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「クラシックホテル憧憬」 ~セタ パレス ホテル~

-小さなホテルの物語-
BS日テレ



映画やドラマのレビューの合間にちょこっと一服というわけで、大好きな番組、BS日テレの「クラシックホテル憧憬」(タイトルが変わって長たらしくなったのだけど、ワタシは改変前のタイトルの方が好きなので、こちらで表記)から、ラオスの小さなホテルの物語にじんわりと感動したので、今回は、ラオスの首都ビエンチャンにある、客室数29の小さいけれどもラグジュアリーな「セタ パレス ホテル」の物語について。
こぢんまりとした2階建ての「セタ パレス ホテル」は、フレンチ・コロニアル様式。ロビーも客室もシックで落ち着いた内装で、高い天井でゆるやかに廻っている木製のファンが優雅なそよ風を送ってくる。暗い屋内から光と南国の緑が溢れる戸外を切り取ったショットなどは、いかにも東南アジアらしい光景で、「セタ パレス ホテル」の客室の窓辺の光景を画面で見ていたら、マレーシアで泊まったホテルの部屋の窓辺を思い出した。



ラオスというのは、ベトナムの隣で、どこも海に面した部分がない内陸の国。面積は日本の本州とほぼ同じらしい。1975年に革命が起きて以来、共和制国家になっている。ホテルの歴史はそのもっと以前、ラオスが仏領インドシナの一部だった頃に始まる。ビエンチャンに、そのホテルの前身がフレンチ・コロニアル様式で建設されたのは1930年代で、元は「バンガロー」という名のホテルだった。ラオスは戦時中には日本の占領下に入ったが、戦後に再び仏領となり、1953年に独立する。そして、ベトナムから移住してきたテオダス夫妻が1958年にこの「バンガロー」を買い取り、「セタ パレス ホテル」として開業する。


かつてのホテルとオーナー夫妻

夫妻は小さなホテルを愛し、懸命に育てた。そして数年のちにはビエンチャンで最高級のホテルと呼ばれるまでになった。夜毎繰り広げられるレセプションやパーティ、さんざめく人々の輪の中で活き活きと働く母の姿を、香港の寄宿学校から帰省するたびに、一人息子ビリーは眩しく眺めた。ホテルが華やかだった時代、それはオーナー一家が最も幸せだった歳月でもあった。


12歳から香港の寄宿学校に入っていた一人息子のビリー

独立後のラオスは激しい内戦の時期を経て1975年に人民共和国政府が樹立する。70年代は近隣のベトナムもカンボジアも大変だったがラオスも他人事ではなかったのだ。コロニアル時代の遺物のような「セタ パレス ホテル」は政府に接収され、オーナー一家は全てを失って国を追われた。接収されたセタ パレス ホテルは共同住宅として20年近く使われた。30世帯以上が何年もごった煮のように住んでいたホテル。ロビーは自転車置き場に、スィートルームは鶏小屋になり、手入れもされず、老朽化とともに荒廃も進んで、かつての華やかなビエンチャンの社交場は見る影もない廃墟に変わり果ててしまった。


共同住宅時代のセタ パレス あばら家になり果てていた


国を追われてから17年ののち、オーナーだった母ユーシンと、異国でずっとホテル業務に携わってきた息子ビリーはラオスを再訪する。そして、かつての姿を偲ぶよすがもなくなった荒廃しきったホテルの姿に愕然とする。殊にも母のユーシンは我が子のように愛したホテルの惨状にショックを受けて悲嘆に暮れた。そんな元オーナー親子の元に、現政府からホテルを買い戻さないか、という話が持ちかけられる。息子ビリーは、かつて国を追われたときの苦い思い出が心を去らず、二度とラオスに戻るつもりはなかったが、母は目を輝かせて息子に言った。「ホテルを買い戻しましょうよ、ビリー」と。


国を追われて17年後に再訪した親子

母の強い想いにより、損なわれたホテルを元の姿に戻すための大改修工事は始まるのだが、それは難事業だった。壊して1から新しい建物を建てるならもっと簡単だったのだろうが、1930年代に建てられたコロニアル様式をそのまま活かして、出来る限り当時の材料を使って荒れ果てた建物を昔の姿に甦らせるのが改修工事の目的なのである。普通に鉄筋のビルなどを建てたのでは何の意味もないのだ。おまけに、共同住宅として使われていたので、居住者に新しい住居をみつけて立ち退かせる、というところから作業を始めなくてはならなかった。母の強い意志に逆らえずにビリーもこのプロジェクトに付き合うのだが、当初は乗り気ではなかったらしい。それは資金面でも、精神面でも、工数的にも、非常にタフでシビアなプロジェクトだった。



