プログラムピクチャー 類似系

さてさて。「カジノ・ロワイヤル」最後の劇場鑑賞も終えてしまったところで、昨年11月からワタシを酔わせた「カジノ・フィーバー」も少し一段落。(別にもう飽きたわけじゃないですよ)今後は少しダニエル・クレイグ関連以外の作品についてもレビューを書いて行こうと思う。新作ばかりでなく、過去に見た作品など、心に残ったものについて適宜、記事にしていきたいと考えている。もちろん、ダニエルの旧作や新作を見たら、その都度、その時感じたことを書こうと思っている。(新作が待ち遠しい気持ちしきりである。)

さて。ワタシは不思議なジャンルの映画も愛する人間である。その最たるものが「東映任侠映画シリーズ」などであろうか。(普通の女性はこういうものをあまり愛好しない。)うちは、とにかくよく映画を観る家だったので、劇場にもよく出かけたが、テレビで放映される古い映画もかなり見ていた。だから、こういう東映のプログラムピクチャーの類も、父の解説付きでかなり見たのである。テレビで、子供の頃に。なかんずく、ワタシの心を惹き付けたのは東映の任侠シリーズ中でも白眉の「緋牡丹博徒シリーズ」であった。


 純子
地味な着物をキリリと着こなした 純子が美しい眉をきっと上げて、敵対する悪玉親分に颯爽と啖呵を切る。その胸のすくような姿。艶やかでいながらも、きりっと一本芯の通った凛々しさ。これに、10歳かそこいらだったくせに、ワタシは「かっこいい…」と無条件に痺れた。(断っておくが、ワタシはこの映画のリアルタイムの世代ではない。テレビ放映されるようになってから、テレビで殆どを見たのである)今でも、 純子の映画はたまに観る。そして、子供の頃にいいと思っていた部分が、大人になっても全く同じで、子供の目というのはけしてバカにならないものだと再認識させられる。とにかく、 純子は美しかった。女渡世人という異常な設定の役をやっていながらけして下品にもエロにも流れず、常にそこはかとない静かな悲しみときりりとした気品を保ち、小太刀を抜けば要所要所でシャキっと姿の決まった美しい殺陣を見せる。もう、とにもかくにも颯爽としていた。(娘は何故に似なかった?俳優二世はなかなか親を超えられない宿命のようである。)そして、こういう博徒モノにお約束のシーンとして、敵対する一家と盆の上の勝負をした時に、相手方のイカサマを見破る、というシーンがある。このシーンは全くそっくりそのまま、ル・シッフルのブラフを見破ろうとじっと相手の表情を覗うボンドの様子に重なる。


じっと見極める
ワタシが劇場で「カジノ」を観ながら、なんだか見なれたものを見るような気持ちでこのシーンを観ていたのは、東映任侠映画の残像がまぶたに残っていたせいだろう。この東映任侠映画に少し通じるものがあるという説は、オープニングテーマに関する記事(06/12/19の記事)でも書いたが、肝心カナメの博打のシーンでも同様である。「カジノ」のポーカーはそこそこ手も分ったので、勝ち負けは分かって見ていたのだけど、東映任侠映画の場合は花札勝負だったりして、これはもう、本当に何が行われているのかサッパリ理解不能である。主人公と敵役の表情がクローズアップの切り返しショットでふんだんに応酬される。まあ、その緊迫感と俳優の表情で、勝負のアヤを読み取るのが、こういう映画の定石なのだ。だから「カジノ」でポーカーが分らないからあのシーンは退屈だなどいう意見を読むと、任侠映画を見よ、もっと分らぬ。この手の映画はそうしたものよ、とワタシは心の中で唱えていた。そして、もう1つ共通点がある。それは男女関係が非常にプラトニックであるという点である。ボンドとヴェスパーは一応最終的には肉体的にも結ばれるが、任侠映画のヒーロー、ヒロインは胸のうちでお互いに、いざとなったら相手の為に死ぬ覚悟までしていながら、奥ゆかしい会話のやりとりでほのかに気持ちを通わせるだけで、手ひとつ握り合うわけではない。そして、最後にはどちらかがあの世にいって、けして結ばれずに終わるのである。



東映任侠映画が全盛を極めた背景には、安保でゆれた時代の影もあっただろうが、何よりも高倉 健と 純子という金看板の黄金コンビがそろった事が最大の理由である。とにかくこの二人の絵になることときたら、いまだにインモータルな輝きを放っている。純子主演のシリーズでは、高倉健は流れ者のヤクザで、いろんなしがらみがありつつも最終的には純子と共に悪玉一家に二人で乗りこみ、散々斬りあった挙句に死ぬ。なぜか必ず男が死ぬ。そして修羅場が終わり、一人髪も乱れて血まみれで残された緋牡丹お竜は死にゆく男を抱きしめ、涙する。そして、苦悩を抱えつつ、また一人渡世の旅に出るのだ。どうです?このへん、何か通じるものがあるでしょう。「007シリーズ」ももう21本も撮っているプログラムピクチャーの最右翼である。プログラムピクチャーは巨匠が精魂こめて撮る「名作」などに比べると単なる娯楽とか、金を稼ぐだけの映画、のように扱われたりもするが、しかし、こういう類型的なシリーズものにこそ、凝縮された人間の苦悩とか孤独とか、生き様などのエッセンスが色濃く投影されて味わい深いのである。なお、ワタシが愛好しているのは東映任侠映画の中でも黄金期の「緋牡丹博徒シリーズ」「女渡世人シリーズ」「昭和残侠伝シリーズ」など、純子主演と健さん主演のごく限られた映画だけである。後年の実録ものシリーズ(仁義なき戦いなど)やらもっと後発のVシネなどになるともう一切観ていないし知らない。これらはワタシの愛好するフィーリングとは別物の作品群なのでご縁がない。東映というだけでひと括りには出来ないので、くれぐれもお間違いなきよう、ひとこと申し添えておいた。

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