「イングロリアス・バスターズ」(INGLOURIOUS BASTERDS)

-炎に包まれた哄笑-
2009年 米 クエンティン・タランティーノ監督



ブラッド・ピットに興味がなく、タラちゃんマニアでもないので、特に劇場で見る必然性を感じなかった本作。のちにちらっと流し観たものの、ちゃんと観ていなかったので記憶が曖昧だった。でも、考えてみたらブラピはともかく、これにはマイケル・ファスベンダーも出ているし、メラニー・ロランも出ているのである。これでブレイクしたクリストフ・ヴァルツの怪演ぶりも確認したいし、機会があったら再度ちゃんと観なくては、と思っていたら、放映されたので捕獲しておいて観賞した。前にざっと観た時より面白く感じたし、メラニー・ロランが非常に良かった。ミヒャエルことマイケル・ファスベンダーも地味に頑張っていた。ミヒャエル出演作繋がりで、先日、先行上映を観賞してきた「プロメテウス」の感想もさっくりと。
タラちゃんことクエンティン・タランティーノ作品は、OKなものとどうにも好きになれないものに分れるのだが、「パルプ・フィクション」は好悪を超えた別枠として、どうにもダメなものに「キル・ビル」シリーズ、「フォー・ルームス」、「ナチュラル・ボーン・キラーズ」などがあり、OKなものに「レザボアドッグス」、「ジャッキー・ブラウン」などがある。殊に「ジャッキー・ブラウン」は昔観た時よりも、自分が大人世代になってから観ると余計に何となく好きになる作品で、いささか冗長ではあるものの、いつものケレン味たっぷりのタラちゃん臭が薄く、ところどころにほろにがな大人の味わいが滲んでいる部分が好ましい作品である。

で、この「イングロリアス・バスターズ」はどうかというと、これはタラ作品としてのエグ味が薄い分、コアなタラ・ファン以外の客層にも受け入れられ易かった映画であろうし、ワタシとしては何よりも、「なんでもかんでも英語、どこの国でも英語」ではなく、ドイツ人はドイツ語、フランス人はフランス語、イタリア人はイタリア語、そしてアメリカ人はミャーミャーレロレロの英語を話す、という具合に、きちんと多言語でセリフが設定されていたことが一番好ましかった。ハリウッド映画の弊害のひとつに、どこの国の話でも、どこの国の名詞でも、なんでもかんでもセリフは英語で、名詞も英語読みにしてしまう、という事があったのだが、本作とか「X-MENファーストジェネレーション」などでは、きちんとその国の言葉を使い分けるようにしていて、観ていて気持ちが良かった。徐々にそういう傾向が浸透していけばいいな、と思う。色々な国の人間が登場する場合、どこの国の話でも英語というのは本当に白けるからだ。

クエンティン・タランティーノは正攻法で撮れば実にきちんとしたシークエンスを撮れる人だという事は、この映画の第1章が証明しているが、本当にもう、手に汗握る緊迫感である。のどかなフランスの田舎の農家に、突如やってくるナチのジープ。この不吉感。常に不気味な薄笑いを浮かべ、慇懃無礼な態度と小さな目で何ひとつ見逃さない天性のユダヤ・ハンター、ハンス・ランダ大佐を演じるクリストフ・ヴァルツのハマリっぷり、その相手をジワジワと真綿で締め上げるような追い込み方、その醸し出す空気の胃が痛くなるような緊迫感は本当に凄い。観ていて嬉しくなるほど凄い。懸命に近隣のユダヤ系の一家を匿っていたフランスの農家の主人が、遂にランダ大佐の、その何もかもお見通しな鋭い推理と冷静さの背後に滲ませた徹底した妥協の無さに負け、ユダヤ人一家を匿っている事実を認めてしまうくだりは見応えがある。



