「ハワーズ・エンド」(HOWARDS END)

-そして、古い家に新しい命が残された-
1992年 英/日 ジェームズ・アイヴォリー監督



制作イスマイル・マーチャント、監督ジェイムズ・アイヴォリーのコンビがE.M.フォスターの原作を映画化したシリーズの3作目。封切り時に劇場で観て以来、かなり久々の観賞。ジェームズ・アイヴォリーの他の作品「モーリス」や「眺めのいい部屋」、「日の名残り」は最初に劇場で観て以降、何度もビデオやDVDで観ているのに、本作は今回再見するまであまり観たいとも思わないで過ごしてきた。他の作品より印象が弱かったせいかもしれないが、今回久々に再見してみて、生まれ育った家というものへの強い想いと、ロンドン郊外の美しい景色が思いがけず目にしみた。



冒頭、愛しげに自分の愛する「ハワーズ・エンド」とその中で団欒する家族を、庭を散策しながら見守る女性の姿が登場する。彼女は病に侵され、もう余命が長くない事を知っているのだ。その光景に美しいピアノの旋律がかぶる。ワタシは本作にヴァネッサ・レッドグレーヴが出ていたことを全く覚えていなかった。ほぼ一度観たきりなので、漠然とエマ・トンプソンの姉とヘレナ・ボナム=カーターの妹が主人公で、姉がアンソニー・ホプキンス演じる壮年の金持ちの後妻になるという事だけを覚えていた。



だから却って新鮮な気持ちで本作を眺める事ができたし、80年代末から90年代初頭にかけて、このジェイムズ・アイヴォリーの一連の作品でイギリス映画が好きになり、ロンドン郊外や、イギリスの田舎の自然の美しさに惹きつけられた事を思い出したりもした。これらの作品で聞かれる、クラス感のある英語の響き、住宅や家具調度、お茶の習慣、預金の利息や親の遺産を年金で受け取りつつ、年に何度か異国(近隣のヨーロッパ諸国)に旅行に出たりする中産~上流階級の人々を眺めるのも好きだった。余談だが、本作は日英合作の作品で、日本の資本がスポンサーになっているのもバブル期だったからだろう。思いがけぬところにバブル期の名残りを垣間見た気がした。




これらの連作には、イギリスとイギリス人の欠点も長所も魅力的に描かれていたが、それはアイヴォリー監督が英国出身ではなく、カリフォルニア生まれのアメリカ人である事が大きいのかもしれない。つまり、外側から英国を見る目をもって英国物のドラマを撮っている事が、殊更にこの頃の彼の作品が魅力的だったゆえんなのかもしれない。
更に、それらの作品の特徴を引き立てる美しい映像と音楽。撮影は本作の他にもアイヴォリー作品の多くで撮影を担当しているトニー・ピアース=ロバーツ。音楽も、ほぼアイヴォリーの全作品に音楽をつけているリチャード・ロビンズが担当している。「ハワーズ・エンド」の音楽のトーンは「モーリス」のそれとかなり近い。



ドイツ人を父に持つシュレーゲル姉妹、姉のマーガレット(エマ・トンプソン)、妹のヘレン(ヘレナ・ボナム=カーター)は、ドイツ滞在時に、実業家のウィルコックス家と知合う。ロンドンに戻ってから、長男の結婚で偶然近くに借り住いをするようになったウィルコックス夫人(ヴァネッサ・レッドグレーヴ)とマーガレットは親交を深め、夫人は彼女に「一緒に来て。ハワーズ・エンドを見てちょうだい」とさかんに誘う。ヴァネッサ・レッドグレーヴは、おっとりしたお金持ちの夫人で、浮世離れのした、しかも持病があって少し物憂げでだるそうな様子がよく出ていた。



いつかそのうち、とはぐらかそうとするマーガレットに夫人は気落ちする。その様子が常ならぬので、マーガレットは夫人に同行するために駅まで駆けつけるが、ちょうど駅頭で夫人の夫と娘が旅先から戻ってきたのに出くわしたので、ハワーズ・エンド行きは沙汰止みになる。夫人がただの社交辞令でなく、どうして火がついたようにハワーズ・エンドにマーガレットを連れて行きたがったのか。それは彼女が自分に残された時間が少ない事を知っていたからであろう。そういう人の不思議な直感で、マーガレットこそハワーズ・エンドを託すべき人間だと分ったのに違いない。でも、急がなければならない。いつか、そのうち、ではダメだったのだ。
余命が少ない事を知っている人の持つ透明感とたゆげな様子、自分が愛するものへの温かい慈愛をにじませたヴァネッサ・レッドグレーヴがとても良い。序盤で姿を消すものの、彼女が演じるウィルコックス夫人の強い「想い」が、全編を貫いているのである。彼女はマーガレットの中に何を見たのか。自分が亡き後、ハワーズ・エンドに住まうべき理想の人物として、彼女がマーガレットを選んだのは何故なのか。



