「ジェイン・オースティンの「説得」」(PERSUASION)

~予定調和な展開なれど~
2007年 英 エイドリアン・シェアゴールド監督



数年前にLaLaTVで放映していたのをチラっと見かけた事はあったのだけど、何やら、やたらに暗く重苦しい出だしの印象がよくなかったので、すぐに観賞をやめてしまい、それきりずっと忘れていたのだけど、ルパート・ペンリー=ジョーンズが出演している事に気付いたので、このほどシネフィル・イマジカで放映されたものを留守録しておいて観賞。いかにもなJ・オースティン物ではあるけれど、ルパート・ペンリー=ジョーンズは190cm近い長身で、例の18世紀的衣装を苦もなく着こなし、なかなかのハンサムマンぶりでOKだった。
例によって男優は華があるが、女優はなんだかなぁ…なイギリスドラマ。このドラマのヒロインも壁のしみのように地味で、病気のように青白く、モゾモゾ、イジイジしていて冴えない事夥しいのだが、それさえもいつも通りだねぇと苦笑しながら観賞するのがイギリスドラマの定石だ。



「説得」はJ・オースティンの最後の長編小説。借金のため、本邸を人に貸さざるを得なくなった准男爵家で、次々に家具に白い覆いがかけられるのを茫然として眺める地味なヒロイン・アン(サリー・ホーキンス)の暗い顔のアップからスタートする。アンは准男爵家の次女である。
結局はいつも通りのお約束の結末ではあるのだけど、この異様に暗い冒頭部分の印象はかなり強力。先を見る気が失せるぐらいに強力に暗い。快活で明朗で、誰が何と言おうと自分の意志を押し通す自我の強い「高慢と偏見」のヒロイン・エリザベスとは事変わり、アンは明治、大正時代の日本女性にもよくいたような、自分の意志よりも他人の思惑や要求を優先してしまうタイプで、よく言えば控えめ、悪く言えば優柔不断なふらふら坊主である。タイプ的には「分別と多感」の長女エレノアと近いかもしれない。(でも、ワタシはエレノアのキャラは好きですけれどね。優柔不断なんじゃなくて、家計の苦しい家を必死に支え、苦しい中で自分の事は我慢する。慎みが深いのである)
アンは、身分違いだの、さしたる財産もないだのという理由で周囲から反対されて断った19歳の時の婚約者を27歳になった今日もずっとウジウジと思い続けている。


地味~なヒロイン

アンは准男爵の娘なので、オースティンの他の小説のヒロイン達よりも身分的には上である。ただ、家柄のいい家には生まれたものの不自由な状況にあるヒロインであることに変わりはない。父の准男爵は身分だの家柄だのに異様にこだわる俗物である。おまけに娘ばかりで息子が居ない上、家の財政は逼迫してきている。アンの行く末はボンヤリと薄暗い。有利な結婚をしないと将来がおぼつかない事は他の作品のヒロインと大差ない。
権高な俗物の父親の横にずっとへばりついている顔の長い女は継母なのかと思ったらアンの姉で長女だった事が分かって驚いた。このドラマは縁戚関係というか、登場人物の相関図が分りにくいのが難点だ。誰と誰が親戚で、誰が誰の妹なのかなど、かなり注意して見ていないと???という感じになる。父が再婚しようと思っている身分の低い未亡人まで紛れ込んで来るので、これは誰???と余計にこんがらがってしまう。


プライドだけは人一倍の父親

貸し出される事になった准男爵邸を借りようと申し込んできたのは海軍提督だった。軍人なんて冗談じゃない!といきまく准男爵だが背に腹は変えられない。その提督夫人の甥は海軍大佐のウェントワース。彼こそはかつてアンと熱愛し、結婚を反対されて去ったアンの忘れじの人だった…というわけで、8年経って、いまや金持ちになり、海軍きってのハンサムマンでいながらいまだに独身の想い人が偶然にもまたアンの身辺に現れる、というこのありえない筋書き。そんなキラキラの男がずっと独身でいるわけがないのが現実である。独身でいたら、それは遊び人であるか、同性愛だから独身なのであって、そうでなければ8年後に再会して独身なんて通常はありえない。男にはもう妻も子もあった、というのがリアルな展開である。けれども、そこで8年たっても相手は独身でいる、というありえない設定を用意するのがオースティン流だ。昔求婚を断った相手が、8年後の現在も独身で、しかも今は莫大な財産を持って再びヒロインの前に現れるなんて、もうあまりのご都合主義にひっくり返りそうになってしまうが、まぁ、それが、ジェーン・オースティン・ワールドでございます。

