「未来を生きる君たちへ」 (HAEVNEN)

-この暴力に満ちた世界で-
2010年 デンマーク/スウェーデン スザンネ・ビア監督



7月はさっぱり食指が動かず、ついに一度も映画館に足を運ばなかったが、8月は封切りを待っていた作品がいくつか公開になる。まずは数ヶ月前から封切りを楽しみにしていた本作を観に、久々に日比谷映画街へ足を向けた。
スザンネ・ビア作品を映画館で見るのはこれが初。
一口には語れないテーマの作品だけに、感想も一口で言うことなどは出来ない。
いつもは映画を見たあと印象が薄れないうちにレビューを書くのだけれど、これは自分の中で感想が纏まらず、すぐにはレビューが書けなかった。数日おけば書けるかと思ったけれどもまだ固まってこない。何やらずっとそのままになってしまいそうなので、とりあえず書いてみることにした。

それぞれに問題を抱えた二組の家族の関りと葛藤。
森と湖の北欧デンマークと、砂埃と炎熱の中で疫病や無差別殺人が絶えないアフリカの地。対象的な光景だが、理不尽な憎しみや暴力はどちらにも等しく存在する。一見、文化的で平和なデンマークでも、理由のない暴力は理由もなく巻き起こる。そんなゆえのない暴力に巻き込まれた時に、大人は一体どう対処するのか。そして、自分が対処する姿をどう子供に見せるのか…。

国境なき医師団に所属しているのか、アフリカの難民キャンプで医療活動に励むアントン(ミカエル・パーシュブラント)。砂埃の吹き荒れる荒野にテントをめぐらし、最小限の器具や設備で瀕死の重傷の患者を手術し、行列した患者たちに的確な処置をし、薬を与え、日々懸命に働く彼だが、腹の子が男か女かという賭けをして妊婦の腹を裂く地元のギャング・ビッグマンにより、腹を裂かれた妊婦が運ばれてきて手当ての甲斐もなく亡くなっていく現実に茫然とする。大水が入ってきて沈みつつある船の中で、小さなバケツで水をかい出しているかのような徒労感。出しても出しても水は減らない。仕事を終えて自分たちの宿泊所に戻るジープの荷台に揺られながら、アントンの目はうつろにさまよう。
いつもなら、ジープのあとを走ってついてくるアフリカの子供たちの白い歯に笑顔を向けるアントンなのに。



彼の家族はデンマークにいる。妻と二人の息子だ。長男のエリアスは歯列矯正中で「ネズミ顔」と呼ばれ、学校でイジメにあっている。情けない顔つきをして叩かれても逆らわないので、学校でのイジメはエスカレートする一方だ。ところへ、ロンドンから転入してきた少年・クリスチャンがエリアスの隣の席になる。執拗なイジメに遭うエリアスを、目には目を、の暴力的報復で救うクリスチャンだが、彼は最愛の母の癌死以来、心を頑なに閉ざし、父親にも白い目を向ける少年だった。

エリアスとクリスチャンは急速に親しくなるが、心の奥底に解放されない怒りをたぎらせたクリスチャンは、その捌け口を求めるかのように、エリアスの父アントンを殴った暴力的な自動車修理工への報復を企てる…。



***
エリアスは父のことがとても好きなのだが、父アントンはアフリカにいて、たまにしか帰ってこない。母のマリアンも医者で町の病院に勤務している。たまに帰国した父にエリアスは飛びつくが、妻マリアンは冷ややかだ。アントンの過去の不倫がマリアンを傷つけ、二人は別居状態なのである。

見ていて、当初はアントンとマリアンが一緒に住んでいない事がハッキリと分からなかったのだが、アントンは帰国しても湖の傍の別荘に一人で住んでいる。家族の住む家からはさほど遠くなく、学校帰りのエリアスが自転車で来られる程度の距離だ。息子たちは別荘に父に会いに行き、父はベンチに座って息子たちを両脇に抱きかかえるが、そこに母の姿はないのである。
心から赦しを乞うアントンだが、マリアンの傷は深く、夫を家に迎え入れる事ができない。赦すことができないのだ。
北欧らしい素朴なルックスの俳優と女優が演じているので、すれ違ってしまった夫婦の様子には作り事でなくリアルな空気が漂う。



一方のクリスチャンの家庭では、母の癌死以来、うわべは平静を装いつつ岩のように心を閉ざした息子に父クラウス(ウルリク・トムセン)はお手上げになっている。仕事で住んでいたロンドンから、妻の死後、デンマークの実家に戻り、祖母に息子の面倒を見てもらいつつ同居する事にしたが、息子は終始無表情のまま、父親と向き合わない。その干渉を拒み、父の言葉は彼の表層をつるりと滑って落ちてしまうだけだ。

