「デルス・ウザーラ」 (DERSU UZALA)

-シベリア松とモミの木の下-
1975年 ソ連 黒澤明監督



当ブログにも何本か黒澤作品のレビューはあるけれど、ワタシは三船敏郎のファンではあっても黒澤明のファンではないので、敏ちゃんの出ない黒澤映画なんて…というクチの最たるものであると自覚している。けれども、そんなワタシでも敏ちゃんの出ない黒澤映画で1本だけ昔から漠然と気になりつつも、これまで一度も観ていない映画があった。それが「デルス・ウザーラ」である。先ごろ放映されたのを録画しておいて、後日、ちゃんと録れたかどうか冒頭の部分だけを確認するつもりで再生したら、かつて深い森林だった筈の特別な場所が、開拓のため伐採されて様相が無残に変化しているのに茫然としたアルセーニエフが、なすすべもなく佇みつつ「…デルス…」と一言つぶやいた途端にゾクっと来て、もう夜も遅いというのに先を観ないわけにはいかなくなってしまった。
この映画長いのに…とか、明日も仕事なのに…とか思いつつ。
1902年、ロシアのウスリー地方(沿海州南部)に地誌的調査のために派遣された帝政ロシアの軍人・アルセーニエフは部下数名を率いて、秋の極東シベリアの森林(タイガ)に分け入り、困難な調査を続けるうち、森の中で一人で生きている辺境少数民族の猟師、デルス・ウザーラと出会う。厳しい自然の中で調査を続けるために、隊長はデルスに道案内を乞う。デルスはこの申し出について暫し考え、翌朝黙って先頭に立つ。

噂には聞いていたが、デルスを演じる俳優マクシム・ムンズクがやっぱり良い。格別に良い。素朴で、自然と融合し、自然の中で生きるための知恵と知識の塊で、自然の中で身に付けたエチケットやルールを遵法し、野人のように見えつつも人としてとても上質で、シャーロック・ホームズも顔負けの鋭い観察眼と推理力を持つデルス・ウザーラという男の雰囲気がたくまずして出ていた。何より、えもいわれない愛嬌があって好ましい。暗闇の森の奥から「撃つな、わし、人間」と言いつつ出てきた子熊のような姿を見た時から、待ったなしにデルスに惹き付けられてしまうのだ。



デルス・ウザーラの自然人としての高いスキルや、人としての素朴さ、見事さに心打たれ、彼に畏敬の念を抱くアルセーニエフ隊長を演じるユーリー・ソローミンも負けず劣らず良い。軍人ではあるがどちらかといえば学者肌で、穏やかで上品な知識人であり、デルスと深い友情で結ばれるアルセーニエフのありようが見ていてよく伝わってきた。本作はこのウラジミール・アルセーニエフの書いた探検記がベースになっている。つまり、実話なのである。気まぐれで厳しい自然の中で実測調査をする困難な旅の途中にデルスのような山の達人に出会ったら、「神の恩寵」という事を信じたくなるかもしれない。舞台は極東シベリアで中国とも近いあたりなのだが、デルスの人物像には、東洋的な達人の雰囲気もある。口数が少なく、小柄だが強靭で、どんな時にも即座に的確な判断が出来、足跡を見てそれが誰(何)で、どういう状態であるかを読み取る事が出来、物を大切にし、他者への思いやりを忘れず、非常に有能だが、まるきり無欲である。つまり、この世に非常に稀な人物であるのだ。こういう人物に厳しい自然の中で出会って、共に幾度も困難を乗りきり、何度も危機を救われたら、それはもう生涯忘れる事などできようはずはない。



1950年代、黒澤明は当初これを日本に舞台を置き換えて映画化するつもりだったらしい。デルス役はこの時期、黒澤には三船敏郎以外の人選はなかったようだが、敏ちゃんのデルスというのはいかがなものか、と思う。敏ちゃんが演じると、無法松っぽいデルスになるか、凄みのあるデルスになって別のキャラクターになりそうだし、デルス・ウザーラのイメージからして、上田吉二郎とか東野英治郎とか、そのへんの個性派脇役が適任だろうと思う。アルセーニエフ隊長役はきっと森雅之だったに違いないと思うけれど(笑) また、自然と風景が第3の主役でもあるこの映画で、中国と国境を接するあたりのロシアの沿海州南部を北海道に置き換えるというのもムリがありそうだ。日本を舞台にモノクロで撮影したらスケールダウンして説教臭くなっていたかもしれない。結局は、自然描写がネックで翻案映画化は企画倒れに終わったらしいが、その時に無理に作られなくて良かったと思う。1975年にソ連で撮りたい様に撮れる機会が巡ってきて、原作のままの土地でロケして、ベストのキャスティングで、これ以上ない形で作品を作る事ができたのだから。