ウェントワース大佐を演じるのが、ルパート・ペンリー=ジョーンズ。彼については例のBBC制作のスパイドラマ「MI-5」で知ったのだが、ひとたびその存在に気づくと色々なものに出ていた事にも気づくわけである。デヴィッド・スーシェのポワロ・シリーズの2時間スペシャルのひとつ「杉の柩」にもその回のゲストとして出ていたのに最近気づいた。が、この時はまだ若かったのだろう。ペンリー=ジョーンズ、なんだかイルカの子みたいなしまりのない顔で、イマイチである。ある種の人がそうであるように、彼は年齢がいくに従って、いい顔になっていくタイプなのだろうと思われる。若い頃だけ光っている人に較べると、若い頃はイマイチでも年齢が進むにつれていい顔になり、輝きが増していくタイプの方が得な事は間違いない。


2007年「説得」


2003年 名探偵ポワロ「杉の柩」…イマイチ

そしてやはり、18世紀的衣装は、身長が190cm前後の男子にもっとも似合うように出来ていると思う。以前にもピックアップした通り、似合う!文句なしに似合う!という人は大抵、身長が188~190ぐらいある。そのぐらい上背があって、贅肉がなくて、姿勢がよくて、首と脚が長くて、すらりとしていないと、あの衣装は到底似合うものではないのだ。
というわけで、ペンリー=ジョーンズは姿がいいので、遺憾なく似合っている。ことにケープのついた長い黒い外套をまとい、シルクハットを被って歩く姿など、実に理想的なシルエット。190cm近くないと似合わないんだから、やはり18世紀的衣装はハードルが高いわけである。


いやがうえにもスラっとしている

互いに気にしながらも知らん顔を続ける

見事に似合ってますね

***
ずっと忘れられずに来たウェントワース大佐との再会は、没落の兆しの見える古い家に生まれ、思うようにも生きられず、周囲の思惑や家の状況によっていかようにも動かされていくしかない、精神的にも弱く立場も弱いヒロインに用意された、唯一の、細い、希望の光である。だが、その光は周囲の状況や彼女の誤解によって切れ切れに遮られたり、時には全く消えてしまったかのように見えもする。ヒロインは、ひたすら現状を耐え忍びつつその弱い光を頼りに生き、相手の強い想いと運命の力も借りて、最終的には望むところに辿りつく…。展開もオースティンならではのご都合主義で、アンにも大佐にも他の相手が現れかけるのだが、あっさりと相手が別の人と結婚したり、相手の本性がすんでのところで都合よく分ったりもする。そこらへんの描かれ方が、あまりにも簡単に障害物を取りのけた、という感じでイマイチでもある。



とにかく、毎度お馴染みのJ・オースティン的予定調和に終始する話ではある。オースティンの小説は、常に妙齢(または妙齢を過ぎようとしている)の女性の結婚問題を巡る人間模様であり、結末は絶対にハッピーエンドである。昔の少女漫画だって描かないだろうと想われるご都合主義の大甘なロマンス小説で、読み捨てのペーパーバックのロマンス小説とどこがどう違うのか、という疑問も湧かない事はない。だが、18世紀の中流以上の社会がメインで、牧歌的なイギリスの美しい田舎の景色を背景に、その時代の風習や、服装や習慣も含めた人々のありようなどの様式美や、雅やかなその階級の英語という付随的な要素が絡まって、彼女の作品には独特の品と、格調と、浮世離れのしたおめでたさのようなものが立ちこめ、そういうくさぐさの背景に囲まれたヒロインが、苦悩をうちに秘めつつも、運命の力で、ついに本願を遂げるというパターンが繰り返される。