この農家の主人になっている俳優はドゥニ・メノーシェという人らしいが、寡黙で、人として精一杯の誠意で隣人を匿おうと努力してきたのだが、容赦のないランダ大佐を誤魔化す事は到底不可能で、自分の家族に危難が及ぶかもしれないとなると、涙しつつも折れざるを得ない、という苦渋の雰囲気がよく出ていて同情したくなった。このシーンから既に、本作のマルチ言語な様子が垣間見られる。フランス語から英語にスイッチし、またフランス語に戻る。クリストフ・ヴァルツは何語を話しても非常に滑らかで達者だ。日本人は外国語の習得があまり得意ではない民族のような気がするが、欧州には6ヶ国語を話す人、というのはさほど珍しくないのではなかろうか。3ヶ国語ぐらいなら、かなりの人が話せるのではないかという気がする。それぞれにラテン語をルーツとする言語を使っている国が多い事もあるが、言語センスの鋭い、微妙なアクセントの違いを聞き分ける耳のいい人が多いという事もありそうだ。



機銃掃射の嵐をただひとりかいくぐったユダヤ人一家の娘、ショシャナは、陽光燦々の野原を一目散に走って逃げる。ショシャナに扮するのは、自らもユダヤ系フランス人であるメラニー・ロラン。久々のドヌーヴ系美人のおフランス女優である。このメラニー・ロランの素敵なフランス娘っぷりは、赤いイブニングドレスで着飾り、化粧もして、最も美しい筈のクライマックスよりも、むしろ、パリの街角の映画館で男物のような地味な服に化粧気もない顔で上映作品のタイトルを変更していたり、近所のカフェで、無造作な姿で本を読んでいる時に一段と輝いて見える。飾り立てるよりも、何もしなければしないだけ余計に素敵に見えるのである。ワタシはコテコテと飾り立てるよりも、何もしないでいて独特の魅力をかもし出したり、どこも格別構っていないのに素敵な雰囲気の女性というのに憧れるし、自分もそうありたいと昔から思ってきたが、これはなかなかに難しゅうございます。はい。



メラニー・ロランは久々に登場した、素のままが一番輝くタイプの女性かもしれない。また、パリというのは特に女優じゃなくても素敵な女性がけっこう居る街なんですわね。小犬を連れて散歩の途中に、街角で電話している普通の女性でも、長いアッシュブロンドを肩先からなびかせて、シィクな(シックと発音するのは間違いなんですってよ)コートの立ち姿が実にもう絵になっている。街と人とが調和していて、道ゆく人が無意識のうちにもサマになっている。そんな感触を、本作のメラニー・ロランのカフェ・シーンを観て久々に思い出した。



この素敵なメラニー・ロランのフランス娘にハタ迷惑な一目惚れをして準ストーカーになるドイツ軍の若き英雄フレデリック・ツォラーにはダニエル・ブリュール。甘っちょろいハンサム顔であるが、どこかにちょっと気味の悪い空気を漂わせる事もできるダニエル・ブリュール。相手が嫌がっているのに、甚だしく空気が読めない。占領軍の高飛車さで、占領されたパリ市民はなんでも言われた通りにすりゃいいんだ、というのが根底にあるので、一応、礼儀正しくは振るまっているものの、嫌がられても引く気はない。というか、俺は引く手数多の英雄なんだぜ、好意をもたれて有難いと思えよ、というのが慇懃な態度の裏側にはあるので、余計に鬱陶しい。また、甘っちょろい顔はしているが、一人で300人も敵兵を殺したという男なんだから、どこか薄気味悪い空気もある。この鬱陶しい、薄気味悪い感じをダニエル・ブリュールがよく出していた。



このダニエル・ブリュールのはた迷惑な恋着のせいで、二度と会いたくないランダ大佐とも対面して会話をしなければならなくなるショシャナ。終始こわばった表情ながら、何とかランダ大佐をやり過ごすとどっと涙が出てきそうになるあたり、実にさもありなんと思いつつも、アップになっても瑕瑾のないメラニー・ロランの美しさが際立つシーンでもある。そしてクリストフ・ヴァルツがやたらにこだわってギャルソンを呼び寄せ、生クリームをかけてから食べていたケーキに、席をたつ間際、吸っていたタバコをジュッと突っ込んでいくところが印象的だ。いや~、ランダ大佐、実に怖い。この「見抜かれている感」には、ゾワゾワする。

