「裏切りのサーカス」(TINKER TAILOR SOLDIER SPY)

-そして観客も裏切られた-
英・仏・独 トーマス・アルフレッドソン監督



これが映画化される事を知ったのは一昨年の夏だったか秋だったかで、トム・ハーディがマイケル・ファスベンダー降板のあとを受けて出演することになったというニュースを見た時だったと思う。原作はジョン・ル・カレの有名なスパイ小説だが読んだ事はなかったのを、昨年秋、本国イギリスで本作が封切られたところで興味が湧き、読んでみたのだった(原作のレビューはこちら)。そんなこんなで随分前から封切りを待っていた本作がいよいよ日本でも封切られたので、珍しくも初日にお馴染みの日比谷シャンテで観賞してきた。
(これから観る方が多いでしょうけど、観賞前には本文を読まない事をお薦めします(笑))
ワタシはよほど観たい映画でなければまず初日になど劇場には行かない。でも、これはずっと封切りを待っていたので、初日に観賞したのだった。シャンテはそもそもあまり大箱ではないのだけれども、話題の映画の初日とあって、幅広い年代層の客で終日満員御礼という気配だった。何がそんなにこの映画に観客の足を向けさせたかと見るに、オールドファンには懐かしいのであろうジョン・ル・カレの原作ものということで、年配の男女が映画館に詰めかけたのもあるだろうし、コリン・ファースや、トム・ハーディ、ベネディクト・カンバーバッチなどの役者目当ての映画ファンも多いだろう。でもそれより何より予告編の作り方が非常にうまかったのだと思う。予告編の方が本編よりずっといいという映画が結構あるが、本作もどうやらその類であったようだ。あの予告編にはやられた。緊迫感を煽るカット割に音楽。いやがうえにも期待をそそられた。おまけに役者だって揃っている。観に行かなくっちゃという気分にさせられる。で、結果はどうだったかというと…。

脚本と編集がかなりのダメっぷりだった。映像的には僅かにいい場面もあり、それらは悉く予告編で使われていたが、本編には予告編のあの緊迫感はみじんもなかった。演出的にも山もなく谷もなく、説明不足な編集により過去と未来が雑駁に行き交い、なんの感興もなくクライマックスを迎え、一人よがりなラストで幕を閉じる。ワタシは原作を読んでいたので、どうやら流れが分かったようなもので、原作を読まずに映画だけを見たら何がなにやらサッパリ分からなかったに違いない。人物についての説明も全然足りない。コントロールがスマイリーを道連れにサーカスを去った後、サーカスを動かしている有力な4人の幹部がどういう人物であるのかなど、本編では殆ど語られないので、映画を見ているだけでは「だから何?」という印象に終始してしまうだろうと思われる。

余談だが、ティンカーことパーシー(トビー・ジョーンズ)は、字幕でも原作の翻訳でも苗字がアレリンと表記されているが、実際にはアレラインと発音されている。バッチ君の演じたピーター・グィラムも、翻訳と字幕ではギラムになっているが、グィラムと発音されている。読み方というのはけっこう難しいもので、翻訳者がこうだろうと思っても違う事もよくある。日本では映画やドラマの字幕の名前の表記は、原作の翻訳がある場合には、そちらに従うという慣例があるようだ。だから、映画字幕でも、アレラインはアレリンのままだし、グィラムもギラムのままになっているのだと思われる。


パーシー・アレリン(アレライン) トビー・ジョーンズ

サーカスの上層部に巣食う大物の二重スパイ「もぐら」は、幹部の中で最も意外な人物であらねばならないのは物語としての定石だが、それが意外な人物であるという印象を持たせるためには、もっとその人物の日頃の様子が描写されなくてはならない。ところが、当のもぐらだった人物についても、その他の怪しいと思われる連中についても説明があまりにもなさすぎるので、何がなにやら…という感じしかしないのである。



原作も長い割にはあちこちに話が飛んで、おまけに説明の少ない、非常に分りにくい小説だったが、それでも我慢して読み進んで行くうちに、終盤では何がなし余韻のようなものが残らなくもなかった。けれどもこの映画は、説明が少なく、あちこちに話が飛んで分りにくい、というところだけ原作を踏襲していて、しかも終盤に全く余韻がない上に、BGMの拍手に包まれてスマイリーが総帥の座に就くところで幕となってあっけにとられる。あの拍手はなに?自画自賛?物語の主題にまるで合ってないじゃないのよ、とひたすら唖然とした。もぐら騒動のあと、スマイリーは混乱を極め、めちゃくちゃになったサーカスの立て直しの為に苦渋を堪えて暫定的にコントロールの代行をするのであって、してやったりな顔でトップの座に就くわけではないのである。あのラストの拍手だけでも台無しというものだ。ちゃんと分かって作ってるんだろうか。バカじゃなかろうか。



