「終戦のエンペラー」(EMPEROR)

-報復と正義は別物だ-
2012年 日/米 ピーター・ウェーバー監督



バッチ君が来日して大騒ぎしていたのと同じ頃に、BOSSの顔となって久しいトミー・リー・ジョーンズも来日していたことを知り、トミー・リーは一体日本に何をしに来ていたんだろう?と思ってチェックしたら、「終戦のエンペラー」という映画のためだと分った。そんな映画が作られていたことはサッパリ知らなかったけれども、一応トレーラーを見てみると、監督が「真珠の耳飾りの少女」のピーター・ウェーバーであることや、焦点が1945年のマッカーサーと昭和天皇の会談にある事が分かり、また、最近は自転車を漕いでいる姿しか見ていない火野正平が東条英機役で出ているというので、何となく興味が湧いて観てみることにした。
とにかく、トレーラーを観て感じたのは時代考証がとてもきちんとしているという事だった。そこで映画の公式サイトを見てみると、完全なハリウッドのみの制作ではなく、プロデューサーは日本人の奈良橋陽子さんで、彼女がこのお話の映画化を思い立ったのだと分った。つまり日米合作なので、いかにもハリウッド的な「面妖な日本描写」というのが回避できたのだろう。終戦直後の焼け野原の東京は、ニュージーランドにオープンセットで再現されたらしい。本作で、実際に日本で撮影されたのは皇居周辺のショットだけで、あとは殆どニュージーランドに建てられたセットなのだという。このセットがまたとてもよく出来ていて、デザイナーが日本人ではないとは思えない出来栄えだった。そのへんでとても興味が湧いたのと、トレーラーの最後が、マッカーサーとの会見に臨む昭和天皇が車を降りるところで終わっていて、なんだかその先がどうしても見たくなった。トレーラーとして作りが上手いという事なのだろう。


1945年 一面の焦土と化した東京を再現


そして、観賞してみた。
建物も服装も雰囲気も、1945年当時の日本が見事に再現されていたと思う。プロダクション・デザイン(美術)は日本人ではない(ロード・オブ・ザ・リングなどの美術を手がけたグラント・メイジャー)のに、実に細部にわたって、いい仕事をしていた。

冒頭、占領軍の指令部が飛行機で厚木に飛んでくるシーンで、雲の合間にくっきりと「世界遺産」富士山が見える。でも、紋切り型だともありきたりだとも思わなかった。富士山は雲の合間に、ああいう具合ににょっきりと美しく聳えているものなのだ。それが富士山というものなのである。

本作の主役であるボナー・フェラーズ准将を演じるのは、「LOST」で知られるマシュー・フォックス。ひょろっと背が高く、気の良い優しい感じが、こういう気の良い外人ているなぁ、という親近感を抱かせる。彼は本作では、何かとても感情移入しながら演じている様子で、物語の主題とあいまって、フェラーズの悲恋(この部分はフィクション)も描かれるので、折々に入ってくる回想シーン(彼がとても強い想いを抱いていた日本の女性アヤ(初音映莉子)とのシーン)は、「彼女を好きで好きでたまらない」という空気がよく出ていた。生涯ただ1人の純愛を捧げた相手なわけなんだねぇ、と納得せざるを得ない程にアヤ絡みのシーンで感情移入しながら演じていた気がした。涙も本気で流していたようだった。


とにかく、気の良さそうなマシュー・フォックスのフェラーズ


実在の人物であるフェラーズ准将には日本女性の友人は居たが、うんと年上だし、恋愛関係ではなかった。学校を経営する教育者であるこの女性の数々の助言を取り入れて、フェラーズは天皇の戦争責任についてのマッカーサーへの報告書を書き上げた。映画では、フェラーズが熱愛するアヤの叔父(鹿島大将:西田敏行)が、日米開戦の前に「日本人と天皇」についてフェラーズにレクチャーした、という風に描いている。

ダグラス・マッカーサーを演じたのが、トミー・リー・ジョーンズ。トミー・リーは、自分は外見的にはマッカーサーに全く似ていないと思ったけれども、役には魅力を感じたらしい。マッカーサーというのは毀誉褒貶の激しい人物で、なかなか一口では語れない人ではあるのだけど、終戦後、連合国軍の最高司令官として、日本の戦後に及ぼした影響はまさに絶大なものがあったのは間違いない。原題の「EMPEROR」というのは、昭和天皇の事と、終戦直後の占領下の日本にとってのマッカーサーのありようをかけたタイトルではないかと思う。


