「愛の渇き」

-一人相撲の終焉-
1967年 日活 蔵原惟繕監督



昔、TVの深夜枠で観た事があった本作。案外、三島の原作のテイストを上手く出していたな、という印象があった作品。屈折したヒロインに浅丘ルリ子を配した事が何よりの成功要因だったと思うけれども、プログラムピクチャーばかり撮っている監督という印象の蔵原惟繕が、三島原作の文芸物に意外な手腕を見せた作品でもある。ヒロインが一人相撲で屈折した愛情をぶつける無頓着な使用人の青年に、ICDTこと石立鉄男が扮しているというのも面白い。

三島由紀夫原作の映画化作品というのは、案外多い。アイドルや若手女優が人気を更に確固たるものにするために出演した「潮騒」やら、「金閣寺」の映画化である「炎上」、「音楽」、「美徳のよろめき」、本作「愛の渇き」、「憂国」、「午後の曳航」、「鹿鳴館」、「春の雪」など、なんだかんだで映画化作品は20本以上ある。当りもあれば外れもあるし、ワタシも3分の1弱ぐらいしか観ていないけれども、観たことのあるものは出来のいい作品が多い。三島原作の映画化作品で傑作といえば必ず挙がるのが、市川崑監督作品「炎上」であろうけれども、この「愛の渇き」もよく原作のフィーリングを出しているという点で、三島ものの映画化作品の中では上の部ではないかと思う。

とにかくもう冒頭の、虚無的な目つきで、老いた舅の髭を剃刀で剃るヒロイン悦子のアップからして、バッチリと世界観が出来上がっている。文芸作品の映画化には若尾文子もよく出ていたと思うけれど、本作のヒロインは浅丘ルリ子を除いて他にいるまい。とにかくイメージピッタリである。複雑で屈折した面倒臭い女。



彼女は引退した実業家である舅の痩せ枯れた咽喉に、羽をむしられた鳥を想起している。彼女は老人の次男の嫁だったが、夫は既に亡く、大阪郊外の農地に隠居した舅の元に身を寄せた彼女が、いまや老人の愛人になっていることは公然の秘密である。



この老人の元には、無為徒食の長男、謙輔夫婦と、出戻りの娘の浅子が幼い子供二人を連れて同居している。老人は倣岸で、「暴君」と長男から揶揄されている。老人を演じるのは中村伸郎。無為徒食のインテリで、口だけ達者な謙輔を演じるのは山内明。文句なしに上手い。理屈が多く、それでいて滑稽な謙輔のセリフを楽しそうにしゃべっている。
まだ若い身で夫に先立たれ、他に身寄りがないからといって、夫の父親である老人に身を任せている悦子の存在は、こんな周囲の連中の強い関心をひいている。


奇妙な三世帯同居の杉本家

ヒロイン悦子は「妊婦のような歩き方」をする女であると、原作に何度も書かれている。無表情で、奇妙な倦怠感を漂わせた女の様子が浮かんでくる。浅丘ルリ子は妊婦のようには歩いていないが、この根深い倦怠感に掴まれた女の雰囲気をよく出していた。複雑で、屈折した内面を持つ悦子は、老人のなぐさみ物になりつつも、力仕事を引き受けている18歳の使用人、三郎に関心を持っている。



悦子は夫に裏切られた女だった。夫の良輔には愛人がいて、悦子との仲は冷えていたが、夫は悦子の嫉妬をかき立てて面白がっているうちに腸チフスに罹り、2週間苦しんで死んだ。悦子は死にゆく夫を熱情をこめて看病し、もはやどこにも行けなくなった夫が自分の看護を受けつつ脳をやられて苦しむ様子をじっと見つめた…。こんな彼女ゆえに老人の執着を拒むこともなく、老人とともに、生きながら葬られたような生活にも苦痛を感じずに過ごしてきたのかもしれない。

しかし、こんな悦子が、健康な肉体と単純な精神を持った天理出身の青年、三郎に惹かれてしまう。悦子とても、生きながら死んだような日々に漂うだけの人生には耐えられなくなったのか…。悦子は何故、三郎に惹かれたのか。それは彼の若い肉体のせいなのか。複雑すぎる彼女の心の動きで読み取るには、あまりに単純過ぎて却って謎に思われる、その素朴な魂のせいなのか。その双方か…。


