「池波正太郎の銀座日記」(新潮文庫)

-食べて、書いて、映画観て-



いわゆるタウン誌、PR誌の草分け的な存在であり、最も有名なものに「銀座百点」がある。銀座百店会に加盟する店舗のPRや銀座の情報だけでなく文化的な面にも力を入れた雑誌で、執筆陣の顔ぶれが多彩なのも定評がある。あの池部良も亡くなる前に銀座百点にエッセイを連載していた。
この老舗PR誌「銀座百点」に連載されたエッセイをまとめた本で、まず第一に名が挙がるのは向田邦子の「父の詫び状」だろう。そして、銀座百点から生まれたエッセイ集で「父の詫び状」と双璧をなすのが、池波正太郎の「銀座日記」だろうと思う。
ワタシが「父の詫び状」を初めて読んだのは随分前だ。それこそ向田邦子の訃報の直後ぐらいに読んだので、それ以降、もう20年以上も、時折思いだしては拾い読みをして楽しんでいるエッセイということになる。一方で池波正太郎の「銀座日記」の方は今回初めて読んだ。何も考えずにとりあえず手に取ってみたのだけれど、読み出すと後を引く日記で、毎日少しずつ短い通勤時間の間に楽しみつつ読んでいるが、もうじき読み終ってしまうのでちょっと寂しい。

「鬼平犯科帳」、「仕掛人・藤枝梅安」などの時代小説で知られる池波正太郎が「銀座百点」の依頼でこの日記を連載していたのは昭和58年~平成2年までの8年間で、急逝する2ヶ月前まで続いた日記だった。グルメで知られた小説家であるが、池波正太郎は浅草生まれのさらりとした江戸っ子であり、美味しいものを食べることに目がなくてもガツガツしていず、どこかに洒脱な味があり、たくまざる愛嬌があって、仮名をつけて店の味をけなす時があっても、その後味が悪くない。昔はちゃんとしてたのに、今はどうしてこんなものを出すんだ、という残念さと店への愛情がどこかに見え隠れするからなのだろう。

それにしても、読んでいて驚くのは、ほぼ毎日のように銀座・有楽町・日比谷界隈に出撃してあちこちの映画会社や配給会社の試写室で映画の試写を観ている事、そして、その後散歩を兼ねて銀座を歩いて買い物をし、その合間にあちこちの店で美味しいものを食べている事である。昼も外食、夜も外食なんて事はザラにあり、おまけに1回の食事の量が、ワタシなどの感覚にすればかなりの量だと思うのに、「私も食べられなくなったものだ」などと書いていたりして、一体全盛期はどれだけ食べていたのだろうと唖然とする。

とにかくよく食べ、寝る間を惜しんで本を読み、そして実によく映画を観ている。
しかもほぼ毎日のように試写で。羨ましい限り。
池波正太郎が少年の頃、映画評論家の双葉十三郎が毎日のように試写でいろんな映画を観ていると知って、非常に羨ましかったと書いているくだりがあるが、その双葉十三郎とどこかの試写室で顔を合わせ、その後二人で裏通りの店に食事に行く様子など、実に微笑ましい、いいシーンである。

池波正太郎が出歩く事にこだわったのは、無類の映画好きなので試写で映画を観たいという事の他に、居職なので散歩がてら出歩かないと運動不足になって体の調子が悪くなる、という事があったようだ。締め切りに追われる生活の上、仕事は家で出来るので、意図的に出歩かなければ、ずっと家に居っぱなしになってしまう。映画の試写というニンジンがあれば、午前中からだろうとなんだろうと、張り切って起きて朝食を食べ、勇んで銀座に出かけるのである。そうしてほぼ毎日のように銀座に出るので、それが「銀座日記」のネタにもなるというわけである。


こんな感じで銀座をブラブラと散歩されていたのでしょうね…

映画は当りもあれば外れもある。面白くない映画の時には題名などを書かないのも池波正太郎らしい。自分も観ている映画については尚更、池波正太郎の短い感想を読むのが面白い。ふぅん、そういう風に感じたのね、なんてね。それにしても、毎日試写で新作やリバイバル作品の上映を観られるとは、全く結構なご身分である。各社の試写室に顔パスだったのかしらん。連載は8年にわたっているので映画のタイトルも色々出てくるが、ほぼ80年代に封切られた映画を殆ど試写で観ている、という感じである。ちょっと挙げると「蜘蛛女のキス」、「ナチュラル」、「ミツバチのささやき」、「アマデウス」、「プレイス・イン・ザ・ハート」、「ガープの世界」、「海辺のポーリーヌ」、「キリング・フィールド」、「ダウン・バイ・ロー」、「眺めのいい部屋」などなど枚挙に暇がない。ハリウッド映画だけでなく、ヨーロッパ映画も良く観ていて、殊にフランスが好きで幾度か旅行にも行っているので、フランス映画に対する愛情に格別のものをにじませている。もちろん日本映画もよく観ているし、映画だけでなく芝居や歌舞伎やミュージカルにも、本当にこまめに足を運んでいる。そして折々、芝居や映画を観ていて役者の声や台詞が聞き取りにくい、と書いている。耳が遠いのではなく役者の技量が不足なのだ、と。台詞が通る役者の声は聞こえるからだ。こんな池波正太郎が原田眞人が監督する映画などの試写を観たら、途中で席を立つかもしれない。