が、強い意欲でセタ パレスの再建に臨んでいた母ユーシンは、改修工事が始まって2年目に急死する。志半ばでの突然の死だった。息子ビリーはホテルの改修を進めるか、それともこの事業から撤退するかの決断を迫られたが、その死で母の存在は息子の中でより大きく確固としたものになっていた。そして気がつくと、母の死が、家族の愛したホテルを甦らせる事をビリーの悲願にしたのだった。そして5年の歳月を費やし、途方もない手間と費用をかけて改修工事は完成し、「セタ パレス ホテル」は1999年、リニューアル・オープンを果たした…。


見事に甦った「セタ パレス ホテル」



母の悲願を成し遂げた息子 賢そうな少年ビリーはにこやかな中年になった

この話のポイントは3つある。息子のビリーはけして自分から強く望んでホテル改修を始めたわけではないという事、そして、ラオスに二度と帰るつもりの無かった彼が、人生の最良の時を夫やホテルと共に送った母の想いの並ならぬ強さを目の当たりにし、その母がホテルの完成を見ずに世を去った時、腹を括って母から託された自分の役目を引き受けた、という事、そして改修はあくまでも1930年代のフレンチ・コロニアル様式にこだわって行った、という3点である。山のような借金も背負うだろうし、完成してもホテルが軌道に乗るかどうかも分らない。共和国政府に対する不信感も拭えてはいないだろう。色々な意味でかなりの覚悟が必要だったと思うけれど、もしもリスクを回避して、中途で事業を投げ出してラオスを去っていたら、彼の残りの人生は灰色の後悔だけで一杯になってしまったに違いない。ホテルを元の姿に戻すこと、それは幸せだったかつての家族の想い出を鮮やかに甦らせる事でもあったのだ。



古い美しい建物を、安易に新しく建て替えたりせず、大事に修理しながら残していくということ、そして、親の代に果たせなかった夢を、子供が受け継いで果たす、または、困難な、果たされないかもしれない遠い約束を強い意志で果たす、という話にとても弱いワタシは、ビリーが腹を括ったというあたりで目頭が熱くなり、「木製の廊下はバラバラになった床板を拾い集めてパズルのように復元した」という部分で、時代を経た落ち着いた艶を放つ、繋ぎ目などわからない廊下の映像が目の中で潤んだ。



時代を経た趣のあるものは建物によらず、なんでも好きなワタシだが、日本のように趣のある古い建物をあまり大事にしない傾向の強い国に住んでいると(最近はそうでもないけれど、高度成長期以降90年代初頭までは、とにかく壊して建て替えろという風潮だったのではないかと思う)、ヨーロッパの人が戦災や災害を受けたあとで、必ず古い建物を瓦礫を拾い集めて元通りに復元し、ずっと昔からの街並みや美しい建物を守っている様子などを見るたびに、どうして日本人にはこういうマインドが薄いんだろうか。古くなった建物を補強するよりも壊して新しく立て直す事ばかりを考えるなんて、文化度が低くて困るわ、と思っていた。もちろんそれは古いものはなんでもかんでも、というのではなく、保存する価値があると思える建物に限ってだけれど)以前、あの東京のランドマークの1つである赤レンガの東京駅でさえ、壊して建て替えるという計画があったのである。今は真逆で、戦災を受ける前の姿に戻すプロジェクトが進行中だが、間違った方に動いていたら、跡形もなくなっていたところだったのだ。昨今ではこうして、少しずつ古くて美しいものをそのまま残す、あるいは、元の姿を活かした形でリニューアルする、という事が行われるようになってきたとは思うけれども、もっと早くそうなっていれば遺せた建物もかなりあったのではないか、と思うと無念な気がしてならない。まぁ、日本は残念な事に地震国なので建物がヨーロッパほど長持ちしない宿命ではあるのだけど…。九段会館も、もはや営業は再開しないまでも建物の取り壊しはしないで欲しいと願っている。



