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「フローズン・リバー」 (FROZEN RIVER)

~名もなく貧しく逞しく~
2008年 米 コートニー・ハント監督



封切り時には気づかずスルーしてしまったのだが、何となく気になっていまごろ観賞。本年度のゴールデングローブ賞とアカデミー賞の助演女優賞を独り占めしたおばちゃん女優メリッサ・レオの主演作という事でも興味が湧いた。メリッサ・レオを映画で観るのはこれが初。アッパレなばかりのクタビレたかぁちゃんの頑張りがちょっと沁みた。
それにしてもこの寒々しい風景はどうだろう。冬だからというばかりではなく、年がら年中寒々しい印象を与える土地なのじゃないかと思ってしまう。ニューヨーク州の北の果て。川の向こうはカナダである。川一本で隔てられた北米の2つの国。だが、国境など先住民にとっては全く無関係な事だ。彼らにとっては川のどちら側も同じひと続きのモホーク・ランド。国境など存在しないのである。そこはモホーク族の居留地。川も冬には凍って地続きになる。モホーク族にとってそこに国境など存在しないのだ。



メリッサ・レオ演じるくたびれたかぁちゃんは、空き地のぼろいトレーラーハウスに夫と二人の息子と住んでいた。手狭でぼろい家を出て、新しい、設備のいいトレーラーハウスを買うつもりだったのに、貯めた金はギャンブル狂の夫に持ち逃げされてしまった。このままだと手付けも没収され、家は手に入らない。

メリッサ・レオ。思う存分のクタビレぶり。髪はモシャモシャ、顔はシワシワ。風雪と苦難の刻まれた農婦のようなその横顔に涙が一筋伝う。かぁちゃんの仕事は1ドルショップのパート店員。日本でいう100均のパート店員という感じだろうか。当然、さして稼げない。稼げないが、かぁちゃんは15歳の上の息子を絶対に働かせない。理由は「まだ15歳の子供」だから。長男はかぁちゃんを観ていてヤキモキする。自分の方がずっと稼げるのにと思う。バイトをしたくてしょうがないのだが、かぁちゃんは絶対に息子を働かせない。なけなしの財布からランチ代を持たせては「学校へ行け」と繰り返すのである。


生活と人生にくたびれたおばちゃん顔 
その徹底したおばちゃんっぷりで商売ができる女優メリッサ・レオ

かぁちゃんの息子は15歳の長男と5歳の次男。二人ともかぁちゃんに似ない可愛い子である。特に下の子はしゃべり方も顔も可愛くて、観ていて思わず頬が緩んでしまう。メリッサ・レオも演技を離れて表情を緩めている雰囲気だ。金を持ち逃げしたかぁちゃんのダメ亭主は最初から最後まで登場しないのだが、息子たちは多分、父親似なのだろう。性格や性向はともかくも。

貧しい環境の中で、長男はけなげに母が留守の間、弟をお守しながら留守番し、次男は常に無邪気でほわほわとしている。長男は10歳も離れた弟の面倒をよく看る。実にけなげ。かぁちゃんは貧乏で苦労しつつも息子たちに愛情を注ぎ、それなりにプライドを持って育てているので、息子もグレたりしないのかもしれない。


けなげな長男

クタビレたかぁちゃんは、ある日、ひょんな事からモホーク族の女・ライラと知り合い、カナダとの国境の凍った川を車で行き来して、密入国者をアメリカ側に運ぶ仕事を二人でやるようになる。一人あたま$1200。稼げないかぁちゃんにとっては垂涎の金額だ。一方のライラは死んだ夫の母親に子供を奪われてしまっていた。金を貯めて子供と二人で暮らすために、危ない橋を渡っているのだ。白人のかぁちゃんと先住民のライラは、互いに警戒しながらも、それぞれ子供たちともっとマシな暮らしをするためにご法度の裏稼業に手を染めていく。


先住民のライラ(左)とかぁちゃん

この中年の白人と若い先住民の女は二人とも母親で、それぞれに自分の生活を立て直そうと必死になっている。ともに崖っぷちの女である。この二人のキャラクターの描き方や二人の関係性の変化などに、女流監督ならではの感性を感じる。女流監督の描く女性は、下手な男よりもいざとなると土性骨が座っていて小気味いい。
そして思う存分に母なのである。