ミヒャエルことマイケル・ファスベンダーはどこに出てきたのだっけな、と思っていると、彼はドイツ語を話し、ドイツ映画に詳しい英国の将校として登場。彼の上司である将軍役でマイク・マイヤーズが出てきたので、ワタシはいつDrイーヴルのようなフィンガー・アクションを繰り出すかとヒヤヒヤしてしまった。ミヒャエルはドイツ将校に化けて、連合国側のスパイである高名な女優ハマーシュマルク(ダイアン・クルーガー)と接触するという任務で、ブラピ演じるレイン中尉のバスターズと合流する。ナチだらけの小さな酒場で、ランダ大佐にも劣らぬ猟犬のような勘の良さを発揮してバスターズを窮地に陥れるヘルシュトローム少佐を演じるのは、「ヒットラーの贋札」では、いくらか二枚目系のユダヤ人役だったアウグスト・ディール。本作では不気味なSS将校っぷりが板についていた。とにかくなまなかな事では彼を騙せない、底の浅いウソはすぐに見抜かれる、という感じが漲っていて、アウグスト・ディールの演技と存在感がこのシーンの緊迫感をいやが上にも盛り上げていた。



いやー、これじゃミヒャエルは追い込まれちゃうわ。迫力が違うものねぇ。ここは本作の英語以外の言語を駆使するセリフが最大限に生かされているシーンでもある。ひとまずその国の言葉が話せる、というだけではその国の人間に化けおおせることはできない、という事がひしひしと伝わってくる。どこの地方の人間になりすますのか、特定の地方のアクセントにも気を配らなくてはならないし、言葉だけでなく、文化や風習など、その国を根深く研究していないと、思ってもいないところでボロが出てしまうのである。
ドイツ語の話せる英国将校の役、というのはドイツ人の父と北アイルランド人の母を持つマイケル・ファスベンダーにはまさに持って来いの役。でも、ハンサムではあるけれども印象はやや薄目。この作品あたりから目立つところに出てきたという感じだけれども、声に特徴がないせいもあって、彼自身にはさほどのインパクトはない。でも、ハンサムなので、ナチの軍服を着てドイツ語をしゃべっているのを観ているだけでも、それなりに楽しい。
それにしても、やはり英国人にスコッチは欠かせないのだね。



また、ブラピが演じるレイン中尉は、アメリカ先住民の血も入っている男という設定で、殺したナチの頭の皮を剥ぐ、という野蛮な事を敢てするあらくれ者であり(でも、アメリカ先住民といえば頭の皮剥ぎ、というのはもうやめてはどうか、という気もする)、かなり乱暴でぞんざいな感じの英語を話し、また、英語以外は全くダメである、という設定なのも、さもありなんという感じである。クライマックスの映画館のシーンで、モロにアメリカ人という感じの白タキを着てイタリア人だと偽りつつも、ランダ大佐に流暢なイタリア語でこみいった事を質問されると、まるきり理解できない様子や、英語読みでしかイタリアの人名を発音できない有様なども、タラちゃんがいかにもなアメリカ人をカリカチュアライズしていて、ふふふと笑ってしまうシーンである。それをブラピもきちんとニュアンスを掴んで演じている。なんだかんだいってやっぱり匙加減がよく分っているな、と思った。



マニアックな映画愛をここでも展開するタランティーノ。メラニー・ロラン演じるショシャナがパリで営む映画館で上映していた映画は時節がらレニ・リーフェンシュタールの作品だし、ファスベンダー演じるヒコックスが軍人になる前に研究していたのはG.W.パプストである。パリのプレミア上映にはエミール・ヤニングスが登場したりもする。ヤニングスはちゃんと逃げられたのだろうか…。やはり丸焼け?
大スクリーンに浮かび上がるショシャナの炎の中の哄笑と、可燃性フィルムによる映画館大炎上。まぁ、史実と違って、ヒットラーがあそこで死んじゃっても誰も文句はないでしょう。また、ナチへの復讐はなるが、ショシャナ自身もストーカーとあい撃ちになるという終焉も、シビアだけれども生き残るという設定よりは映画的といえるだろう。

