kiki的上海エトランゼ その1

-2012年的上海-



実はワタクシ、ここ数日上海に行っておりました。無論仕事などではなくプライヴェートの旅行。全てに割高で混雑するGWを避け、上海を旅するには春か秋がベストだという事で、晩春の5月半ば、九州のちょっと先みたいな近所であまり外国という気はしないけれども、改革・開放後に高層ビルのニョキニョキと建ち並んだ上海に、今も残っているであろう1930年代の「魔都」の残り香を幾らかでも味わうべく、レトロ建築探訪をかねてのショートトリップをしてきた次第。上海に興味のない方もいらっしゃるでしょうが、ワタシ的には久々の旅行記ですので、よろしかったらお付き合いください。
あまり戦前の上海という都市についてご存知ない方のためにサクっと書くと、上海は18世紀まではただのさびれた漁村だったものが、19世紀半ばのアヘン戦争敗北後の南京条約により、当時の清王朝が西欧列強に対して港を開かざるをえなくなり、香港島の割譲を皮切りに広州や南京など5港を開港したうちの1つ。上海はイギリス、フランス、アメリカに土地を割譲し、「租界(ズージェ)」と呼ばれる治外法権の外国人居住区が誕生した。黄浦江に建ち並ぶ石造りの壮麗な建築物は主にイギリス人が建てたもので、この港に面した大通りは「ザ・バンド(The bund、外灘)」と呼ばれ、上海を代表する景観となった。なぜ港の大通りが「正面玄関」になるのかというと、昔は船旅が主流で、東シナ海から揚子江に入り、更にその支流の黄浦江に入って上海港に接岸する船から眺める上海の最初の景観がバンドの壮麗な建築群だったから。このバンドは別名「偽りの正面」とも呼ばれ、こけおどかしのように西洋でもない場所に建ち並ぶ西洋建築群は、その威容が壮麗であればあるほど、余計に「偽りの正面」の印象が強くなったのでもあろうか。ともあれ、上海を訪れる者をまず迎えた壮麗な石の西洋建築群が、中国でもなければヨーロッパでもない上海という特殊な都市の印象を強力に彩っていたのだと思う。






というわけで、戦前の治外法権時代の上海は何でもありの都市だった。主にイギリス人が住んだエリアがイギリス租界、フランス人が住んだエリアがフランス租界、アメリカや日本やその他の国々の人々が住んだ一番広い租界は共同租界と呼ばれた。西欧列強が実権を握り、中国政府の手が及ばない租界には、国内はもとより国外からも様々な人間が流れ込んできた。各国の財閥系企業、商社や金融機関、報道機関、そして諜報機関、秘密結社、阿片で財をなした商人、一攫千金を夢見て植民地にやってくる者、ロシア革命などで祖国から逃れてきた人々、その他、政治犯、テロリスト、ペテン師、ジャズマン、ダンサー、芸人、娼婦は最上等から最下等まで各種、そして苦力(クーリー)。
…とにかく戦前の上海には、人の頭で考えつく限りのありとあらゆる物があり、ありとあらゆる人種が居て、ありとあらゆる事を生業として生きていた、らしい。



1920~30年代の上海ほど雑駁で混沌とした興味深い都市は他に類を見ないのではないかと思う。上海はいくつもの顔を持つ万華鏡のような都市だった。第二次世界大戦が終結したのち、共産党軍と国民党軍が争った結果、国民党が破れ、蒋介石は軍艦三隻に紫禁城のめぼしい財宝を積み込んで台湾へ逃れ、広大なメインランド・オブ・チャイナは毛沢東の赤い中国になった。ガチガチの共産体制時代はかつての魔都もなりをひそめて静かになっていたが、80年代に小平の掛け声のもと上海から開放路線がスタートし、90年代に入ると本格的に再開発が始まり、上海は今日の姿に変貌を遂げ、オールド・上海の面影は潰え去ったかに見えた。
かねてから、1930年代までのオールド上海に都市としての興味を持っていたワタシは、90年代初頭ごろ、上海を見てみたいと思っていた時期があった。が、あっという間に改革・開放で開発が始まり、街の景観は見る間に変わった。租界時代のままの姿が見られないなら行っても仕方が無いと思っていたワタシだけれど、まだあれこれと昔の建物も残っているから、そう捨てたもんじゃないよ、というご意見もあって、それじゃ近い事だし、ちょろっと晩春の旅行に上海にでも行ってみようか、と友を誘って2012年の上海に1930年代の面影を探す旅に出てみた。


上海の共同租界の名物だったインド人巡査 イギリスの「異民族による異民族統治」

ホテルもなるべく租界時代の面影を宿すクラシックホテルに泊まろうという事で、シェラトンだとかヒルトンだとか、はたまた浦東地区に出来た新しいホテルなどには目もくれず、1920~30年代からあるホテルをあれこれ検討した結果、今回は和平飯店や錦江飯店ではなく、パシフィック・ホテルこと金門大酒店に宿泊。上海大厦(シャンハイ・ターシャ:ブロードウェイ・マンションズ)や、「クラシックホテル憧憬」でも取り上げられたアスターハウス・ホテル(浦江飯店)なども検討したけれど、とにかく創業が古く、3線乗り入れている地下鉄駅が近いということでパシフィックホテルに決定。





