「イノセント・ガーデン」(STOKER)

-汚れた血-
2013年 米 パク・チャヌク監督



監督のパク・チャヌクの作品は「オールド・ボーイ」を辛うじて斜め観したぐらいでさっぱり知らないと言ってもいいぐらいなのだけど、本作はトレーラーを観た時から、主役3人がいかにも役にハマっていそうだし、映画の雰囲気も、いかにもこういう映画として面白そうだったのでチェックしていた作品。後で知ったのだが、脚本は「プリズン・ブレイク」で主役を務めるウェントワース・ミラーのオリジナル脚本らしい。…へぇ~。最近の俳優はマルチな才能を持つ人が多いのね。

本作は、とにもかくにもキャスティングありきの映画なので、これを外すと作品がおそろしく締らなくなっただろうと思うが、適材適所のキャスティングがバッチリとハマっていたので、最後まで面白く観られた。
ミア・ワシコウスカ、マシュー・グード、ニコール・キッドマン、それぞれ三者三様にドンピシャリだったと思うが、なかんずく、この映画はミア・ワシコウスカありきだろう。彼女の内向的なムッツリ顔がこれほどまでに所を得た作品、役柄は無いのではないかと思う。常にうっすらと不機嫌そうな薄手の顔に、ブルネットのロングヘアを真ん中で分けている。この、ダークヘアが猛烈に効いている。


この暗く不機嫌なホラー顔を見よ

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広い庭を持つストーカー家の大きな屋敷で、一人娘のインディアが18歳の誕生日を迎えた日に、最愛の父が車の事故で亡くなるという悲劇が起きる。訃報を聞いて、それまでずっと音信不通で、存在さえも知らなかった叔父チャーリー(マシュー・グード)が突如ストーカー家に現れる。事故死した夫とは関係が冷えていた母イヴリン(ニコール・キッドマン)は、忽ち夫の弟チャーリーに関心を持つ。しかし、チャーリーが現れてからというもの、何故かストーカー家のまわりでは不審な失踪事件が起きるようになる。そして…
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というわけで、マシュー・グード演じるチャーリーは、登場した途端から、もう目一杯、怪しい。この叔父に何か秘密があるだろうことは、トレーラーを観た段階でも感じられるのだが、長身で様子はいいけれども、どこか不気味で得体の知れない叔父というのに、まさにマシュー・グードは打ってつけだった。無表情なガラス玉のような眼がモノを言っている。
体型は全体にひょろりと長身で細長いのだが、なかんずく首が異様に長く、その長い首がそれなりに筋肉のしっかりとついた体に繋がっている。マシュー・グードもどこか鳥っぽい。それもエミューとか、ダチョウみたいな大きな鳥に似ている気がする。





事故死した夫と入れ替わるようにスポーツカーに乗って颯爽と現れたハンサムな義弟に、イヴリンは会ったその日から熱視線を送る。イヴリンを演じるニコール・キッドマンは、大抵の人には、まだまだ綺麗なんじゃない?という印象を与えると思うが、ワタシは、なんだか奇妙な顔になったなぁと感じた。妙に上を向いた感じの鼻も、微妙に膨らませた感じのする上唇も、ぷわっと張っている頬も、どうも不自然なものを感じる。喩えて言うと山本リンダ症候群とでもいうべきか。若くあろうと頑張っているのが却って仇になっているという感じ。でもそんな彼女の顔が、本作の「全ての事から蚊帳の外の女」にはとても合っていた。



そしてミア・ワシコウスカ。いつも不機嫌そうな顔で眉間にシワを寄せているインディアをムッツリと演じるミア・ワシコウスカ。常に自分の内側に籠もって母親のイヴリンを筆頭に外界を寄せ付けないインディアだが、叔父のチャーリーはストーカー家に現れた最初から、インディアだけを志向している。他のものは目に入らない。あからさまなまでにその気満々で体を擦り寄せてくる亡兄の妻イヴリンを適当にあやしつつも、そのまばたかない目はじっとダークヘアの陰気な姪に注がれているのである。



当初、この叔父だとか名乗っている不審な男は叔父ではなく、財産目当ての犯罪者だろうか、などと思ったのだが、これはそういう類の映画ではなかった。謎解きサスペンスでもなかった。
これは因果な血、呪われた禍々しい黒い血の、血脈の物語だった。
インディアは言う。「人は自分自身を選んで生まれてくる事はできない。そして、これが私なのだ」と。まさしく、これはインディアが自分の黒い血を認識し、そして本来の自分、生まれ持った本能を覚醒させる物語なのである。彼女はそういう人間であるのであり、そして叔父もそういう人間であったのだ。それはストーカー家の「血」なのである。インディアの足を這い登っていく脚の長い虫は、その禍々しい血のメタファーなのかもしれない。



