「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」(EXTREMELY LOUD AND INCREDIBLY CLOSE)

-喪ったものと、得たものと-
2011年 米 スティーヴン・ダルドリー監督



小説も映画も原題そのままの邦題タイトルがはまるというのは気持ちいい。これはトレーラーを見た時に、まずタイトルがとても気に入ったので見ようかなと思ったのだった。ベースはジョナサン・サフラン・フォアの同名小説らしいがこれは未読。でもいかにも小説の映画化らしい雰囲気は随所に現れていた。9.11から数ヶ月しかたっていないニューヨークが舞台なのだけど、ワタシがこの映画を好ましく感じた理由に、全体にそこはかとなく漂うヨーロッパ臭があったかもしれない。
監督のスティーヴン・ダルドリーはイギリス人なので、「9.11の傷」がフィーチュアされた作品でも、アメリカ人が撮った場合とは少し空気感が異なるだろうと思っていた。また「愛を読むひと」や「リトル・ダンサー」を撮った人なのでジュブナイルの青く透き通った悩みを捉えるのは得意技でもあるから、題材的にも外れないだろうと思っていた。これをスピルバーグが撮っていたら、ワタシはけして観に行かなかっただろうと思う。

主人公の少年の両親を、トム・ハンクスにサンドラ・ブロックというコテコテのハリウッドスターが演じている割には、映画全体にはそういう臭味がない。主役の少年の風貌や、彼の祖父や祖母からはヨーロッパ臭がする。ドイツからの移民という家系なのである。だからそういうヨーロッパ臭の中で、父親役のトム・ハンクスだけが浮いている。隠しようもなくアメリカンなその笑顔。彼が出てくると、何か、寅さん映画以外の映画で渥美清を見てしまった時のような気分-あら、寅さんが出て来ちゃったじゃないの…という感覚に近いものを覚えてしまう。少年の父恋しさを回想の中で煽り立てるための存在なのだけれども、アットホームなその笑顔がなんだか作り物みたいに見えてしまって、父親役がトム・ハンクスでなければもっと良かったのにね…と思った。少年が大好きな、父親の肩をすくめる仕草もトム・ハンクスがやると、なんだかわざとらしくてサマになっていない。とってつけたような動作である。が、これを遺伝させたのであろう「間借人」がやると、1回だけしかその仕草をするシーンはなかったのだが、サラリと決まっていた。祖母のアパートに間借する、その不思議な老人を演じるのはマックス・フォン・シドー。やっぱり良い。出てきただけで嬉しい。歩くのがちょっとシンドそうに見えたのだけど、老体にムチ打って、けっこうあちこち歩かされていた。(最近の映画は老俳優をコキ使うなぁ…)そのふらふらとした覚束ない足取りを眺めつつ、転ばないでよ~、とハラハラした。ちなみにマックス・フォン・シドーはスウェーデン出身である。名前や雰囲気などはドイツ人ぽいけれどもスカンディナヴィアンなのだ。イングマール・ベルイマンとの数々のコンビ作品で知られる名優で、お爺さんになっても勿論いい俳優であり続けている。今回の彼の役は、過去の強いトラウマから発声障害を抱えている老人で、会話は全て筆談という設定である。



主人公の少年オスカーは、頭はいいけれども、やたらに苦手事項の多い繊細で気難しい少年である。他人とコミュニケーションをするのが苦手で、アスペルガー症候群の検査も受けたが「不確定」という判定だった。9.11の前からなのか、その後にやたらにそういう傾向が強くなったのか、公共交通機関は危ないからイヤだ、と乗らない。確かに地下鉄などに乗ると、パニック障害を起しそうな少年ではある。ブランコにさえ、危ないからイヤだ、と乗らない少年なのである。こんなオスカー少年が全面的に自分の存在を委ねて甘えていたのは、大好きな父トーマスだった。彼らは言葉遊びから幻の都市探検と、二人だけの遊びをあれこれと持っていて、ヒマさえあれば二人でそれを楽しんでいた。たださえ普通の子よりは生きていくのが難しそうなオスカー少年が、こんなにも全面的に依存していた、最大の理解者である父親を突如喪ったらどうなるか…。