「セタ パレス ホテル」においても、「30年代のフレンチ・コロニアル様式」にビリーがこだわって改修しなければ、もっと早く、もっと労少なくして改修は済んだかもしれないのだが、強いこだわりこそはクラシック・ホテルの生命線である。それこそが変わらぬ価値と輝きを生むのだ。安易に完成すればいいというものではないのである。母の悲願を引き受けたビリーは大変だったかもしれないが、充実感も人一倍味わったに違いない。自分が生まれてきた事の意味、自分が人生でなさねばならぬ事が、これほど明確になる事など誰の人生にもあることではないに違いない。ワタシは何をしに生まれてきたのだろう、とふと思った。無言のうちにワタシに託された使命があるのに気づいていないのではないか、なんて…。まぁ、そんなものは特に無いのかもしれないけれど(笑)

そして、ホテルは今、ビリーの息子ジャックが3代目オーナーとしてビリーからバトンを受け継いでいる。苦難の中を親から子に引き継がれ、今後も更に家族の夢を紡いでいくであろう、ビエンチャンの小さいけれどラグジュアリーなホテル…。
クラシック・ホテルには、時代とともに時を刻んできたホテルならではの物語がどこにでも必ずあって、興味が尽きない。


ホテル内のあちこちに使われている美しいラオスの織物 模様は家ごとに受け継がれている

尚、この番組の語りを担当する兄と妹は実の兄妹で、渡辺謙の息子と娘だという事は4ヶ月ほど前に初めて知った(地上波を殆ど見なくなって5年ほどたつので日本の芸能界についてはまるきり疎くて…)。道理で、間合いの取り方や、暢気な語り口が兄妹で似ているわけである。最近、妹の方が売れているせいかどうか、この番組の語りは兄がもっぱら担当しているが、その方が番組的にも落ち着きが出ていいかもしれないな、と思ったりしている。

コメント

  • 2012/02/19 (Sun) 11:39

    またまたお邪魔します。私もこの番組&クラシックホテルが好きなのでほとんど見ているのですが、この回は見逃していました。いやぁ、素敵なホテルですね。最近はアジアの建築様式に興味がより強くなってしまったのですが、フレンチコロニアル、昔から好きなのです。このホテルだけが目的でラオスに行くのも良いですね♪
    30年代のフレンチコロニアルにこだわるのは大変でホント一から建て替えた方が楽なのでしょうが、この拘りこそが長い目で見たときに生きてくるのでは・・・
    それにしてもよく決心されましたよね。山のような借金、軌道に乗るか解らない不安などは事業を起こす人々には共通してあるのでしょうが、一番の不安は政府に対する不信感で、ここを克服してよくぞ決心しましたね。ラオスにはさして興味はないけれど、ここにステイするためだけに行ってみたくなりました。

    渡辺兄妹・・・杏ちゃんの話し方はちょっと苦手でお兄さんの語りが多くて私的には嬉しいです。それと九段会館、好きだったので今後どうなっていくのか気になります。

  • 2012/02/19 (Sun) 12:20

    Rikoさん
    何度でも歓迎でございますわ。これ、ワタシもこの前、再放送で流れていたのを留守録しておいて観たんですが、良かったです。この番組、好きでよく見ているけど、見ていて涙ぐんでしまったのは今のところ、このホテルの回だけですわ。ビリー氏、よく決意しましたよね。二度と帰りたくないと思っていたのに…。2年目でお母さんが突然亡くなったりしなかったら、どうだったのかな。ともあれ、彼の決意が実ったからこそ、我々もこの素敵なホテルに泊まれるチャンスも生まれたわけですしね。建物がフレンチ・コロニアルで素敵な上に、(床板はローズウッドなんですって)こんな物語まで付いていたら魅力倍増ですね。ラオスという国には確かにあまり魅力を感じないし、行きたい所もないのだけれど、このホテルに泊まるだけでも行く価値はあるかもです。日本からだとハノイ経由になるらしいので、ハノイでソフィテルに泊まり、ビエンチャンに移動してセタ パレスに泊まって、メコン河を渡ってタイに移動し、オリエンタルに泊まって帰国、というクラシックホテルツアーなど個人旅行で組んで行く、なんてかなり素敵かも。あぁ、ため息。夢見ているばかりでなく実現させねば、ですわね。(笑)
    妹の語りが苦手だ、というのは前からRikoさんの感想でしたね。ワタシはあの兄妹の語り口は、ポケッとした雰囲気も似ている気がしてしょうがないんですけど(笑)ともあれ、段々、兄の語りオンリーになっていきそうなので、番組的にもRikoさん的にもいい傾向かもですね。
    九段会館、かなり心配ですが、今の時代の風潮だと取り壊しという方向には行かないのではないかとも思うんですけどね…。でも都心の皇居に近い一等地に、何にも使われていない建物がただ建っている、という状態をOKとするほど国の文化意識も高くない気がするのでねぇ…。心配です。