コーンパイプにサングラスでキメるトミー・リー

マッカーサーは日本を武力で脅しつけて占領政策を押し付けるのではなく、「軍国主義からの解放者」として日本人に認識されなければだめだと考え、天皇の責任は追及しないつもりで日本にやってきた。当初、天皇は戦犯リストから外されてもいた。ところがワシントンの政府から、天皇の戦争責任も問えという指示が来たため、部下の「日本通」であるフェラーズ准将に、10日で、天皇がこの戦争を強硬に進めた証拠があるかどうか調査して報告書を出せ、と命じる。

ワタシは、マッカーサーが若い頃に日本に大使館付き武官の副官として駐在していたことがある、というのを何かのドキュメンタリーを見て知っていた。だから、当時の日本人の天皇に対する特別な思いや忠誠心というものをよく知っていたので、天皇を断罪したら、日本の統治など到底できない事が分かっていたのだろうと思っていたのだけど、フェラーズ准将という人がいなければ、場合によっては、マッカーサーも天皇を裁判に引っ張り出した可能性もなきにしもあらずだったのだねぇ、と本作を見ながら思った。当時、アメリカの世論では、天皇を処刑せよ、という強硬な意見も3割はあったし、処刑までしなくてもなんらかの処分をした方がいいと思っている人間は多かった。連合国軍の指令部の中でも、昭和天皇を戦犯裁判にかけぬようにしなければならないと思っていたのは、フェラーズ准将ただ1人だったらしい。

フェラーズが日本贔屓な事をよく知っているマッカーサーが、自分の大統領選立候補を踏まえて、日本の再建を成功させ、株を上げて帰国するために、天皇をどう処遇するのが自分にとってベストなのか瀬踏みをしていた、というのは確かなのだろうと思う。トミー・リー演じるマッカーサーにも、そういう気配はチラっと窺われた。しかし、トミー・リーのマッカーサーは、老獪というほどの感じでもないし、カッコつけで目立ちたがりという感じは強くしたけれども、最後の最後の会談シーンまでは、これといった演じどころはない。ただ、ワシントンの政府なんかクソ喰らえだ、と思っている雰囲気はよく出ていた。

フェラーズが、マッカーサーへの報告書を書くために、軍部や政治家、また宮内庁関係で天皇の身近に居た人間に話を聞いて行く中で、東条英機として火野正平が出てくる。自殺未遂を発見されるシーンと、巣鴨プリズンでフェラーズの質問を受けるシーンだが、セリフは一言も発しない。でも、巨大な嵐が去ったあとで茫然としている、責任を全て負わされて人柱になってしまう人の虚脱した雰囲気はよく出ていた。自転車を漕ぐ仕事の合間に東条英機もやっていたのだね…。



父方は天皇家の血筋に連なる元首相の近衛文麿役には中村雅俊。う~む。写真で見ると面差しは似ている気もするけれども、こういう人の醸し出す独特の品のようなものが感じられなかった気がする。ただ、天皇の戦争責任についてフェラーズに問われた近衛文麿が、「白か黒かで語れる問題ではない」と言うのが印象的だった。また、「確かに日本は外国を侵略し、植民地にしたが、それは欧米がずっと昔からやってきた事だ。イギリスやスペインはずっと昔からそんな事をやってきたが、それで罪に問われた事があるだろうか?フィリピンだって元はアメリカが占領していたのを日本が奪ったものだ。…武力で他国の領土を奪うのは、あなたがたが手本なのだ」というセリフにグウの音も出ずにフェラーズが黙るシーンでは、そうか、物静かに一矢報いたのだね、とニヤリとした。
喧嘩は両成敗である。負けた方だけに責任問題を追及するのはナンセンスというものだ。



天皇の側近である関屋貞三郎には亡くなった夏八木勲が扮している。宮中にいる関屋に話を聞くためにフェラーズが皇居に入ろうとすると皇宮警察が出てきて、無礼な真似があれば断じて許さんという気配を漲らせる。皇居は皇宮警察が厳戒態勢で守りを固めていたらしい。日本破れたりとはいえ、威武不屈である。戦争に負けたからってなんでもかんでもヘイコラしない。譲れる事と譲れない事があるのだ。昔の日本人は誇り高かったのだな、と思った。マッカーサーからの添え書きを見せられて、皇宮警察は、フェラーズ1人で武器を携帯しなければ皇居内に入る事を許可する。



