フラッパーの母とプア・リトル・リッチガール

-二人のグロリア・ヴァンダービルト-



ワタシは1920~30年代という時代がとても好きだし興味がある。この時代の美術や音楽、衣服や建築などはすべからく洗練されて非常に魅力的だと思う。この時代ほどにオシャレだった時代は他にないのではないか、と思うのだ。ことに20年代は浮かれ騒ぎの好景気で渦巻きのように株化が上がり、人々が沈む事のない太陽の下で狂騒の日々を送ったディケイドだった。今日も明日もシャンペンの泡のように享楽が虹色に人生を彩っていた。そんなめくるめく日々は1929年の大恐慌で一瞬にしてオジャンになり、続く1930年代は不況に始まり、世界大戦へと雪崩れ込んで行く重い灰色のディケイドとなる。山があれば谷もある。谷が尽きるとまた山が始まるのだ…。1920年代に青春を送った世代には作家のスコット・フィッツジェラルドや、ヘミングウェイがいる。また、1920年代はフラッパー(既成概念に捉われない自由奔放な女性)の時代だった。シャンペンの泡とチャールストン・ダンスに象徴される彼らの青春は「Flaming youth (燃え上がる青春)」と呼ばれた。
ハリウッド的にフラッパーの代名詞というと、ベティ・ブープのモデルになったと言われるクララ・ボウだろうか。また、女優としては成功しなかったが、ショーガール出身で、その美貌を見染められてW・ランドルフ・ハーストの愛人になったマリオン・デイヴィスなども、20年代を代表するフラッパー・ガールかもしれない。マリオン・ディヴィスは美人でパーティ好きだった。嫉妬深いパトロンの目をかすめては海辺の別荘でパーティを開いてアヴァンチュールを楽しんだ。若い頃には何度か浮気もしたらしいが、生涯をハーストの愛人として送り、その死も看取った。義理を知るフラッパーだったらしい。彼女との愛の巣としてハーストが建てたサン・シメオン城(Hearst Castle)は、現在、観光客に一般公開されているらしいので、あまりアメリカ観光に興味がないワタシもこれはちょっと見られれば見たいかな、という気もしている。


クララ・ボウ(左)とマリオン・デイヴィス(右)


ハーストがマリオンに贈ったサン・シメオン城

ハリウッド以外にも1920年代には華やかなフラッパーが青春を謳歌していた。外交官の娘だった双子美人のモーガン姉妹はNY社交界の華だった。セシル・ビートンは彼女たちをモデルに写真を撮り、その写真はヴォーグ誌の表紙を飾った。「まるで優美な彫像のようだった」とビートンは姉妹の印象を語った。
妹のグロリアは鉄道王ヴァンダービルト家の当主レジナルドを射止めて玉の輿に乗り、姉のテルマはファーネス子爵夫人となるが、かのプリンス・チャーミングこと英国皇太子エドワードの愛人の一人でもあった。この二人が晩年の1958年代に自分たちの青春を回顧した「ダブル・エクスポージャー」という回顧録があるらしい。とても興味があるのだけど、日本語訳は無さそうなので、どうしても読みたければ原書を取り寄せて頑張って読むしかなさそうだ。映画化したらかなり面白いと思うのだけど(「テルマ&グロリア」なんてタイトルはどうだろうか)、今日まで映画化されていないところを見ると、何かさしさわりがあるのかどうなのか…。


生涯にアメリカとヨーロッパを何往復もして恋愛三昧に生きた美人双子姉妹

美貌が武器のゴールドディガーズで、姉妹揃って大金持ちや貴顕の後妻に入り、アメリカとヨーロッパを股にかけて浮名を流しまくり、内面はただの男好きで母性のカケラもない我儘でしょうもない女たちだったかもしれないモーガン姉妹だが、この時代の美人はやはり優雅かつ優美である。それは認めざるを得ない。

ちなみにセシル・ボートンの被写体として最も有名なのは、やはり一時期ボーイフレンドとしてNYでずっと影の形に沿うようにビートンがその傍に寄り添っていたグレタ・ガルボだろう。ビートンがこの頃の事を回想した「ハッピー・デイズ」も是非読んでみたい回想録なのだが、これも残念ながら日本語訳は出ていない。自分の私生活を世間に知られる事、そして自分とのプライベートな関係を世間に吹聴される事を極端に嫌ったガルボは、この回想録をビートンの裏切りとし、その出版をきっかけにビートンと絶交してしまったといういわくつきの本だけに興味深々なのだけど…これも原書を取り寄せて頑張って読むしかないか…ふ~。


