「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」 (THE IRON LADY)

-黄昏のShall we dance-
2011年 英 フィリダ・ロイド監督



DVDになってからでもよかろうかしらん、と思ったのだけど、観やすいシアターで割引で観られることもあり、じゃあ行こうか、という事で、メリル・ストリープの独演会を観賞してきた。なるほど。さすがのなりきり演技。そして、最近の老人メイクの進歩というのは本当に凄いと改めて感心した。まぁ、もちろんそんな事ばかりじゃなく、自分は脳天気に遊び暮らしていたけれども、世界は激しく動いていた80年代という時代を、改めて何となく振り返る事にもなった。
引退後のサッチャーが認知症を患っているというのはこの映画が話題になり始めた去年に知って驚いたのだけど、映画ではサッチャーの認知症をショッキングな描き方はしていない。常に前を向いて進んできた彼女が過去にばかり目を向けるようになったこと、そして、夫の死をなかなか認められないという部分において、主に描写されていたように感じた。

マーガレット・サッチャーは保守党の党首であり、保守党から出た首相であるが、あれだけ保守的な英国社会で、食糧品店の娘という出身で、しかも女性というのは、当初は相当な風当たりがあったであろう事は想像にかたくない。市長経験者でもある父親の強い影響で政治家を志した彼女は24歳の時に下院に立候補するが落選。この時、のちに夫となる実業家デニス・サッチャーから、独身で食糧品店の娘じゃ当選できない。僕の妻になるのはどう?ミセスになれば当選できるよ、とプロポーズされ、普通の家庭の主婦にはなれないがそれでもいいかと聞き、デニスがそういう君だから結婚するんだ、と答えたので晴れて結婚し、双子の子供も生まれる。



若い時代を演じる俳優、女優がそれぞれにかわいらしく微笑ましい。若かりし頃、「王様と私」の舞台を観に行った二人。"Shall we dance"は二人の想い出の曲になったのでもあろうか。老齢に至り、夫に先立たれたサッチャーは、その曲で夫と踊った昔を思い浮かべる。夫の死後も、もはやそこにいない夫に語りかけ、夫と想い出の曲で踊る。
サッチャー夫妻がとても仲のいい夫婦だったのであろう様子は映画を見ていても推察できる。唯一最大の理解者だったつれあいを老境に至って亡くしたら、その後の日々をどう過ごして行くのかは、また新たな試練である。少し認知症が始まって、夫の生死もさだかでないぐらいな方が本人的には幾らか幸せというものかもしれない。双子の息子と娘のうち、近くにいて何かと世話を焼いてくれる娘よりも、南アフリカに居住し、滅多に帰っても来ない息子の方が可愛くて仕方がないらしいのも、なんだか娘には気の毒だが、よくありがちな事ではある。この息子はサッチャーの在任中に何か問題を起こし、そのリアクションからサッチャーの親馬鹿ぶりが露呈されて批判されたりしたような記憶があるのだけど、細かい事はよく覚えていない。

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結婚後、ミセス・サッチャーとなって晴れて下院に当選し、母を求める幼い子供たちの声を振り切って、みずから車を運転して議場へ向う彼女が気おされながら見上げるテムズ川沿いのウェストミンスター宮殿(国会議事堂)の威容は、さぞかし新人の女性議員をびびらせた事であろう。そういう雰囲気がよく出ていた。



映画では政界に入った彼女を取り巻く女性に対する差別なども、一応ね、という感じで描かれているが割にさらっと描写していたという感じだった。むしろ、どんどん政治にのめりこんでいく彼女を、そういう人間だと知っていて結婚したというのに、党首選に立候補したいという妻に、夫が「君は家族を顧みない。政治にのめりこみ過ぎる!」と非難したりするシーンがあり、分かっていて結婚しても、やっぱり文句言っちゃうのね(笑)と思ったリした。

演じるメリル・ストリープも、とにかく彼女の演技力、持てる技術を総動員した感じで、やるだけやった、という雰囲気だった。話し方に一番苦心したのではないかという様子が窺えるが、確かにアカデミー賞ものの演技である。殊に老境に入ってからの老婆ぶりがお見事だった。その彼女の演技力の上に、メイクさんの技術も凄かったと思う。メリルといえば、あの魔女っぽい段鼻だけれども、パテでも当てて補正しているのか、鼻の形をすっきりさせて段を無くし、老いては咽喉元から首にいたる皮膚の弛みが殊にリアルで、映画における老けメイクの進歩には、毎年何らかの映画で必ず驚かされている気がする。


