伝説は自ら創る -フランク・ロイド・ライト-



先日、WOWOWで「たてものがたり」というドキュメンタリーを観賞。その回のテーマはフランク・ロイド・ライト。彼の建築と、そこに観る浮世絵をメインとする日本美術や日本建築の影響を特集したもので、ふんだんにライトの建築物の映像も観られて面白い番組でした。あの有名な旧帝国ホテルの耐震設計が伝説として広まった裏側の真実など、なかなかに興味深いものがありました。
ライトといえば、日本人にとっては、旧帝国ホテルの設計者として特に有名ですね。当時、麹町区と呼ばれた東京の中心部で関東大震災に耐えて残ったのは帝国ホテルだけだった、という伝説が残っているけど、実は震災に無傷で耐えた建物は50%以上あったし、何より帝国ホテルは無傷で残ったわけではなく、倒壊こそしなかったが、それなりのダメージは受けていたらしいんですね。では、どこで『大地震にも唯一耐えた帝国ホテル』の伝説が広まったのかというと、ライトが自伝の中で、「ホテルは大地震に耐え、巨匠の記念碑のように残っている」と大倉喜八郎(ホテル・オークラ創業者)が電報で自分に知らせてきた、と紹介しているかららしい。でも、これは眉唾で、そんな大倉喜八郎の電報は残っていないし、そういう電報が届いた、と留守中のライトに家人が知らせてきた、という手紙もライトの筆跡臭かったりして巨匠の自作自演臭が色濃いとか。つまるところ、建築家として不遇時代にあったライトが、帝国ホテルが倒壊しなかった事を起死回生の材料として自伝の中で活用したというのが真相のよう。ライトは帝国ホテルの完成を見ずに、罷免されて帰国していたとか。(予算と工期の大幅超過が原因。ホテルは日本人の弟子たちによって作業が続けられ、1923年に完成)でも、帝国ホテルが大地震にとりあえず生き残った事が、不遇だったライトに再びの名声を齎したのは確かなようです。千載一遇のチャンスを必死の想いで活用したのであろうライト。巨匠といえども不遇の時は人の手を借りず、自分で伝説を創造しなくちゃならぬわけですね。



地震が多いという日本の特徴はよく踏まえたうえで、建物を低層にし、柔らかい粘土層の中に杭を打って、その上に建て、地震の場合にその揺れを吸収するという構造になっていた旧帝国ホテル。でもその柔らかい地盤というのがねぇ…。

ワタシがこの旧帝国ホテルの存在を知ったのはいつのころだったか忘れたけれど、多分ティーンエイジャーの頃でしょうね。その頃には勿論、帝国ホテルはもう今の高層ビルになった後で昔の姿をしのぶよすがもありませんでした。ワタシは遅く生まれてきた事を残念に思いましたねぇ。親の世代だったら、知人の結婚式だの食事だので、現役の旧帝国ホテルの中に入ってみる事だって出来たろうにね…。それにしても、何故あんな文化遺産的建築を40数年で壊したのか。遺しておけば香港のペニンシュラや、タイのオリエンタル、シンガポールのラッフルズ、ベトナムのソフィテル・メトロポールなどの名だたるアジアのクラシック・ホテルのトップに君臨する名ホテルだったに違いないのに。ワタシにはそれが昔から無念で不思議で仕方が無かったのだけれど…。



無論のこと取り壊しの際には、轟々たる反対運動が巻き起ったそうですが、帝国ホテルは結局のところ現役ホテルとしては老朽化が進んで限界のところに来ていたらしいんですね。ライトの作品で築100年を越えているものもアメリカには残っているのに、帝国ホテルは何故44年の短い生涯だったのかというと、地下20mまで粘土層だったというその地盤、そして落成し、その記念パーティが夜、華やかに開催される予定だった1923年の9月1日の正午、あの関東大震災が地鳴りを上げて襲ってきた、という事が短命の大きな要因だった模様。誕生した瞬間に大地震に見舞われた旧帝国ホテル。倒壊は免れたものの、その折に出来た亀裂は年々歳々大きくなった。その後の東京大空襲の中でも生き残ったけれど、その地盤のせいで、帝国ホテルは出来た時から既に沈下が始まっていたと言われており、戦後は年々に老朽化が進み(雨漏りや装飾の大谷石の落下など)、1967年での解体はやむをえない処置だったらしいんです。



建物を丸ごと移築保存する予算も時間も無かったので、明治村に中央玄関部分だけが移築保存されることになり、現在も明治村でその部分だけが見られるというわけですね。中央玄関部分だけを復元するにも途方もない時間と費用がかかったらしいので、到底まるごと移築保存することなどは1967年当時の日本には出来ない相談だったのでしょう。日本が地震国でなく、帝国ホテルの土地の地盤がもっと固かったら、今だにその姿を日比谷で目にする事ができたかもしれないですね。あの古代遺跡のような建造物が悠然と今でも日比谷に存在していたら、さぞかし壮観だったことでしょう。かえすがえすも残念だけれど、苦渋の選択だったなら仕方が無いか、と改めて思ったワタクシ。

