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「ティファニーで朝食を」 (BREAKFAST AT TIFFANY'S)

-名刺の住所は旅行中-
1960年 米 ブレイク・エドワーズ監督



あまりにも定番なので別にいいかと思ってきたのだけど、オードリー・へプバーン作品ついでにちょこっと本作も。これは一種の雰囲気映画であって、もはや古典ではあるが名作とかそういうシロモノではない。あくまでも、ジバンシーのシックな衣装をとっかえひっかえ出てくるオードリーとニューヨークの取りあわせを楽しむ映画である。こういう雰囲気映画が成立するのは、ヒロインに格別の雰囲気がないと茶番にもならなくなってしまうわけで、本作で鉄板のファッションアイコンになったオードリーだけに、ゴールドディガーズでディトリッパーでもあるホリー・ゴライトリーに、シックでクラス感漂う衣装を着せたそのセンスや、軽やかさを失わずに見事にシックな衣装を着こなして現れる彼女の洗練のされ方には毎度ニンマリとする。何度見てもバッグと帽子と服と靴の取りあわせが完璧だと思う。黒い衣装が殊に良い。
籠の鳥になりたくないさすらいの女ホリーについて、結局はつましい結婚という鳥籠に自ら入ってしまう女に変更するというハリウッド的通俗化がなされた、いかにもなロマコメになっているが、それでもラスト以外はところどころにカポーティの原作が持つニュアンスは散りばめられていて、これはこれでまぁいいか、という感じではある作品だ。



オードリー本人は、いわば男にたかって生きるこのホリーというヒロインを演じる事には迷いがあったそうで、大乗り気で入った撮影ではなかったらしいけれど、えてしてそういう役が当り役になったりするものだ。ちなみに相手役のジョージ・ペパードも金持ちマダムの男妾の、ボヤーっとした特徴のない二枚目役をやるという事にはかなり抵抗があったらしい。オードリーの相手役は大抵、うんと年上のジェントルマンか、若ければ毒にも薬にもならないような男と相場が決まっているので、本作のジョージ・ペパードは邪魔にならない程度に存在していればそれでいいわけである。ペパードは毒にも薬にもならない存在感で役目はちゃんと果たしている。



ペパードが演じる駆け出し作家は、原作ではもっと地味な作家志望の青年で(いうなれば村上春樹作品に登場する「僕」に近い)、年増のツバメなんかやってはいない。もちろんゴテゴテと飾り立てた悪趣味な部屋にも住んでいない。
原作のホリーはショートカットで髪にあちこちメッシュを入れ、細身で、それと分る程度に斜視である、と書かれている。斜視ゆえにホリーは黒いサングラスをかけている事が多いのである。ユニークなヒロインだ。ワタシが原作を読んで脳裏に浮かぶホリーのイメージは、「ニキータ」のアンヌ・パリローのような雰囲気の女性だ。でも、無論、オードリーが創り出したホリーのイメージも悪かろう筈がない。細身で髪にメッシュを入れているという事だけは原作通りだが、あとはオードリーらしいクラス感と、現実の上に浮遊しているような非現実感を漂わせていて、それがこの奇妙なその日暮らしの女に不思議な魅力を与えている。モデルにも女優にもなりたくなし、何がしたいわけでもなし、ただ色んな男に金を出させてその日その日を生きているホリーだが、結局のところ金持ちの男を捕まえて結婚し、ノッポでのろまな弟のフレッドを引き取りたいという事だけは目標として持っている。
ホリーが何をして生きている女であるのか、子供の時にTVでこの映画を観た時には無論分からなかった。映画も昔の映画らしく、そのへんはかなりおぼめかしてあるので、大人にならないと分らない部分ではある。



また、最初にこの映画を観た時には、ジョージ・ペパードのパトロンを演じた金持ち夫人役のパトリシア・ニールがあまりに猛烈に大年増っぽいので強く印象に残った。絵に描いたようなおばさんとはまさにこれだな、という感じ。服装も顔つきもしゃべり方も、年増以外のナニモノでもない。この年増は原作には出て来ないキャラだが、2Eというニックネームで、それが役名になっている。この映画でしか観た事がないのでパトリシア・ニールといえば大年増というイメージだったのだが、若い頃には「摩天楼」という映画で共演した妻子持ちのゲイリー・クーパーと恋に落ちて世間を騒がせた過去があると知って余計に驚いたりした。

上の階に住むチビの日本人カメラマン、ユニオシさんは、芸達者なミッキー・ルーニーが小柄な体を活かし、髪を黒く染め、メガネをかけ、出っ歯の差し歯をして器用に演じている。カタカナ発音的な、日本人の英語の発音についてもちゃんと研究していて、なかなか上手い。ユニオシさんの生活様式については60年代やそれ以前の映画によく見られたような中国との混同がなく、かなり変ではあるが、一応日本風には違いない。
ちっこくて歯の出たユニオシさんだが、そのアパートの部屋はスタジオ兼自宅で、「ハーパース・バザー」の表紙写真を撮ったりするようなカメラマンだという設定になっている。ユニオシなんて奇妙な名前は日本には無いよ、とも思うが、ビックリするような変わった苗字や名前も世の中にはままあるもので、海外に出る人がそういう不思議な名前をもっている場合もあったのではないか、という気もする。今は無いだろうけど、明治時代には「え!?」と思うような不思議な名前を持つ人も多かった。南方熊楠とかね。クマグスですよ。ユニオシとさしたる変わりはない。そしてクマグスはかなり長い事ロンドンに住んで研究生活を送っていたのである。


