「刑事コロンボ/別れのワイン」 (ANY OLD PORT IN A STORM)

-刑務所は結婚より自由かもしれませんな-
1973年 米(NBC) レオ・ペン監督



夏の旅行に出かけていたので、ちょっと久々の更新でございます。
「刑事コロンボ」については、旧作の45本以外は好きではないし、観たいとも思わないのだけど、ピーター・フォークは延々とコロンボを演じ続け、ついには自分で監督もして、すっかりライフワークになっていた観がある。数年前、ピーター・フォークが認知症を患っているというニュースを読んでコロンボに関する記事を書いたのだけど、今年6月23日にそのピーター・フォークが亡くなったので、やはり追悼の意をこめてコロンボ・シリーズの中から何か一本、書いておきたいな、と思った。旧作の中で特に好きな作品は何本かあるのだけど、やはり別れにふさわしいのはこの1本ではあるまいか、というわけで、今回は刑事コロンボシリーズ中でも特にファンの多い作品であり、傑作との声も高い、第19話「別れのワイン」。

コロンボは旧シリーズも新シリーズも、何度もNHKやCSで放映されているので、誰でも1~2本は観た事があるのではなかろうか。前にも書いたけれども、ワタシにとってコロンボといえば小池朝雄が声を吹き替えていた旧作45本の事であって、それは週末の夕食後に、家族揃ってコロンボの放映を楽しんでいた子供の頃の記憶が大きくモノを言っている。ワタシはこれを家族4人で夕食後に見ていた、と思っていたのだけど、正確には父とワタシと弟の三人で目を輝かせて見ていたのであって、母は夕食の片付けなどをしていて、一緒に観ていたわけではなかったらしい。うちの母は海外ミステリーが大好きなので、今もヒマさえあればCSのミステリーチャンネルで欧米の刑事ものを観て喜んでいるらしいのだが、若いイケメンの出てくる刑事ものは大好きのくせに、この前、たまたま一緒にいるときに、ミステリーチャンネルにコロンボのCMが入り、「うわ。またこれ!私、嫌いなのよ、この汚い男」というのでワタシは驚いて、「あれ?コロンボ嫌いだったの?昔、土曜の夜に、ご飯のあと皆で楽しみに見てたじゃない!?」というと、「それはお父さんとあなたたち子供だけでしょう。私は観てなかったわよ。主婦には色々と仕事が残っててご飯食べたらTV観てればいいあなた達とは違うのよ」と言われてしまった。
ええ~~!!そうだったんですの?おっかさん。ワタシは今までそんな事ちっとも知りませんでしたわよ。みんなで見てたと思っていたわ…。


すいませんねぇ、男前じゃないもんで

「私は昔も今もスカっとした男前が好きなのよ。あんなヤブニラミのしつこい汚い男が出てくるドラマなんて好きじゃないの」と涼しい顔で母は言うのだった。おやまぁ、そうでしたか。失礼しましたわ、そりゃ。 ドロンの「D'URBAN」CMがWebで見られる事を教えたら喜んで懐かしがっていた母も、コロンボはちっとも懐かしくないらしい。双方、70年代を代表する番組やCMであるのだが…。恐れ入った。ワタシも男前は好きだけれども、母ほどではない。…まだまだである。

脱線はこのぐらいにして、「別れのワイン」であるが、この回の犯人役はイギリス俳優ドナルド・プレザンス。ビリケン頭の小柄な紳士エイドリアンは、カッシーニ酒造というワイナリーの経営者である。イタリア系には見えないが母親がイギリスの名家出身という設定なのだ。こよなくワインと父が遺したワイン工場を愛するエイドリアンだが、趣味的に生まれついた人は商才がないというのはよくある事で、高価なワインの蒐集に金を使って、自分の工場でも安価なワインを作らないので、商売は行き詰まりつつある。エイドリアンには性格の合わない腹違いの弟がいる。弟はイタリア人の後妻の子でコテコテのイタリアン。享楽的な弟は何度目かの結婚に際して、左前になり始めた工場をライバル会社に売り払い、その金で遊んで暮らそうと企てる。命よりも大事な工場をライバル会社に売り払うと聞かされたエイドリアンは怒り心頭、弟を鈍器で殴り倒し、四肢を縛ってワインセラーに閉じ込め、空調を停めたまま、数日のNY旅行に出る。





