「幻影師アイゼンハイム」 (THE ILLUSIONIST)

~華は脇役にあり~
2006年 米/チェコ ニール・バーガー監督



いまごろ観たよ第3弾、というわけで今回は「幻影師アイゼンハイム」
どういうものか劇場公開中はさっぱり観る気がおきず、トレーラーで殆どもう想像つくじゃないの、観なくていいわ、と思っていた。(「ブーリン家の姉妹」も同様の理由で観る気にならず放置)
数日前、どういうものか久々に「ラスト・コーション」が観たくなり、半額サービス中のツタヤに行ったら、なんとなく棚からアイゼンハイムが呼んでいたので、ついでに借りてみることにした。
蓋をあけてみると、地味な主役よりも、強力な脇の方が断然生彩を放っているというキャスティングで、こんなに脇に目がいった映画も珍しいかもしれないなぁ、と思った。
お話は、「19世紀末のウィーンを舞台に、見事なイリュージョンで人々を魅了した天才幻影師と、皇太子との結婚を控えた公爵令嬢の禁断の愛を描いたラブストーリー」なわけだが、ミステリーロマンという感じだろうか。

チェコが共同制作ということは、あの世紀末ウィーンの街並みはチェコでロケされたものなのかもしれないが、いい具合に19世紀末という雰囲気が漂っていたと思う。この時代は魔術的な見世物が全世界的に流行った時期なんだろうか。「プレステージ」当ブログのレビューはこちら)も19世紀末という設定だったような…などと思いつつ黄色いフィルターのかかったクラシカルな画面を眺めた。

今回のエドワード・ノートン、非常に暗いムード。顔も陰惨と言ってもいいほどの暗さで、恋する男って感じではなかった。なんであんな暗い顔つきで演じる必要があったんだろうか。とにかく幻影師というよりは霊媒師みたいで、無常観にどっぷりと浸っている気配。また、鼻の下からアゴまで髭がびっしりと生えた暗い顔はヴェニスの商人(シャイロック)みたいでもあった。だから運命の恋に悩むというよりも、悪巧みでも考えているように時折見えてしもうて…。
アイゼンハイムことエドゥアルドの少年時代を演じる少年がなかなかの美少年なので、これが15年たつとこんな暗い顔つきの若年寄りみたいな男になっちゃうかしらん、と成人した姿を演じるエドワード・ノートンにガックリした。落差ありすぎ。これじゃ成人したソフィーがすぐに気付かなくても無理もない。

 美少年だったのに…

 なぜこんなことに…

対する侯爵令嬢ソフィーは成人したジェシカ・ビールも少女時代を演じる少女も殆ど顔や印象に差異がなく、あ?、あの子が大人になるとこういう女になりそうね(モワっと平凡で、あまり美人じゃない)、という感じで印象がスムーズに繋がった。ワタシは、若い時代と大人になってからと、あまりに印象が違う人が演じていたりするのは抵抗があるタイプ。例えば、子供時代はブラウンの目だったはずなのに、大人になったらブルーアイズになっている(またはその逆)、というのはかなり気になる方なのだ。欧米って髪や目の色にこだわるわりに、そういうところできっちり色を合わせたりしない場合が多いように感じる。今回も、少年時代のアイゼンハイムは明るい目の色の少年なのに、大人になったノートンはブラウンの瞳で、違和感がある。大人になるとしがらんで暗くなっちゃったから、目の色も暗くていいんだ(そんなバカな!)、という事なのかもしれないけれど。

というわけで、メインの男女が地味で画面映えしないので、今回は脇の光り具合が目立っていた。
まず、昨今では「寝取られ男専門職」という観のあるルーファス・シーウェル。何かと問題のあるオーストリアの皇太子を演じているのだが、この人は一応男前で権力もありながら、いつも女を他の男に持って行かれてしまう(というか、他の男に心を奪われている女を所有しようとして失敗する)役という印象だ。最初に観たのはあの「ロック・ユー!」だったが、やたら個性派で美人でもない姫をヒース・レジャーと争って敗れている。(ま、相手がヒースじゃ仕方ない)、お次に観たのは「トリスタンとイゾルデ」で、トリスタンに心を奪われているイゾルデを妻にしてしまうコーンウォール領主マーク役。これはいい感じの男だったので、マグロみたいになったイゾルデを懸命に愛する姿に同情すら覚えた。しかし恋敵トリスタンはジェームズ・フランコ。やんぬるかな。やはりブリリアントな若造には勝てないルーファスなのだった。