その後、入院した夫人はいまわの際に、「ハワーズ・エンドはマーガレット・シュレーゲルに譲る」とメモに走り書きするが、夫人の没後、夫、息子、娘は家族会議を開き、このメモを握りつぶす事に決める。当初は妻の遺志を尊重するような事を言っていたが、娘や息子の意見を聞きいれた、という形でメモを黙殺する夫にアンソニー・ホプキンス。親の財産を貰う事ばかり考えているウィルコックス家の長男にジェイムズ・ウィルビーが扮している。ジェイムズ・ウィルビーはこのあたりから、こういう、有産階級に生まれつつ遺産や金の事ばかり言っている、姑息な、鼻持ちならない男を演じる事が多くなった気がする。「ゴスフォード・パーク」でもそんな感じの役だった。ジェイムズ・ウィルビーといえば、踏んだり蹴ったりの目にあう「いい人」か、ちまい小悪党か、という感じである。



また、本作でのアンソニー・ホプキンスは得体の知れない怪物とか、立派な人物とかではなく、卑怯で無責任で性格上の欠点も多々持ち併せているが、人としての弱さもまた、ふんだんに持っている、という男である。まぁ、つまり世間に幾らでもいる五十路男の1人、という感じであろうか。実業家なので計算高く、自分の家の財産を減らさないという事にかけては非常に鋭く神経を働かせる。同じ階級か、それ以上の階級と交わるのは吝かでないが、貧乏人など死のうが生きようがどうでもいい、というタイプである。貧乏人を恐れるのは、面倒事に関って財産を減らす事になるのが嫌だからである。そんな彼の無責任な忠告により、シュレーゲル姉妹の知人である貧しい労働者のレナードは失職の憂き目に遭う。だが、経済力のある壮年の男の魅力もそれなりには持っているので、やもめになった彼に求婚されたマーガレットは、もったいをつける間もあらばこその素早さで、そのプロポーズに飛びつく。



理想主義的な一家に育った仲のいい姉妹でも、姉は妹よりも現実主義である。妹はロマンティストなのである。ウィルコックスの無責任な一言で文学的で夢見がちな貧しい青年、レナード・バスト(サミュエル・ウエスト)を失業させてしまった事に憤りと責任を感じる妹へレンは、姉の夫であるウィルコックスに嫌悪と怒りを抱き、なじもうとしない。レナードの失職には自分も胸をいためているマーガレットが、怒り狂う妹をなだめて、私のやり方で話してみるから、あなたは黙ってて、と言い、夫にうまく甘えてその会社に採用させる約束を取り付けるシーンでは、賢い姉の柔軟さがよく出ている。このシーンは、何かをおねだりしたい時の交渉術のサンプルという感じもある。それなりに品よくコケットリーを発揮している。ははは。エマ・トンプソン、地味だけどやる時はやるのである。結局、この努力はレナードの妻が昔、ウィルコックスの愛人だった事が明らかになって無駄になってしまうのだけど…。



独身の時はおしゃべりなオールドミスだったが、結婚すれば夫をたてて上手く操縦し、女主人として家の内外で様々な事をきちんと取り仕切る能力のある賢くて柔軟な姉はエマ・トンプソンのタイプキャストだろう。自分と知合う前とはいえ、愛人を持っていたことを黙っていた夫について、陰では一人で泣いても表だっては騒ぎ立てずに赦し、ちゃっかりと夫に頼み事をする際の駆け引き材料に使うなど、なかなかのものである。また、マーガレットには自前の財産があり、年金が入ってくるので、夫の遺産に頼る必要がない。ウィルコックスは財産を子供たちに等分に分ける事ができるわけで、そういう点でも申し分のない妻なのである。

彼女にハワーズ・エンドを取られまいと汲々とする姑息な長男一家の様子など微苦笑を誘われるが、亡きウィルコックス夫人のメモの存在を知らず、ハワーズ・エンドを狙っていたわけでもないマーガレットが、段々とハワーズ・エンドと縁が出来ていく様子が自然に描かれる。
生まれた家を契約切れで引き払う事になり、家財をいっときハワーズ・エンドに収める事にしたマーガレットが、ウィルコックス夫人の話を聞いた事があるだけで、それまで一度も訪ねた事のなかったハワーズ・エンドを初めて訪ねるシーンも良い。