クリスチャンがあまりに父親に批判的なので、この父親も母が入院中に不倫でもしでかしたのかと思ったが、そういう事ではないらしい。ただ、クリスチャンは母恋のあまり、母が死んだのは父のせいであると思い決め、母を失った喪失感を父親への怒りに転化させているらしいのだが、このへんの心理がいまひとつ分りにくかった。何故、彼は母の死を父のせいだと思いこんだのか。父が母を安楽死でもさせたのか、そういうセリフは出てこなかったと思うのだが、息子は母の死を一途に父親のせいにして反抗心を剥き出しにする。13,4歳ぐらいというのは難しい時期だと思う。大半の部分は子供だが、少しずつ子供でなくなっていく部分も出てくる。バランスが悪いのだ。何事もなくするっと通り過ぎる事ができればいいが、何かでネジくれ曲がり、根深い怒りと反抗心を持ち、心を開かなくなった子供に親はどう対処すべきなのか…。もし、クリスチャンが自分の息子だったとしたら、こういう難物の息子に自分はどう接するだろうか、親としてどう向き合っていくだろうか、などと子供もないのに思ったりした。どんなに持て余しそうでも怪物になりそうでも自分の子である。放り出すわけにはいかないのだ。向き合わなくてはならないのである。クリスチャンの父・クラウスにはそういう葛藤があまり描かれていなくて、ただ息子を愛している、と繰り返すだけの平板な人物造形だったのがちょっと残念だった。



見ていて、医師アントン一家の方は夫婦の間に何があったか、どういう状況なのか、アントンがどういう考えを持っているのかよく分るのだが、クラウスとクリスチャンの家庭、ことにクラウスが一体どういう性格の男なのかが分りにくかった。彼の印象だけがぼやけていた気がする。演じるウルリク・トムセンの顔だちがいかつくて立派なので(北欧のローレンス・オリヴィエ風味)、何かいわくありげに見えてしまうのに、キャラはぼやけているという中途半端さで、少し浮いていた。

小利口でネクラでマセていて、周囲に心を閉ざした少年が、インターネットと、自由に使える作業部屋みたいなものを持ってしまうと要注意である。危険信号と言ってもいい。クリスチャンは母の死をキッカケに、一種の魔少年(怪物と言ってもいい)への道を我知らず歩み始めてしまう。

デンマーク語の原題は「復讐」という意味らしい。
やられたらやり返さずにはいられないクリスチャンにより、エリアスがイジメを免れたのは事実だが、蒙った暴力に対して、いちいち暴力で報復していたら際限もない応酬となってしまう。それは戦争に繋がっていくメンタリティである。いまも中東のあたりで絶え間なく繰り広げられている終わりのない泥沼の憎しみ…。

エリアスの父・アントンは使命感を持った医師であり、暴力を否定する人間だ。たとえ蛇蝎のごとき相手でも、それはそれと割り切って治療する。それがたとえ悪逆非道なビッグマンであったとしても。しかし、子供たちの前で他人にどつかれ、顔を平手打ちされてもやり返さず、平静だったアントンが、ビッグマンの卑猥な言葉に怒りを覚え、怪我人である彼を突き飛ばして診療所の外に叩き出す。それは結果的にキャンプでのビッグマンへのリンチを誘発する。あれだけ暴力を否定してきたアントンであるのに、自らその導火線となってしまうという、このアイロニー。初めから治療しなければ良かったのか。それとも…。

***
クライマックスの、最悪と思われた事態を軸に状況が変化する流れが自然だった。登場人物の心理的葛藤もムリのない収束をみせていたが、もしエリアスが軽い怪我などで無かったらそんな平和な収束は訪れず、マリアンの心には死ぬまで明けない闇がたれこめ、クリスチャンはホンモノの怪物になっていったかもしれない。ひとつ間違えば、そんなこの世の地獄が訪れたかもしれないのだ。誰も救われない無限の闇が…。
しかし、エリアスの災難はアントン一家をもう一度結束させ、マリアンは自然にアントンを赦し、迎える。誰かを赦すことは、自分自身を救う事でもある。

***
アントン一家はスウェーデン人で、デンマークに住んでいるのだが、デンマーク人は「スウェーデン人め!」とアントンやその家族を罵ったりする。日本から見ると言語も雰囲気も似たような感じで、どこがどう違うのよ、イトコか兄弟みたいなもんでしょうに、と思ってしまう北欧の国々だが、やはりそれぞれにうちは違うんだ!という気持ちがあるのだなぁと意外に感じた。(違う国だもの、当たり前か)似たような響きの言葉だけれど、微妙に語尾の発音が違うらしく、発音の仕方でデンマーク人でなくスウェーデン人だと分ったりするのだな、と興味深く眺めた。

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