親の死に直面するのは幾つになっても辛い。オトナになったって辛い。特に子供の頃から自分にとってかなり特別な存在だった親を喪うと、その巨大な喪失感とどう折り合いをつけるのか、模索しながら日々を生き、時が解決してくれるのを待つしかない。それでも、「喪失」そのものは埋まらない。喪われたものは戻らない。ただ、いつしかその事を受け入れられるようになるだけなのである。

ましてやオスカーはまだ少年だ。しかも、あんなにも父親と密着していた少年である。予期せぬ事である日突然大好きな父親を喪ってしまった事など、到底受け入れられるものではない。そんな彼にもたらされたのは、父のクロゼットの中の青い壜の底に入っていた、古い小さな鍵だった。鍵の入っていたオレンジ色の小さな封筒には「Black」と書かれてあった。少年はそれを父からのメッセージと受け取り、その鍵と合う鍵穴を探すべく、ニューヨーク在住の全てのブラック氏に会って鍵に心当たりはないかを尋ねて廻るというクエストを計画し、その事にのめりこむ。これは父の死による巨大な喪失感に押しつぶされないため、無意識に彼の自衛本能が働いた結果なのだと思うけれど、それはかなりの試練である。他人と話すのが苦手な上に、公共交通機関にも乗れない、橋を渡るのも怖い、人ごみもイヤだ、という少年がニューヨーク中を、見知らぬ人を訪ね歩いて1本の鍵について探り出そうというんだから…。でも何か、そういう生まれつき苦手な事を克服しながら進むクエストにでも夢中になっていなければ、とても父を喪ったあとの日々を生きていく事など出来なかったに違いない。家の中で膝を抱えてひたすらに父の不在を噛み締めていたら深刻におかしくなっていた可能性は高いだろう。



パニック障害を抑えるために、少年はタンバリンを持ち歩いていて、怖くなるとタンバリンを鳴らしつつ歩いたり走ったりするのだが、あんなんでパニックが鎮まるの?むしろもっと昂進しやしないの?と首を捻った。タンバリンの音には、妙に人を落ち着かなくさせるものがあるのだ。また、この少年はとかくにエキセントリックで、かわいげのある少年ではない。どちらかといえばクソガキ(マンションの守衛のおじさん(J・グッドマン)に悪態をつく場面など、はったおすぞ、クソガキ!という感じではある)であるが、タンバリンを携えたアスペルガーっぽいクソガキ、というのはいかにも小説の主人公らしい。オスカーを演じるトーマス・ホーンは地のように、この厄介なクソガキを演じていて、演じているという感じが全くしない自然さには感心した。彼の背ばかり伸びているが骨の中身は充実してなくて、まだ体がしっかりしていないような、ひょろひょろした、伸びすぎた青アスパラのような体型や、その神経質そうな顔つきも、見事に役に合っていた。



週末ごとに計画を立て、あちこちのブラックさんを巡り歩くも収穫のない事に疲れ出したある日、オスカーは通りを隔てた向いのアパートに住む祖母の部屋に間借り人がいることに気づく。祖母にいくら尋ねても間借り人については何も教えてくれず、彼とは話をするな、といわれるオスカーだが、母といさかったある日、祖母を訪ねたが不在のアパートで、言葉を発しない不思議な老人の間借り人と出会う。彼は左の手の平にYES、右の手の平にNOと書いてあり、単純な答えで済む時にはどちらかの手の平を見せる。マックス・フォン・シドー。素敵である。



この「間借り人」もいかにも小説中の登場人物らしい雰囲気がある。老人の手の平のサインに、生意気なクソガキも思わず「Cool…」と感嘆するのが微笑ましい。鍵穴を探す少年のクエストに、老人も参加する。老人と行動することで否応なしにバスや地下鉄などの交通機関を利用し、苦手な橋を渡るオスカー。また、筆談でしか会話できない老人ではあるが、オスカーは彼と会話をしていると、父とふざけあって言葉遊びに興じていた時の、あの親密な気分をもう一度味わう事ができたのを実感する。彼には、老人が誰なのか、もう分かっている。老人は、少年がひそかに大好きだった父の仕草を、全く同じように無意識に見せたりもする。そんな人が赤の他人でありえようか…。