ガルボとビートン 多分1950年代のNYで


ビートンが撮った、おそらく引退後のガルボ

ついでに、20~30年代にもてはやされたポーランド出身の女流肖像画家にタマラ・ド・レンピッカがいる。彼女の代表的なポートレートは殆どガルボばりのポーズと写真写りで一度見たら忘れない印象深いポートレートである。彼女はその全盛期、「絵筆を持つガルボ」と呼ばれた。この時代の女性は独特のムードがあって素敵だと思う。


タマラ・ド・レンピッカのポートレート(左)と代表作の自画像

さて、話をモーガン姉妹、ことにヴァンダービルト夫人になったグロリアに戻すと、彼女は20歳以上も年上のレジナルド・ヴァンダービルトの後妻になり、娘を一人だけ産んだ。この娘は母と同じくグロリアと名づけられ、やがて「プア・リトル・リッチガール(哀れな大富豪の少女)」として全米で有名になる。娘のグロリアが8歳の時に、父レジナルドは52歳で世を去った。若き未亡人の母グロリアはフラッパーの本性たがわず、子育てなどほっぽり出して社交界を享楽的に遊び回った。若くて美人で大富豪の未亡人である。モテモテ人生に拍車がかかる。母グロリアとしては、とてもじゃないが家に引っ込んで子供の世話なんかしちゃいられないわけである。


母グロリア・モーガン・ヴァンダービルト

娘グロリアを一躍有名にしたのは彼女の養育権をめぐっての叔母と母との法廷闘争である。一人で放置されている娘グロリアの養育権をめぐって、父レジナルドの妹ガートルードが訴訟を起したのだった。このガートルードはヴァンダービルト家に生まれ、ホイットニー家に嫁ぎ、芸術愛好家で美術品の収集家でもあり、ホイットニー美術館の創始者でもある。叔母ガートルードは変わり者で、昼間は社交界のレディだったが、夜は男装してグリニッジ・ヴィレッジを歩き、名もない芸術家のパトロンになり、ヴィレッジではレズビアンとして有名だったという。そんな「リッチでセレブな叔母と母の間で養育権を争われる大富豪の遺児の少女」については、全米が関心をもって裁判のなりゆきを見守った。世間はいかにだらしなくても実の母が養育権を持つべきだ、と母グロリアを支持したが、判決は叔母ガートルードの勝利に終わった。理由は娘のグロリア本人が母よりも叔母を選んだからだという。何故、母よりもっと馴染みのない叔母を選んだのかは推測の域を出ないが、家を外に始終遊び歩いている母に引き取られたら、ほったらかしにされている間にいつ誘拐されて殺されるか分らないと幼いグロリアが懼れたためだという説もある。(この頃はリンドバーグ夫妻の子が誘拐、殺害された事件が世を騒がせていた)そんなわけで叔母に引き取られたものの、常にボディガードをつけられ、叔母とは殆ど交渉がなかった。ガートルードは同じ部屋にいても弁護士を通じてしか姪と会話をしなかったらしい。こんな状況から抜け出すため、グロリアは18歳でハワード・ヒューズの部下と結婚する。1年もたたずに離婚し、次は指揮者のレオポルド・ストコフスキーと結婚する。(余談だがストコフスキーは一時期ガルボとも噂になった事がある。)これも破局して映画監督のシドニー・ルメットと三度目の結婚をするが、やはり破局。四度目の結婚はジャーナリストのワイアット・クーパーだった。これも離婚に終わるが、四度目の結婚の時に生まれた二人の息子のうちの次男が、突撃取材で有名なCNNのジャーナリスト、アンダーソン・クーパーである。


