「アーティスト」(THE ARTIST)

-原点回帰か、ノスタルジアか-
2011 仏 ミシェル・アザナヴィシウス監督



ワタシは賞を獲った映画は必ず観に行くというタイプではないし、これは、やたらにあっちこっちで賞を獲っているのだけど、予告編を観る限りは格別惹き付けられるものもなさそうに感じていたので、基本的にはスルーしようと思っていた。けれど、21世紀に撮られた無声映画という事で何となく気になり始め、もしかするとチャップリンの「街の灯」のラストでじんわりと感じるようなあの感触を、2011年に制作された映画で味わえるかもしれないなら味わってみたい、と思えてきたので、予定を変更して観てみることにした。

主演のジャン・デュジャルダンは今どき流行らない感じのルックスではあるけれども、無声映画時代の活劇スター、ダグラス・フェアバンクスおよび、40~50年代の黄金期のミュージカル・スター、ジーン・ケリーを想起させる風貌ゆえに主演に選ばれたのではないかと推察。眉毛を激しく動かすオーバーアクションの表情で、無声映画の大スターがトーキーに押し流されて全てを失う過程を表現していた。中背のがっしりとした体つきで器用にタップを踏む様子などはジーン・ケリーによく似た雰囲気を醸し出していたと思う。またちょび髭を生やしてニカっと自信満々の笑顔を浮かべたポートレートなどは、「ハリウッドのキング」と呼ばれたクラーク・ゲイブル風味が微かに匂わない事もない感じで、とにかく昔の映画のスター、という雰囲気がよく出ていたと思う。



お話の骨子としては、「スター誕生」をベースにしている感じだし、無声映画のスターが落ちぶれたあとで、ミュージカルスターとして活路を見出すという部分では「雨に唄えば」などのニオイも感じる。映画全体としては1920年代から1940年代までのハリウッド映画へのオマージュ、という雰囲気。無声映画からミュージカル映画までの、映画の歴史をざっくりと物語の中で辿れるという感じもある。主人公が契約している映画会社の撮影所の門構えなどはパラマウントの撮影所のそれを模しているし、クライマックスの、絶望したジョージの元へぺピーがいつ事故ってもおかしくない危うい運転で駆けつけるシーンの背後に大音量で流れてきたのはヒッチコックの「めまい」のテーマ曲である。これは、メランコリックでドラマティックでちょっと好きなメロディなので、流れてきた時にすぐに分った。

笑わせ、泣かせて、最後はハッピーエンドで締めくくるという映画の定石をそのまま踏襲したベタな筋書きを、往年の映画のスタイルを模した無声映画で綴っていく本作。主人公が「トーキー」に脅威と恐怖を感じている事を表現するのに、鏡の前にいるジョージが、酒のグラスを鏡台の化粧板の上に置いた時に、それまで無音だった世界にグラスを置いた音が響く。その事に驚いたジョージが、鏡台の上に置いてあるものをあれこれと落したり置いたりして音をさせる。周囲からも撮影所のざわめきや人の話し声がワヤワヤと聞こえてくる。だが、自分の声だけが聞こえない。ジョージが幾ら喚いても叫んでも、自分の声だけは無音のままである、ジョージは恐怖に苛まれ、叫んで目覚めて夢と知る。トーキーの時代に乗っていけない事に怯えているという事を暗示する演出である。

そういう演出上の工夫は随所にあって、音がなく始まった映画が、最後はトーキーのミュージカルになるというところで幕となり、サイレントからトーキー、更にはミュージカル映画への流れが自然に伝わってくるようになっている。が、正直に言って、映画としては全く予想されたとおりのシロモノというか、予想外のファクターはまるでないベタな作品である。これがどうしてそんなにあれこれと賞を獲ってしまうのかイマイチよく分らなかったのだけど、そのヒネリなしのストレートな「古えのハリウッド映画へのオマージュ」という姿勢が、ひねくれた映画人たちに素直に受け入れられた結果の受賞であるのかもしれない。VFXと3Dの時代に、あえてのモノクロ、あえての無声映画である。娯楽の王者だった頃のかつての古きよき映画へのオマージュとも言える本作に、現在、映画界で仕事をしている玄人たちが、ある意味虚を衝かれたという事が、アカデミー作品賞などの数々の受賞に現れているのかな、と推察してみた。

映画の冒頭で、無声映画時代の映画館の様子が再現される。芝居やオペラを上演するような劇場で映画を上映し、無声映画なのでオーケストラボックスにオーケストラが入って、その場で映画のBGMを生演奏している。観客は男も女も正装の夜会服姿で行儀よく手を叩いたり笑ったりしている。優雅な時代の優雅な映画館である。そのシーンを見ていて、一度、オーケストラが生でBGMを演奏してくれるような映画館で上質な無声映画を見てみたいものだなぁと思ったリした。