で、今回ルーファス氏は、権力欲旺盛でドSという困った皇太子役。これがもうピッタリで、顔が端正なだけに残忍で利己主義というイメージがよく出ていた。目下のところ一番の当り役ではないかと思われる。案外、顔デカなのもこういう役には持って来いで、傲慢で冷酷で自分しか愛さないエゴイストにハマっていた。目が爬虫類っぽい印象を醸し出すのも強力な武器。「猟奇的な彼」って感じである。この手のキャラでもっともお馴染みなのはあの「カリオストロの城」のカリオストロ伯爵じゃあるまいかと思うのだけど、今回のルーファス氏はまさにカリオストロ伯爵状態で、キャラの演じどころのツボをきっちりと抑えた演技に思わず膝を叩き、いいぞカリ公、と思ってしまった。こういうキャラは片眉だけがキーっと吊りあがったりするのが特徴で、ルーファス氏も、その爬虫類のような目の上で微妙に動く眉により、問題児皇太子の心理や感情をよく表現していた気がした。

 カリオストロ伯爵

もう一方の光る脇役はウール警部役のポール・ジアマッティ。(この人の語りで物語が進むので、実質的には主役のような気もする)成りあがりで、皇太子に取り入って出世を考えたりしていたウール警部なれども、一方でその才能に芯からほれ込んだアイゼンハイムにシンパシーを抱く。本音と建前の狭間で揺れ動きながら、なんとかアイゼンハイムに無茶をさせまいと配慮する様子がいい感じだった。ぎょろっと大きな目が、役によっては不気味な雰囲気を放ったりもするのだけど、今回はその眼に愛嬌があって「警部さ?ん」と呼びかけたくなってしまうキャラを作っていた。

 警部さん


観る前は、観なくても想像がつく、と思っていたが、予想外に良かったのがこの脇役二人のパフォーマンスだった。これはやっぱり観なくちゃ分からないところですねぇ。
で、世紀末ウィーンを再現したロケ映像に加えて、クラシカルな劇場とその舞台(照明は電気じゃなく、まだ火だったりする)、そしてアイゼンハイムのパフォーマンスも見所なわけだけど、この舞台上のイリュージョンにはさして感心しなかった。(オレンジの木だけは良かったかしらん)当初は鳩など繰り出して、いかにもなパフォーマンスをしていたアイゼンハイムだが、途中からステージ上には椅子が1つあるきりで、そこに物も言わずに出てきて座ると、恐山のイタコのごとく、念を集中させお手かざしなどして死者の霊を呼び出す(しかし、これも見世物ゆえ現実の降霊などではない)というスタイルに変容する。
この時のエドワード・ノートンの顔の陰々滅々たる暗さと来たら!
エドワード・ノートンは確かに上手いのだけど華がなさすぎるなぁと改めて思った。世紀末ウィーンなんて、頽廃と混沌にあいまって新しい芸術や文化の波が押し寄せた魅惑の都市を舞台にしていて、しかも子供の頃からの一途な想いを貫くというロマンス物でもあるのに、なんちゅう華のなさ加減。地味で暗すぎ。ロマンティック・ロールにはそれに相応しい個性というものが、やはりどうあっても必要不可欠なのだ。これはジョニー・デップあたりで観たかったかも、と思ったのはワタシだけではないだろうと思うんざますけれど、いかがなもんでございましょうねぇ。そして、終わりまで観たあと、なぜかルーファス氏演じる皇太子がうっすら気の毒になったりしてしまった。

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する