余談だが、レニ・リーフェンシュタールといえば、ナチの御用達でプロパガンダ映画を撮っていた女性監督というイメージだけれども、レニは時代の流れの中で、自分が撮りたいものを撮るためにナチを利用したのでもあろう。彼女はナチ党員ではなかった。が、独裁国家でアーチストが仕事をしようと思ったら、時の権力に逆らわずにスポンサーになってもらわないとしょうがない、と考えたに違いない。プロパガンダ映画という側面はあるにせよ、「オリンピア」などは、映像表現としてやはり今見ても斬新なものがあるのは事実だ。

閑話休題。
機を見るに敏で、何事も見逃さず、聞き漏らさない抜け目のない男、ランダ大佐が、祖国愛などカケラもなく、ラスト間近でアメリカに裏取引を持ち掛ける計算高さには恐れ入るが、一方で、映画の最初の方でバスターズに捕まって、ドイツ軍がどこにいるのか幾ら聞かれてもけして口を割らず、サムライのごとき誇り高さでバットで殴り殺されていったナチの将校の、何者にも屈しないありようが極めて印象的でもあった。



タイトルでもある「イングロリアス・バスターズ」は、さして出ずっぱりでもないし、大活躍でもないのだけれども、だからこの映画が好ましいとも言えるだろう。メラニー・ロランばかり褒めているが、ダイアン・クルーガーもドイツの大女優という雰囲気がよく出ていたし、1930年代の衣装やヘアスタイルもよく似合っていた。クリストフ・ヴァルツのランダ大佐はどのシーンでも隙のないなりきりぶりで、確かに見応えがあった。彼の持ち味は少しケヴィン・スペイシーと被るだろうか。ともあれ、実際にも何ヶ国語も流暢に話せるという彼の特性が見事に役にも生きていて、まさにドンピシャリなキャスティングだった。何ひとつ見逃さない恐ろしい男なのに、なんだかフシギな愛嬌と品がある、ちゃっかり屋のランダ大佐は彼でなくては表現できなかっただろう。



タランティーノならではの選曲センスも随所に現れて(デヴィッド・ボウイが自然にはまっていたのはちょっと驚き)、色々な意味で映画的な楽しさに満ちた作品だった。


*****
というわけで、「イングロリアス・バスターズ」は楽しく再見したが、はてさて、鳴り物入りの3D興行「プロメテウス」はどうだったかというと…。(この先は、これから「プロメテウス」を観る、という方は読まないでください)



何故、「プロメテウス」単独でレビューを書かないのか、他の記事のおまけでちょろっと感想を書くか、という事で、もうお分かりいただけるように、ワタシはただもう、呆れ果てて映画館を後にしたのである。特に急いで見るつもりもなかった映画だけれど、友人が見たいというので、付き合いで先行上映を観てみたが…。

まずは、ファスベンダーが人間じゃないという事が分かった時点で、う、もしや、と思ったが案の定だった。
これは、最新の映像技術を使って「エイリアン」を焼きなおしただけの作品である。宇宙船の中に極めて精巧なロボットがいること、目的の星に着いて、ピラミッドのような建物に入ったら、そこには変な生物が筒の中でウジャウジャと成長しつつある。もう、既に視た光景のつるべ打ち。ノオミ・ラパスが何故キャスティングされたかというと、彼女はシガニー・ウィーバーの役回りの後継者というポジションなわけですね。でもノオミ・ラパスの「プロメテウス」での役には、シガニーのリプリーほどの迫力はないし、物語を一人で背負って立つほどの存在感やパワーにも欠ける。

ファスベンダーはそれらしい雰囲気をよく出していて上手かったと思うけれども、役自体が全く目新しいところがない。思わず「アッシュ」または「ビショップ」と呼びかけたくなってしまったりして(笑)