インディアは、元よりその母イヴリンには1ミリも似ていないが、大好きだった亡父よりも、むしろ突如現れた叔父に似た娘である。人がその母や父よりも、むしろ、おばやおじに似ているという事は往々にしてあることだ。血というのは不思議なものである。
インディアと叔父チャーリーの間には、潜在的に、抜き難くインディアの父リチャードの存在がある。リチャードを演じるのはダーモット・マローニー。このへんの世代の俳優は、ちょっと見ない間にかなりオッサンになってしまっているので驚くが、マローニーもすっかりグレイヘアの中年オヤジになって回想シーンに登場していた。目つきも悪くなっていた。

***
マシュー・グード演じるチャーリーが、姪のインディアを異様なまでに慈しもうとするのは、インディアが兄チャーリーの娘であるという事が大きな理由であると思われる。いつもは、ガラス玉のようなまばたかない目に何の表情も浮かべない彼が、唯一その目に激しい感情を迸らせるのは、愛する兄に、家に来てはならないと言い渡された時である。兄が自分を遠くへ放逐しようとしているのを知った時である。彼が少年の頃に、最初にその禍々しい本性をあらわにした時も、キッカケは兄の愛情を独占したいという強い想いだったように見える。インディアはその愛する兄の1人娘であり、兄よりも、より自分に近い娘である。チャーリーはインディアが愛しくて堪らない。自分の血族が、忌むべき血脈が、愛しくて堪らないのである。チャーリーは、誕生日のたびに、姪に同じデザインのフラットシューズを毎年贈ってきた。それは黄色いリボンのかけられた箱に入っていた。そして18歳になった姪に、叔父は黄色いリボンのかかった箱を差し出す。中には鰐皮のハイヒールが入っていた。叔父は姪の足にこのかかとの高い靴を恭しく履かせる。靴は姪の足にピッタリである。靴とか足には、何か性的な寓意があったように思うが詳しい事はわからない。チャーリーがインディアに靴を履かせるシーンを観て、映画「薬指の標本」を久々に思い出した。



自分の本性に目覚めたインディアは、他人の血に手を染める事に性的な快感を覚える。このインディアの不思議な恍惚と官能は、叔父とのピアノ連弾中にも湧き起こる。叔父は確信を持った薄笑いを浮かべつつ姪にぴったりとくっついてピアノを弾く。姪の体を包むようにしてピアノを弾く。叔父が姪を調教しているようでもあり、愛撫しているようでもある。

全ては、ストーカー家の禍々しい血を中心に廻っている。リチャード、チャーリー、インディア。彼らの愛も憎しみも彼らだけのものである。それらの全てから、インディアの母イヴリンは閉め出されている。どことも関係ない。どこからもお呼びでない。蚊帳の外である。彼女はあたかもインディアをこの世に送り出すためだけに存在する貸し腹のようだ。ただ、それだけの為に存在し、それ以外の何物でもない。そういう惨めな、母になりきれない、存在を黙殺されているような女をニコール・キッドマンが好演していた。生臭い女の部分を抱えて娘と張り合おうとするが、スタートする前から既に敗れている事に気付かない。あらかじめ勝負はついている負け戦にそれとも知らずに参戦し、そして無残に破れ去る女の痛い感じがよく出ていた。こんな役、よく引き受けたなぁ。ニコール・キッドマンをちょっと見直した。



監督と撮影は韓国人。これを韓流で撮ると、グチャグチャ、ドロドロの映画になるのかもしれないが、本作はひんやりとしたトーンの色調で撮られた映像が美しい、ひんやりとしておぞましく、ひんやりとエロティックな映画だった。カメラがとてもいい仕事をしていた。ブラッシングされているニコール・キッドマンの赤毛が大きくアップになると、髪に草原の草のそよぎがオーバーラップしてくるなど、映像に特異な感覚があり、物語とよく合っていた。

キャスティングがピッタリとハマっていたのと、魅力的な映像で、脚本に描かれた世界が上手く映画化された作品だと思う。
が、邦題の「イノセント・ガーデン」というのは内容にあまり沿っていない気もする。
だって…イノセントじゃないものねぇ。

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