絶頂期のサッチャーをなりきりで演じるメリル・ストリープ

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彼女が政治家になり、首相になったあたりの英国というのは、かつての栄光はどこへやら、経済は疲弊し、国力は衰退し、失業者は増大し、炭鉱はスト続きで、職のない若者が溢れて荒れた時代だった。彼女が首相だった時代はIRAとの泥沼の抗争が尖鋭化した時代であり、更にはアルゼンチンとの間にフォークランド紛争も起きた。IRAとの絡みでは、保守党の下院に当選してから党首になるまでずっとブレインとして支えてくれた保守党の政治家エアリー・ニーブが、車に仕掛けられたIRAの爆弾で死ぬ、という事件もあった。サッチャー自身も1984年にブライトンのグランド・ホテル宿泊時にIRAの爆弾テロに遭っている。(夫も彼女も無傷ではあった)80年代は随分とキナ臭い時代であったのだなと今更に思った。そういえばサッチャーの時代にアメリカ大統領だったレーガンだって暗殺未遂事件があったのだっけ。

フォークランド紛争のシーンでは、とにかく、遠いフォークランドに派兵することについてネガティヴな意見が相次ぐ中、サッチャーはある程度の犠牲を覚悟で断固として軍を派遣し、アルゼンチンのフォークランド諸島への侵略を撃退した。犠牲となった兵士の遺族に直筆でおくやみの手紙を書き送りつつも、サッチャーはアルゼンチンが撤退するまで戦闘をやめようとはしなかった。2ヶ月間のフォークランド紛争に勝利し、領土を守った事でサッチャーの支持率は上昇し、彼女はその後も更に内外に強気な政策を推し進めていく事になる。



冷戦が終わろうとしていた混沌の20世紀末には強いリーダーが求められた。サッチャーは時代に選ばれたリーダーだったのかもしれない。男も及ばない決断力と強靭な意志で、数々の改革を断行し、遠く離れた領土を武力で守ったが、11年続いた政権の最後の頃には、資産家も庶民も同率の税金を取る、と言い放って国民の強い反発を浴びる。国難の時代には強気のリーダーが求められるが、少し国が安定してくると、その強気の政策が国民感情とズレてくる。これはチャーチルもそうだったようで、第二次大戦時の国難の時代には、チャーチルは首相としてその手腕を大いに発揮するが、終戦時に一度労働党に敗れて政権を奪われてのち、冷戦期の1951年に二度目に首相になった時には、複雑化する国際問題に悩み、大英帝国の衰亡に直面して苦しい政権運営となったようだ。サッチャーも、とにかく強気な施策を取った。結果、長年の財政赤字は克服したが、一方で医療制度を危機的状況に陥れたりと、強硬政策の反動で色々な歪みも生まれた。彼女が行った国有企業の民営化という施策は日本でも踏襲され、中曽根政権の時代に国鉄の民営化が始まり、続いて電電公社、日本専売公社などが民営化された。ユーロ構想にもサッチャーは断固として反対していたらしいが、その後も英国はユーロを導入せず、今のところ、それはどうやら正解だったような感じである。


強硬な施策が国民の批難を浴びる事も…

この鉄の女サッチャーのあとに首相になるのが、あの労働党のトニー・ブレアで、ブレアが王制に批判的な妻を伴って首相として初めて女王に謁見を賜りに宮殿を訪れる様子が「クィーン」という映画の中で描かれているが、ブレアの後さらに首相は変わって、現在はデーヴィッド・キャメロンが務めている。実に1952年以来、一体何人の首相が入れ替わったのか分らないが、何代首相が変わっても、それを任命する女王はずっとエリザベス二世(女王に即位した当時の首相は二度目の政権時のチャーチルだったそうな)である、という事に思い至ると、女王の在位の猛烈な長さ(今年で60年らしい。昭和天皇の在位62年に匹敵する長さである)に改めてビックリしてしまったワタシなのであった。形ばかりの任命権はあっても選挙権はない君主というものも、つくづくと微妙な立場だと思う。自分の意見というものを表明できない女王に較べたら、大衆を前に自分の意見を滔々と述べられる女性首相の方が職業的なカタルシスは大きいと言えそうだが、エリザベス女王は齢80を越えても杖にも頼らず矍鑠として、認知症とも縁が無さそうな気配である。責任感のなせる技か、終生現役の職業だからか。いずれにしてもアッパレではある。

***
とにかく、80年代~90年代という時代にはサッチャーのようなリーダーが求められ、時代の必然として彼女は表舞台に立ち、手腕を発揮した。全方位的に有能でOKな人なんて居ないだろうし、彼女も毀誉褒貶の激しい政治家だったのかもしれないが、今、政権不在、政治家不在のようなグダグダな日本に暮らしていると、こういう国難の時代にはサッチャーみたいに断固として信念を曲げない政治家というものが日本にもあらまほしき事であるなぁ、と思ってしまったりする。
ニヤニヤ、デレデレして、何も決断できずに無意味に手を拱いている間に、いつしか国土は掠め取られ、文化さえも盗まれかねない。人が良いのもたいがいにしないと舐められる。断固として「否!」といわねばならない時もあるのだ。日本人は、争いを避けたいという事なかれ主義で戦後をずっと過ごしてきて、「怒る」という事を忘れてしまっている、あるいは放棄してしまっているような気がする。別に諍いを起せばいいと思っているわけではないが、強硬に抗議すべき時には、断固として抗議すべきである。有耶無耶にしているうちに、気がつけば「日本」などという国は世界地図上のどこにも存在しなくなってしまう可能性もなくはないのだ。
そうなってから後悔しても遅いのである。