「この映画で一番大変だったことは、自然を画面につかまえることでしたね」と黒澤明は語っているが、太陽と月が同時にひとつの画面の中に収まっているショットや、一面の雪原や、雪解けの大河が雪と氷を溶かして押し流していく様子や、平原の猛吹雪や、秋の森林の紅葉などがカラーフィルムに印象的に捉えられている。そんなロシアの厳しい自然を捉えたカメラもさることながら、この映画でもうひとつ良いのはイサーク・シュワルツの音楽である。しみじみしていて美しい。この音楽が自然描写やデルスと隊長の友情を盛り上げる効果はえもいわれない。映画を見終えたあとに残るしみじみとした余韻にも、この音楽の効果が寄与している部分が少なくないと思う。





デルスにはかつて女房も子供も家もあったのだが、家族は天然痘にかかって死んでしまい、デルスは伝染病を恐れる村人への配慮から家ごと燃やして灰にした。以来、家は持たず、家族も持たず、山の森林の中で一人、猟をしながら暮らしている。けれどデルスの心の中には喪われた家族が消える事はない。そんなデルスはなんでも擬人化する。太陽は一番偉い人であり、月は二番目に偉い人なのだ。鹿にも虎にも、炎にも、人に話すように話しかける。人とそれ以外のものに区別はないのである。

ともに旅をするうちに、アルセーニエフはこの男に深い友情と敬愛を抱くようになっていく。その大きなキッカケは、あのハンカ湖近辺での野宿であろう。枯れ草(葦?)がまばらに生えているだけの湖畔の雪原で、踏査中に方角を見失ったデルスと隊長はその場で野宿することに決める。日が傾きかけ、猛吹雪が襲ってくる。デルスは枯れ草を沢山刈る事を指示し、二人は懸命に草を刈って束ねて山にする。日が沈みきるまでになるべく沢山草を刈らないと死ぬかもしれないのだ。草を山のように積み上げてその中に埋まり込んで眠れば、何もない雪原の中で吹雪に曝されても、どうにか死なずに眠る事ができるのである。




カピタン、沢山働け 沢山働かないと 死ぬ

こんな冒険を二人ですれば、さなきだに友情も信頼も深くなる。予定の探査が終わった部隊は列車で帰る事になり、デルスは山に戻る。無欲なデルスは金も食物もいらないと言い、遠慮がちに銃の弾をくれと言う。線路に沿って駅に向かう隊長たちと、山へ戻って行くデルスは別れる。振り返って「カピターン(隊長)!」と叫ぶデルスに、彼の姿を立ち止まって見送っていたアルセーニエフも「デルスー!」と答える。以降、何度か繰り返される二人の掛け合いである。物語は二部構成になっており、第一部は1902年のウスリー地方踏査でのデルスとの出会いと別れ、そして第二部は1907年のウスリー地方再踏査におけるデルスとの再会と、再びの別れ(長い別れ)が描かれる。春の雪解けから夏にかけて森林を進みつつ、隊長の心を占めているのは、広大な森林のどこかにいるに違いないデルスとの再会である。そして待ちかねていた再会の時は訪れ、二人は木々の葉陰の向こうに互いの姿をみつけ、「デルスー!」「カピターン!」という、あの掛け合いを高らかに繰り広げ、走り寄って抱き合うのである。あまりにも嬉しそうな二人の様子(すっかり二人の世界という感じ)に、隊員たちは「我が愛する灰色の翼の鷲よ どこをそんなに長く飛んでいたのだ…」と静かに歌を歌う。エンドタイトルにも使われるこの歌はコサックの民謡らしいが、映画の雰囲気に合った、とてもいい歌だと思う。