  • 2012/04/20 (Fri) 17:38

    kikiさんはじめまして
    私、この番組の企画構成を担当している者です。
    なかなかマニアックな番組ですが、ご覧いただきありがとうございます。
    セタパレスは、私にとっても思い入れのあるホテルです。
    「バラバラの床板を一枚一枚パズルのようにつないでいった」くだりは、この回いちばんこだわったシーンでした。長い時間の中で、どうしても過去は吹き飛んで途切れていってしまう。
    でも、わずかに残ったよすがを頼りに失われていった思い出をよみがえらせていく、そうすれば時間は再び動き始める。記憶のブックマークとしてのホテルを舞台にそんなタイムキーパーたちの物語を描きたい、と企画した番組です。
    どのクラシックホテルにも、多かれ少なかれ、ホテルにまつわる無名有名の人々の思いが眠っていますが、セタパレスほどの素敵な物語はなかなかありません。
    とにかく事実の重みを壊さないように、そこに留意しつつ仕上げていきました。

    ご指摘の通り、「祖父」の東四郎八は薩摩治郎八のもじりなのですが、その人物像については別の人物をモデルにしております。
    それは「檀一雄」です。
    パリで浮かれ、シベリア鉄道で大陸を横断し、サンクトペテルブルグで恋に溺れ、中国の大地を馬で闊歩し、南氷洋でペンギンと別れ、ポルトガルの外れで孤独にひたる。
    抑えきれない衝動から放浪を繰り返した檀ですが、いつも旅先から一葉の絵はがきを家族に送っていました。それは糸の切れかかった凧にとって地上とつながるためのたったひとつの手段だったのかもしれません。

    これからもさまざまな物語を発掘していきます。またよろしくお願いします!

  • 2012/04/21 (Sat) 08:12

    totoyneroさん はじめまして。
    このブログにはドラマやドキュメンタリーについての記事も幾つかありますが、番組の企画構成をされている方からコメントをいただいたのは初めてです。「クラシックホテル憧憬」はとても好きで、楽しみに拝見しています。素敵な番組を企画していただきました。そして、「セタ パレス ホテル」はtotoyneroさんも思い入れのあるホテルなんですね。繋ぎ合わせた床のエピソードには、つい涙がにじんでしまいました。こぢんまりとしているけれど、色々な想いの詰まった印象的なホテルですね。「ホテルは記憶のブックマーク」…確かにそうかもしれませんね。ワタシはホテルの歴史とビリーの話と共に、ビリーが改装したホテルのあちこちにあしらったラオスの織物も、とても素敵だと思いました。あの織物で作ったブックカバーが欲しいと思いました。
    「貿易商の祖父」東四郎八は、名前の語感だけを薩摩治郎八から取ってこられたんですね。人物像の方は「檀一雄」でしたか。檀一雄は放浪と酒と料理を愛した作家、というイメージはありましたが、そんなにも世界各国に足跡を残しているとは知りませんでした。ワタシは檀一雄というと、嵐山光三郎が彼を評して「快活で、男っぽく、気前がよく、人にやさしい豪放な人だった」「豪快さの中に、流れ星のような孤独を秘めている人であった」と書いた文章を思い出します。誰もが好きにならずにいられないような人となりの快男児だったのでしょうね。…憶測で失礼ですが、檀氏はtotoyneroさんのお爺さまに当られるのではありませんか?
    「クラシックホテル憧憬」は舞台を欧州に移してきていますね。欧州にも魅惑のホテルは沢山あって、ホテルにまつわる物語も数多く発掘されそうですね。これから放映される番組への期待と共に、ワタシはずっと「ソフィテル・メトロポール・ハノイ」の回の再々再放送を待っている状態ですので、近いうちに是非とも放送をお願いいたします。と、この場を借りてちゃっかりとお願いをしてしまいました。よろしくお願いいたします。そして、これからも素敵なクラシックホテルの物語を届けていただけるのを楽しみにしております。

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