ミッキー・ルーニーの「ユニオシさん」 国辱的なカリカチュアだがこういうオッサンて居なくもないような…

ホリーは自由気儘な生活を何より大事にしていて、ナニモノにも縛られたくはない女なのだが、それだというのに金持ちとの結婚という檻には自ら進んで入ろうとしたりする女である。また、ブラジルやアフリカの自然を愛するような彼女が高級宝石店「ティファニー」に安らぎを見出すとはどういう事なのか、など原作の時点でホリーのキャラに対する疑問もあるのだが、ホリーは貧しくひもじく哀しい事もあれこれとあったであろう幼少期を送っているために、世の中にはそんな悲惨な事など何もないと束の間でも思わせてくれる場所として「ティファニー」を愛しているのだ、という事はまぁ、何となく分る。映画ではもっと分かり易く「ティファニー」がホリーにとってどうしてそんなにも素敵なのかを描写する。スナックのオマケであるオモチャの指輪にイニシャルを彫るというサービスを、上品な英国発音の英語を話す黒服の執事のような店員が、嫌な顔もせずに引き受けてくれるというシーンである。同じような分り易い描写としては、原作では「ティファニーで朝食を食べるような生活」というのは比喩的表現なのだが、映画では実際に冒頭で、朝まだきの五番街でタクシーを降りた夜遊び明けのイブニング姿のホリーが、紙袋に入れたクロワッサンをかじり、紙コップの珈琲を飲んでティファニーのウインドウの前で軽い朝食をしたためるという、タイトルをそのまま映像にしたシーンがある。ベタではあるがタイトルバックでもあるし、これはこれでいいんじゃなかろうか、という気がする。



原作ではホリーと作家の卵は別に恋中などではないし、作家の卵は友情よりもやや恋愛寄りでホリーを見ているが、ホリーはあくまでも彼を友達としか見ていない。ホリーが自分を変えても従っていこうとしていたのはブラジルの外交官ホセであり、どうやら本気で惚れてもいたらしい。結局ホセにフラれてもホリーはあくまでも自分の生き方を貫いてブラジルへ旅だっていき、その後はアフリカに消息らしきものを残したのち、名刺の住所が「旅行中」であるのを地でいって、ずっとどこかをさすらい続けているわけなのだが、映画はハリウッド式のロマコメになっているので、雨の中で凡庸なハッピーエンドとあいなる。ジョージ・ペパードがあまりに無害、無個性でどうでもいい感じなので、この男が好きなのだが、お金がないので結婚はしない、とホリーが迷いつつ思ったりするあたりがあまり切実に出ないのだが、映画の「ティファニーで朝食を」を2000年の日本に置き変えて、ポイントを抽出し、上手く焼きなおしたのがフジの連続ドラマ「やまとなでしこ」である。貧しく育った金カネ女の桜子は、密かに好きな男が負け組の魚屋で金がないゆえに、幼い頃からの自分の願望を叶える為、恋は捨てて金を選ぼうとするが自分の中でかなりの葛藤がある。そういう感じはドラマの方がよく出ていたような気がする。

ヘンリー・マンシーニの曲については、有名すぎる「ムーン・リヴァー」よりも、ポール(ジョージ・ペパード)とホリーがお互いに未経験のことをやりあうゲームをする1日のBGMとして流れていた「ティファニーで朝食を」という曲や(多分、当初はこっちがタイトル曲だったのだろう)、また本編では使われなかったと思われる「ホリー」という曲の方が好きである。

オードリーの衣装については、シンシン刑務所に面会に行く時の衣装が最も良いと思う。あの帽子、あのサングラス、あのワンピース、あのバッグ、あの靴、まさに無敵のファッションアイコンである。シックでいながら華やか。普通の人が着たら昼の街で浮きまくりそうなファッションでも、オードリーは空気のように自然に着こなして、なんら気取りがない。他の追随を許さないのはその辺の部分でもあろうか。





ちなみに、ワタシはこの時オードリーが被っていたような型の帽子が欲しくて、昔ロンドンに行った時に若気の至りで「ザ・ハットショップ」で似たような形のブリムの広い黒い帽子を買ってしまった。(もちろんあんな長いリボンなどは付いていない)大喜びで帰ったはいいが、あんな帽子、日本ではどこに被っていけというのか、と現実に戻った時にちとガックリきた。結局は友人、知人の結婚式に2、3度被っただけで、あとは帽子箱に入れられて、クロゼットの棚に上げられっぱなしになっている。…少し物悲しい。

また、ホリーとポールが二人で早朝から街を歩きまわるシーンでオードリーが持っていたゴールドチェーンのバッグもちょっと気になっている。たまに思いだして、あのシーンでオードリーが持っていたようなバッグ、無いかしらん、と探してみるのだけど、昨今あの手のゴールドチェーンのバッグは無いようだ。また流行が戻るのを待つしかなさそうである。



本作でのオードリーはアップもとても綺麗に撮られているし、子供を産んでもまだまだ可愛いという感じではあるが、紗のかかっていないスチール写真などを見ると額や目の下にけっこうシワが出ていて、オードリーも本作あたりから微妙に老けと闘い始めたのかな、という感じもする。



最後に付け加えると、
みんなが好きなシーンではあろうけれど、非常階段の窓辺に座ったホリーがギターを爪弾いて「ムーン・リヴァー」を歌うシーンは、ワタシもやっぱり好きである。

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