暑いんだけど、面白い 夏の四国路

-愛媛編その2 内子町-



愛媛が楽しみだったのは、道後温泉以外に、内子町に寄ってみたかったから。
江戸から明治にかけての建物と町並みが残っている内子町の核になるのは「内子座」だろうと思うけれど、町並みそのものも、とてもステキングだったざます。

最終日は小雨降る天気となって、暑さが少し引き、レトロな町の散歩にはもってこいの天気でした。
ガラ空きの電車でJRで松山から内子へ移動。内子駅から歩いて15分ぐらいのところに、古い町並みの内子町がありました。



町並み保存地区のしょっぱなあたりに、内子座が登場。この木造の劇場は、大正5年に大正天皇の即位を祝って建てられたとか。昭和の終わりごろ、老朽化により取り壊しになりかかったものの、町民の熱意により復元し、昭和60年10月に劇場として再スタートを切ったとか。時には文楽の興行もあるし、町民の為のホールとしてピアノの発表会が行われる事もあるとか。興行がかかっていない時には見学できるわけで、実にいい形で現代に生き残っている素敵な劇場ですわね。舞台上には廻り舞台があり、花道にはすっぽんのセリもありました。









大向こうから舞台を臨む

舞台中央には廻り舞台が切ってある 舞台の端に義太夫席(紺の暖簾のところ)がある



多分、建った時の大正時代の広告看板を復元してあるのだろう

いい風情です

それにしても、全国にはレトロな芝居小屋がまだけっこう残ってるんですわね。有名なところでは福岡の嘉穂劇場とか熊本の八千代座など。愛媛の内子座はやや小振りだけれども非常にきれいな修復がなされていて、大向こうに座っても舞台が遠く感じない距離感がナイスでした。あんな風情のある劇場で大歌舞伎なんかを観る事ができたら、最高ってもんでしょね。




内子座の素敵さにすっかりといい気分になったワタクシら。プラプラと内子の町をそぞろ歩き。この町はロウソクと手梳き和紙の生産で栄えたところらしいので、今もなお手作り和ロウソクのお店があったり、豪商の屋敷があったり、とかくに古い物好きなワタクシらのハートをくすぐるところでした。


和ろうそくを作っているお店

「商いと暮らし博物館」

内子の旧家の芳我(はが)家には本芳我家、上芳我家、下芳我家とあり、下芳我家の建物を使って、1Fはお蕎麦屋さん、2Fはクラフトワークの店になっている店舗があり、建物も、お蕎麦も手作り雑貨も、全部OKでした。この下芳我さんの店舗は、あちこちにちょこっと花が活けられていて、料理の盆にも小さなガラスの1輪ざしに可憐な草花が挿してあるのがさりげに置かれてきたりして、とても花がお好きなのねぇ、という気配が伝わってきました。


「下芳我邸」1階は蕎麦料理、2階はクラフトショップ


料理を載せたお盆の片隅にもさりげなく花


そっと活けられた花々が、古民家の店舗を彩る


蕎麦料理をしたため、2階のクラフトショップで買い物をした後は、内子の町をのんびりと散策。


古い町並みの中の家は、玄関の細い格子戸の脇に花や実をあしらってセンスのいい飾りつけをしている







黒い連子格子がシブイ 確か、本芳我邸だったかな…




旧家 本芳我邸 さすがにごりっぱ



小雨模様の天気によく似合う、しっとりとした時代のついた町並みは、歩いているだけでもα波が出る心地よさで、取り壊されそうだった内子座を懸命に残した町民の方々の、古い建物を大事に生かそうという気持ちが、とてもいい形で町全体によい雰囲気を齎しているのだな、という感じがしました。

内子町散策を終えたワタクシらは、再びJRで松山に戻り、市内で寄りたいと思っていたところ、松山藩主の末裔、久松伯爵が大正11年に別邸として建てたネオ・ルネッサンス様式の「萬翠荘」を見物に行きました。
「萬翠荘」については、別途、「kiki的建築探偵」カテゴリでUPいたしまする。

というわけで、暑かったけれども、四国はなかなかでざんした。
時代を経た素敵な建物や町並みが今もなお残っている一方で、松山などは町として元気に活動しつつも、市電を残し、城下町としての風情もちゃんと残っていて、理想的な形で今が昔と繋がっているな、という印象でしたね。
当初は四国巡りの行き先として高知も検討していたのだけど、真夏に高知に行くのは自殺行為だと、旅から戻ってきて知りましたねぇ。(四万十市で41度って一体なんざましょ。インドじゃないよね…)高知に行くなら春先か秋たけなわの頃ざんしょねぇ。次回以降で検討しよう。
というわけで、温泉に町並みにうまいものにちょこっと雑貨で、暑かったんだけどほっこりと楽しかった四国旅でした。

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