「ダズビダーニャ」 シベリアで一度は別れた二人だが…

この再会の前のシーンで、高いところから緑の森林を眺めつつ「デルスよ、どこだ?」と胸のなかで叫ぶ隊長のモノローグは、いかにも黒澤明のセリフだな、と思う。セリフといえば、デルスの片言のセリフも味わい深い。脚本は黒澤とユーリー・ナギービンという人の共同という事になっているが、元の脚本は日本語で黒澤が書き、それをロシア語にしているのだと思うので、日本語字幕のセリフは、黒澤が脚本に書いたセリフがそのまま使われているのではないか、と推察する。第1部の別れのシーンで、隊長が「さようなら、デルス。…また会おう」と言う。これを聞いて、ワタシは三船敏郎の葬儀に、黒澤明の書いた弔辞の末尾を思い出した。「三船君、ありがとう、さようなら。 また会おう」というその締めくくりの言葉は非常に強いインパクトでワタシの脳裏に焼付いていた。黒澤明と三船敏郎は、隊長とデルスのような関係性だったのかな、とふと思った。


デルスよ、どこだ?

第2部で再会した時「お前は全然変わらないなぁ」と隊長に言われるデルスだが、5年前には百発百中だった銃も、老いて視力の衰え始めたデルスは、なかなか当らなくなっている。デルスのような自然の達人にも、やはり老いと衰えは襲ってくるのだ。森林の使いであると信じている虎を異様なまでに恐れ、従来とはうってかわって怒りっぽくなる彼の姿には、どんな人でも、生き物である以上いつかは訪れる老いと衰えの物悲しさが色濃く漂っている。あんなにも山を離れては生きられないと言っていたデルスが、自分に自信がなくなり、隊長の申し入れを受けてハバロフスクの隊長の家に身を寄せる決意をする。


いかな山の達人デルスといえども、衰えには勝てない

だが、山の森林の中で持てる知恵と知識を総動員して生きてきたデルスも、街中の家の中では何もすることがない。アルセーニエフの息子は彼に懐き、妻もそれなりに彼に配慮を示すが、デルスは所在なく暖炉の前で悄然と座っているだけである。アイデンティティの喪失に悩むデルス。自然の人を街の家の中に入れても、窒息してしまうだけなのだ。野の鳥を籠の中には入れられないのである。


街の住宅の中ではアイデンティティを喪失してしまうデルス

やはり森へ帰る決意をしたデルスへの餞(はなむけ)に、隊長は最新式の銃を贈る。目が弱っても狙いがつけやすいから、と。しかし、その銃を持って森へ帰った事が、デルスの命を奪うことになってしまう…。


そして、ラストから冒頭(1910年)のシーンへと繋がって行く。デルス・ウザーラは既にこの世の人でないことが観客に伝えられる冒頭のシーンに。あまつさえ墓の場所もさだかでなくなり、デルスは完全に森林の土に同化し、自然に還って行ったのであろうが、冒頭にして伝えられるこの喪失感を抱えつつ、物語に沿ってアルセーニエフとデルスの交流を追っていくと、「カピターン!」「デルスー!」という、あの二人の掛け合いが、ひとしお深く心に響いてくるのである。



黒澤明の文明批判であるとか、自然と文明の対立であるとか、色々とテーマはあるのだろうが、ワタシ的にはウスリー地方の自然と、デルスとアルセーニエフの深い友情だけでしみじみと満足した。映画を見終えた後、久々にじんわりと余韻の残る映画で、あぁ、これは感動したという事なのだな、と思った。三船敏郎の代表作が黒澤明とのコンビ作に限らないように、黒澤明の代表作も三船敏郎主演作とは限らないのだ。制作がソ連で、セリフがロシア語でも、これは紛れも無い黒澤明の作品であり、三船敏郎の出ない黒澤映画の中で、これはダントツの秀作であると思う。押し付けがましさがなく、全てにさらりと描かれていながら深い余韻の残る作品だ。



「赤ひげ」以降の黒澤は終わったと決めつけていたのは早計だった。「デルス・ウザーラ」を観ずしてそんな感想を持つのは軽率のそしりを免れまい。「影武者」(1980)以降の作品に見るべきものはない、という見解に変わりはないけれど、70年代までは確かに、黒澤明は黒澤明であったのだな、ということを再認識した。