そして、関屋とフェラーズは対面する。天皇は戦争に積極的だったのかどうかと聞かれて、陛下は何事も直接的にはおっしゃらないのだ(そういう慣例なのだ)、と関屋は言う。けれども開戦前夜の御前会議で重臣たちを前に、昭和天皇が祖父の明治天皇の御製「よもの海 みなはらからと思ふ世に など波風のたちさわぐらむ」を二回繰り返され、戦争に賛成でないという意志を現された、と言うシーンで、関屋は立ち上がり、礼をするように頭を下げ、明治天皇御製を節をつけて朗々と詠む。天皇の御製はああいう姿勢で詠むのだという事を初めて知った。


フェラーズに頭を下げているわけではない

この有名な御製を詠みあげる夏八木勲の声は詩吟の訓練でもしたのか、なかなかのものだった。
なお、夏八木勲が演じた関屋貞三郎が、本作のプロデューサーである奈良橋陽子の祖父にあたるらしい。彼女にとって、これは「いつかは映画化しなければならない物語」だったのだろう。

短歌を2回詠んだだけでは、戦争を回避したかったという意志表示として弱い。天皇を戦犯裁判に引き出したくなければ、もっと確かな証拠が必要だ、とフェラーズに詰め寄られた関屋は、フェラーズとの会見を避けていた政治家・木戸幸一(伊武雅刀)を、指令部に赴かせる。木戸の話から、ポツダム宣言を受け入れようというのは、軍部の反対を抑えて昭和天皇が決断された事(ご聖断)だ、と分る。

戦争の開始に責任があったかどうかは不明だが、戦争を終わらせたのは降伏を受け入れようという天皇の決断だったという事で、フェラーズは天皇を裁判に引き出すよりも、むしろ日本の再建のために天皇を有効活用するべきだ、とマッカーサーへの報告書を書く。マッカーサーはお前の勘だけでは論拠が弱い。天皇に会ってみる事にするから段取りをつけろ、とフェラーズに指示する。
かくて、遂にあの会談が実現するわけである。


大使館の車寄せに菊のご紋のついた車が止まる

天皇に付き従う関屋が、天皇と拝謁する場合の作法を事細かにフェラーズに指示するシーンにも、日本破れたりといえども、というあの昔の日本人の基本スタンスが現れていた。天皇の体に触れてはならない。天皇の目を見てはならない。etc.
連合国軍の最高司令官だろうが何だろうが、天皇と相対する時のルールは曲げられないのだ。なんでもかんでもヘイコラしない。譲れない事は譲れないのである。

マッカーサーは、ラフな軍服で天皇に手を差し出す。関屋は飛びあがらんばかりに制止しようとするが、昭和天皇はやんわりとそれを制して、マッカーサーと握手をする。その後、あの有名な、腰に手を当ててふんぞった感じのマッカーサーと、縞のズボンに礼服を着た小さな天皇が並んだ写真が撮られる。マッカーサーはいつも略装で、身分が上の人に対しても常にああいう感じなので、殊更に天皇を貶めようとしてそうなったわけではないらしい。が、この写真が日本が戦争に負けてアメリカに支配されていることを如実に日本人に伝えた事は間違いない。また、マッカーサーがそういう効果を計算に入れていなかったとも考えにくい。



有吉佐和子は小説「芝桜」の中で、ヒロインが新聞に載ったこの写真を見てショックを受ける場面で、「この時の新聞を見て、心の中で何かが抉られるような思いをしなかった日本人は一人もいなかったのではないだろうか」と書いている。
「陛下のご心中を思えば泣かずにいられるものではなかった。こんなみっともない写真を撮られてしまって…と正子(「芝桜」のヒロイン)は我が事のように悔し涙をこぼしていた。この一葉の写真ほど端的に今日の日本を物語るものはないように思われた」
長々と引用したけれども、ワタシはマッカーサーと昭和天皇の写真、というと、この有吉佐和子の「芝桜」の一節を思いだすのだ。

昭和天皇を演じるのは歌舞伎の片岡孝太郎。体が小さくて飄々とした感じがそれらしいといえばそれらしいが、昭和天皇は若かりし日の写真を見ると、もう少しキリっとした雰囲気もあったような気がする。が、歌舞伎ファンであるトミー・リーは昭和天皇を演じた孝太郎について「美しく洗練された演技でした」と褒めている。