そこにあるのは「叶えられた祈り」のカタルシスである。ずっと願ってきた祈りが叶えられること、それは誰にとっても納得のいく、快いポイントだ。永遠のマンネリズムであろうとも、人間の本能的な快さのポイントを衝いた作品が映画であれ、小説であれ、繰り返し愛されていくのである。J・オースティンの作品の根底を貫くテーマは、この「叶えられた祈り」という事にあると思う。それは作者本人の叶えられなかった祈りの上に咲いた花である。彼女の生み出すヒロイン達は、彼女がそうありたかったけれどもなれなかった存在である。実際には、そうそうおあつらえ向きに、長身で、ハンサムで、知性もあり、財産もあって、志も高潔な男性(大体、そんな絵に描いたような男性そのものが殆ど存在しないでしょうに)が、いつまでも独身でヒロインの事を思い続け、何があろうとも結局は一緒になるさだめを信じて彼女をずっと想い続ける、なんてことはありえないということを、J・オースティンその人が誰よりもよく知っていたからこそ、彼女は自分の小説の中でだけは、そういう展開を用意せずにはいられなかったのだろう。そういう展開にしないわけにはいかなかったオースティンの実人生のホロニガさが、どこかで折々に、有形無形に作品に染み出して味わいを添え、祈りが叶えられていく物語のなりゆきの中に昇華されているのが、彼女の作品をただの読み捨ての大甘なロマンス小説に終わらせなかった所以であるのかもしれない。

コメント

  • 2011/04/25 (Mon) 16:51

    kikiさん、こんにちは。ご覧になったんですねん。
    あのヒロイン時々どんな顔だったか思い出そうとするんだけど、全然思い出せなくて。それなのにヒロインってすごいなと思いますが。でも観客をいらつかさせるほどのうじうじ加減はうまく出してましたね。
    ルパート・ペンリー・ジョーンズ背が高くてあの時代の衣装をすっきり着こなしてましたが、アンと結婚しようと企むいとこも背が高かったですけど、あれはちょっと。馬面の上にあのシルクハットが載ると頭の部分だけでどれだけあるのだか、という感じになって。彼は最初のダニエルボンドに出てましたよね。

    結局あの頃はアンのような人がたくさんいて、ジェーン・オースティンはそのあたりの「叶えられざる祈り」を掬って、あれを書いていたってことなんでしょうか。ほんと、あんなに何年も経っておきながらうまくいくなんて現実ではない話だし。だからこそあの頃の女性はオースティンに夢中になったのかもしれませんね。

  • 2011/04/25 (Mon) 22:28

    Sophieさん 観ましたわ。これ、3年ぐらい前にLaLaでちらっと見かけたのだけど、何か暗い冒頭の感じが他のオースティン物と違う空気感で「なんだかなぁ…」と。あとから結局いつものノリになっていくのだけど、でも最盛期の作品と較べると何かパターンをなぞっているだけ、お約束をあまりにも型どおりに組みすぎで、展開が寅さん映画と変わらないぐらいに1パターンだわ、という欠点の方が目についちゃったかなと。出来のいい作品はそういう事を感じさせないように上手くストーリーや雰囲気が出来上がっているのだけど、これはちょっとね…。ペンリー=ジョーンズが出てなかったら見所ゼロなとこでした(笑)あの人相の悪いアンのいとこ、「カジノ~」に出てたMの秘書みたいなボクでしたっけ。凄く綺麗なイギリス発音の英語よね。でも、このドラマではやけに人相が悪いですね。ふほほ。

    オースティン作品は、当時の人に読まれただけでなく、後世に作品が残って、いまだにこうして世界中で読まれている上に作品も映像化されているってことは、今の人も彼女の作品の中に現代にも通じるものをどこかしらに感じているってことなのかもしれませぬね。

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