その単純さで悦子を翻弄する三郎を演じるのは若き日のICDT

ともあれ、三郎の若い肉体の健康に発達したありように、悦子が惹きつけられている様子は映画でもありありと伝わってくる。あまつさえ、悦子はふんどし一丁で祭りに参加している三郎の裸の背中に鋭く尖った爪を立てたりもする。鳥の足のような浅丘ルリ子の細い指先と爪。
だが、三郎にとっては、悦子はああだこうだと無意味な屁理屈をこね回す、面倒臭い女である。

杉本家で働く若い女中が三郎の子を孕んだ事実を知った悦子が、女中の美代を愛しているのか、いないのか、しつこく三郎に問いただす。彼は女とは寝たいから寝るのであって、愛だの恋だのなどという概念とは無関係なのである。少なくとも美代は愛だの恋だのという対象ではない。ただそこに自分を受け入れる女がいたから寝ただけである。その結果、女が孕んだだけである。が、女中の美代の妊娠は複雑な悦子をひどく苦しめる。三郎の単純さの前に、複雑なメンタリティの悦子が一人相撲を取ってきりきり舞いをする様子がよく出ている。



三郎を演じる石立鉄男は、さすがに18歳には見えないけれども(撮影当時は20歳)、とにもかくにも若い純朴な青年という雰囲気はよく出ている。石立鉄男と言えば、モジャモジャした髪で、頭のてっぺんから声を出して「チー坊!」と言っていたのを思い出すが、本作では底にどこかしら不遜なものを抱えつつも、素朴で単純な佇まいの若者をそれらしく演じていた。無邪気な小犬のような表情で、「はい奥様」と素直に答えていたかと思うと、勝手にきりきり舞いをする悦子の横でウンザリしていたり、最後の最後には、1人で勝手に悩んだり苦しんだりして、その感情を自分にぶつける鬱陶しい、面倒臭い女に「もっと苦しめばいい」と捨てセリフを吐く。そして情念だけで一杯になった渇いた女の唇を奪い、「これが俺の答えだ」と目一杯の侮蔑を投げつける。三郎のキャラは原作よりも、映画の方がずっと不遜になっている。原作では本当に単純な若者なのだが、映画では単純さを装った不遜な部分を持つ若者に脚色されている。ラストにおいては、その方がより効果的だったし、悦子の殺意の起爆剤として有効だったと思う。



また、原作ではもう少しハンサムな若者のようなイメージなのだが、石立鉄男が演じている三郎は、田舎の素朴な若者という雰囲気にリアリティがあって、それなりに正解の起用だと思う。何より、あの石立鉄男にもこんな若者の頃が…と思うと、ぷぷぷ、と笑わないわけにはいかない。

いずれにしても、もってまわった複雑な魂は、単純さの前に敗れ去り、「感情の怪物」のような悦子には、自分を苦しめた単純さを罰しようという衝動が湧き上がる…。

間宮義雄撮影のモノクロームの画面と、何か底に鬱屈を抱えつつもしんねりとした無表情の浅丘ルリ子の顔、顔、顔。その取り澄ました、もってまわったような着物姿が、全編にわたって非常に有効に作用している。出演者は少ないが、舅に中村伸郎、長男に山内明、三郎に石立鉄男など、ヒロインのルリ子以外にもキャスティングがハマっている。ところどころのナレーション(佐藤慶の声)は入らなくても良かったかもしれないが、折々に入る浅丘ルリ子の抑圧した声のモノローグは、彼女の表情ともども、非常に雰囲気が出ている。



さきごろ日本映画専門chで放映されたので、録画しておいて久々に観賞したのだが、本編終了後の浅丘ルリ子へのインタビュー部分で、三島由紀夫がこの映画化作品について褒めていて、自分の作品の映画化では市川崑の「炎上」に次ぐ出来栄えである、と書いていた事が紹介されていた。実にその通り。だが、その出来栄えにも関わらず、公開当時はあまり評価されなかった作品のようだし、日活のカラーに合わないというので公開を1年遅らされたりもしたらしい。脳天気な青春映画や、無国籍アクションばかり撮っていた当時の日活で、こういう文芸作品が作られたという事は画期的な事でもあるのだが、当時の日活だったからこそ、1年お蔵入りにされたりもしたわけである。しかし、この作品が大映や、松竹や、東宝で作られたのではなく、無国籍アクション花盛りの時期の日活で作られたという事は特筆すべき事のように思う。昔の日本映画は底力があったのだなぁ、と今更に思うのだ。