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長期政権の間に、批難も浴びたがやる事もやったマーガレット・サッチャー。その施策が時代のニーズに合わなくなったとき、彼女にも退陣の時が訪れ、さらにその後は夫に先立たれた老耄の日々が待っていた…。認知症でなくても老いれば人は衰える。衰えは生き物としての悲しいさだめではあるが、もわりと頭に靄がかかって、良かった事も悪かった事もその濃い靄の中に溶かし込まれて、ご当人が何はともあれ波風立たぬ気持ちで日々を過ごす事ができているのであるとしたら、それで良しとしなくてはならないのかもしれない。
老境に入り、死んで何年もたつ夫と会話をしてきたサッチャーだが、映画では最終的に夫の遺品を整理し、死んだ夫の幻影と語らう事をやめて、自分の中で夫の死を受け入れる姿が描かれている。
色々な事を思いつつ観ていたのだが、観終ると、脳裏には"Shall we dance"のメロディがリフレインしていて、若かったマーガレットと夫のデニスが踊る微笑ましいシーンに続いて、その昔を回想しつつ老いたサッチャーが今は亡き夫と踊るシーンが、何故か印象に残った。

コメント

  • 2012/03/18 (Sun) 22:18

    kikiさん、このところ結構な勢いで色々な映画を映画館で見ていらっしゃるから、私の見たい映画の記事はちらっと読んでパスしようと思いながらも、ついついこのサッチャーは面白そうで読んでしまいました。多分これは映画館には行けないと思うけれども、見てみたいですね。

    メリル・ストリープがサッチャーなんて、と最初映画の話を聞いた時に思ったけれども、予告編を見て、彼女の話し方を聞いたらあまりにそっくりで「ひえ~!」と思ってしまった。恐ろしいですねえ。それでもアカデミー賞の女優賞発表の時にはメリル、名前が呼ばれた時点でどう見ても”What!?”と叫んでいて、その後も最初何て言ってたんでしたっけね、”Come on~”とか言ったような気が。自分は取らないと思ってたんでしょうけどねえ。

    確かにkikiさんの仰る通り、日本には断固たる信念の政治家ってあまりいるとは思えないですね、ほんと抗議するべき時に抗議もせずただニヤニヤとぼんやりしているだけだと、これから先日本は大丈夫かな、と思います。かなり大丈夫じゃないところにさしかかっている気もするし。心配です。

  • 2012/03/18 (Sun) 23:35

    Sophieさん
    今年は観たい映画が目白押しなので、頑張って通ってますわよ~映画館に(笑) 渋谷の単館系でしかやってなかったりすると勘弁して~!という時もあるけど、大抵は行きつけのシネコンで割引きで見られるので都合をつけて観賞しておりますわ。
    で、これ。観て良かったわ。女性監督ならではのキメ細かさで、彼女が政治家としてどうだったか、老後はどう過ごしているかをきちんと描いていたし、80年代という時代を振り返るという点でも過不足なく描いていたと思うわ。イーストウッドのユルユルの「J・エドガー」なんかとは全然違ってちゃんとしてました。メリル・ストリープはさすがだったわ。いかにもな上手さなんだけど、鼻につかないというか、これみよがしな感じはなくて、でも話し方なんか似せるために必死で練習したんでしょうねぇという感じは滲んでました。メリル、アワードの会場とかではすっかり気の良いおばちゃんて感じよね。演じる事もノミネートされる事も、受賞することも楽しんじゃっているという感じですね。
    今の日本には切実に、こういう強気でくじけない政治家が居てほしいです。そして日本の領土は断固として日本の領土なんだから勝手な真似をするな!と近隣の図々しい国々に断固決然として強硬に抗議を申し入れて欲しいですわ。「領土とは国家そのもの」なんだから、いざとなったらちっとぐらい自衛隊使ってもいいわよ、この際。ボヤーっとしてる場合じゃないものね。数年前から日本は政治が空転してお粗末な事になってますが、もう、こんな無政府状態みたいな事では立ち行かないと思います。いつまでも寝ぼけている場合じゃないんだけれどね…。いつからこんな情けない国になったんだか。先々ろくでもない事になっていくばかりのような気配で、非常に憂慮すべき状況ですね。

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