「80年後のKENJI ~宮沢賢治21世紀映像童話集~」薤露青(かいろせい)

-作家は妹を熱愛する-
2013年 NHK BSプレミアム



2月27日に放映された「80年後のKENJI」の第3、4回のテーマは「汚れなき魂」と「変身」。いずれも面白く観た。このシリーズは音楽の使い方、選び方が良いなと改めて思った。中でも白眉だったのは、賢治の心象スケッチ集「春と修羅 第二集」の中の詩に大橋トリオが曲をつけた「薤露青(かいろせい)」。「薤露青」という詩の持っている青く透き通った、しんとした哀しみ、亡き妹をしんしんと静かに想う賢治の心象世界が見事に音になっていた。柿本ケンサクの映像もその音楽の邪魔をしていなかった。

宮沢賢治には、若くして亡くなったトシという妹がいるという事は割に有名だと思う。いままさに逝こうとしている妹への痛切な愛惜の想いを綴った「永訣の朝」は、教科書に載っていたこともある。  (あめゆじゅ とてちてけんじゃ)
最愛の妹、一番の理解者だった妹が若い身空で病を得て逝ってしまい、賢治は押し入れに頭を突っ込んで号泣したと言われている。

妹の死に号泣した有名作家をもう1人知っている。三島由紀夫だ。三島にとっても、妹の美津子はかけがえのない存在であり、とかくに気持ちがばらけがちな平岡家(三島の生家)にあって、妹の美津子はいわば、一家のアイドル、小さな太陽のような存在だったらしい。三島は幾つかの短編や戯曲で肉欲にまで高められた兄妹の愛情というものを描いている。「肉慾にまで高まつた兄妹愛といふものに、私は昔から、もつとも甘美なものを感じつづけて来た」とも書いている。その愛する妹、美津子は終戦の年に腸チフスに罹り、17歳の若さで亡くなった。三島はやはり賢治と同様に、妹の死に号泣したという。時に三島はハタチだった。

宮沢賢治にとっても、三島由紀夫にとっても、最愛の存在だった妹が若くしてこの世を去ったという事は非常に大きな衝撃であり、比類のない喪失だった。それぞれの妹の死は、宮沢賢治の作品にも、三島由紀夫の作品にも、大きな影響を与えた。特に何かを表現する人でなくても、身近な人間の死には大きな影響を受ける。ましてや表現者が、最も身近で、最も愛する者に先立たれたら、その事が作品に影響しないわけもない。その死が作品に反映されないわけもない。…それにしても、宮沢賢治も三島由紀夫も、何故にそれほどまでに実の妹を愛し、また、その妹は若い身空で死ななくてはならなかったのか。 不思議なものを感じる。

宮沢賢治の書いた「薤露青」という詩には、亡き妹への想いがこめられているという。
薤露というのは、薤(らっきょう)の葉の上の露のことらしい。葉の上の露が乾き易いことから、亡き人を悼む挽歌という意味があるらしい。その消え易い儚い露の青く透き通ったさまに、賢治は妹を喪った自分の透明な哀しみを投影させたのでもあろうか。この詩を読んでいると、とても美しく切なく、しんと青く澄んだ、遠くに燐光のまたたく静かな世界が脳裏に浮かんでくる。

       薤露青   
                宮沢賢治
 

 みをつくしの列をなつかしくうかべ
 薤露青の聖らかな空明のなかを
 たえずさびしく湧き鳴りながら
 よもすがら南十字へながれる水よ
 岸のまっくろなくるみばやしのなかでは
 いま膨大なわかちがたい夜の呼吸から
 銀の分子が析出される
   ……みをつくしの影はうつくしく水にうつり
     プリオシンコーストに反射して崩れてくる波は
     ときどきかすかな燐光をなげる……
 橋板や空がいきなりいままた明るくなるのは
 この旱天のどこからかくるいなびかりらしい
 水よわたくしの胸いっぱいの
 やり場所のないかなしさを
 はるかなマヂェランの星雲へとゞけてくれ
 そこには赤いいさり火がゆらぎ
 蝎がうす雲の上を這ふ
   ……たえず企画したえずかなしみ
     たえず窮乏をつゞけながら
     どこまでもながれて行くもの……
 この星の夜の大河の欄干はもう朽ちた
 わたくしはまた西のわづかな薄明の残りや
 うすい血紅瑪瑙をのぞみ
 しづかな鱗の呼吸をきく
   ……なつかしい夢のみをつくし……
 
 声のいゝ製糸場の工女たちが
 わたくしをあざけるやうに歌って行けば
 そのなかのはわたくしの亡くなった妹の声が
 たしかに二つも入ってゐる
   ……あの力いっぱいに
     細い弱いのどからうたふ女の声だ……
 杉ばやしの上がいままた明るくなるのは
 そこから月が出やうとしてゐるので
 鳥はしきりにさはいでゐる
   ……みをつくしらは夢の兵隊……
 南からまた電光がひらめけば
 さかなはアセチレンの匂をはく
 水は銀河の投影のやうに地平線までながれ
 灰いろはがねのそらの環
   ……あゝ いとしくおもふものが
     そのまゝどこへ行ってしまったかわからないことが
     なんといふいゝことだらう……
 かなしさは空明から降り
 黒い鳥の鋭く過ぎるころ
 秋の鮎のさびの模様が
 そらに白く数条わたる



この詩は手帳に鉛筆で書かれ、そして賢治の手によって消しゴムで消されていたものを、賢治の没後に判読して採録し、陽の目を見るに至った作品らしい。
宮沢賢治が心に深く秘めた、生涯消えぬ哀しみと深い深い喪失感のほどが窺われる。

久々に詩人らしい詩人の詩を読んで、それが心に残った詩ではあったけれども、これにふさわしいメロディをつける、というのは、なかなか難しい事だったのではなかろうかと思う。けれど、「80年後のKENJI」では、見事に詩の世界が音になっていて、一度聴くと、絶えず耳の底で静かに低くそのメロディが鳴っているような気のする、透明感のある、ほの青い静かな世界が、そのピアノの旋律の中に、その儚げな歌声の底に、確かに流れていた。映像は青いフィルターがかかり、1人の男の、亡き妹への狂おしいまでの愛が伝わってくる内容になっていた。



 水よわたくしの胸いっぱいの
 やり場所のないかなしさを
 はるかなマヂェランの星雲へとゞけてくれ

 この星の夜の大河の欄干はもう朽ちた
 わたくしはまた西のわづかな薄明の残りや
 うすい血紅瑪瑙をのぞみ
 しづかな鱗の呼吸をきく
   ……なつかしい夢のみをつくし……


ロマンティックであるという事は、たとしえもなく美しく、そして哀しいことなのだな、とつくづく思う。

「80年後のKENJI」の「薤露青」を見逃された方は、毎度お馴染みではあるけれどもYoutubeで、「薤露青」で検索すると出てくるので、ご覧になってみていただきたいと思う。

この「薤露青」以外にも「80年後のKENJI」の第3回、4回は手書きアニメーションの良さが滲み出ていた「なめとこ山の熊」と「よだかの星」、CGによるユーモラスな「月夜のでんしんばしら」、汚れなき魂を失ったせいか、そんなにまで可哀想な兄妹かなぁと思いつつも見てしまった実写の「黄いろのトマト」など、映像と音楽がベストマッチな作品が揃い、いずれ劣らぬ出来栄えだった。最終の「銀河鉄道の夜」がますます楽しみになった。


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