おもいがけぬ事から鍵の由来が分り、それはオスカーが願ったような父からのメッセージではなかったのだが、あの日、家に戻っていながら父の電話に応えられなかった、父のメッセージに応答できなかったという事、その誰にも言えない自責の念を抱えて苦しんでいたオスカーの心の重荷をいささかなりとも軽減するキッカケにはなる。ジェフリー・ライトも、やはり良い俳優だ。ワンポイントしか出て来なくても、それなりに余韻を残している。

ただ、本作でずっと奇異な感じがしたのは、少年と母親との距離感である。そもそも父親ベッタリな少年だったにせよ、彼が父の死後、妙に母親を遠ざける様子があるのはなにゆえなのか、見ていて奇妙な感じがする。秘密のクエストの事、そして父の最期の留守電のメッセージを母に知られたくない、という事があったにせよ、何か、このねじくれた関係性は不思議な感じがした。父が不慮の死を迎えたからって、同じように巨大な喪失感を抱えつつも息子を心配する母に八つ当たりをするには当らない。また、その奇怪な印象に終始する母と息子の関係性を終盤でドンデンのようにひっくり返すのも、何かとってつけたようで面妖な印象だった。ただ、母を演じるサンドラ・ブロックは、ずっと悲しんでいるので抑え目な演技で終始し、映画のトーンをその存在で邪魔しないようにしていた。この人はいかにもなロマコメもそれなりに演じるし、地味な役を地味に演じようと思えばとことん地味にも出来る人である。



ニューヨークのあちこちをタンバリンを鳴らしながら歩いたり走ったりする少年。彼の背後に映るニューヨークは、よく目にする、ありきたりのニューヨークではなく、どことも知れない大都会という印象なのも良かった。セントラル・パークも快晴ではなく、公園から見える周辺のスカイスクレイパーの上層部が靄に隠れているのもしっとりして良かったとおもう。あのマンハッタンとの間の長い橋を歩いて渡るのは、パニック障害がなくたってけっこう怖いと思った。


コメント

  • 2012/03/08 (Thu) 00:09

    kikiさん、見ました!わたしもこれ見たいなあとずっと思ってた一本でした。この監督の作品の持つ雰囲気が好きだったのできっといいもの見れるに違いない!と。
    久々に心地よい涙を流しましたねえ。
    サンドラ・ブロックは「スピード」くらいしか見たことがなく、あのトラック姉ちゃんのイメージがわたしの中ではすっかり浸透しており、本作のようなこんな演技もできるいい女優さんになっていたのか、とそこがいちばん感心したところでした。
    おじいちゃんがどうして喋らなくなったのか、貸金庫の中身はなんだったのか、とか気になったりはしたけども、すべてを明らかにしないとこがまたよし、と思いました。
    少年の作った探検調査ノート、飛び出す仕掛けがあったり、色んなものを貼ってパンパンに膨れていたあのノートのようなものをわたしも作りたい!と思ったのでした(工作とか手芸とかそういう作業、割に好きなもので。うふふ)。

  • 2012/03/08 (Thu) 01:10

    ミナリコさん
    ご覧になりましたか。良かったですよね。ジンワリとして。気持ちよく涙を流されたとのこと。たまに少し泣くのは目のために良いらしいですから、一石二鳥ですね(笑) 
    そうなんですよ、サンドラ・ブロック。意外に演技派で凄く地味な役をやっても自然なんです。ワタシが最初に見た彼女の地味な役はアメリカ物DVDを取り寄せたダニエル・クレイグの「Infamous」で、カポーティの幼友達のネルを彼女が演じていて、ビックリするほど地味だったんですが、いい感じでした。それ以来、久々に地味なサンドラ・ブロックを見た気がします。
    おじいちゃん、第二次世界大戦の時にしゃべれなくなったんだとすると、結婚した時も子供ができた時も、ずっとしゃべらぬまんま来ているのかな、とそのあまりの長さにビックリしたり…。でも、おっしゃる通り、全てを明らかにしないのもいいところですね。
    あの少年の貼り混ぜ日記みたいなの、よく出来てましたね。向こうじゃ、子供がよくああいうものを作るのかしらん。「私の中のあなた」でも病気で死ぬ姉が作っていたああいう日記がとてもアーティスティックだったのが、いまだに印象に残っています。ミナリコさん、是非、日々の雑感をああいう感じで綴られてみては?きっと愛蔵版になりますよ。

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