次男坊 無邪気で愛くるしい

映画などでしか知らないけれど、アメリカ先住民は常に貧しく、黒人よりもずっと差別されているように見える。モンゴロイド系なので、どことなくアジア人と風貌が似ているせいもあり、アメリカ先住民の生き辛そうな様子をみると、なにがなし切ない気持ちになる。白人社会の中に入って生きていこうとする先住民はそこそこ余裕のある生活も出来るかもしれないけれど、居留地の中で白人と混ざらずに生きている先住民は、一様に貧しい生活を強いられているようだ。まともな産業もない土地で、まともな教育も受けられず、今もこの先もずっと貧しく、重い閉塞感があり、先行きに希望を持てないので自殺者も多いらしい。アメリカ先住民は徹底的に被害者である民族だと思う。ある日、勝手に海の向こうからやってきた連中に侵略され、迫害され、人権を蹂躙され、衣食住の自由を奪われてきた長い歴史の果てに、現在は政府からの補助金が出るようになっていても、まだ先住民は貧しく、隅に追いやられ、その苦難は陽の目を見ないでいるのだ。白人と先住民の間には深い深い溝が横たわっている。何をもってしても埋められない深い溝が…。



二人で密入国者を運ぶ車の中で、パトカーのライトが見えた時、警戒するかぁちゃんにライラが言う。「大丈夫さ。あんたは白人だから止められないよ」
どんなに貧乏でささくれていようとも、かぁちゃんは一応白人なので、警官にも疑われずに通れるというのだ。先住民の居留地があるような貧しい土地のおんぼろトレーラーハウスに住んでいるかぁちゃんは、白人社会では先住民と大差ないような存在であるのに…。
当初は互いに係わり合いになりたくない、という嫌悪感丸出しだった二人だが、幾度も「凍った川」というヤバい橋を渡っているうちに、互いに女手ひとつで子供を育てていこうとする身ゆえのシンパシーが芽生える。先住民と白人の長い暗い憎しみの歴史を踏まえたうえでラスト間近のシーンを観ると、よくぞ、とも思うし、このような極限状況下でなければこんな感情も生まれなかったのだろうなぁ、とも思うわけである。

アメリカという国は遂に黒人の大統領を生み出すに至ったが、先住民族から大統領が出る日は来るのだろうか…。凍った川とその周辺の荒涼とした風景を眺めつつ、茫漠とした貧しい居留地に押し込められた先住民の犠牲の上に今日の繁栄を築いてきたアメリカという国について考えた。豊かな土地から彼らを追い立て、臭いものに蓋をするようにその存在を黙殺しているアメリカという国。アフリカなどの第3世界に支援だのなんだのをする前に、まず自分たちの足元を見るべきではあるまいか。同じ国の中に犠牲を強いられたままの不遇な民族がいるのに、まずそれを救わずに、どこを救うというのだろうか、と珍しく義憤のようなものにかられたりもしたワタクシだった。

コメント

  • 2011/04/18 (Mon) 15:22

    黒人よりも差別されてひどい待遇の先住民ですか・・
    そんなアメリカに頼らざるを得ない日本・・・。
    kikiさんがこういう作品を取り上げるのは珍しい気がします?
    メリッサ・レオ、「ザ・ファイター」では肝っ玉母さんを熱演+怪演してましたが、こちらではまた何とも切ない事情のかぁちゃんなんですねぇ。よく見ると奇麗な顔立ち(アカデミー賞のインタビューでは、映画より若くて美人でしたね)ですけど。

  • 2011/04/18 (Mon) 22:19

    ジョディさん。
    確かにこの手の映画は観てないわけじゃないんだけど、レビューを書くのは珍しいかもしれませんね。地味な俳優ばかりだし、普通ならスルーしたかもしれないのだけど、パッケージの写真に何か引っ張られてね。出来も悪くなかったし「ふぅん」と思いました。「オーシャン・オブ・ファイヤー」を見た時にも感じたけれども、アメリカ先住民て何か物悲しくてね。
    メリッサ・レオは、この映画ではちょっと老けメイクをしてたのかもしれませんね。あるいは顔のクタビレを強調したのか。彼女はこういう生活臭のにじみ出るおばちゃん役では一番手に踊り出ましたよね。綺麗なばかりが女優でもない。なかなかのもんです。

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