「スーパー・チューズデー ~正義を売った日~」 (THE IDES OF MARCH)

-理想を失って怪物が生まれる-
2011年 米 ジョージ・クルーニー監督



実は先週これを観るつもりだったのだけど、ふとした出来心で「アーティスト」を観に行ってしまったので、今週はわき見をせずに大統領選の裏側を見物する事にした。
今回は久々の大劇場で、大スクリーンでの観賞。視線を左右に動かさないと画面が目に入りきらない程の距離で映画を見たのはかなり久しぶりの事だけど、「映画館で見ている」という気分としては満点だった。シネコンの中でも小さなシアターだったりすると家で観てるのと大差なかったりするものね。
民主党の大統領候補で、ペンシルベニア州知事のマイク・モリス(ジョージ・クルーニー)は、長い熾烈な選挙戦をベテラン選挙参謀ポール(F・S・ホフマン)と、若いが有能で頭の切れる広報担当スティーヴン(ライアン・ゴスリング)に支えられて、予備選の天王山であるオハイオでの選挙を迎えようとしていた。対立する共和党候補の選挙参謀であるダフィー(ポール・ジアマッティ)はスティーヴンの才能に脅威を感じ、引き抜き工作を企てる。これまで幾多の選挙に関ってきたが、今回こそは本物だ、とモリスに入れ込んでいたスティーヴンだが、ダフィーの誘惑に抗えずに、話には応じないものの会うだけは会ってしまう。そんなにもあなただけよ、とモリスに入れ込んでいた割にはどうして敵方の参謀に会ってしまったりしたのか、そのへんがスティーヴンの自尊心をくすぐったダフィーの計算も年の功なのかもしれないが、少しの油断や思い込みが命取りな世界で軽はずみは禁物である。

ライアン・ゴスリングは「フラクチャー」の延長線上にあるような、有能で昇り調子のやり手の若造の、蹉跌と復活を演じている。ゴスリング以外にも、フィリップ・シーモア・ホフマンとポール・ジアマッティがそれぞれ対立する候補の選挙参謀を演じているし、その他にもジェフリー・ライトやら、綺麗どころとしてはエヴァン・レイチェル・ウッドも顔を出していて役者の顔も揃っている。有名新聞の政治記者役でマリサ・トメイも出演している。役作りではあろうが、少しおばちゃんになっていた。



高邁な理想を掲げ、ユーモアに満ちた爽やかな弁舌で有力な大統領候補であるマイク・モリス。若手の広報担当スティーヴンはモリスを本物の政治家、信念のある理想家だと信じ、彼を大統領にすることが国の明日を拓く道だという確信の元に仕事に励んでいる。スピーチライターやメディア戦略を務める彼の有能さは、対立候補の参謀ダフィーが羨む程だ。かなりの接戦が予想される天下分け目のオハイオ予備選を控えて、あれこれと対策を練る両陣営だが、勝つために手段を選ばない共和党陣営に対し、できる限りクリーンに選挙戦を推し進めようとする民主党の「クリーン」な候補モリスは、その男を抱き込めば勝利は固い、と衆目の一致するトンプソン上院議員(ジェフリー・ライト)と裏取引をする事をどうしても肯んじない。一方、選挙対策本部でスタッフとして働く若い美人のインターン、モリーに誘われ、息抜きも兼ねて彼女と関係を持ったスティーヴンだったが、彼女は誰にも言えない悩みを抱えていた…。


いかにもなハマリ役 ジョジクルの大統領候補 どことなく裏のありそうな笑顔だ


対立候補陣営に勧誘されるスティーヴンだったが…

顔の揃ったキャスティングはみな適材適所なのだが、一人だけ役にそぐわないと感じたのは、美人インターン、モリー役のエヴァン・レイチェル・ウッド。美人なことは申し分ないので見ていて目に快いのは結構なのだが、この役はもっと若々しくて不安定で儚げな感じの女優じゃないと合わない気がした。エヴァン・レイチェル・ウッドは、ハタチ前後という設定よりはもっと落ち着いて見えたし(ゴスリングと10歳も年の差があるようには到底見えない)、年上のキレ者の広報官を飲みに誘って誘惑する大胆さがあまりに板についていたため、こんな肝っ玉の座った感じの女子がそんな事でウジウジ悩んだり、挙句のハテにオーバードーズで事故か自殺かさだかでない不慮の死など遂げるわけがないじゃないの、と思ってしまうわけである。どんな災いが降りかかって来てもハンデにも痛手にもならず、居直ってそれを逆手に取り、逞しく色々なものを手に入れて生きて行くような海千山千な感じがする。つまり、エヴァン・レイチェル・ウッドは可憐だったり、未熟だったり、弱々しかったりするのが似合わないのだ。美人なのでゴスリングとの絡みはコンビネーションも良かったし、二人とも若くて長身でスラリとしているのでラブシーンも似合いの二人だったが、モリーという役のキャラを考えると別な女優にするべきだったと思う。エヴァン・レイチェル・ウッドは悪女型なのである。純粋な女性よりも裏切り女の方がずっと似合うのだ。


