「時をかける少女」

-ラベンダーの咲く温室で-
1983年 東映/角川映画 大林宣彦監督



ラベンダーは湿気に弱い。うちのベランダのラベンダーも6月に入ってから空気が湿りがちな上に、たった一日、台風崩れの温帯低気圧で雨風が吹き荒れただけで、かなり弱ってしまった。うーん、やはりラベンダーは難しいな…と思ったところで、そういえば、ラベンダーの咲く温室が出て来る映画だったな、と思い出し、なんとなくビデオ・オンデマンドに入っていた本作を見始めたら、昔観た時よりも、そのノスタルジックな味わいが快く感じられて最後まで観てしまったのは、我ながら意外だった。というわけで今回は、ナツカシの?角川映画レビュー第2弾「時をかける少女」。

ワタシは大林宣彦の尾道三部作をけして好きではない。「さびしんぼう」など、一度観たきりだが吐きそうになった。いわゆる大林宣彦の新旧尾道三部作で、何とか最後まで観られたのは小林聡美をフィーチュアした1作目の「転校生」と、角川の秘蔵っ子・原田知世の初主演作である2作目の「時をかける少女」ぐらいだと思う。何となく好きだと言える大林作品は「異人たちとの夏」ぐらいなのだが、なんだかなぁと思いつつも、「時をかける少女」が心のどこかに引っ掛かっていたのは、映画の中に登場するラベンダーの咲く温室のある古い家の佇まいと、その家の植物の多い庭で憩う老夫婦として上原謙、入江たか子が出演していた事、影の主役のような尾道の印象的な風景(やはり強力である)、そして松任谷正隆の音楽が忘れがたかったせいかもしれない。



今回も、冒頭の夜間スキーのシーンでは、小学生の学芸会芝居でも見せられているような演技と演出に、うへぇ…とゲッソリしたのだが、山を降りて列車で帰るシーンで、雪山を背景に小さく列車が走っていき、手前には一面に菜の花が広がっている光景がフェードアウトしていくと、松任谷正隆の手がけるメイン・テーマが静かに流れ出し、障子を透かしてショートカットの少女が俯くシルエットがタイトルの横に出る。うーん、そうか…。このあたりで、一応ちゃんと見てみよう、という気になった。自分で覚えていた以上に、松任谷正隆の音楽がいい。尾道の風景や、そこに佇む原田知世の雰囲気ともよくマッチしたその音楽は、穏やかに遠いノスタルジアを呼び起こすメロディだ。





この映画が公開された頃、角川映画は絶好調で、金田一シリーズから青春もの、SF、アクションなど、多岐にわたるジャンルで、角川文庫の中から原作を選び、映画化していた。殊に、原田知世は角川春樹がぞっこん惚れ込んで売り出した秘蔵っ子で、あまりに知世偏重が過ぎるので角川アイドル路線を切り開いた薬師丸ひろ子がムクれてしまったというのを、昔、何かで読んだ事がある。
ワタシは本作を最初に観たのはTVだと思うが、当時は原田知世のどこが良いのか分からなかった。格別、どこがどうというわけでもない、ごく平凡な少女だ。しかし、彼女は「永遠の少女」なのである。どこにでもいそうだが、その、さして垢抜けない、素朴な可憐さの中に永遠性を秘めている少女なのである。そこには、全体の清潔さや、ハイトーンの少女らしい声というのも大きく関与している。素朴で清潔で可憐な永遠の少女には、ある種の男達にとって、強い郷愁と憧れを呼び起こす魅力があるらしい。



それが具体的に分ったのは、ついここ数年のことだ。会社の同じ部署に、一見ごく地味で化粧気もあまりない女の子がいる。女の子といっても、もう30にはなっているのだが、服装も雰囲気も23、4ぐらいの雰囲気で、若いというより幼いという感じか。美人というのではないし、派手でもないが、肌と髪がきれいで、紺のブレザーにチェックのスカートなどの女子高生スタイルが似合いそうなタイプである。おとなしくて地味なので目立たないが、この子は年上の男性に絶大な人気がある。アイドル的といってもいい人気ぶりらしい。ほっへ~、と思ったが、彼女が提示しているのは「永遠の少女」という概念であると気づいた。30を過ぎているのに女子高生の制服を着ても違和感がないであろう個性というのは、彼女の持つ少女性を端的に現していると思う。(もちろん実際に制服を着たりしてはいません、ワタシが似合いそうだと思っているだけ。念のため)彼女のファンの男性たちは、彼女を見ていると高校生の時の自分に気持ちが戻るのではないだろうか。昔、クラスにあんな感じの子がいたなぁ、好きだったけど言えなかったなぁ、なんてね。
そして、そんな彼女は「時をかける少女」の原田知世と、どこか似ているのである。