人間をこさえた創造主が宇宙のどこかにいる、という学者たちの説もなんだか根拠薄弱だし、不死を求めて大金を投じ、学者達を乗せた探査船を出す大企業の老社長が、死んだ振りをして自ら船に乗っていても、まぁ、そう来るだろうねぇという感じ。
探査船が人類を造ったらしき生命体のいるであろう星に行くと、未知の変な生物がいて、それがまたモロにエイリアン(今回は、蛇みたいな、タコのお化けみたいな感じの、うにょうにょしたグロテスクな生き物だ)だし、その変な怪物と、怪物がウヨウヨしているピラミッド内部のデザインは、またもギーガーである。グロテスクな生き物は口から他者の体内に入り、腹を裂いて出てくる。もう、何から何まで捻りなしに「エイリアン」である。「人類の起源」なんて大袈裟な事をぶちあげて、部分的にちょっと設定を変えたりはしていても、結局のところ、これはただの「エイリアン」の焼きなおし、しかも最新の映像技術を使ったというだけの、何の捻りもない上に、拙劣な焼きなおしである。目新しい事は何ひとつない。



人類を造ったらしい人間とよく似た生命体が、生物兵器を引っさげて攻撃に行こうと目論んでいるターゲットが地球、というのも、なんでピンポイントで地球よ?他にも星はありそうなもんじゃないの、こんな遠く離れたちっぽけな地球に来なくても、別のところで試してみればいいじゃないの、という気分になる。ムリに地球を襲わせようとしなくてもねぇ、という感じだ。しかも、最後の最後にやっぱりあれが出てきちゃうところなどは、観客へのサービスのつもりかもしれないが、「あ~あ、とうとうやっちゃったのね…」という、何か物悲しい気分がうっすらと漂った。人類の起源じゃなくて、あれの起源だったってオチなわけね…。やれやれ。
かつてはあれほど、それまで誰も見た事がなかった世界を提示する事ができたリドリー・スコットがこんなものを鳴り物入りで世に送るとは…。結局は老いてしまったという事なのかもしれないがひたすらに物悲しい気分になった。

いかにクリエイティヴな才能が豊かな人間でも、引き出しの数には限りがある。リドリー・スコットといえども、そのアイデアやイマジネーションはごく限られたものであるのだな、と今更ながらに思った。ワタシが観たかったのはエイリアンの焼きなおしなどではなく、もっと全く別なイマジネーションの世界だった。既に見たものの拙劣な焼き直しを、もう一度観たかったわけではない。しかも、さほど意味のない3D興行での特別料金で…。シャーリズ・セロンがちょっと奇麗だとか、マイケル・ファスベンダーのロボットっぷりが良い、というだけで3D料金など払えたものではない。いや、「プロメテウス」は2Dでも御免蒙っておく。

基本的に、映画の映像表現として3Dは不要であるというのがワタシの考えなのだが、今回もやはり、「飛び出し不要」という認識を更に強めて帰ってきた。うっすらとリドリー・スコットに騙されたような気分になった。

コメント

  • 2012/08/20 (Mon) 04:08

    タラちゃんのコレ、私的にはタラムービーベスト3に入ります。
    元々ナチものならなんでも好き(ファッション的に)っていうのがあるのかもしれませんが(苦笑)、タラちゃんの作品の中ではオタク臭がキツくなく、しかもタラちゃん一番の持ち味であるキャスティングは活かされてた感がありましたので。

    ナチ繋がりでレニ・リーフェンシュタール。彼女を知ったのは官能的なアフリカ原住民を撮った後年の写真集。彼女の若い時期は理由はともあれ今も英国なんかで彼女の評価が低そうに感じる要因かと。若いドイツの芸術家たちと共に英国にて作品を作っていたわたくしは未だにドイツ人らの気持ちの中にはドイツ特有の政治的なニュアンスが見え隠れしてて、またそれがパワフルな反面歴史に縛られているような感じをいつも受けてましたけど。まあ、最近はアメリカ的価値観を皮肉るといった独アーティストが多い気が致しますけど。

