「Parade's End」のDVD到着 ざっくりの感想

-苦悩するaristocrat-
2012年 英BBC/米HBO



どうするかなぁと思っていたけれども、何となくそのクラシカルな雰囲気に興味もあったので、「Parade's End」のUK版DVDを予約しておいたのが、この週末に届いた。とにかく、BBC2で、ついこの間本放送が終わったばかりなのに、すぐにDVD、BDが出て、海外にもそれが1週間後に届くんだから、便利な世の中ではある。

このところ何かと忙しい上に飲み会も多く、夏の疲れか、やっと涼しくなったというのに(だからかもしれないけれど)なんだか疲れて体がだるい。殊に、今年はいつまでもネチネチと暑かったので、知らないうちに疲労が溜まっていたのかもしれない。
そんなわけで、「Parade's End」もひとまず、さっと流し見た、という感じなので、大まかな印象しか書けないけれども、一応、ザックリの感想を書いてみようと思う。

何はともあれ、まずは映像が非常に綺麗。美術や衣装なども時代色がよく出ていて良い。これは英国物に共通の特徴かもしれないが、本作も撮影がとても綺麗だ。殊に、バッチ君演じるクリストファー・ティージェンスの住むグロービー屋敷のあるヨークシャー地方のいかにも英国的な風景が印象的だ。そして、今からちょうど百年ぐらい前の話(日本で言えば大正時代)なので、俳優たちの背後に映る田園風景や、街の様子や、建物や、建物の内装、および衣装や小道具、馬車や汽車なども、全てに1910年代初頭のムードがたちこめていた。



そういう背景や道具だてに囲まれて、感情を表に出さない典型的な英国紳士を演じるバッチ君。主人公クリストファー・ティージェンスを演じる際の特徴的な表情として、口元を引き締めるような、というか、何かを我慢するように唇を結んでいるのが印象的だ。唇がちょっと紐っぽくなるのが微笑ましい。また、百年前の英国紳士ファッションをあれこれと見せてくれるのもバッチ君ファンとしては楽しみのひとつ。シルクハット姿やら、ホワイトタイの正装に、田舎の屋敷でのツイードのスリーピース、ニッカボッカのゴルフウェアとハンチング、そして軍服姿と、様々な姿で登場し、自分の感情を常に抑えつつも、運命の女性であるバレンタイン(アデレード・クレメンス)への気持ちが徐々に高まっていくクリストファーを静かに演じている。


今回、印象的な演技はこの口元


クラシカルなメンズ・ファッションも要チェック

クリストファーの奔放な赤毛の妻シルヴィアは、世間体のためだけに結婚した感情表現に乏しい夫を愛さず、勝手放題ばかりしている女なのかと思っていたが、実は、何をしても自分を振り向いてくれない夫に焦れて、夫の気を引こうとあれこれとやらかしている女なのだった。演じるのはレベッカ・ホール。かなりの長身なのだろうが、ヒールを履くとバッチ君よりもノッポになる、おそろしく背の高い女優である。社交界の華で奔放なシルヴィアは痩せた体に赤毛で、何というか、淫奔なタイプの典型のような感じだけれども、キモノガウンなど羽織って、いかにもビアズレーの絵から抜け出てきたようなその姿は、それらしい風情があるし、確かにUKの批評家が褒めていた通り、レベッカ・ホールは良かったと思う。ちょっとグッキーなのも、男にだらしない女の役にはピッタリかもしれない。シルヴィアは既に妻のある男との火遊びで妊娠し、世間体のために子供の父親を求めていたところで、クリストファーと知り合い、結婚した。表向きクリストファーの子という事になっている幼いマイケルは、実はシルヴィアの火遊びの結果であるにも関らず、クリストファーは息子を可愛がる。闇が怖いといって泣く息子を、召使任せにせずに部屋に行って抱き上げ、眠るまで話をしてやるクリストファーの様子には、素のバッチ君の父親願望がしみ出しているようにも感じた。


彼女なりに夫に執着心を持っているらしいシルヴィアなのだが…

このバッチ君演じるクリストファーの兄を演じるのは、ルパート・エヴェレット。この兄は先妻の子で、後妻の子であるクリストファーとは腹違いの兄弟という事になる。兄も既にシルヴィアの腹の子が弟の子でない事を知っている。結婚式に向う馬車の中でシルヴィアについて、「カトリックのビッチ」とか「娼婦」とか、「お前は自ら罠に落ちたのだ」とか言いたい放題言う兄。兄は結婚していない。弟の結婚相手の「娼婦」が既に孕んでいる子が、14代目のティージェンス家グロービー屋敷の当主になるとは、と吐き捨てる。兄と弟はそりが合わない。クリストファーの結婚には父も反対している。



