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「ROME」 最終回

-アントニウスとクレオパトラ-
2005~2007 英/米 マイケル・アプテッド他 監督



これまでに何度か感想を書いてきて最終回について書かないのも座りが悪いので、今回は「ROME」最終回について。
後半のセカンド・シーズンに入り、殊に終盤アントニウスがエジプトに移ってからは掛け足で話が進んで幕が降りてしまったので、全25回ぐらいにして最後のあたりはもうちょっとじっくりやればよかったのに、とも思ったけれども、ヴォレヌスとプッロの固い友情もそれらしい締めくくりを迎え、総体に面白い歴史ドラマだった。
最後の2話(#21、#22)は何といっても歴史上名高いロマンスであるアントニウスとクレオパトラの関係がフィーチュアされてくる。アントニウス(アントニー)とクレオパトラといえば、ワタシが子供の頃の東京タワー蝋人形館には「アントニーとクレオパトラ」の人形が展示されていた。後で知ったのだが、それは映画「クレオパトラ」でのエリザベス・テイラーとリチャード・バートンをモデルにした人形だった。さほど似てはいなかったような記憶があるけれどもインパクトは絶大だったのか、大人になってからは一度も東京タワー蝋人形館に行っていないにも関らず、今でも非常によく覚えている。今もE・テイラーのクレオパトラ人形はあるようだし、さほど昔と展示内容は変わっていないのかもしれない。そのうち一度、懐かしい東京タワー蝋人形館に再訪してみようかと思っている。



話をクレオパトラに戻すと、なんだかんだ言ってもこれまでに映画に現れたクレオパトラで一番有名なのは、映画の出来は別として、やはりE・テイラーのクレオパトラだろう。それ以前はサイレント時代にセダ・バラが演じ、1930年代にクローデット・コルベールが演じ、40年代にヴィヴィアン・リーも演じているが、世界一の美女かどうかはともかく、どかんとした貫禄とか、それらしい雰囲気とか、E・テイラーのイメージは長らく人々の脳裏にクレオパトラとして棲みついたのではなかろうか。

このテイラーの「クレオパトラ」は1963年、20世紀FOXの制作だが、あまりに巨額な制作費の上に、さらに「エリザベス・テイラー女王」の高額なギャラ(百万ドル)およびその我儘放題を容認した挙句の経費のかさみで、20世紀FOXは屋台骨が傾いた。それなのに残念ながら出来もよくないのだが、湯水のように金を使って作ったらしい雰囲気は画面からも伺われる。この映画も子供の頃に民放洋画劇場のどれかで観たのだった。長かったから2週にわたって放送、なんてやっていた気がする。このクレオパトラに代表されるように、総じて女盛りで妖艶で豊満でモッタリとした濃厚な色気のあるタイプがクレオパトラ・イメージの主流だった。


やたらにお金だけはかけている

が、「ROME」に登場するクレオパトラは小柄で胸も薄く、エキゾティックではあるが眼の覚めるような美人というわけでもない危険なジャンキーである。しかもかつらとセットになった冠を取ると少年のような短髪で、そのへんもこれまでに描かれたクレオパトラとは異なる斬新なイメージを提示したと言えるかもしれない。



「ROME」では、フィリッピの闘いの前のガチンコ対決ではオクタヴィアヌス軍に敗れて北へ敗走しているアントニウスが、一時的にオクタヴィアヌスと手を組んでブルートゥスを討伐したものの、結局は落ち目の下り坂にさしかかっているので、知略に長けたオクタヴィアヌスにいいように動かされて、東方の属州を統治するということでエジプトに下る。ローマを追われた事は癪だが、元からクレオパトラに関心のあったアントニウスは、豊かな穀物と財宝の上にあぐらをかいて、クレオパトラと共に怠惰な生活にのめりこんでいく。泥沼のような享楽、見果てぬ麻薬の夢の中に…。



それにしても、いまだかつて、ここまで頽廃の色濃いクレオパトラとアントニウスを描いた作品はあっただろうか。クレオパトラと同じく、エジプト風のくまどり化粧をしたアントニウスは、古代ローマのかぶき者、という観もある。アントニウスはオクタヴィアヌスと決戦の時を待ちつつも、心のどこかではもう自分は終わっていることに気づいている。いつの間にか、何かが彼の手の中から滑り落ちてしまい、二度とは還って来ないのだ。彼の前にはただクレオパトラがいて、彼を幻惑して止まない。ローマへの望郷とクレオパトラへの妄執、それが彼をあくなき酩酊と頽廃へ向かわせるのだろう。クレオパトラとの間に幼い子供を二人までなしつつも、酒に溺れ、麻薬に溺れ、もはや剣を握ってもまともに闘う事もできない有様になっているアントニウス。



ローマからの使者を待たせ、王宮の中で生きた人間を標的に狩りごっこに興じる二人。そのランチキ振りには、周辺の取巻きもみんなゲンナリ。オクタビアヌスとの決戦の気配が濃厚になるにつれ、ローマから随行した連中は沈む船からネズミが逃げ出すように脱出を企てるが、ヴォレヌスは一人動かない。彼にも来るべき破滅はありありと見えているが、見届けぬわけにはいかないのだ。アントニウスの最期を。