郊外の静かな古いコテージのようなハワーズ・エンド。屋根から壁につたい咲く白い花、玄関の屋根から窓にかけてふさふさとさがった藤、古い建物の周囲は花で覆われ、居間は暖かい日の光に照らされ、窓からは穏やかな田園が眺められ、庭には花の咲く木がそよ風に葉を揺らしている。シュレーゲル家の家財道具は、このハワーズ・エンドにぴったりと、しっくりと収まる。古い家に付属しているような家政婦のミス・エイブリーが、マーガレットの足音を聞いて、「ウィルコックス夫人かと思いました。歩きまわる足音が同じだったので」というシーンは、ウィルコックス夫人がマーガレットを選んだ眼力の確かさが裏付けられる。
星を継ぐ者は、血縁者だけとは限らないのだ。


心やすらぐ田舎の家 ハワーズ・エンド


そこにしっくりと収まるシュレーゲル家の家具調度

一方、情熱家の妹へレンは、何かと関っているうちに、貧しいが詩人の魂を持つレナードとなるべくしてなるようになる。二人は同じものに惹かれる似た者同志なのである。が、ハワーズ・エンドにヘレンを訪ねた際、貧しく繊細で不運なレナードは短い不遇な一生を終える事になってしまう。ああいう死に方をしなくても、いずれ長生きはできない短い命だったのであろうレナード・バストだが、その時、レナードの子を身ごもっていたヘレンは臨月に近い大きなお腹を抱えていた…。


あいよる魂で、遂に結ばれてしまう二人

ハワーズ・エンドを巡っては、ヘレンを一晩でも泊まらせる事はできないと断固として考えを曲げなかったウィルコックスも、紆余曲折の果てに折れざるを得なくなり、現金で遺産を譲らない代わりにハワーズ・エンドをマーガレットに与える、と家族に言い渡す。マーガレット亡き後は、ヘレンの生んだ甥に継がせる、と。

かくして、ヘレンはのどかな田園の中の穏やかな住い、ハワーズ・エンドの住人となり、建物の主有者はマーガレットとなる。亡きウィルコックス夫人の遺志が導いたのか、そうなるさだめだったのか…。不遇だったレナード・バストは自分の身代わりのように新しい命をひとつこの世に残して去り、妹のため、そして期せずして亡きウィルコックス夫人の意にも添う形で、マーガレットはハワーズ・エンドの所有者となり、田園の中の家で小さな命がおい育つのを見守っていく事になる。

1992年なので、今の目で見ると出演者がみな若く見える。アンソニー・ホプキンスもレクター博士の後なので、この人としては贅肉がなく顔も体もきりっと締っている。ジェイムズ・ウィルビーも若いので、まだブロンドもふさふさ。精力的にも見える。エマ・トンプソンもほっそりしていて微妙に若い。四角い顔のヘレナ・ボナム=カーターも娘むすめしている。


この人にしては引き締まっている

ホプキンス演じるウィルコックスの娘を演じていたのはジェマ・レッドグレーヴといって、ヴァネッサ・レッドグレーヴの姪らしい。あまり似ていない。ちなみにヴァネッサ・レッドグレーヴ自身には娘が二人いて、長女は「上海の伯爵夫人」でタイトルロールを演じていたナターシャ・リチャードソン、次女は「チャタレー夫人の恋人」で夫人を演じていたジョエリー・リチャードソンである。ヴァネッサの娘たちだけあって美人姉妹で(特に妹は年々歳々母親に似てくるようだ)ともに女優だが、姉のナターシャは2009年にスキー事故で夫と子供を遺して世を去った。


左からジェマ・レッドグレーヴ、ナターシャ・リチャードソン、ジョエリー・リチャードソン

夫はリーアム・ニーソン。ナターシャをとても愛していたらしいので、リーアム・ニーソンは今後、再婚しないのではないかという気がする。



閑話休題。
風が木々の葉や、庭に乱れ咲く花々を揺らしてさわさわと通り抜ける穏やかな田園の光景と、見ているだけでホワリとした気持ちになるハワーズ・エンドの佇まいに映画全体のトーンなど、イギリス映画っていいな、雰囲気が好きだな、と思いそめた頃を久々に思いだし、再びそんな気持ちを味わう事ができた。また、ウィルコックス夫人の生まれ育った家への深い愛情など、若い頃に観た時には素通りしてしまって何も感じなかったのだけど、大人になって観てみると、その家への愛着がとても沁みた。同じ映画でも時を隔ててみると、印象に残る部分が変わるのである。長らく忘れていた映画を久々に見てみるのも、また乙なものだと思った。

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