旧帝国ホテルの設計を請け負ったのは、ライトの不遇時代。彼は19世紀末から20世紀初頭にかけて、若手の人気建築家だったのだけど、既に妻子もありながら、1904年、個人邸宅の設計を請け負った際、その施主の妻と不倫関係になって非難を浴び、1909年にヨーロッパに駆落ちしたんですと。1911年にアメリカに戻ったライトに建築の仕事はなく、不倫のツケで評判もがた落ち。前妻は離婚に応じないという状況の中で、ウィスコンシンに自宅兼工房・タリアセンを設計し、少しずつ仕事を始めたライトだけれど、使用人が発狂し、斧で妻と妻の連れ子、ライトの弟子を惨殺し、建物にも放火するという事件に見舞われる。そんな失意の時期に依頼が来たのが、日本の帝国ホテルの設計だったようです。でも、それもこだわりすぎてクビになり、結局は最後まで担当できなかったのだけれど…。久々の大仕事だから張り切っちゃったんでしょうね。隅々までイメージ通りに仕上げたい、というその気持ちはよく分る気がします。たとえ何年工期がオーバーしようと、幾ら予算が超過しようと、納得のいくものを建てたかったんでしょう。

それにしても、世間から非難されても正式に結婚できなくても離れずにに暮らしてきた女性が使用人に殺され、弟子も殺され、自宅兼事務所にも火がつけられるなんて、全くもう、並の人間なら発狂しますね。発狂しないまでも確実にシリアスな鬱になるでしょうね。でも、ライトは事件からいくらもたたないうちに女流彫刻家と恋に落ち、結婚。(ええ~!!)その後その女性と離婚して57歳で3度目の結婚(どっひゃ~)。59歳で自宅兼工房のタリアセンがまたも焼失(……………)。でもめげない。三度めのタリアセンを建てて、そこに弟子たちを集めて65歳で共同生活を始める。そして69歳で最高傑作と言われる滝の上の家「落水荘(カウフマン邸)」を生み出す。これはアメリカの建築雑誌の投票で、アメリカ建国200年の名住宅第1位に選ばれているとか。(ブラピがこの家のファンらしい。そういえばブラピは建築やインテリアにこだわる趣味があるみたいですね、意外にも)中年期を不遇に送った反動でもないだろうけれど、60歳を過ぎてから第二の黄金期を築き、90歳まで現役だったという怪物的スタミナとエネルギーを持った人物だったライト。写真なんか観ると幾つになってもハンサムで知的なさらっとした感じのする人なのだけど、いやはや、なんとも長くて濃い人生を送ったわけですね。このぐらい精神的にも肉体的にもスタミナが無いと物造りなんて出来ないのかも。またこの人は浮世絵のコレクターで、不倫で評判を落とし、建築家で食べられなかった時期は浮世絵の蒐集と売買で生計を立てていたらしいですね。ライトにおける日本文化(建築や絵画)の影響というのは様々な研究者によって何冊も本が出されております。


ロビー邸の内部

でも、彼の容姿や彼の建築にはギラギラ感はなく、幾何学的な意匠と水平を基調とするその建築は端正でいながら独創的。常に周辺の環境との一体化を追求している気持ちのいい「有機的建築」なんですね。失われた帝国ホテルやグッゲンハイム美術館など公共の建造物もあるけれど、彼の建築の良さは殊に個人住宅、それも自然の中の別荘建築に集約されているような感じがあります。理屈ぬきに、なんだか良いんですね。どこがどうとは言えないのだけれど、なんだか好き、どうしても好き、理屈じゃなく好き、としか言えない。日本の影響がその建築に生かされているから良いと感じる部分があるのかもしれないけれども、その生かされ方、ライトの中での咀嚼のされ方、アレンジのされ方がとても心地の良いものなんですね。日本で設計したものよりも、海外で設計したものに、より日本の影響が濃く出ているとか。でも、あれこれ頭で考える前に、一目見て好きになっちゃう建物だという感じがします。


滝の上の家 落水荘(カウフマン邸)


落水荘内部


神戸 ヨドコウ迎賓館(旧山邑別邸)

ライトの建築の中に一度入ってみたい、という欲求は以前からあったわけですが、シカゴ周辺に彼の作品は多く遺されており、その中には初期の傑作と言われるロビー邸や、最後の自宅兼工房・タリアセンⅢもあるので、ライト探訪にアメリカに行くしかないか…と思っていたら、自由学園明日館のような学校以外にもありました。日本にも。ライトが設計した当時のままに建物も内装も完全な形で残されている住宅が。それは灘の酒造業・山邑太左衛門さんの別邸として1924年に神戸に建築された建物で、今はヨドコウの所有で迎賓館になっているらしい。一般公開もしているそうなので、今度神戸に行ったら是非、旧山邑別邸を見物に行かなくっちゃ!と心に決めたワタクシなのでした。(内部の撮影は禁止らしい)それにしても神戸といえば、1995年にあの阪神淡路大震災があったわけですが、この建物も一部損壊したものの倒壊はせず、修理されて事なきを得たとかでメデタシ、メデタシ。
やっぱり、ライト先生の建築は地震に強いって事なんでしょうかね。ふほ。

コメント

  • 2011/04/07 (Thu) 12:46

    ううむ、ライト先生に比べれば、ほとんどの人が草食系ですね(笑)
    私はグッゲンハイムの写真を見ると、いつも新体操のリボンがクルクルしているところを思い出してしまいます。
    そしてサイモン&ガーファンクルの「So long, Frank Lloyd Wright」。
    ライト先生設計の個人住宅をもっと見てみたくなりました。

  • 2011/04/07 (Thu) 22:13

    xiangさん、ライト先生、猛烈に濃いですよね。おそるべきめげなさ、おそるべき懲りなさ。そんなコッテリと濃い人生から、生み出されたのはすっきりとした端正でユニークな建築だったという、その対比がまた興味深いところですのね。グッゲンハイム美術館はちょっとアヴァンギャルドな外見ですよね。ふほほ。
    そして「So long, Frank Lloyd Wright」。静かで綺麗な曲ですよね。ライトの設計した住宅の内部映像の背景に流したらピッタリって感じ。

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