娘に裏切られた傷心のヴォレヌスは、以前アントニウスに誓った「死ぬまでの忠誠」を守る事に決め、じっと黙ってその身辺に控えている。自分からエジプトに連れていってくれと頼んだのだ。アントニウスが生きている間は見捨ててローマに帰るわけにはいかない。それに彼にはローマに戻っても、帰るべき家はもうないのだ。最愛の妻は自分が追いつめた為に自殺してしまった。ヴォレヌスはアレクサンドリアで娼婦を抱きながら妻ニオベの夢を見る。眠りから醒めた朝が物悲しい。ニオベは自分でも言っていた通り罪深い女である。こんな純情一途な男を裏切ってはならない。


夜毎の夢が虚しいヴォレヌス

酒と薬に溺れ、クレオパトラとの情痴に溺れ、自滅していくアントニウスを痛ましげにみつめるヴォレヌス。彼とても、アントニウスを好ましく思っていたわけではない。けして尊敬もできなければ、好きにもなれなかったアントニウスだが、不思議な因縁により、ヴォレヌスは晩年の彼と行動を共にし、その最期に立ち会う事になる。このドラマでアントニウスがヴォレヌスに対する時は、時折そこはかとなくホモっぽいのが興味深いが、ヴォレヌスに剣を構えさせ、彼に抱きつく形で自害するアントニウスは「忠実な」ヴォレヌスの腕の中で息絶える。

ヴォレヌスに組合と子供たちを託されたプッロは元締として市場を仕切っていたが、エジプトにアントニウスとクレオパトラの連合軍を討伐に行くオクタヴィアヌスに命じられて同行することになる。不思議な運命により、仕える主人同志が敵対する二人なのだが、勿論二人は真っ向から闘う事はない。「ROME」の特徴として、人間ドラマは濃厚だが、合戦シーンは殆ど描写せずにさらっと流す、という傾向があり(何度もある「○○の戦い」というのを全部映像化していたら大変だからだろう)、他の幾多の戦争同様アクティウムの海戦も戦闘シーンそのものは省かれている。ヴォレヌスとプッロは使者を通じて、暗号のように互いの子供達の消息を伝え合う。終盤の2回は殊にルキウス・ヴォレヌスを演じるケヴィン・マクキッドの眼の演技が良かった。カエサリオンに父上の話をしてくれ、とせがまれ、カエサルの事ではなく実の父親について語る時の表情なども良い。静かな表情の中にそこはかとなく諦念と憂いがあった。圧倒的な虚しさに耐え、孤独に耐え、宿命に耐えるその眼差し。



カエサリオンを連れて王宮を脱出したヴォレヌスが、プッロと砂漠で再会するシーンも良いのだが、このへんももうちょっと時間を取って描くと良かったに、と思う。生意気で気位の高い少年を連れての旅は、昔、少年時代のオクタヴィアヌスを保護してローマに戻って以来の二人。だが途中、検問で引っ掛かり、斬り合いでヴォレヌスは致命傷を負う。

この瀕死のヴォレヌスとカエサリオンを連れてのプッロの難儀な道中の描写もぽーんとすっ飛ばしてアッサリとローマに着いてしまうのだが、とかくに駆け脚気味になったのが惜しまれるものの、ローマに凱旋し、「第一の市民」として遂に権力の頂点に立つオクタヴィアヌスの栄光の影で、息子に打ち負かされて自害したアントニウスを想う母アティアの涙という対比が効いている。アティアは傲慢で、女の厭な面を全て持っている女だが、アントニウスへの想いだけは意外にも一途なのである。これまで様々な女の闘いに勝利してきたアティアだが、セルウィリアの呪いか、最愛のアントニウスはクレオパトラに絡め取られて遂に取り戻す事はできなかった。当初は気力を失い、凱旋式にも出ないと言っていたアティアが、いい気になっている息子の嫁を抑えて、かつての傲慢ぶりを取り戻す様子にひそかにエールを送る娘オクタヴィア。奔放で身勝手な母親をずっと嫌ってきたオクタヴィアだが、長い歳月の間に、共に女として政治の道具に使われた者同志としてのシンパシーが芽生え、また弟とその嫁に対する反感から、強気の母が復活した事を喜ぶ娘の心理もなんとなく分る。また、あんなに嫌っていた娘にも遂にエールを送らせるアティアの堂々たる姿には、どんなに問題のある性格でも、それを徹底して貫けば突き抜けてアッパレという地平に出る、という事を改めて感じた。



前半では賢い美少年という感じで、人としての弱さや愛嬌もあったオクタヴィアヌスも、後半、青年になると演じる俳優の交替とともにキャラも変貌する。世間のイメージ通りのオクタヴィアヌスになるのである。後半の青年時代を演じるのはサイモン・ウッズ。この薄い顔だちの若手俳優は「プライドと偏見」でMr.ビングリーを演じていた人である。クールで怜悧で計算高いオクタヴィアヌスにハマっていた。