終始、不景気な顔で表情も動かなければ言葉も少ないスマイリーを演じるしょぼくれたハイエナのようなゲイリー・オールドマンも、やはり役にハマっているとは言い難い。ゲイリー・オールドマンは、あまりにも表情を抑えすぎたように思う。彼が激しく表情を動かすのは妻の浮気を見た時だけで、それ以外の時は、そんなに表情筋を節約しなくても…と思ってしまうぐらいに顔が動かない。陰気で味わいもなく動かないのである。また、スマイリーはずんぐりとした小柄な初老の男だと原作に何度も描写されている。だから映画的にはアンソニー・ホプキンスあたりが物静かに演じた方が良かったのではないかと思った。スマイリーの昔からの部下で、遣り手で女好きでちょっとクセのあるピーター・グィラムを演じるには、カンバーバッチも若すぎて、坊ちゃん坊ちゃんしすぎていて、なんだか使いっぱしリの小僧がオヤジにいいように使われたり、サーカスの幹部に糾弾されたりしているような感じで、さして演じどころもなく、ふてぶてしい男盛りのグィラムの雰囲気ではなかった。これもミスキャストであろう。バッチ君のせいじゃないけれど、グィラムには若造過ぎるのである。おまけに、彼の演技力を活かすようなキャラ設定でもなかったので余計に勿体ないという感じだった。また、スマイリーの妻アンは素晴らしい美人という事になっているので、映画ではあからさまには姿が映らず、後ろ姿とか男(ヘイドン)と抱き合っている姿しか登場しなかったが、それでも、あまりにもイメージが違う。アンはすらりとしてクラス感のある上流階級出身の美人なのだ。(なにせ「グレタ・ガルボのような瞳」を持つ女なのだから)あんな派手で下品なワンピースを着た、ただの、そこらによく居るような男好きの女ではないのである。第一、あんな女だったら、スマイリーがそこまで惚れるとは到底思われない。説得力がなさすぎる。


残念ながら、二人ともミスキャスト。 バッチ君は勿体ない使われ方をしていた

唯一、役にはまっていたのは、リッキー・ターを演じたトム・ハーディだろうか。原作よりは少しキャラがたつような感じになっていたとは思うけれども、ちょうど役にピッタリな感じで違和感がなかった。この役は当初、マイケル・ファスベンダーが演じる予定だったのだが、ファスベンダーには合わなかったかもしれない。トム・ハーディで正解だろう。



コリン・ファースも、ビル・ヘイドン役には役者の柄としてはハマっていたとは思うのだが、いかんせん脚本がまずいので、ビルがいかに魅力的な人間で、周辺から特別視され、敬愛されているか(ビルは、斜に構えたピーター・グィラムでさえもが、彼を特別な存在として一目置いているきらきらしい伝説的なスパイなのだ)、という事が全く描かれていなかったし、その魅惑の人物像を表現するシーンが全くなかったので、コリンも殆ど演じどころが(演じようが)なかったのではないかと思う。コリン演じるビル・ヘイドンは、ただの気取り屋の嫌な奴、という感じにしか見えなかった。ジム・プリドーを演じたマーク・ストロングも悪くはなかったが、特に良いとも言えない感じだった。原作ほど体が不自由そうな感じになっていないのはともかくとして、ジムが田舎の学校の先生になっているところなんか原作に忠実に描写しなくてもいいから、もっとサーカス内部の人間関係や人物描写をちゃんと描きなさいよ、こんなグダグダじゃまるきり話が分らないじゃないのよ、と苛々した。