このドラマには、地味に意外な人も出ている。エイドリアンの物堅そうなベテラン秘書を演じるのは、ジュリー・ハリス。地味な顔だがどこかで見たような…。そう、この人は「エデンの東」でJ・ディーン演じるキャルが恋する兄貴の彼女エイブラを演じた女優だ。そのまま年を取ってオバサンになった感じである。彼女が演じるカレンは独身で、ずっとエイドリアンに仕えてきた秘書。有能で事務的だが、胸にはひそかな願望を秘めている。ワインと結婚しているようなエイドリアンの妻になりたい、というひそかな願望だ。彼女は徹頭徹尾、エイドリアンの味方である。ワインになどまるで興味も愛着もない弟リックが工場を売ろうとしたのをエイドリアンが怒り、弟を殺したのだと察してもそれは仕方が無いことだと思っている。だが、それだけではなく、自分が気づいていることを匂わせてエイドリアンに自分を秘書から妻にしてくれ、と迫るのである。それまでずっと控えめに事務的に仕事をこなしてきただけに、最後の最後に切札を出して迫る秘書カレンは女の怖さ満載であり、エイドリアンは彼女が脅迫的に迫る結婚という檻を逃れるためならば、殺人罪で刑務所に入る事の方を選ぶのである。コロンボの追求よりも、カレンの求婚の方がエイドリアンを追い詰め、白旗を上げさせたというのが、この話の面白いところだろうか。勿論、コロンボもいつものようにねちっこく、天候の事だの、気温の事だのをネチネチと突いて、エイドリアンを脅かしはするのだけれど。


その昔はディーンの相手役だったが…

そのままおばさんになった感じのジュリー・ハリス

本作ではむしろ、エイドリアンとコロンボの間には俄か師弟のような感覚と、微かな友情のようなものが漂うのがミソである。当初は図々しいコロンボに辟易するエイドリアンだが、コロンボが一夜漬けにしろ事件捜査のためにしろ、あっという間にワインに詳しくなるのを目を細めて見守る様子など、自分が生涯を賭けて執着しているものに懸命に喰らい着いてくる人間に対して、エイドリアンが好事家としてのひそかな喜びを禁じえない様子が観客にも伝わってくる。



コロンボがエイドリアンと秘書のカレンを高級レストランに夕食に招待するシーンは色々と味わい深く面白い場面だ。勘定が幾らになるだろうと気を揉むコロンボに、エイドリアンが財閥モーガンの言葉を引用して言う「値段を聞かなくてはならないようなら、それを買える立場ではない」というセリフは印象的で、ワタシは今でも、時折メニューに値段の書いていない店に入ってしまうと、このエイドリアンのセリフを思い出す。
コロンボは代金を気にしたり、いつものように下でに出つつも、高温で酸化してダメになった高価なポートワイン(実はエイドリアンの蔵から失敬してきた秘蔵のポートワイン)を店に出させて、当のエイドリアンの舌で酸化してダメになっている事を確かめさせるというシタタカな作戦を冷静に敢行する。自分の風采が上がらない事をよく知っていてそれを逆手に取るという、いつものやり口だが、コロンボって確かに嫌な奴ではある。
このレストランのシーンでは、店にナメられたコロンボの席が悪い事に怒ったエイドリアンが、来るなり店に席を変えさせたり、ポートワインが酸化してる事に気付いて芝居がかった激怒ぶりを示し、店に代金をチャラにさせるなど、見ていてニヤニヤしてしまうシーンが多い。



普通の舌では、そのポートワインが酸化してダメになっている事になど気付かない。世界に何人もいない舌を持っているエイドリアンだからこそ、酸化に気づいてしまうというその皮肉。そして、それが実は自分の蔵の空調を止めたために、自分でダメにしてしまったワインであるという重ねがさねの皮肉がきつい。留守をしている間に、その季節としては異常な気温になるなど、全く神ならぬ身のエイドリアンには想定外の事だった。完全犯罪は難しい。全ては工場を守るため、大事なワインを守るため、やむなく弟を窒息させたのだったが、それが自分の命よりも大事なワインを窒息させる事にもなってしまったのだ。 あぁ、無情である。

エイドリアンは、自分でダメにしてしまった何本ものワインを、人知れず岸壁から海に投げ棄てる。コロンボは彼がワインを捨てに来ると読んで、その場にやってくる。コロンボはエイドリアンの断腸の思いを察している。「あのワインを捨てるなんて死ぬ思いだったでしょう」と言う彼の言葉には混じりけのない同情が籠もっている。「人には想像もつかんでしょうな」とエイドリアンはホロ苦い微笑を浮かべる。



コロンボが突きつける証拠というのは大抵の場合、実際に公判は維持できないでしょう、というものが多い。要はそのエピソードでの犯人との心理的な駆け引きに勝つ、というところで幕引きになるのであって、裁判になったらひっくり返されるような証拠ばかりだというのがコロンボシリーズの特徴でもある。この場合も、エイドリアンがそれがどうした、とあくまで開き直って法廷闘争に入るとけっこう微妙な証拠じゃなかろうかと思うのだが、前にも書いたようにエイドリアンは秘書カレンが網を張って待ち構える結婚の罠からはどうしても逃れたかった。それぐらいなら刑務所に入った方がいい、と思ってしまうぐらいに、それは彼にとって死にも等しい牢獄であり、屈辱だったという事なのだろう。カレンの軍門に下るくらいなら、その執念と勉強熱心を認めた「弟子」のコロンボに掴まった方がずっとマシなのだ。