グロリア・ヴァンダービルトと息子アンダーソン・クーパー 妙にエロティックな親子

アンダーソン・クーパーは今年3月の東日本大震災の時も、「アンダーソン・クーパー360°」で報道するため、いち早く自ら東北の被災地を取材に来た(でも福島原発の3号機が爆発すると速攻帰国して批難されたらしい(笑))。
ともあれ、アンダーソン・クーパーってちょっと素敵である。まだ40代半ばなのにもう全面的に銀髪なのも却って知的な印象だし、両親の離婚に、NYの大富豪の家に生まれたセレブの母と、若くして自殺した兄を持つなど、その生い立ちになかなかに複雑なものを抱えつつも、歪まず使命感を持って生きている感じがするし、何より目が綺麗だな、と思う。(独身でゲイの噂も根強い。多分そうなんでしょう)グロリア・ヴァンダービルト自身は四度の結婚に破れたのち、オリジナル・ジーンズを発売してデザイナーとして成功し、ようよう50代に入ってから誰かの娘や誰かの妻ではない、グロリア・ヴァンダービルト本人として生き始め、実業家としても成功し、今日に至っている。大富豪の家に生まれる事は必ずしも幸福を約束してはいない。どちらかといえば、経済的に裕福であるという以外は一般庶民より不幸な精神生活を送っている人が多いような気がする。生涯に7度も結婚・離婚を繰り返し、拒食症でやせ細り、酒浸りになってホテルの一室で一人死んでいたバーバラ・ハットン(ウールワース創業者の孫で元祖プア・リトル・リッチガール)や、カルト集団に誘拐され、洗脳されて銀行強盗を働いてしまったハーストの孫娘の例をひくまでもなく、巨万の富に埋もれて育っても、愛情に恵まれない不幸な人は多い。グロリアも肉親の愛に恵まれない少女時代を送ったが、幾度もの結婚離婚を繰り返しつつも、50を過ぎてから自分の人生を立派に確立したのはアッパレだと思う。環境に押しつぶされなかった稀有な例かもしれない。


1924年の生まれなので今年87歳になるグロリアと息子のアンダーソン

1920年代の社交界の華だった有名な美人を母に持つわりには、グロリア・ヴァンダービルトは美人とはいえないが(チャップリンの娘のジェラルディン・チャップリンと似ている気がする)、彼女の息子のアンダーソン・クーパーは知的なハンサムマンである。
祖母の美貌が孫に受け継がれたのかどうなのか。


グロリア・ヴァンダービルト

波乱の前半生を乗り越え、50歳を過ぎてようやく自分自身の人生を自分の足で歩き始めたともいえるグロリア・ヴァンダービルトに、雑誌のインタビュアーが「もし火事にあって、大事なものをひとつだけ運び出すとしたら、何を選びますか?」と聞かれて、グロリア・ヴァンダービルトは「母が幼い私を抱いている写真にします」と答えたそうな。


母グロリアと幼いグロリア

母グロリアは、自分の享楽のためだけに生き、美貌以外には何の取り得もない女であったろうが、ろくに面倒も見なかった娘からこう言って貰えるというのは幸せなフラッパーであったのだな、と思う。母グロリアは双子の姉テルマとは生涯つるんで共に回想録も出し、晩年はNYやロスで共に暮らした。互いにかけがえのないもう一人の自分だったのかもしれない。姉妹揃って何人も男を変え、華やかな恋愛遍歴を楽しんだが、結局のところ、生涯のソウルメイトだったのは双子の相棒だけだったのだろう。
姉妹は同じカルヴァーシティの墓地に眠っている。

コメント

  • 2011/08/30 (Tue) 13:38

    kikiさん
    日本では「社交界」も「大富豪」もファンタジーの中の存在ですが、欧米ではそれを現実として生きている人達がいるんですよねぇ。
    思い通り奔放に生きるというのは端で見ているほど楽じゃないのかも知れませんが、やっぱりカッコいいな、と思ってしまいますね。

    それにしてもグロリアとアンダーソンの親子ってば……妖しすぎて目が離せません(笑)

  • 2011/08/30 (Tue) 21:40

    xiangさん。 そうですね。戦前までは日本にもそういう世界はあったのだろうけど、戦後の日本はみんな小粒になり、ひとしなみになり、特別な世界というのは無くなった感じですね。母グロリアは61歳で亡くなってて意外に早かったのだなと思いますが、濃い人生を送ったのでそれで十分だったのかもしれませんね。人に恨まれずに勝手放題に生きる事ができたなら、それなりにアッパレというものかな、と思います。
    グロリアとアンダーソン、妖しい親子ですわね。息子が早くにシルバーヘアになっただけに、親子に見えにくいので余計に妖しさ倍増かも(笑)

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