コメント

  • 2013/09/25 (Wed) 20:36

    ズドラーストヴィチェ!kikiさん!
    私も「カピターン!」「デルスウ!」にハマッたひとりですよん。最初にこの映画見た後は、「カピタン、わし、コーヒー飲む」とか「カピタン、わし、風呂入る」な~んて言って遊んでた。kikiさんのon my mindが信州なら、私めはこのロシア沿海州やウスリー地域を含むアムール川流域だわ。なぜか郷愁を誘われるの。Amur valley on my mind!
    ここは、内陸のカラマツしかないタイガと異なり広葉樹と針葉樹が混生する豊かな森!!いろんな理由からこのアムール流域にあこがれがあるのだけど、何と言っても北の寒いところ、というのがまず憧憬なのよ。寒さによって生命力を喚起される。。ってところが。昔読んだ山口瞳ちゃんの随筆に同じ様なこと書いてあったな。逆に南方には「浮き雲」の屋久島やレスリー・チャンの「欲望の翼」みたいに何だか儚く、死地を求めて。。ってイメージが長いことあった。(後年屋久島に行ってそのイメージは見事に裏切られたのであった。そこは明るく楽しいワンダーランドだったのだ!2度も行ったしww)

    そして、野外生活にもあこがれが。。アーサー・ランサムの「ツバメ号とアマゾン号」シリーズなんてわくわくしながら読んだよ。今でも夢想するのは最小限の荷物をしょってのサバイバルな旅をする事。。そうそう「指輪物語」も愛読書のひとつです。でも・・・現実は人3倍くらいの寒がりやで、夏バテどころか、秋バテも冬バテもさらには春バテまでする私には・・・無理ですな。

    この映画の原作、読まずにいられよか。映画はアルセーニエフの「ウスリー地方にそって」(これが映画の第一部)と「デルスウ・ウザーラ」(映画第二部)が元になっていて私は、長谷川四郎翻訳の筑摩書房の「シベリアの密林を行く」(「ウスリー地方にそって」の改題)と東洋文庫の「デルスウ・ウザーラ 沿海州探検行」で読みました。感動!!もっと多くの人特に若い子に読んで欲しいと思った。最初の翻訳は満鉄の調査部がして社内刊行物だったそうなんだけど。デルスの味わい深い片言のセリフ、これは長谷川四郎(あの海太郎、りん二郎、濬(しゅん)、四兄弟の末弟)の訳そのままって感じだよ。黒澤がどの本読んだかはわからないけど、多分に長谷川四郎の影響受けてると思う。印象深い最初の出会いの場面、字幕では「こんにちは カピタン」となってたけど「こんちは!カピタン」の方がしっくりくるよね。映画でもマキシム・ムンズクが言ってるのが“ズドラーストヴィチェ”ではなく“ズドラーストヴィ”と聞こえるし翻訳も「こんちわ、カピタン!」となってるよ!!

    ロシア革命前夜のつかの間の幸福な時代。あの頃あの辺りは、中国、朝鮮、ロシア、日本人、欧米列強の間諜、そしてネイティブの少数民族が組んず解れつ入り乱れていてその後の動乱を予感させます。1904年には日露戦争も始まってるしね。あれから100余年、いろいろあったけれど今また時代は再び動乱期に入ってきたのかしらん?今夏はアムール川(黒竜江)の大洪水で中露は大変みたいだったけど、デルスがいたら何と言ってどういう対応するかな?なんてニュースで目にするたびに思ってました。

    kikiさん!奇しくも「シャーロック・ホームズも顔負けの・・・」と書いてらっしゃるけど、ホントにシャーロック繋がりがあるんですよ、この映画。以前チラと書かれてたロシア版「シャーロック・ホームズ」。ワトソン役のヴィターリー・ソローミンは、アルセーニエフ役のユーリー・ソローミンの弟です。ロシア版?とちょっとバカにしてたのですが(ごめんなさい)、ホームズ役が人形アニメ「チェブラーシカ」のワニのゲーナの声の人(ワシーリー・リヴァーノフ)だと知って俄然興味が湧いて観てみたの。(チェブラーシカ大好きでぬいぐるみと寝てますwwゲーナがまたまた大のお気に入り)ソ連時代のものだけど、これが面白い!イギリスが舞台なのにロシア語での会話がシュールでね(笑)。ベルリンの壁より早く東西の壁を越えてた、といわれるほど西側にも早くから流出していたとか。これを見たらしばらくはテーマ曲の「♪ジャ~ン、ジャン、ジャン、タリラリラ~」が頭に鳴り響く事うけあい。ホームズのパイプを咥えた決めポーズがまるで歌舞伎の見得みたいで様式美さえ感じますww