コロンボは自分のボロ車にエイドリアンを乗せ、警察に行く前に彼が命よりも愛したワイナリーに寄る。全生涯を通じて本当に愛したのはここだけだった、とエイドリアンは述懐する。思えばエイドリアンの父が、それほどまでにワインを愛したエイドリアンに工場を相続させ、弟に現金を相続させていたら、こんな問題は起きなかったのである。全ては、画面にも登場しないエイドリアンの父の財産分与の失敗から起きた悲劇といえるだろう。これほどまでにワインとワイナリーを愛しているエイドリアンにワイナリーを相続させなかったなんて、全く見る目がなさ過ぎる。いずれ趣味的経営で潰してしまったとしても殺人はおきなかったに違いない。

結婚という牢獄を逃れて刑務所に入ろうというエイドリアンに、コロンボは一杯のワインを振舞う。別れの宴にもふさわしいとされるモンテフィアスコーネを。
「よく勉強されました」と感嘆するエイドリアンに、コロンボは「ありがとう。何よりも嬉しいお誉めの言葉です」と答える。 やはりこのシーンは味わい深い。



ここはこのエピソードの肝ゆえに、邦題も「別れのワイン」となるわけである。バッチリの邦題だと思う。原題の「ANY OLD PORT IN A STORM」は英語の慣用句「ANY PORT IN A STORM」(嵐の中の港)をもじったもので、この語句には「窮余の策」「 せめてもの頼り」という意味があるらしい。OLD PORTは高価なポートワインの事だから、コロンボが窮余の策でエイドリアンに一杯くわせたポートワインを慣用句に引っ掛けた、これはこれで味のあるタイトルということになる。どちらもいいタイトルだと思う。



ついでながら、日本では大抵の場合、イタリア語ならそのように、フランス語ならそのように、その国での読み方や呼び方に準拠する慣習があると思うのだけど、額田やえ子女史の日本語版で面白かったのは、テツィアーノをティツィアン、カベルネをカベニー、シャブリをシャブリスと言わせていて、それは元の英語版がそう英語読みしていたのをそのままカタカナにしたのだろうと思われ、それも70年代だからかな、と面白く感じた。

コメント

  • 2011/09/09 (Fri) 13:04

    kikiさん:
    そうそう!私もコロンボといえば、幼い頃の家族団らんの思い出とセットになっています。親にもたれてゴロゴロ寝転んで見ていたのか、あの音楽を聞くと当時住んでいた家の居間のカーペットの感触まで思い出したりしますね(笑)
    我が家の場合、普段は家事で忙しい母も、このコロンボと大河ドラマ(「風と雲と虹と」「花神」「黄金の日々」あたり)は一緒に見ていたような記憶があります。

    テレビシリーズは私も旧作しか見ていないのですが、一番好きなのは「秒読みの殺人」でしょうか。犯人の女性プロデューサーがエレベーターの中で必死に凶器(と思われる)拳銃を取るシーンが印象的でしたねぇ。
    「別れのワイン」はコロンボのえげつなさ(!)もいくらか影をひそめていて、いい作品だと思います。子供の頃はカレンの怖さが分かりませんでしたが、今見ると本当に……ね(笑)

  • 2011/09/10 (Sat) 10:34

    おお~。xiangさんも子供の頃に観てました?コアに同世代ですねぇ、うふふふ。そうそう、ヘンリー・マンシーニのコロンボのテーマを聞くと、食事が終わってソファの方に移動して、みんなでTVを見ていた居間の事を思い出します。父は毎回、こんな証拠じゃ実際はダメだよ、と言いつつも楽しそうにコロンボを見てました。ワタシも弟も父になんだかんだと質問しつつ観ていたのを思い出します。そして大河ドラマの「風と雲と虹と」「花神」「黄金の日々」…懐かしいですね。ワタシは「黄金の日々」が大好きでした。
    で、コロンボの旧作シリーズですが、「秒読みの殺人」もいいですよね。極貧から必死に成りあがったヒロインの挫折。嫌な女ではあるけれど、ちょっと同情しちゃうのね。エレベータの天井にピストルを隠すときに、必死のあまり舌が出るのが印象的ですね。あの話はワタシも好きです。あと「忘れられたスター」とか、2話目の「死者の身代金」なんかも好きです。前者は犯人に同情するし、後者はあまりにも嫌な女なので、コロンボが感情をむき出しにして追い詰めるのが面白いです。…とみてくると女性が犯人のエピソードの方が好きなものが多いかな。男性が犯人の話では「別れのワイン」以外では「魔術師の幻想」なんかも好きですが。

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