コメント

  • 2013/06/23 (Sun) 17:52

    kikiさん、録画していたのをようやく見ました!
    浅丘ルリ子作品は初体験でしたが、若い時はこんなふうだったんですねえ。現在の超フルメイクの顔しか知らなかったので実に新鮮でした。本編後のインタビューで本人も言ってましたが「どこから撮ってもほんとにキレイだった(うっとり)」の言葉に違わずうん、うん、と納得。この顔好きだわ~、とわたしまでうっとりしてしまいました(笑)。痩せた体に意外にもややぽってりとして少しめくれたような上唇が色っぽいなあと思ったり。
    kikiさん評を改めて読み、また納得。そうか、ひとりで勝手にキリキリ舞いしてる鬱陶しい面倒くさいヒトの話だったのですね(笑)。そんなめんどくさい奥様に付きまとわれちゃった三郎さんの悲劇なのですねえ。
    久々に面白い邦画見ました!浅丘ルリ子、見なおしました!いや、見下げてたわけではないですけどね(笑)。

  • 2013/06/24 (Mon) 00:47

    ミナリコさん
    ご覧になりましたのねん「愛の渇き」(またスゴいタイトルなり…)。
    そうそう、ルリ子女史、若い頃はこんな感じだったんですねぇ。でも、これより若い頃の日活無国籍アクションのヒロインや、日活の青春ものに出ている時は、もっと雰囲気が違う感じ。清純派みたいな感じ。ワタシもそういう青春モノのルリ子さんはNecoで1本見たかどうかですが、やけに清潔な感じなので驚きました。でも、これは屈折したアンニュイな感じがいいですよね。この役はルリ子さんじゃないと出せない味でしょうね。映画としても面白かったですね。モノクロが生きている映画だなと思います。

  • 2015/04/23 (Thu) 23:13
    公開時に見ましたが

    大学2年の時の公開時に見てまったく意味は分かりませんでしたが、間宮義雄の画面の美しさには感動しました。間宮と監督の蔵原惟繕、石原裕次郎、浅丘ルリ子は、日本映画史上に残る名作を作っています。
    『銀座の恋の物語』『憎いあンちくしょう』『何か面白いことないか』の3部作は文句の付けようのない傑作だと思います。

    この『愛の渇き』での、「悦子は女ではなく、男だ」と三島は言っています。
    好きでない奴に抱かれ、好きな男が自分のものになると殺してしまうと言うのは、まさに三島由紀夫の屈折した愛そのものだと思う。

    また、義理の父に抱かれる未亡人という話は、その後の日活ロマンポルノでも何度も応用されて作られたと思う。

  • 2015/04/24 (Fri) 00:10

    撮影が独特のムードを醸し出してますよね。
    『銀座の恋の物語』『憎いあンちくしょう』『何か面白いことないか』の3部作は1本も観ていないんですが、名作なんですね。
    「悦子は男だ」と三島が言った、というのは何かで読んだ気がします。こういう複雑で屈折したヒロインは、三島ならではのフィーリングですね。

  • 2015/04/25 (Sat) 09:55
    特に『憎いあンちくしょう』ですね

    3本の内、特に『憎いあンちくしょう』は見てもらいたい映画です。
    多分、日本最初のロードムービーで、裕次郎・ルリ子がカジュアルなスタイルで出てくるのも当時では非常に珍しいと思う。
    ラストは、「愛は言葉ではない、行動だ」と言うのは、非常に実存主義的ですね。
    石原裕次郎の北大作のモデルは、なんと永六輔だったというのですから驚きですね。

  • 2015/04/26 (Sun) 16:05

    そうですか。イマイチ興味が持てない感じではあるのですが、機会があって、気が向いたら見てみると致します。

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