    で、弟ソローミンのワトソンは、兄ユーリーを若くかわいくしたって感じでウブな英国紳士にぴったり!グラナダ版より早い制作だし、このワトソン像が後に影響してるらしい。そして意外なせりふがシリーズ2の最後に出てくるの。ホームズの活躍をいつもレストレードに横取りされるのに怒ったワトソンが「これからは自分がホームズの記録係となって世界中にホームズの業績を知らしめてやる!オーストリア、フランス、日本そしてロシアで!」って決意を込めて言うのです。ごめん、日本以外はうろ覚えですが、なんで日本!?と思うところですよね。
    ☆ここで私の推理・・・兄ユーリーは黒澤監督の覚えもめでたく自身も親日家なのでそれが弟にも伝わって、或いは「デルス・ウザーラ」の世界的高評価を受けて制作陣が「日本」を入れた、と。

    「デルス」に戻ると、とにもかくにも黒澤明は、実にすばらしい映画を残してくれました。感謝あるのみ。おかげで原作にも出会えたし。文章だけでは感じ取れない時代感、自然の雄大さや、人と人との触れ合いを実写で見ることができる幸せをつくづく感じます。私、基本ミーハーだから「七人の侍」と「椿三十郎」が好きだけどこの「デルス・ウザーラ」は、黒澤明の最高作品と言って良いかも。
    では、ダ スヴィダーニャ☆







  • 2013/09/26 (Thu) 23:56

    ジェーンさん こんばんは。

    ロシア沿海州やウスリー地域を含むアムール川流域がジェーンさんの心の故郷ですか。ふぅん。どうしてまた?って聞けば長い物語かしらん。(笑) この辺に郷愁をそそられる、という人は少数派かもしれませぬわね。寒冷地に憧れるざますか。「寒さによって生命力を喚起される」か。まぁ、確かにそういうところはあるかもしれぬけれども、ワタシはここ数年で寒さにめっきり弱くなってきた自分を感じますわ。昔は北欧とか憧れたもんだけど、最近は、寒いのはダメだな、と思っちゃうのね。夏涼しいのはいいけど、秋冬が寒いのはしんどいな、と(笑)信州あたりでも冬は辛そうだな、と思っちゃうしね。一方、南は怠惰な頽廃って感じがありますね。死地を求めて向うところ、か。むほほ。なかなかドラマティックなりね。
    で、この映画の原作は未読なんだけれども、映画がよく出来ていたから、何かもうそれで満足してしまってますわ。まぁ、でも、原作も味わい深いんでしょね。きっと。

    ロシア版「シャーロック・ホームズ」とこの映画の不思議な繋がりの話、面白いざんすね。ふぅん。ロシア版のホームズってワタシは一度も見た事ないんだけど、ロシアの人って意外に好きなのね。ホームズが。そしてロシア版のホームズ映画も、なかなか出来がいいみたいですね。

    昔の映画を見ていて、ふいに「来週、日本に出張にいく」とか、世界の大都市では、とかいう流れで東京が出てきたりすると、なんでそこに日本?とか、東京?とか思う事はたまにありますね。今じゃなくて40年以上前の映画だったりすると、奇異な感じがするのね。

    うん。確かにこれは黒澤作品の中でも特筆すべき作品ですわね。長らく気になりながらも、なかなか観る機会がなかったのだけど、ようやく見られて満足しましたわ。デルスを見ずして黒澤は語るなかれ、という観もありますわね。
    いい映画でした。

  • 2013/09/27 (Fri) 15:17

    すみませ~ん。「浮き雲」は「浮雲」の間違いです。ついうっかりして。「浮き雲」となるとアキ・カウリスマキの敗者3部作(笑)のひとつでしたね。高峰秀子の「浮雲」に関しては・・・っとスレチになるのでいずれそちらのトピックに書きますね。

    アルセーニエフは、その名を冠した都市があったりと今なお有名なのですが、かれの奥さんは(映画では優しげで聡明そうだったね)は革命後反体制分子として処刑されているし(それもアルセーニエフが密告したことになってる)娘さんは収容所送りとなったみたい。。。なんだかなぁ。表には出てこない事情があるのでしょうが、悲しいですね。哀しい。

    ロシア版ホームズって書いたけど、これからはソ連版って言わなきゃいけないかな?というのも今またロシアで新しくホームズが制作されているので。本当にロシアの方々ってホームズが好きみたいですね。こちらのブログでも「Sherlock」がアメリカより早く放映されているとの情報がありませんでしたっけ?あ、またまたスレチになってきた。

    kikiさん、寒さにめげず頑張って信州にお家作ってください。ターシャのバーモントも一年の半分は冬ですよ。信州、私も好きだな。寒さのあとの春のお花は格別ですよね。お訪ねしますわ。
    「kikiタ~ン!」「ジェ~ン!」