そうか、この手の女子は男の郷愁をそそるのだな。
永遠の少女は、永遠に男の郷愁のツボをくすぐるのである。

80年代にTVで見た時にはワタシもとても若かったので、そんな事はサッパリ分からなかったが、今、この映画の原田知世を見ると、それがとてもよく分るのだ。ほっそりした体に、ボーイッシュなショートカットというのが、これまたツボを押えている。この映画での原田知世が殊更にアイコニックに見えるのは、そのボーイッシュなショートカットが際立って効果的だからである。さらさらのロングヘアではなく、ショートカットというのがミソだ。ロングヘアでは個性がなくなってしまうだろう彼女は、ショートヘアにした事で独特な魅力を放っている。それは弓道の部活シーンで、姿勢よく、礼儀正しく、弓を射る姿によく現れている。キリリと巻いた白い鉢巻がショートヘアによく似合い、端然とした佇まいが凛々しく、矢を射る前にデジャビューで射た結果が見えてしまい、狼狽して練習を切り上げ、校庭を足早に歩き去る原田知世の背後に、桜並木が薄桃色の霞のようにたなびいている。あざといといえばあざといが、16、7歳の頃のある時期にしか漂わない空気というものが画面に漂っているような気もする。午後の高校の校庭の空気。



原田知世演じる和子の幼馴染である造り醤油屋の息子、吾郎役で尾道三部作に欠かせない尾美としのりが出ている。ワタシは、この時期の尾美としのりって芋臭くて全く好きではなかった。当時は、なんでこんなモッサイ男子を使うのかしらんと思っていたが、オトナになり、堅実な脇役として俳優活動を続けている尾美としのりにはなんとなく好感を持っている。殊に、前にも書いたけれども、クドカン脚本のTBS「マンハッタンラブストーリー」のタクシー運転手、井堀役は出色のキャラで好感度が増大した。タクシーを運転しながら、♪イボリったら、イボリ~ と唄うシーンには妙に受けてしまった。
そんなわけで、今、「時をかける少女」を再見してみると、尾美としのりもそれなりに悪くないな、と思ったりする。殊に吾郎が家の稼業である醤油造りを手伝っているシーンで、貸したハンカチを返しにきた和子が帰ったあと、家の屋根の上の物干し台のようなところに出てノビをする尾美を引きで撮ったショットが良い。つらなる屋根瓦に風情があり、尾道ロケの効果が出ている。ついでに書くと、尾美としのりの髪型に80年代のにおいが漂っている。当時の男子はみんなこんな髪型をしていたっけね。





深町クン役の高柳良一は、当時も言われていたが、今見ても、箸にも棒にも掛からない棒セリフっぷり。だが、これは大林監督の敢ての指示だとか。なんで敢ての棒セリフ?実は未来人だから?演出意図が分らないが、何年たってもそのままの猛烈な棒っぷりには些か引くものの、ご愛嬌という感じもある。この人は、学生の間だけ俳優業を続け、慶応高校から大学を経て角川書店に入社。ずっと角川に居て偉くなったのかな、と思っていたら、1994年にニッポン放送に移っていたらしい。