主演のジャン・デュジャルダンは役の性質からいってもハマリ役だったと思うけれども、相手役のぺピー・ミラーを演じるベレニス・ベジョは、細身でプロポーションは悪くないが、眉と口元に品がないのが些か気になった。顔つきが馬っぽいというか、ワタシ的にはあまり魅力を感じない女優だった。けれども、唇の上にセクシーなつやぼくろを描くとそれがトレードマークになったりするというのは、ジーン・ハーロウもやっていたようだし、古典的かつ有効な手法なのだろう。唇の上や目の下にちょっと描いたほくろ1つで存在のインパクトが増大するというのは、非常に効率のいい目立ち方だと言える。


べレニス・ベジョ(左)マルコム・マクダウェル(右)

儲け至上主義のようなスタジオのお偉方を演じるジョン・グッドマンもハマリ役だったと思う。また、主人公ジョージのお抱え運転手役で、普通の爺さんも悪玉爺さんもこなすひょろりと長身のジェームズ・クロムウェルが登場、給料を貰えなくても主人に尽くそうとする運転手を演じていた。また、映画の最初の方で、エキストラ役なのか、映画監督なのか、マルコム・マクダウェルが1シーンだけ出てきた。また、主人公ジョージの飼い犬が、いかにもなリアクション芸をあれこれと披露する。そういう演出も娯楽映画の定石として取り入れているのだろうかな、とは思った。ただ、ワタシは妙にあざとく芸をする動物、というか動物に芸をさせるという事があまり好きではないので、いろいろさせられている動物の姿を見ると何か妙に醒めた目で見てしまう傾向があり、これみよがしに「かわいいでしょポーズ」を取られても、あまり乗れないのである。


こういう重役っていそうである

本作は昔の娯楽映画の、パロディというよりオマージュなので、笑わせて、泣かせて、楽しませる、という要素を入れてあるわけだが、泣かせの部分で「街の灯」なみのザワザワ来る感じを期待していたワタシには、やはりちょっと物足りない気がした。
10年に1度観るかどうか、のチャップリンの「街の灯」だけれども、見ると必ず、あのラストでじんわりしてしまう。
チャップリン演じる放浪紳士が、そもそも放浪者なのだけどかつては少しは身奇麗にしていたのを、刑務所にぶちこまれて出てきたところでさらにヨレヨレになっている。彼が刑務所にぶちこまれるハメになってまで手術費用を作ってやった盲目の花売り娘は、見事に目が見えるようになって通りに面した小奇麗な花屋を開いている。街のワルガキにからかわれて怒っている彼の姿を娘は恩人とも知らずに笑って見ている。このわさびの効いたアイロニー。放浪者はふと花屋の娘と目があって、彼女の姿に思わず笑みが浮かんでしまう。店の外から自分をみつめているヨレヨレの乞食のような男が、かつて自分を助けてくれた恩人だとは夢にも思わない娘は、哀れな乞食に恵んでやるようなつもりで、ひとさし指の先でくいくい、と放浪者を呼び、切り花を1輪差し出す。ついでに小銭も恵もうとするが、放浪者は慌てて立ち去りかける。娘は立ち上がってきて、彼に花を差し出す。彼は花を受け取る。ついでに小銭を受け取らせようとした彼女は放浪者の手に触る。そして、その手の感触で目の前の惨めな男が何者であるかを悟るのである。…そこで流れる音楽、その時の娘の何ともいえない表情。"You?"と言う短い字幕に籠められた一言では語れない思い。花をいじいじと口元に当てて「見えるようになった?」と尋ねる放浪者に、娘は「ええ、見えるようになりました」と頷く。彼女の胸中には複雑な思いが去来しているであろう。ずっと待っていた恩人に再会できた、という事と、恩人が夢想していたような素敵なお金持ちの紳士ではなかった、という事と…。映画は娘が恩人の手を取って自分の胸元で握り、放浪者が娘をみつめて涙まじりの笑顔をうかべるシーンで幕を閉じるのだが、語りつくされた有名なラストシーンではあるものの、やはり見るたびに毎回何かがザワっと来る。「アーティスト」に、このシーンに比肩するようなシーンがあったら大したものだと思っていたが、やはりそれはムリというものだったろう。そして、つくづくとチャップリンは才能が桁違いの人だったのだな、と今更に思ったりもした。


今更ではあるが、やはりラストのじんわり度No.1の「街の灯」

少しずついろんな映画へのオマージュが入っていた本作だが、ラストのミュージカルシーンは、フレッド・アステアとエリナー・パウエルの「踊るニューヨーク」へのオマージュだろう。セットがそれを物語っていたと思う。