最初から波乱含みのこんな結婚が上手く行くはずもない。シルヴィアがまともに子育てをするわけもなく、一人息子は孤児のようにクリストファーの姉の家に預けられる。父からも友からも、離婚を薦められるクリストファーだが、ジェントルマンにとって、こういう状況はパレードのようなものだ、とクリストファーは言う。では、誰か愛人を作れ。他に結婚したい女が出てくるかもしれないだろう、と友が言うと、自分は何も変えたくないし、一夫一婦制と貞節を遵守する、と答える。

クリストファーがシルヴィアと結婚したのは、多分、シンプルに彼女に惹かれたからだろうが、何故、不毛な結婚を解消しないのかは理解しがたい。が、その理由の最たるものに、シルヴィアが息子の母親だという事があるのだろう。自分の子でない可能性の高い子でも愛する。結婚した以上は結婚の誓いを守る。そこにこそクリストファーという男の特質があるのだ。が、クリストファーの性格は、見ていてかなり苛々させられる。何かとまどろっこしい。だが、まぁ、簡単にこうすればいいんだ、と思ってそうしてしまえるなら、誰の人生にも殆ど悩みなんか生じないわけであるし、そうはいかないところにドラマも生まれるわけなのだろう。



不毛な結婚にじっと耐えていたクリストファーだが、ある日、バレンタインという娘に出会う。彼女の亡父とクリストファーの父は友人だった。バレンタインは婦人参政権を訴えて、ゴルフ場に飛び出してくる。彼女の活き活きとした姿にクリストファーは強い印象を持つ。バレンタインを演じるアデレード・クレメンスは豊頬、貧乳の少女のような体つきの女優で、肌の綺麗な清純派という感じ。分かり易くいうと、NHKの朝ドラ・ヒロインタイプである。ゴルフ場で最初に出くわしてから、のちに知人の家に招かれて二人は再会する。その夜、クリストファーは彼女を送りがてら二人で馬車に乗って夜更けの道を行く。真っ暗な道を行きながら、鳥の囀りを聴き、ヒバリかな、とクリストファーが言うと、ナイチンゲールよ、とバレンタインが答える。その後、それぞれにヒバリとナイチンゲールの登場する小説の一節を引用して、自説にこだわった会話遊びをする。やがて夜が明け出し、朝靄の中で道を見失ったので、バレンタインが馬車を降りて周辺を探る。互いの姿も見えない程濃い靄の中で名を呼び会う二人。そして、靄の中から突如バレンタインはクリストファーの鼻先に現れるのだが、クリストファーはぐっとこらえてキスをしない。



以上がエピソード1のざっくりとした流れで、このあと大戦が始まり、クリストファーは統計局だかに籍を置いているのだが、突如上司に辞職を告げ、軍隊に入隊する。もつれた人生から逃げるためか、自分の心を見極めるためか…。フランスの戦場の塹壕の中で行き交う砲弾の音を聴きながら、彼が思うのはバレンタインの事ばかりである。そんな戦場の彼の元に、妻シルヴィアが訪ねてくる。夫の上官であるカンピオン将軍と昵懇の間柄でもあるので我儘を押し通したわけだが、司令官の本拠地の館とはいえ、戦地に夫に会いたいからといって妻がシャラシャラと着飾ってやって来るなんて、かなりビックリである。
クリストファーは戦地で負傷して国に帰され、また戦場に戻り、暫くしてまた負傷して国に帰されたりしているうちに、第1次世界大戦が終わる。前線を体験したり負傷したりするうちに、クリストファーの中ではいよいよ抜き差しならぬ程にバレンタインの存在は大きくなっていた。そして…



というわけで、シーズン1の1話から5話が終了。これは(おそらく)4シーズンにわたるミニシリーズのようで、三角関係の恋愛ものとしてはかなり長いけれども、20世紀初頭の英国と、世界情勢、および英国の社会制度のようなものも三角関係の裏側でじっくりと描き込んでいこう、という事なので長めなのかもしれない。一方でクラシカルな三角関係の物語である事などから、何となく夏目漱石の「それから」などをちらっと思い出しもした。映画では松田優作が代助を演じていたが、本作のバッチ君と少し雰囲気が被るような気もした。静かに百合の花の匂いとか嗅いでそうだもの、クリストファーって(笑)

「Parade's End」は、撮影や衣装や美術などのクラシカルなムードはバッチリで、ジワジワと進む恋愛関係や主人公の性格など、いかにも英国的ではある。レトロ大好きでバッチ君ファンのワタシとしては、英国の風景とともに、全体のクラシカルな雰囲気や、苦悩するバッチ君の演技やその声とセリフ廻しなどそれなりに楽しめたが、これが果たしてアメリカで受けるかねぇ…という懸念もちらとよぎった。クリストファーの抑えに抑えたありようは、アメリカの視聴者のフラストレーションを巻き起こしやしないか、ちっと心配ではある。全米での放映はいつになるのか分らないが、USでのリアクションはいかがなものか、ちょっと楽しみではある。

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