岸辺一徳のモワーっとした国語教師は、この頃の一徳さんの定番な雰囲気。根岸季衣も前髪をパツーっと切ったヘアスタイルで、よく映画に出ていたっけ。



でも共演陣で特筆すべきは、やはり入江たか子と上原謙の、品のいい老夫婦だろう。尾道ロケの、そのクラシカルな風景や町並み、家並みと並んで良いのは、ラベンダーの咲く白い温室のある古い家に住む老夫婦役で、かつての銀幕スターが二人顔を揃えているという事だ。アイドル映画としてはかなり異例なキャスティングだと思う。また、この二人のいにしえの銀幕スターが、そのラベンダーの咲く古い家の雰囲気にとても合っていて、二人の寂しげな品のいい微笑が確実に映画の格を上げている。昔のスターというのは、最近の俳優とは全く顔の造作が違う。上原謙も入江たか子も、殊に後者に、老いてもなお繊細な容貌に枯れた美しさがあり、にじみでる品がある。ワタシは、この老夫婦と、深町クンの家である、老夫婦の住む家が出てくるから、そしてそこにラベンダーの咲く白い温室があるから、この映画がなんだか忘れがたいのだ。ところどころ、アニメーションを使った古臭い演出やら、極度の棒セリフやら、なんやかやと失笑したくなる部分もあるが、それでも、それらをカバーしてあまりある程、深町クンの家と老夫婦のシーンは美しく、忘れがたいのである。


入江たか子、上原謙の優雅で寂しい老夫婦 庭にテーブルと椅子を出してお茶を楽しむ

昔の銀幕スターは顔の造りに品がある


白いペンキ塗りの古い木造のコンサバトリーの風情も忘れがたい 庭にコンサバトリーのある生活は憧れだ


入江たか子 本物の美人は老いても廃れない

話としては、なんだか他愛もない青春SFとでもいうべきもので、主人公の少女も、細かいデジャビューがちょこちょこと繰り返され、せいぜいでも、「時をかけた」のは二度か三度ぐらいで、たいしたタイムトリップをするわけでもないのだが、舞台を尾道に移した以外は、ほぼ原作通りなのだそうだ。だが、元が他愛もない話だからこそ、舞台を尾道に持ってきて、大林監督が自分の作りたいスタイルで味付けし、再構築することが出来たのかもしれない。そしてそこに、ラベンダーや尾道の風景に彩られた、過ぎ去って二度と帰らない人生の一時期への郷愁、というものをにじませる事に成功したのだと思う。
この映画を時の篩いにかけて、今残るのは、原田知世の「永遠の少女」としての姿と、尾道と、ラベンダーの温室であるだろう。ワタシ的には、そこに松任谷正隆のスコアと、入江たか子+上原謙を加えたい。
そして、尾道三部作に共通する美術のテイストとして、和洋折衷のインテリアが映画の雰囲気を背後からひっそりと支えている事は見過ごせない。籐の家具や、アンティークの紅茶茶碗、畳の上に絨毯を敷いた居間などが、家並みや坂の光景と並んでノスタルジックな雰囲気を構成している。





ラストは、原田知世が歌う、あのユーミン作詞作曲の「時をかける少女」である。もう、大トモヨちゃん大会であるが、それはそれで微笑ましい。赤いカーディガンを着て、遠くから懸命に走ってきてカメラの前で立ち止まり、はにかんだ笑顔をみせる原田知世は、やはり今見ても素朴で可憐だった。

ワタシは2コーラス末尾の「褪せた写真のあなたのかたわらに飛んで行く」という歌詞が、昔からなんとなく好きだ。

コメント

  • 2014/06/05 (Thu) 14:05

    はじめまして。二キータと申します。

    先日、NHK-BSで、この映画が再放送されていましたので何となく見ていました。
    この映画を見るたびに思う事は、深町君って、ひどい男・・・。

    祖母・芳山くんの深層心理に自分の残滓を置きっぱなしにして・・・
    彼女たちの心・人生を弄んで・・・

    ラストで二人が再会するシーンでも、深町君の冷たい無表情を見るたびに、深町君って残酷だよね・・・と思ってしまいます。

    私は女性ですので、こう言う見方をしてしまうのかもしれません。

    刺々しいコメントで申し訳ありません。

  • 2014/06/06 (Fri) 07:31

    二キータさん

    深町君というのは確かにひどい奴ですわねー。(別に刺々しいコメントって事もないと思いますよ)
    まぁ、そんなに憤慨するほどこの映画を真面目に観た事がないけれども、そういう感想の人が居ても不思議はありません。
    ちなみにワタシも女性ですけど、深町君に憤慨するよりは、この映画を見るたびに、ラベンダーの温室って素敵、とか思っています。ふふ。