ジャン・デュジャルダンはアステアほど流麗で軽やかではないが、ジーン・ケリーほど体操の先生みたいでもなく、ちょうど二人の中間ぐらいなテイストでタップを踏んでいた。なかなか芸達者な人だなぁと思ったけれども、ごく普通の、いまどきの映画で全く別な役で見た時には一体どういう感じになるのか、全く想像できなかった。

コメント

  • 2012/04/15 (Sun) 17:27

    kikiさん、見ました!物足りませんでした!!
    本作、随分楽しみにしてて、作品賞獲ったから見る側の期待値ハードルも上がってしまっているとは思うんですけど、それにしてもなんだか肩すかしをくらった感じです。
    どうしてトーキー作品にかように恐々とするのか、二人がさほどまでに互いを想っていたのかということがわたしには残念ながら伝わってこなかったので、そこは物語が進むうえで重要なファクターだという気がするので、最後まで引き込まれることなく、???って感じで終わってしまいました。
    J.デュジャルダンは往年のスター俳優の雰囲気プンプンで適役だったと思います。フランスではかなり人気の俳優みたいで、わたしが在仏中に主演映画が何本か公開されていたように思います。フランスで人気のコミックの映画化の主演とかあったような。日本でフランス語を習っていたときに、先生が教材としてあちらのミニドラマのようなものを使っていたのですが「mec et nana」というタイトルだったと思いますが、教材用DVDかどうかは分かりませんが、それなりに下積みのある俳優さんなのかもしれません。
    ペピー役の女優さんはかわいいとは思うけど、いまひとつ華がなかったですね。
    タップダンスで締めくくる大団円のラスト、ああいう終わり方好きなんですけど、フレッド・アステアもジーン・ケリーも大好きなので、「あなた方まだまだね」と思いつつ見てました。とはいえ、随分稽古をしたことでしょうからその苦労をねぎらい、まあよしとするか(笑)。
    「街の灯り」には遠く遠く及ばぬ本作ながら、昔の作品のあれやこれや、やっぱりよかったね、と再認識させてくれたことがこの作品の功績のひとつかな、と意地悪な感想を持ちました。
    あ、ワンちゃんに関しては、以前に犬を飼っていたこともあり、火事場のシーンは唯一ホロッとしましたっけ。
    消化不良に終わってしまいました。もっといい話になりそうな気がするのですけど。

  • 2012/04/15 (Sun) 22:27

    ミナリコさん これもご覧になりましたか。そうなんですよ、これがなんで作品賞?って感じでしょ?何かぬるいのよね。まぁ、賞でも取らなければシネコンで大掛かりに上映されたかどうか分らない感じではありますね。主人公はトーキーが怖かったというよりも、サイレントにこだわりがあったというべきかもしれませんが、それにしても、あんな活劇系の大衆娯楽映画ばかりに出ているんならしゃべったっていいのにね、と思ってしまいますね。そういえばチャップリンもサイレントにこだわりがあった人で、トーキーの時代に入っても、暫く音楽だけは入れてましたが、セリフはなしの準サイレントで作ってました。何か、そういう強いこだわりがあったのかもしれませんね、サイレント時代の映画人には。
    ジャン・デュジャルダンは確かに苦労人ぽい気配が滲んでますね。ふぅん、教材に使われてたんですか。コメディとかによく出ているのかしらん。007をパロッたようなスパイ物のTVドラマに出ていて、その監督とのコンビでこの映画も撮られているようですね。ダグラス・フェアバンクスの真似はなかなか上手かったと思うんですけどね。賞まで取るような演技かというと、作品ともども、どうもね…。
    明るく楽しいタップダンスの大団円はいかにもハリウッド映画へのオマージュらしいんですが、まぁ、アステアやジーン・ケリーと較べるのはデュジャルダンに気の毒かも…。筋肉質で、元気にモリモリと勢いでタップを踏む、という点ではジーン・ケリーに近いかもしれませんね。ケリーを幾らかソフトにしたという感じで。ちなみにワタシはジーン・ケリーってあまり好きじゃないんざますわ。なんかねぇ、モリモリ元気すぎて体育の先生みたいで粋じゃないのよね。タップ踏んでも野暮天な感じで。アステアと比肩するようなダンスなんて殆ど誰にもムリですわ。僅かに並べて語れるのはマイケル・ジャクソンぐらいじゃないかしらん。
    そうそう。この映画に何か意味があるとすれば、いにしえには音が無くてもモノクロでも、良い作品が沢山作られていたんだな、という事に改めて気づかせてくれる点かもしれませんね。いかに昔風の映画を作るといっても捻りがなさすぎるのね。あまりにも真っ向微塵に捻りなしでしたね。

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