    「プロメテウス」・・・
    やはり・・・「ダークナイトライジング」先行上映を観に行った時に予告があり、連れと「次はコレ観に行こうか」と話していましたが、あとからテレビCMや情報番組の中で知ることが出来る情報の中でよくよく観ると、「あ」というつぶやきと共に「監督ぅ、やっちまったなぁ」というシラケがこみ上げてきてました。
    しかもクリーチャーや装飾はギーガーのエイリアンのための'70〜'80年代画集の中で使われなかったキャラ(ボツキャラ)や情景(ボツシーン)を今更出してきた感がたっぷりべっとりってな感じで、脳内的に刺激したのは映画内のいつ止むとも知れないサイレンの音のみで、キャスティングも絵も視覚的に満足させてくれる要素がもう見つけられなくなってきていたところです。
    長らく起用し続けていたシガニーウィーバーといい、ギーガーといい、監督は執着心の強い方なんでしょうね。

  • 2012/08/20 (Mon) 22:33

    sanctuaryさん こんばんは。

    これは評判いいですよね。タラのベスト1だという人も多いようですわね。ナチものなら何でもお好き、という事は「愛の嵐」大好き派、でいらっしゃるんでしょうかしらん。ちなみにsanctuaryさんのベスト3の他の2作品てどれでしょう?ワタシはタラ作品の中では、たまに思いだして観るつどに「ジャッキー・ブラウン」がお気に入りになってきています。ブリジット・フォンダ、もう映画に出ないのかしらん…。結婚以来ずっと家庭にひっこんでいるようだけど、また彼女を映画で観たいですね。

    レニ。ねぇ。まぁ、確かにあの体制に迎合したというところはいただけないわけですが、才能という点に関しては確かに鋭いものがあった、という事を一応、言っておくべきかな、と(笑)それにしても、ドイツの芸術家っていまだにそういうものを纏っちゃってるんですか。…根深いものですね。ドイツ人のDNAの中には、やはりそういう考え方に寄って行き易いものが潜んでいるんでしょうかしらね…。

    そうなんですわ。「プロメテウス」。やられました。ワタシは何も予備知識をいれていかなかったので、そんな事とはつゆさら思わずに行ったんですが、もう詐欺にあったような気分になりましたね。執着心が強いという言い方もできるかもしれませんね。でも、これはねぇ…。数年前からリドリー・スコットの「老化」は気になっていたんですが、今回はほとほとヤキが廻ったわね、という感じで、怒りよりも憐憫が湧いてきました。過去作品をセルフ・リメイクするようになると、もうその監督はオシマイだというのがワタシの見解ですが、彼はいよいよそっちに近づいてきたような気がします。次回作はまたミヒャエルと組んでいるみたいですが、どうかなぁ。ミヒャエルのためにも面白いといいですけどね…。リドリーといえば、弟のトニー・スコット監督が投身自殺しちゃったというニュースが飛び込んできましたね…。どうなされたのか。ともあれ、ご冥福をお祈りしよう、という感じです。

  • 2012/08/20 (Mon) 23:36

    タラムービー、マイベスト3は、レザボアドッグスとジャッキーブラウン、そして今回Kikiさんが取り上げられたイングロ~バスターズでしょうか。
    ちなみにベスト5で残り2つを加えるなら、常套なパルプフィクションと、軽いノリとB級度満載のお下劣ホラー「フロム・ダスク・ティル・ドーン」。
    監督はロバートロドリゲスだけど、ジョージ・クルーニーがまだ「ジョージ・クルーニーって誰?」と思っていた時期の彼の「作られたダンディズム」が開発される前に出演した映画であり、平日の昼間か深夜なんかでやっていた英国の低予算Bムービーを観てたわたくしからは、あの手のいい加減でありバカ真面目な映画は時に好みの味だったり。笑

    愛の嵐は好きですね。シャルロットランプリングの三白眼とナチの帽子にサスペンダー。でも実は同じボガードでもハンフリーよりダークの方が断然好きだから、彼の怪演を観る為にこの映画を観たりしてました。
    なんと愛の嵐のDVDは英国では大学の図書館にもビデオ屋さんにもなかなか置いてないんですよ。
    風紀的に良くないのか、歴史的な理由なのか…

    ちなみにkikiと同意で、なんでも3Dシンドロームはわたしも大キライです。
    せめてピクサーのアニメぐらいにとどめておいてよと思います。
    なんでしたっけ。そうそう。'80年代のストップモーションアニメーションのタイタンの戦いが好きで、昨年リメイクされた同名映画をわざわざ3D価格で鑑賞したわけですが、意味ない3Dをまざまざと見せられました。
    しかもわたくし、眼鏡着用者だし、その上から3D眼鏡をかけますとどうしても手で押さえておく必要があり、不便極まりない!