  • 2013/09/28 (Sat) 21:14

    アルセーニエフは、ロシアの名士なんですね。都市の名前になっているとは知りませんでしたわ。ふぅん。でも奥さんを告発したなんて、なんかドロドロしてますね。怖いこわい。
    また、ロシアで新しいホームズ物が作られてるんですか。よくよく好きですね。そんなに好きな割には、ロシアには探偵小説ってあまり有名なのは無いのかしら。妙なもんですわね。

    そうねぇ。寒さにめげずに頑張って、信州に別荘を持たねばね。晴れて別荘を持って、庭をイングリッシュガーデンにしつらえたら、ご招待しますわよ。でも春から秋までの季節は信州に折々行っても、冬だけは東京で過ごすでしょうねぇ、ワタシは。東京も大好きだし、信州は寒いから。ふほほ。

  • 2013/09/30 (Mon) 16:22

    またおじゃましま~す。
    kikiさん、ロシアって意外とミステリー大国だったりしますよ。
    ちょっと前ではユリアン・セミョーノフ、今はアレクサンドラ・マリーナ(ロシアのクリスティと言われてる)やボリス・アクーニンなどがいます。特にアクーニンは知日家で日本研究の権威でもあって三島由紀夫や島田雅彦の翻訳も手がけています。ペンネームの“アクーニン”も日本語の“悪人”からとってるのだそう(笑)。

    ロシアの外交官ファンドーリンを主人公にしたシリーズなど大人気で映画やドラマにもなっているみたい。全世界でも30カ国以上に翻訳されてます。もちろん日本語訳も出てますよ。ロシア語学習者なら知ってると思われます(私はちょこっと囓っただけですが)。でも世界的大ベストセラーにはならないね。日本のミステリーも結構いけてると思うのですが。

    問題は、言語だと思います。やっぱり英語のアドバンテージにはかないません。2008年8月のロシア・グルジア戦争(南オセチア紛争)の時も、すぐに英語圏側メディアがロシアの砲撃にさらされたグルジアのおばチャンの写真を配信していかにもロシアが先に仕掛けて悪い、とばかりの論調を張ったけど実際はグルジアが先制攻撃してたのよね。まあ、ここは以前から一触即発だったからどっちもどっちって感じですが。つくづく英語の情報発信力の強さを思い知らされました。

  • 2013/09/30 (Mon) 22:38

    ジェーンさんは、やたらにロシア通、というか、隠れロシア好きなんですね。詳しいですねぇ、あれこれと(笑) ロシアにそんなに思い入れがあろうとはね。
    ロシアはミステリー大国なんですか。へぇー。それってあまり知られていない事かもしれませんわね。ロシア文学って、古典意外は日本でポピュラーじゃないものね。あー、でも、言語の壁というはあるんでしょうが、「ミレニアム」シリーズなんて元はスウェーデン語の北欧ミステリーだけど世界的にベストセラーになっていますわね。まぁ、目新しさとか、インパクトがあれば、英語じゃなくてもワールドワイドに翻訳されて売れる事は確かかも。英語のミステリーほど作家も作品も多岐に渡った普及はしないですけれどね。確かに英語は読み易いし、聞き易いから、パーッと広まり易いという事はありますわね。

  • 2013/10/04 (Fri) 12:46

    ロシアそのものがすごくミステリアスだからミステリー大国なの。な~んちゃってww
    旧ソ崩壊後いろいろ情報が出てきておもしろくなって追いかけてるだけだよ。ロシア通なんて、めっそうもない。本物ロシア通に笑われちゃいます。でも、ちょいと反省してるの。話しすぎるのかしら?会話してる途中、相手と関心事が同じだと思うと嬉しくなってついつい話し込んでしまい、ふと気がつくと相手が(本当に!)じりじりと後ずさりしていた・・・と言うことが2度ほどあったわ。一人なんか脱兎のごとく逃げていきました(笑)

  • 2013/10/04 (Fri) 17:36

    ロシアに興味があるというのは、けっこうユニークだなという気はしますね。
    でも、確かに自分の関心事にあまりのめりこまない方がいいかも、ですわね。相手がいるときには空気を読まないとね(笑)

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