平日の早朝から成田に向い、午前便で上海へ。順調に時間通りに上海浦東空港に到着したワタシと相棒を待っていたのは、金曜日の上海市内の泥沼のような、アリ地獄のような交通渋滞だった。なまじ現地代理店の送迎付きを設定してしまったせいで、車でのホテルへの移動になったのだが、浦東の奥地(何もない埋立地)の空港エリアを抜け、浦東から上海市内に入ると途端ににっちもさっちも車が動かなくなった。普通なら1時間ちょっとで着く筈が、2時間半かかってホテルに到着。長い長い道のりだった…。ともあれ、ホテルはクラシカルな外観でこぢんまりとしているが、それらしい造りで悪くはない。ベッドも広々しているし、お湯も一応勢いよく出る。ただ、こちらのホテルではトイレット・ペーパーの巻きが薄く、しかも予備を部屋に置いてないので、もしも夜中に使いきったらトイレット・ペーパーを持って来て貰うハメになるかもだねぇと、友と顔を見合わせた。

中国人のトイレ習慣については、以前からあれこれと聞いてはいたが、トイレットペーパーを使うという事がまだ隅々まで浸透していなさそうな気配が漂っていた。ホテルでもトイレットペーパーが上記の通りなわけだが、ショッピングモールや、空港、駅などのトイレでは、扉を閉めない人、閉めても鍵をかけない人というのが未だに居るのである。前者はさすがにあまり居なかったが、鍵をかけない人というのはまだ相当数、存在する。外から見ただけでは、中に人が入っているかどうか分らないのである。現地の人も扉を押してみて、開けば入るし、中から押さえられると、他をあたる、という感じで入っている。何故鍵をかけない?なぜ。
しかも、トイレットペーパー以外の紙は水洗式のトイレに流せない事もあるのだが、トイレットペーパーを使わずに、ティッシュとか、従来トイレットペーパーとして使ってきた紙などをいまだに使う人も多いようで、それらの人が使った紙を捨てるゴミ箱がトイレ個室内に設置されている。しかも、中国の洋式トイレの便座はかなり低い。なんでああも低い腰掛になっているのかフシギだが、低い。その上に、何故か便座を使わない人も多い。鍵もかけず、トイレットペーパーも便座も使わず、一体どんな風に用を足しているのだろうと思ったが、想像したくないのであまり考えない事にした。

そういう従来の習慣と世界標準にのっとった洋式トイレとが責めぎ合っているようなトイレ事情(つまり設備は一応OKだが、地元の人の使い方が独特)を除くと、上海は先端都市だけあって、高層ビルやマンションの多さとその高層っぷり、および交通渋滞の苛烈さはゆうに東京を凌ぐ。交通渋滞については月曜と金曜が特に猛烈なのだそうで、なぜかと問うと、それは仕事の始まりと終わりの日だから、との事だった。始まるのは毎日始まるし、終わるのも毎日終わるでしょうに、と思ったが、要するに月から金まで上海市内に留まって仕事をし、週末は郊外などの少し離れた家に車で戻る、という人が多いのだろうと推察した。上海では車の台数を制限するためにナンバープレートを取得するのに日本円にして60万ぐらいのお金が懸かるそうで、高い車を買った上に、60万のナンバープレート代を出してでも車に乗りたい人がひしめきあいながら外車に乗っているらしい。上海では割に大型のヨーロッパ車を多く見かけた。ヒュンダイもたまにあったし、トヨタもあったが、ベンツやアウディなどが多かった気がする。


こんな橋なんかも出来ちゃってます

ここ15年ほどの間に整備されたのであろう地下鉄も便利で安くて(初乗り3元:約40円)日本に負けず劣らず時間に正確。ICカードの切符は使い廻しが効くのでエコでもある。おまけにホームドアのついている駅が多く、日本で大江戸線などに乗るのとなんら変わらない。むしろ安くて分り易いし、全路線で色々と統一が取れている分、上海の地下鉄の方が使い易いかもしれない。東京の地下鉄網は広大だし、世界一複雑で分りにくいと改めて思った。おまけに古い地下鉄は本当に古いので、なかなかホームや車両を全て最新式にするというわけにはいかなかったりもする。新しい地下鉄はあまりに地下深いので乗っている時に大地震が来たら…と思うと、ちっと怖い。

かっぱらいに気をつけねば、と思っていたが、よほど怪しいような裏通りや横丁や、人で混み合う狭い通りにでも入らない限り、そんな心配もあまり必要なさそうに感じた。上海の生活水準はほぼ東京並みであり、人々は旅行者の挙動に興味など持っていない。20年ちょっと前までは、自転車に人民服でザアザアと通りを行きかっていたような気のする上海の人々だが、生活水準的には今や全く東京と変わりない。ただ、上海人の服装テイストは何とはなしに垢抜けず、失礼ながら男女ともに美形率は著しく低い感じがした。とにかくキレイな女子が少ない。というより居ない。男子もイケメンなんてさっぱり皆無だった。中国第一の先端都市でありながら、これはまた一体どうしたことか、と思ったが、まぁ、そういうところなのであろう。すぐ近くに蘇州という、古来から有名な美人の産地があるにも関らず、その影響はどうも上海には及んでいないらしかった。



夜、ホテルに戻ってTVをつけるとCCTVなどの中国の放送以外に、HBOやらNHKなども入ったし、台湾のMTVのような番組も流れていた。HBOともうひとつ映画チャンネルがあり、Bなテイストのものから近年封切られた話題作まで色々と洋画を流していた。中国語で字幕が出るのを、折々英語のセリフを聴きつつ漢字で出て来る字幕の言葉のどれに当るのかを推理するのがちょっと面白かった。でも、漫然と見ているうちに映画がつまらないのと、歩き疲れたのとですぐに眠くなってしまって殆ど見られなかったのだけど…。

というわけで、次回も上海旅行記の続きになります。ふほ。

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