この会見で、昭和天皇はマッカーサーが懸念していたような見苦しい命乞いや責任回避発言など微塵もしなかったばかりでなく、「このたびの戦争遂行に伴ういかなる事にも、事件にも自分が全責任を負う。日本国民に責任はない。自分自身の運命については、貴下の判断に委ねる」と言ってマッカーサーを敬服させる。このあたりが、そこらの武力でなりあがった王だの、独裁者だのと截然と違うところかもしれない。

マッカーサーは、天皇が自らに帰すべきではない責任をも引き受けようとする勇気と誠実な態度に「骨の髄まで」感動し、「日本の最上の紳士」であると敬服した。マッカーサーは玄関まで出ないつもりだったが、会談が終わったときには昭和天皇を車まで見送り、慌てて戻ったといわれる。後にも「あんな誠実な人間は見たことがない」と発言している。(wikiぺディアより)

昭和天皇は相当な覚悟を決めて会談に臨んだらしい。天皇の煙草に火をつけようとした時、煙草を持った天皇の指が小刻みに震えているのに気づいた、とマッカーサーはのちに書いている。それほど昭和天皇も緊張していた、という事なのだろう。何が待ち受けていたって不思議はないのだ。何だろうと受け入れよう、と思っていても、指先だって震えるだろう。

映画では、マッカーサーが、送らないつもりだったのに、ついついその人柄に打たれて天皇が帰る際、車のところまで見送りに出てしまった、というシーンは無かった。それも加えればよかったのに、少し残念な気がした。

アヤを演じる初音映莉子は、地味な顔立ちだけれども、時折ふっと見せる表情にそこはかとない魅力があった。この先、どんどん出ていくか、そうでもないのかは未知数だけれども、架空のキャラでも彼女の演じるアヤは映画的には存在意義はあったのかな、とも思う。
マシュー・フォックス演じるフェラーズが、彼女の手を取って、その指の甲にいとおしげにキスをするシーンが印象的だった。ほんとに好きなんじゃないの?と思うぐらいに感情が籠もっていた(笑)



こういうハリウッド絡みで日本が描かれる映画となると、必ず出てきてしまうモモイも、アヤの伯母役でちらっと出ていたが、役としては小さく、さしてセリフもないのに、とにかく出たい!という感じで出てきている気配が滲んでいて、なんだか邪魔に感じた。別にモモイでなくてもいい役だし、もっと静かな控えめな人が演じていた方が良かったのに、と思ってしまった。

***
本作は、非常によく時代考証をして、雰囲気の沁み出したセットや衣装が臨場感を盛り上げ、日米合作としては、日本人にしっくりとくる映画の作りで違和感もなく、それなりに面白く見たし、有名なマッカーサーは脇役で、フェラーズ准将という、天皇を救った本当の立役者がメインに描かれているのは興味深かった。本作のフェラーズは、ともすると行方の知れない最愛の女性アヤについて想いをめぐらす事に夢中になって、10日で結論を出さねばならない戦争責任についての調査よりも、愛する女を捜す方に躍起になっている感じもなきにしもあらずだったし、マッカーサーと天皇の会見も、ハイライトなんだから、もっと盛り上がるようにセリフや演出を工夫すれば良かったのでは?と思わないでもない。鹿島大将の「日本論」も、どことなくピントのズレたスットコドッコイな見解のようにも感じた。
とまぁ、全体にやや甘い出来ながらも、確かに、これまでに映画化された事のなかった部分にスポットを当てたという点で、そしてきちんと終戦直後の日本と日本人を描写しているという点で、それなりに評価できる作品ではないかと思う。

コメント

  • 2013/08/16 (Fri) 19:12

    遅ればせながら、私も先日観ました。
    私も日米合作にしては、日本の描写が嘘くさくなくて良かったと思います。
    一緒に観た夫は港のシーンで名古屋城の天守閣が見えてたのが気になってしょうがなかったようですが。

    • ようちゃん #-
    • URL
    • 編集
  • 2013/08/17 (Sat) 09:11
    Re: タイトルなし

    ようちゃん
    名古屋城の天守閣ってどこかで見えてましたっけね。あまり記憶にないけれど(笑)
    日米合作にしては、ヘンテコ日本になってなかったのは、日本主導の日米合作だったからなんでしょね。
    まぁ、ツッコミが足らんとか、知られている事ばかりで新しみがないとかいう批判もあるようだけど、それはそれとして、観るべきところもあった映画だったと思いますわ。

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