「80年後のKENJI ~宮沢賢治21世紀映像童話集~」銀河鉄道の夜

-鎮魂の銀河鉄道-
2013年 NHS BS プレミアム



「80年後のKENJI」シリーズ最終5回、6回は「銀河鉄道の夜」前後編。
ここのところKENJI記事が続いているけれども、今回はその締めくくりという事で、やはり「銀河鉄道の夜」について書かないわけには参りますまい。最近忙しくてゆっくり録画しておいたものを観るヒマもなかったのだけど、ようよう一段落したので観賞。最初にちらっとみた時には、いつの時代とも、どこの国の話とも分らない物語と日本人のルックスというのはあまりにも似合わないなぁ…と思ったのだが、再度観てみて、やはりこれも雰囲気のある、いい作品だなと思うようになった。まぁ、ジョバンニはあれでいいとしても、カムパネルラがもうちょっと繊細な雰囲気の美少年でも良かったんじゃないか、という気もするけれども…。

「80年後のKENJI」の「銀河鉄道の夜」は、原作よりも、ジョバンニやカムパネルラの年齢が上に設定されているようだ。まぁ、何歳か上に設定したところで、特に支障はないのだけれども、何故12~14歳ぐらいの少年にせず、17歳ぐらいの(多分)設定にしたのだろうか。親友の死という大きな喪失を乗り越えて、自分の道を歩きだそうとする、青年期のとば口に立っている年齢にしたかったという事だろうか。

ジョバンニとカムパネルラという主人公たちの名前がイタリア名前のせいか、彼らの住む町も、どこかイタリアの田舎町のような感じのする街並みである。これは賢治の作品の持つ、独特の無国籍性を表現するにはそれがふさわしいからでもあるだろう。


どことなくイタリアの古都のような街並み


貧しげで暗いジョバンニの家、植物の蔦が絡まる、古い木造西洋建築のようなカムパネルラの家。石畳の道や階段や石造りの家の街並みなどに、イタリア的な異国情緒が漂っている。イタリア的といえば、ケンタウル祭の夜、みんなが被っているマスクは、ベネツィアのカルナヴァーレなどで使われるマスクであるのも、雰囲気が出ていた。

漁から戻って来ない父親は、密漁をして捕まったのではないかと級友のザネリたちから嘲られ、イジメに遭っているジョバンニは、学校でも、バイト先の活版所でも影の薄い存在だ。父親が戻って来ない上に母親は体を壊して働けないので、彼は学校が終わると活版所で働いて僅かな小銭を稼いで生活費の足しにしている。徹底的に不幸貧乏系のキャラである。子供の頃は仲の良かったカムパネルラとも、家庭環境の違いもあり、昨今ではあまり行動を共にしなくなっている。ジョバンニを嘲る連中と行動を共にするカムパネルラだが、イジメの仲間には入らず、黙って心配そうにジョバンニをみつめている。


徹底して不幸貧乏系のジョバンニ

町の人が総出で楽しむケンタウル祭(星祭り)の夜も、ジョバンニは1人で見物に行くが、またもザネリ達に嘲られ、心配そうにこちらを見つめつつも、ザネリ達と去って行くカムパネルラにやりきれなくなり、ジョバンニは1人で夜の森の小道を歩く。すると、どこからか「銀河ステーション、銀河ステーション」というアナウンスが聞こえ、ジョバンニはいつの間にか、銀河鉄道の車窓から外を眺めている自分に気づく。そして、彼の目の前の席には、カムパネルラがひっそりと座っているのだった。





 ごとごとごとごと、その小さなきれいな汽車は、そらのすすきの風にひるがえる中を、
 天の川の水や、三角点の青白い微光の中を、どこまでもどこまでもと、走っていくのでした

 (筑摩書房刊 「銀河鉄道の夜」より)



やがて、その汽車には「鳥を捕る人」や、少年と少女を連れた男などが乗ってきては目的地で降りていく。ジョバンニがいつしか持っている切符は、どこまででも汽車に乗っていかれる切符なのだが、他の乗客には目的地があるらしく、またカムパネルラの切符も、どこまででも行かれるものではないようである。
途中から乗り込んでくる「鳥を捕る男」は、賢治自身の投影ではないか、という説もある。


宮沢賢治その人のようにも感じられる鳥を捕る男


途中下車した「白鳥の停車場」からブリオシン海岸に行き、学者と出会う二人


学者は「永遠という時間軸の中では過去も現在も全てが等しく存在しているのです」と言う

乗っていた船が氷山にぶつかって難破し、次の瞬間にはこの列車に乗っていた、という少年と少女と、その家庭教師の男の話から、銀河鉄道は亡くなった人の魂をあの世へと運んで行くのだということが分ってくる。この少女から、ジョバンニとカムパネルラは赤く燃える蠍の火の話を聞く。これまで、あまたの虫を食べて生きてきた蠍が、いたちに追われて逃げ、井戸に落ちて溺れかかったその時に、これまで散々殺生をしてきたんだから、いたちにこの体を与えればよかった。この次には、まことのみんなの幸いのために私の体をお使いください、と神に祈った。すると蠍の体は赤い美しい炎になって燃え始め、夜の闇を明るく照らすようになったのだ…と。