そして全編を貫く軸としてのヴォレヌスとプッロの友情も理想的な形で締めくくられる。瀕死の床で、両手を重ねてひたと見つめ合う二人。これだけ共に死線を潜り、冒険をしてきたら、いまわの際に言葉は要らない。ただ、じっと見つめ合えば伝わるのである。

激動の時代を生き抜き、オクタヴィアヌスをたばかってエジプトから我が子を連れ帰ったプッロは、全てを見届け、しかし何も語らない時代の証人として余生を生き、そしてやがて土に還っていくのだろう。エジプト人の少年がプッロとともに暮らしているなんて噂は忽ちオクタヴィアヌスの耳に入りそうだが、まぁ、それは上手く逃げおおせたということで。(笑)
カエサリオンはカエサルとクレオパトラの子とされているが、実は父親はカエサルかどうか不明であるという説もあり、本作では思い切ってプッロの息子という設定にしたのも斬新だったと思う。





***
昔、子供の頃に馴染んだ愛着のある吹替え作品以外は、およそ吹替え版というものが嫌いなワタシなのだが、「ROME」は吹替え版のみの放送だったので、ずっと日本語で観た。でも、特に本人の声とエロキューションでなくてはとても耐えられない、というほど魅力のある声の俳優は出ていなかった事もあり、また、ローマ史劇などは人名や地名など、なんでもかんでも英語読みされると白けるという事もあるので、(例えばキケロがシセロになったり、マルクス・アントニウスがマーク・アントニーになったりすると、どうもね…)吹替え版で違和感なく楽しめた。
ルキウス・ヴォレヌスはクリスチャン・ベイルやウィル・スミスの声なども担当する東地宏樹が担当。かなりピッタリだった。youtubeで聞いたケヴィン・マクキッド本人の声よりも良かった。だが、ハマリ役というなら、ティトゥス・プッロ役のレイ・スティーブンソンの声を担当した、てらそままさきだろう。プッロの愛嬌のあるところや明るさ、懐の広い感じ、根の優しい感じなどがよく出ていたと思う。その他の役も、俳優の雰囲気と吹替えの声がよく合っていた。質のいい吹替え版で良かったと思う。

●当ブログの「ROME」関連記事
ROME [ローマ] -時に下世話に、時にドラマティックに-
ROME [ローマ] -ルキウスとプッロ、さらに波乱万丈-
映画や小説やドラマの中の「男の友情」

コメント

  • 2011/12/28 (Wed) 23:16

    「ROME」、終わっちゃいましたね。
    私は途中から見たので、今度TSUTAYAでDVDを借りて最初から見ようかと思っているのですが…。

    プッロは、ガイアを殺して池に捨てた死体を見つめる眼差しが妙にセクシーですごく印象的でした。愛する人の身に起こった事実を知った以上は、敵を決して許さず生かしてはおかない。少々過激ではあるけれど、それがプッロなりのエイレネへの愛の証だったからでしょうかね。そう思うと、あの時のプッロの目に映っていたのはガイアの死体ではなく、仇を討ったプッロを「いい子、いい子」してくれるエイレネ=プッロの求める母性、だったのかなと思ったりしました。
    初めはケヴィンの石膏像っぷり(?)に興味をひかれて見始めた「ROME」ですが、レイ・スティーブンソンもとっても良かったな、と改めて思います。

    余談ですが私の職場にセルウィリア似のおばさまがいて、それも見た目だけじゃなく性格も少々…(苦笑) 恨みを買わないようくれぐれも気をつけなければ、です。

    今年はkikiさんのブログでとっても楽しませていただきました!
    来年もどうぞよろしくお願いいたします。
    良い年をお迎えくださいませ♪

  • 2011/12/29 (Thu) 09:24

    xiangさん。「ROME」は最初の方も面白いので、是非半額の日にでも借りてご覧になってください。原語で聞くとブルートゥス役のトビアス・メンジーズはとても貴族的なクイーンズ・イングリッシュなので耳に心地よいですよ。
    そうですね。プッロとガイアのエピソードにも触れようかと思いましたが、あまりに記事が長くなりすぎるので割愛しました。基本的には愛情深いけれども、許さない事は絶対に許さない、というプッロの厳しいところがよく出てましたね。まぁ、あれは許しておけぬでしょうけど。ガイアも告白すればどうなるか分かっていながら言わずにいられなかったのは本気だったからでしょうね。…女心。
    プッロを演じるレイ・スティーブンソンも目に魅力のある、語る眼差し系の人ですね。プッロが後半ではどんどん分別のある大人のいい男になっていくのもうふふん、という感じでした。ヴォレヌスとプッロがいいコンビであるように、ケヴィン・マクキッドとレイ・スティーブンソンも俳優としていいコンビネーションだったと思います。

    あー、セルウィリア似のおばさんって居そうですね。何か想像できますよ。大変そうです。当らず触らず、ですね。セルウィリアは、ある意味アティアよりオソロシイかもって感じです。

    こちらこそ、今年はxiangさんとはジェイク・ファンという部分も含めて楽しいお付き合いをさせていただき、ありがとうございました。来年もご一緒に楽しんで参りましょう。

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