全体に脚本がまずい上に編集もダメなのでしまらなくなっているのだが、一番ダメなのは、落日の大英帝国への愛惜、という部分が弱い事である。それが大きな原作のテーマだったと思うのだけど、全然弱い。ソ連の大物スパイ、カーラがサーカスの「もぐら」から色々な情報を入手していたのは、英国の動きを探る為ではなく、英国と共闘しているアメリカ(CIA)の動きを探る為なのだ、と、スマイリーが大臣に語るシーンで(英国はそんなにも侮辱されているのだと言う)、唯一それらしいものが現れたぐらいで、映画としては映画的にその主題をもっと印象的に描写しなくてはならなかった部分だと思う。そして肝心のもぐらが寝返った動機も「西側は醜くなってきているから、ボクは生理的な審美眼で東側を選んだんだ」という事だけでは、殆ど説明になっていない。寝言を言うな、という感じである。「もぐら」の世代の精神的なバックグラウンドが全く描かれていないので、ただの意味不明なたわごとにしか聞こえないのである。このあたりについては、原作についてのレビューを読んでいただければ、と思う。

また、プリドーが裏切り者を始末に行くシーンも原作の方が良かったと思う。ちなみに、この映画の公開を待っている間、折々70年代にBBCで制作されたアレック・ギネス主演のドラマ「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」をYoutubeで観たのだが、これは派手さはないものの堅実な作りで、原作に非常に忠実に作られているという印象だった。スマイリーをアレック・ギネスが演じているのだが(他の俳優は地味である)、原作が発表されてからそう何年もたたないうちにドラマ化されたという時代性(何しろ1979年はまだ冷戦のさなかである)もあいまって、リアルタイムという事の利がありそうな気がする。


どこかの名誉教授みたいな、アレック・ギネスのスマイリー

それにしても、「裏切りのサーカス」。こんなしまりのない出来とはよもや想像しなかった。折角いい俳優を揃えたのに、こんな脚本と編集、演出では、非常に勿体なかったな、という気がする。脚本さえ良ければもっとちゃんとした本格スパイ物の傑作になったかもしれないのだが…。当初は、原作通りのタイトルをつければいいのに、なんで「裏切りのサーカス」なんて冴えない邦題をつけたもんだろうか、と思ったのだが、この中身のグダグダ感にはちょうど頃合のタイトルだったかもしれない。胸を膨らませて劇場に足を向けた観客の期待を無残に裏切る出来であったという意味でも、まさしく「裏切りのサーカス」であった。期待が大きかっただけに、ガックリ度もかなりのものだった。

コメント

  • 2012/04/25 (Wed) 19:57

    Kikiさん、初日に行ったのに、大ガッカリ状態だったんですね。私も実は見たんですけど、本当にガッカリで、期待度大だったために残念無念でした。最初はあのゆったりした感じが、悪くないかなと思ったのもつかの間、いつまでたっても説明不足で何が何やらよくわからず、あれは誰だっけ?となってしまい、ついていくのも大変でした。原作読んでいないので。
    こんなに役者が揃っているのにこの脚本はどういうことなんだろうか?と途中から頭の中が?でいっぱいになり、うっかり居眠りしてしまう始末。気がつけばよくわからない結末が待っていたという感じです。
    カンバーバッチくんも結構出ていたわりには、どうということもない役柄で、他の人々に比べてあまりに若いため、使い走りのようにしか見えなかったのは確かに、ですね。
    結局なんだったんだろうか?という疑問で終わった映画でした。

    ちなみにこの間「戦火の馬」を見ていたら、ちらっとカンバーバッチ君出ていましたね。声ですぐわかったんだけど。だんだんハリウッドムービー系の方達にも認識され始めているのかなと思いました。

  • 2012/04/25 (Wed) 23:06

    Sophieさん
    でしょ~? ワケワカ~メでしたねぇこの映画。ダラダラと締りがなく、かつ説明不足で、山も谷もなく意味不明な行ったり戻ったりの過去と現在のぶつ切り状態で、だからナニ?的に終了。大外し。お金と時間とキャストの無駄。もっと長くいろんな場面を撮ったのかもだけど(長く撮ればいいってもんじゃないけど)馬鹿げた編集で余計にわかんなくなってるのかも。原作読んでなかったら本当に?????の洪水だろうと思います。原作読んでても、バッチ君のグィラムがどこかの部屋で座って一人涙するところがあって、「なぜ涙?」とポッカ~ンだったしねぇ。ラストの拍手に至ってはもう呆れてモノも言えず状態。脚本・編集・演出全部ダメ。全然ダメ。なんでこんなテイタラクに…。あなたが寝ちゃったのもわかりますわ。ワタシが見た初日も超満員のシアターで、開始30分もしないうちにどこからか鼾が聴こえてきてトホホな気分になったわ。でも、あの内容じゃ鼾かいてもムリないけど(笑)
    Youtubeで全部じゃないけど8割ぐらいアレック・ギネス主演のドラマ版がUPされているから気が向いたら観てみては?よほどちゃんと話が分るわよ。プリドーがもぐらを始末に行くシーンも愛憎ないまぜでそれなりにニュアンスが出てました。まぁ、映画と違って7回シリーズのドラマだから7時間かけてるのでそりゃ話もじっくり追っていけるだろうけどね。それにしても今回の映画は本当にヒドかったわ。あんなヒドイ脚本に英国アカデミーは脚色賞を出したらしいけど、唖然とするよりないわね。ラジー賞の間違いじゃ?って感じ。近年稀なる大ガックリでしたね。やれやれ。