難破船に乗っていた少女たちと


夜空を輝かせる蠍の火を車窓から眺める

この蠍の火の寓話は賢治の大好きな話である。そこに籠められているのは、自己犠牲の精神に目覚めた者は、神の恩寵により、世のため人のために、永劫輝き続ける、というメッセージである。それゆえに蠍の火は、「ルビーよりも赤くすきとおりリチウムよりもうつくしく酔ったようになって」燃えているのである。いうまでもないが、自己犠牲の精神というのは、宮沢賢治の理想とするありようである。この蠍の火は、カムパネルラの行動と、その結果、彼の身に起きた事、その自己犠牲の精神を象徴しているのであろう。



宮沢賢治は、作品を何度も推敲するのが好き、というかクセで、なかなか決定稿を作らない人だったらしい。「銀河鉄道の夜」も、何度も改定され、書き直されたり、つけたされたり、削られたりしていて、決定稿というものが出来あがらないまま、賢治が早世してしまったので、そのテーマについては研究者達がずっと、いろいろな考察をしている作品でもあるようだ。
「80年後のKENJI」の「銀河鉄道の夜」は、自己犠牲と鎮魂、そして喪失感からの再生と霊魂の不滅(「永遠という時間軸の中では、過去も現在も等しく存在しているのです」)という事をメッセージしていたように思う。


カンパネルラが愛したりんどうの花

難破した船に乗っていた少年、少女、男の三人はサザンクロス(南十字)で降りていく。降りたくなくても、そこで降りなくてはならないのである。気づくと、そこで降りたのは彼らだけではなく、青白く輝く十字架にむかって人々が歩いていく。
サザンクロスは「天上」の世界だという事が分かる。亡くなった人の魂は、そこを目指して行くのだ、と。
この映像を見ながら、3.11の時には汽車に乗りきれないほどの人が、夜空をサザンクロスを目指して旅をしたのかな、などと思ったりした。



しかし、カムパネルラはまだ降りない。ジョバンニが「ぼくたち、どこまでもどこまでも一緒に行こう」と言うと、カムパネルラは「ああ、きっと行くよ」と言いつつ、頬に涙を伝わせる。ここが、「カムパネルラの眼にはきれいな涙が浮かんでいました」という場面である。そして、サザンクロスではない場所で、カムパネルラはふいにジョバンニの前から姿を消す。


僕たち、どこまでもどこまでも一緒に行こうよ    …ああ、きっと行くよ

夜の野原でうたた寝をしていたジョバンニの夢の中にカムパネルラは現れ、短い銀河鉄道の旅を通して、友に別れを告げに来たのだった。カムパネルラがサザンクロス(天上)ではないところでふいに姿を消した事について、研究者達の間で諸説あるらしい。いずれにしても、賢治がどうしてそういう設定にしたのかは、いまとなっては分りようもないことである。

「銀河鉄道の夜」を、少女の頃に、一応、通過儀礼のように読んだ時には、萩尾望都の「トーマの心臓」にハマっていたせいか、級友を救うために自分の身を投げ出したカムパネルラは、天使の翼を失ったと思っているユーリに、自分の翼を与えるために陸橋から飛び降りたトーマと被って見えたものだった。とすると、南の血が混ざった黒髪の悩み深きユーリは、やや屈折したジョバンニという事になるのかな、ふふふ、などと思ったりしていた。「トーマの心臓」には、そこに少年たちの愛、という世界も混ざってくるわけであるが、「80年後のKENJI」における「銀河鉄道の夜」も、ジョバンニとカムパネルラの友情というよりは、二人の性別を越えたプラトニックな恋愛のようにも感じられた。


「トーマの心臓」萩尾望都

銀のすすきが風にそよいでいる天空の銀河鉄道の描写はCGによるもので、まぁ、こういう風に描くしかないよね、という定番的なCG映像という感じはしたけれども、それなりに幻想的な銀河鉄道の世界が表現されていた。

*****
というわけで、第1回から6回まで、様々な手法で色々なクリエイター達が作り出した宮沢賢治作品。「21世紀映像童話集」と銘打っているが、これは言うまでもなく大人のための映像童話集である。どれもこれも、大人の観賞に耐える作品に仕上っていた。おかげで、これまであまり興味がなかった宮沢賢治を見直した。特に、父が強力推薦していた心象スケッチ集の「春と修羅」の中には、眠れる宝のように、美しい詩が沢山埋まっていそうな気がしている。

「80年後のKENJI」のクオリティと手法で、夏目漱石の「夢十夜」もNHK BSプレミアムで制作、放映してくれぬものだろうかと、ふと思った。数年前にオムニバス形式か何かで映画になっている(「ユメ十夜」2007年)けれども、出来は散々なシロモノだったようだ。(観る気もおきないが、観なくても何となく出来は想像がつく)今回、賢治のためにNHKがピックアップしたアーティスト達が、漱石の「夢十夜」の世界を実写やCGやアニメーションの映像と音楽で表現したら、どんなものができるのか、とても観てみたい気持ちしきりである。


**当ブログの「80年後のKENJI」記事**

オリオンは高く謳う KENJI 永遠のイーハトーブ 「80年後のKENJI ~宮沢賢治21世紀映像童話集~」

作家は妹を熱愛する「80年後のKENJI ~宮沢賢治21世紀映像童話集~」薤露青(かいろせい)

鎮魂の銀河鉄道 「80年後のKENJI ~宮沢賢治21世紀映像童話集~」銀河鉄道の夜

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する