その間に、職人気質で締め切り厳守だった人なので、書ける時には連載を数回分書き溜めしておき、締め切りを落とす事がないようにしていた。プロとして当たり前と言えば当たり前ではあるけれど、締め切り前にきっちりと原稿が仕上っている作家というと、三島由紀夫がすぐに思い浮かぶし、現役では村上春樹がそういう作家であろうと思う。同じ締め切り厳守でも三島や春樹に職人気質は感じないが、池波正太郎の締め切り厳守には江戸っ子の職人気質を強く感じる。自分の事には全て自分だけで責任を持つ。体が資本の、腕一本の職人の佇まいである。

また、池波正太郎は大正12年の生まれだから、昭和の戦後生まれなどと違って食物に対して信仰に近い感覚を持っていた世代だろうと思う。例えば、バテそうな時には牛肉を食べないと体がもたない、と思ったり、ウナギを食べると元気になる、と思ったりする、食物の効能への確信だ。連載序盤には、元気で働くためにモリモリ食べるという空気が濃いが、中盤から終盤にかけては、大食をしないように気をつけているので、体重が減ってきている、と書いており、昔はこんなもんじゃなかったが、今は随分食べなくなった、というような記述が続く。還暦を過ぎてるのに、それだけ食べたらもう十分ですわよ、池波さん、と言いたくなる。銀座界隈だと三笠会館のグリルとか、煉瓦亭、資生堂パーラー、千疋屋をはじめとするさまざまなレストラン、神田では蕎麦屋、築地では寿司屋、六本木のビストロなど、タクシーや地下鉄を駆使して、苦にせず移動し、美味しいものをしっかりと食べている。そして家に戻ると深夜まで原稿を書く。取り寄せた本をベッドに入ってから読む。本が面白すぎるとやめられずに窓の外が白んできてしまう…。実に充実した日々を送っておられたのねぇ、とニンマリする。好奇心の旺盛さ、面白いもの、興味のあるものを味わおうとする気力はなまなかな青年よりも豊穣である。

また、ウォークマンでオペラやジャズを聴きながら仕事をしたり、連載後半になってくるとビデオデッキを購入して、主に古い映画のビデオカセットを買ってきては、自宅で楽しむようになっている。大好きだったフレッド・アステアとジンジャー・ロジャースのミュージカル映画のVHSを買ってきて観賞し、大いに喜ぶ回などもある。アステアの死も、日記中にさらりと一行触れている。音楽も大好きだった人なので、CDは音色が綺麗だと書いている。その時点で新しかったものをすかさず生活に取り入れて便利さに無邪気に喜んでいる様子がよく分る。可愛いおじさんである。自宅でいながらにして好きな映画が観られると、ずっと見てしまって仕事にならないから危ない、と危惧してもいる。池波正太郎が健在で、DVDやブルーレイのクリアな映像を見たら、どんなに無邪気に喜んだことだろうか。

いかにも作家だなぁ、という感じなのは、直木賞や吉川英治賞の選考のため、電話や来客などに邪魔されずに候補作を読み込むために山の上ホテルに泊まったりする部分である。作家と山の上ホテルは切っても切り離せないが、実にいにしえの文壇的光景で、ニヤニヤしてしまう。山の上ホテルに泊まって絵を描いたり、候補作を読んだりしつつ、外出したついでに家に寄って郵便物を取ってきて、またホテルに戻って返信の手紙を何十通もしたためる、ということをやっている。実に古き良き作家の生活というイメージそのままである。今の現役の作家って山の上ホテルに籠もったりするのだろうか…。
また、山の上ホテルの品数の多い朝食がとてもお気に入りだったらしく、ごはんを三杯もおかわりしてしまった、というシメの一文が印象に残る。まぁ、とにかく美味しいものをこれでもか、とよく食べている。30代かと思うほど食べている60代の池波正太郎に感心したり呆れたりする。

随分食べなくなった、とご本人は書いているが、それでも普通の人からしたら相当な量を日々食べていたであろう池波正太郎。こんなにモリモリ食べていたらあまり長生きはできなさそうだと、この日記を読んだ人は誰でも思ってしまうのではないだろうか。果たして池波正太郎は67歳という若さで急性白血病により、突如、世を去ってしまった。67歳はいかにも若いと思うけれど、無為に80歳以上まで生きるよりも、濃縮し、充実した人生を生き切ったのだな、という感じがする。これだけ濃密に仕事と趣味とに時間を有効に使った人生もそうそう無いだろう。薄まった人生は長くなるし、濃い人生は短くなってしまいがちなのかもしれない。

昭和の終わりから平成にかけて、一体世界はどうなっていくのか、日本はどうなっていくのか、東京の首都機能はもう限界だ、遷都すべきだと書いていた池波正太郎。永井荷風の「日和下駄」を読み返し、荷風が今生きていたら、今日の日本や東京をどう思うだろうか、というような事を書いた回があったが、それから更に時が流れた今、池波正太郎が存命だったら、日本の今のテイタラクにどんな深いため息をついたことだろうか…。

池波正太郎は男らしくて可愛くてオシャレな江戸っ子のオジサンだった。いわゆる二枚目ではなかったけれど、女性にはモテたらしい。そういう気配はなんとなく分る。同性にも異性にも好かれる人だったのだろう。池波正太郎の時代小説は仕掛人と鬼平を1冊ずつ読んだかどうか、というところだけれど、この人のエッセイはさらりとして、いい味があるので、少し渉猟してみようかと思っている。

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する