かったですね。うふ。

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