    バッチ君、「戦火の馬」にも出てるようですね。なんか軍人の役でしょ?でもあれはトレーラーを観るまでもなくどういう映画でどういう雰囲気か分かり過ぎちゃうので、ワタシはパスだけど(笑)バッチ君、ハリウッドからもかなりお呼びがかかってますね。興味が湧けば出るだろうけど、行きっきりになるというタイプじゃなさそうですね。軸足はUKに置いて、ハリウッドの仕事も興味あるものだけ受けるって感じでしょうね、きっと。

  • 2012/04/26 (Thu) 13:51

    こんにちは。おおっ・・痛烈ですねえ。確かに原作読んでると物足りないです。DVDで鑑賞したのですが第一印象がそれでした。でも監督とゲイリーのコメンタリー見てから再度見ると、良かったですよ。原作にないパーティシーンの演出と、La mer背景のラスト数分がいいと思いました。la merは音源が76年パリのオリンピア劇場のフリオ・イグレシアスのライブ録音なので、拍手は別にスマイリーに対する意味ではないのでは・・。隠れゲイのグィラムは監視対象になったから身辺整理をと言われて自分と相手の安全のためやむなく恋人と別れることにしたのです。機密のため理由も言えず、恋人は荷物まとめて出て行き、残された彼は一人涙した、と。女性に関心持つふりをしてゲイをカモフラージュしているんです。・・・と、擁護してみる・・でも一度見てわかりにくいから2度3度見たら、てのは、それ自体映画に欠陥があるという事ですよね。それは認めます。服装や車等などなど当時を再現した画面の出来にはうっとりでした。

  • 2012/04/26 (Thu) 22:52

    rosarindさん
    何度かDVDで観ているうちに、いいかもと思えるようになったんですね。DVD向きの映画なのかもしれませんね。が、ワタシはかなり期待していただけに、こんなものを前売りを買ってまで初日に観に行ったとは…となにやら唖然としてしまいましたわ。一緒に見た友人もぽっか~ん状態でした。(笑)まぁ、自分の頭の中に、明確にかくあれかしというイメージがあると失望感も増大するわけですわね。
    あの拍手がBGMの音源のライブ録音の拍手だというのは勿論分かってますが、その拍手の部分を、ラストにスマイリーがサーカスのトップに座るところで持ってくるというのは、何かしらの演出意図があると見てしかるべきでは?というか、意味もなくそんなものをあのシーンの背後で流されても困るという感じがします。しかもそのシーンのオールドマンの表情がこれまた。いかにもしてやったりな顔つきで、なに?スマイリーよくやった、ってことなわけ?と白けた気分で眺めました。
    また、ビル・ヘイドンがバイというのは原作の設定にもありましたが、グィラムが隠れゲイなんてのは原作にはなかった筈。特にそれらしい様子も前振りとして無く、誰か男が出ていった後で唐突に部屋でしくしく泣いているシーンが挟まれても、どこかに軟禁されて泣いているみたいにしか見えなかったですわ(笑) バッチ君を使ってグィラムを少し若くしたので、そういう設定を入れてみたのかもですが、説明不足な展開ですぐに分らないようなシーンを挟んでも、ただの制作サイドの一人よがりとしか思えないかも。総体に、そういう観客おいてきぼりな一人よがりな演出と編集が目についた映画だったと思います。
    確かにグィラムの車だの、大道具、小道具などの美術にはところどころ良いものもあったかもしれませんね。でも衣装などは60年代、70年代を映像化した作品としては平均的なレベルではないかと思います。ともあれ、この映画を楽しめた人はそれで良かったと思うけれども、ワタシは、あれだけのキャストを使ってあんな出来にしかならないというのは、やはり残念映画である、と言わざるを得ないというのが正直な感想です。

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