    最後、乱暴で失礼致しました。m(_ _)m

    P.S リドリーみたく昔とった杵柄で、大金使い映画作るようでは終わりですね。



  • 2012/08/20 (Mon) 23:51

    すみません…
    コメント文章の最後あたりでkikiさまを呼び捨てで呼んでる場面がありますが、故意ではありません。
    X...kiki
    ○...kikiさん


    m(_ _)m

  • 2012/08/21 (Tue) 00:10

    sanctuaryさん 

    やはり、そのへんがタラ作品の良品でしょうね。そして、ああ、「フロム・ダスク・ティル・ドーン」ってありましたね。TVから映画にステージを移したばかりの頃のジョジクルが出てたやつですね。観たような気もするけど、斜め観であまり覚えてませんが、いずれにしてもジョジクルがまだ出来上がっちゃう前、ですね。最近のやたらな大物風味の様子をみると、一体いつの間にこんなに成りあがったんだろうと毎度首を捻ってしまいますが、頭と人当りがいいのかもしれませんね。それにしても知らない間に随分な高度成長期を過ごしておられたのね、と思いますが。ロバート・ロドリゲスも一時期流行りましたね。って、まだ過去形で語っちゃいけないかもしれないけど(笑)

    へ~、「愛の嵐」英国ではビデオ屋にも無いんですか。面白いですね。案外、英国の右翼系の若者もネオナチ系に流れ易かったりするのかもで、不用意に目に触れないようにしてるんですかしらんね。ダーク・ボガードといえば少し前に「召使」をDVDで観ました。へらへらしながら上流出身の若主人を破壊していく召使役で、いかにもな感じでした。でもあれは主人がアホすぎ…。

    ちなみに、ハンフリーはボガート(Bogart)で、ダークはボガード(Bogarde)でございまする。(笑)

    そうそう。なんでも3Dってのは本当に勘弁です。3Dで観る事に意味がある映画、または映像ってよほど特殊な場合に限られるような気がしますね。なんとかムリに割高な料金で3Dで興行しようと思って猫も杓子も3Dみたいな事になってますが、どれもこれも飛び出し無用です。あまり観客をナメてはいかんよ、と言いたくなりますね。メガネをかけてられる方は、あれ、本当に困るらしいですね、二重になっちゃって。その上、映画がシャビーな出来と来た日には、幾重にも忌々しいって感じですわね(笑)

    kikiの件、分かっておりますからお気になさらず。ふほほ。

  • 2012/08/21 (Tue) 20:46

    kikiさんこんにちは。
    今暮らしているロシアに持参したDVDの中に「オーケストラ!(原題:Le Concert)」という映画があるんですけど、その中で、キーパーソンであり、最後にボリショイとチャイコフスキーのバイオリン協奏曲を演奏するフランス人バイオリニストを演じていたのがメラニー・ロランでした。途中までドタバタトーンのストーリーなのに最後の演奏場面は迫力があって、じ〜んと感動するのは、彼女の自然な佇まいが、素直にそういう気持ちを感じさせたこともあったんですよね(その映画でも背景にあったのはソ連時代のユダヤ人排斥でした)。ただ美人なだけでなく、普通にその場面にあった雰囲気を出せる女優さんみたいですね。

  • 2012/08/21 (Tue) 23:13

    annaさん こんばんは。
    「オーケストラ!」は未見なんですが、メラニー・ロランの存在感の自然さというのは想像できますわ。彼女はいいですよね。美人だけど、私が!私が!って感じがなくて。でも、きちんと役に求められるものは表現できるし。そういえば彼女も出ている「人生はビギナーズ」ですが、小味だし、DVDになってからでいいや、という事で未見なんですが、ユアンやクリストファー・プラマーとの共演で、なんとなく出演者のアンサンブル的にもよさげではありますね。そのうちレンタルしてチェックしてみようと思っています。

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