  • 2014/06/07 (Sat) 00:02
    ★真実の究極の愛★

    kikiさん、お返事ありがとうございます。

    この映画については、あくまでも男性が理想とする純真無垢な女性像を表現した作品と理解しています。

    ところで・・・
    個人的に恋愛もので好きな映画は、友人からは、変わってるね・・・
    と言われるんですが、リュックベッソンの映画★二キータ★なんです。

    国家の諜報機関で魅力的な女性になる教育を受け、同時に暗殺者として訓練されていく中で、レジ打ちのマルコと出会い、恋仲になり幸福な日々を過ごしている中、暗殺の指令が次々にやってくる。

    心を切り裂かれるほどに辛いだろうな・・・と思う私。
    結局、彼女の正体が最愛の男性マルコにばれて・・・
    でもマルコは、そんな彼女を優しく愛してくれる。

    そんなマルコの優しさ・愛情に耐えられなかった二キータは、姿を消してしまう。

    マルコは彼女が所有していた機密情報のマイクロチップを
    彼女の監視役だったボブに渡し、見逃してくれるよう懇願する。

    ラストシーンを見た私の印象としては、マルコが懇願したにもかかわらず
    結局、二キータは、ひっそりと暗殺されてしまった。

    その一方でマルコは、もう二度と会えないだろう絶望的な思いを抱きながら、生きていかざるをえない・・・

    二キータ役のアンヌ・パリローにめちゃくちゃ感情移入知ってしまいました。

    究極の愛って・・・こう言うものなの?
    そう思った私でした。

  • 2014/06/08 (Sun) 14:24

    ニキータさん
    ものすごく熱い思い入れをもって映画をご覧になっているんですね。
    「ニキータ」はワタシも好きですよ。リメイクはたいていの場合駄目ですが、この映画のリメイクである「アサシン」もけっこう好きな映画です。ワタシはヒロインを殺し屋にスカウトして育てる組織の男の抑えた愛情がちょっと好みです。

  • 2014/12/08 (Mon) 13:59
    時をかける少女についての論評に感心して(

    実は近頃になってからふとしたことで、筒井康隆の題名が象徴的なこの映画と原田知世チャンの声と表情(の存在)がとても秒に気になりネットでの探索をはじめ再視聴したりするとかつては見えなかった原田知世の存在の貴重さが改めてジーンと身にきました。大林の演出や出演者の演技のうまさへたさとかを超えたところにある生身の出演者原田知世自身が表してる永遠性がはっきり見えたのです。角川春樹の眼力におそれいりましたと。。かつては少女薬師丸ひろ子の切ない声と演技のうまさに引きつけられ、原田知世の下手さな映画を見るきにもならなかった若い頃がありました。(かと言って今見ても薬師丸のフィルムが良くないわけではありません)してみるとあなたが実に的確に指摘している一瞬で過ぎ去りってゆく少女の時代の永遠性を具現化してみせたのが知世ちゃんだったみるととっても納得できるのです。(秀吉も年を取りましたってことなんでしょうね。。。たぶん)

  • 2014/12/10 (Wed) 19:19
    Re: 時をかける少女についての論評に感心して(

    コバヤシセンセイ さん こんばんは。
    原田知世は不思議な存在感ですね。彼女のようなタイプは、居そうで居ない、不思議な特殊性を持っているんですよね。けっこうな年になった今でも原田知世は独特の透明感を持っていると思いますが、ましてや少女の頃となると透明度はもっと増すわけですね。平凡でどこがどうという事のない容姿の中に、普遍的なアイコンとしての永遠の少女性を持つ存在として、原田知世は彼女自身が「時をかける少女」なんだと思います。

  • 2015/10/04 (Sun) 04:46

    時をかける少女当時は全く観る機会なかったけど32年後の今になってはまってます 

    尾道在住ですがディスカバー尾道の意味もこめて

  • 2015/10/04 (Sun) 18:39

    ひおくむさん

    なんだこりゃ!?って感じの演出やシーンもあれこれとあるのだけど、良いところもあれこれとあって、結局、時間が経ってみるとそれなりに見てしまう映画かな、という感じではありますね。

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