どこから見てもハタチって感じではないエヴァン・レイチェル・ウッド


スクリーン上の相性はよい感じだった二人 どう見ても同年代である

その他の俳優はみな適役。クリーンそうに見えたが実は…という大統領候補を演じるジョジクルも、ライバル参謀同志のF・S・ホフマンとジアマッティも、彼ら以外の誰を使うの?というほどいかにもなハマリ役だったし、若くてキレ者でパリパリしている広報担当を演じるゴスリングも、もちろん役にピッタリである。ゴスリングは体のバランスが良い。細身だが適度に筋肉がついていて、均整が取れている。とにかく体つきがスラリとしているので観ていて快い。



お話としては、まぁ、いかにもありそうな話で特に新鮮さも驚きもなかったけれども、ワタシはこの選挙戦の裏側を描いた映画を見ている間、折々思いだしては読み返しているお気に入りの小説「宴のあと」(三島由紀夫著)を脳裏に浮かべていた。「宴のあと」は東京都知事選をテーマに、寓意的に「日本における政治」というものを描き出している中編小説で、ワタシは三島由紀夫の傑作の1つだと思っている。というか、ワタシ的には三島文学のベスト1だと思う。小説家としてキャリア中期の円熟した時期に書かれた作品で、実在の人物をモデルに使ったために「プライバシー裁判」を惹き起こしたという事で有名になってしまったが、小説としての完成度ではまさに三島作品の中でも1、2を争う出来栄えで、ワタシの中では文句のつけどころのない「完全小説」として位置づけられている。構成、文体ともに一分の隙もなく、プロの小説として見事の一言に尽きる。一度読んだら脳裏に焼きつく秀逸なレトリックが目白押しで、下手な文章やつまらない小説を読んだあとで口直しにこの小説を読み返す事も多い。…前置きが長くなったが、「宴のあと」は、かつて大臣を何度も務めた事のある初老の男が革新党から都知事候補として立候補する事を決意する。彼が再婚した妻は保守党の贔屓で繁盛している大料亭の女将であった。夫は高邁な理想に燃えて政治を志すが、政治の何たるかを実際的に知っていたのは、花柳界上がりの料亭の女将である妻の方だった…という話で、作品中に散りばめられた警句がどれも忘れがたく素晴らしいのである。その中のひとつが終盤近くに登場する「自分ではそれと知らずに、かづ(妻)はこのとき政治の本質にはじめて近づいていた。すなわち、裏切りに。」という印象的な警句である。

まさに、この映画も「政治の本質は裏切りである」という事を描いた作品であるといえるだろう。キレイな政治など、ことが政治である限り幻影に過ぎない。泥沼に踏み込んで身を汚さない限り、政治の世界に住む事などできないのである。そして、裏切り、裏切られ、裏をかかれ、裏をかき、泥沼の中でしたたかに這いずり、立ち回っているうちに、かつては理想に輝いていた瞳からは光が消え失せる。心の奥底で燃えていた、美しい、輝ける理想は永久に死んで甦らない。理想を葬った墓場から首をもたげるのは、鉄面皮な怪物、口とお腹はいつでも苦もなく別になってしまう、身辺の人物、事柄の全てを都合よく利用する怪物である。そういう怪物しか、政治の世界で生きながらえていく事はできないのだ。



ベテラン参謀のポール(ホフマン)は、何も信じられるもののない政治の世界だからこそ、俺は忠誠心だけを信じる、と言う。忠誠心にあまりに重きを置きすぎた結果、彼は政治の世界を去る事になる。F・S・ホフマン、何事もお互い様だ、という感じの、訳知りなサバサバしたラスト間近の表情が良かった。彼はそのまますっかり政治の世界から足を洗ってしまうだろうか。何かキッカケがあれば、またいつか、誰かの参謀として戻ってくるのではなかろうか。選挙という大祭、選挙という大博打、選挙という泥沼に身を浸して生きてきた人間が、そんな祭りの世界をずっと離れていられるものだろうか…。




またも「宴のあと」から引用すると、都知事選において革新党の選挙参謀をしていた男は、結局、革新党候補が敗れても被虐的な情熱をなんら失う事がない。それは「本当のところ山崎(選挙参謀)は心が冷えていたので、もっとも高貴な材木からもっとも汚れた紙屑まで等しなみに投げ込まれるこの選挙という暖炉を愛していたのだ(中略)」という事ゆえであろう。選挙参謀をしている人間のメンタリティというのは、突きつめるとそういうものなのではなかろうか。「どんなからくりをうしろに控えていても、選挙のあの本物の灼熱、あの政治特有の熱さが好き」でなければ、とても選挙参謀などは務まるまい。



ラストは、政治への理想を失い、何を信じているわけでもないという表情のゴスリング演じるスティーヴンが、インタビューで「選挙に勝つ秘訣とは?」と聞かれて、それに答える前にそれまで死んでいた目の焦点をきゅっと合わせ、口を開こうとしたところで幕になる。彼が何をもっともらしく答えたとしても、そこにもはや真実はないであろう。彼の中でモチベーションを高めていた本物の情熱、本物の理想は既に地に落ち、泥にまみれてしまったのだ。青臭い理想が消えた時、プロの選挙屋が頭をもたげる。 かくして、また一人、理想を失った果てに怪物が生まれたのである。

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する