「そして父になる」

-傾けた首の角度に-
2013年 フジTV ギャガ他 是枝裕和監督



9月終わりの公開だからまだまだ随分先だな、などと春ごろに思っていたのだが、もう時期が来て封切られてしまった。月日がたつのは本当に早い。ともあれ、鮮やかな子供使いっぷりには定評のある是枝裕和が、親と子をテーマに描く本作。病院で取り違えられた対象的な家庭の子供なんて、大昔の山口百恵のドラマの設定みたいだけれども、親と子を繋ぐのは、血なのか、一緒に過ごした時間なのか、というテーマを、どういう風に見せ、どういう結末に持っていくのかに興味があったので、観てきた。
福山雅治演じる野々宮良多は勝ち組のエリートという事だが、幼稚園か小学校からお受験が必要な学校の出身者であるのに、現在、彼の父親は落魄して荒川あたりの下町のボロアパートに後妻と住み、マンションの管理人をしているらしい。彼の実家は昔は裕福だったのに凋落したのか、そのへんの事がサッパリ語られていないので、想像するしかない。ギャンブルがどうとか言っていたが、ギャンブルでスって落ちぶれたのかどうなのか…。ただ、良多の父(夏八木勲)が、昔は厳しい父親だった、という事だけは折々、良多(福山)のセリフににじませてある。そしてこの父親が家族と過ごす時間の少ない父親だった事が、父となった良多にも影響しているらしい事も窺える。夏八木勲は「終戦のエンペラー」に引き続き、話題作に出演している。晩年、立て続けに印象的な仕事を残したのだな、と思った。



良多は建設会社に務め、大きなプロジェクトを任されて土日もなく働く仕事人間である。福山にギリギリ目一杯の嫌な奴を演じてもらった、と是枝監督は言っているが、嫌な奴というところまで行ききらない感じがした。普通の男である。さほど高飛車でもないし、さほどイヤミなわけでもない。大会社でちょっと目立つような仕事をしていれば、あの程度のキャラはザラにある。というか、その割りには物静かで普通じゃないの、と感じた。もっと鼻持ちならない奴はいくらでもいる。福山だから遠慮したのか。もっと嫌な奴にしても良かったのに。



映画としては、大体、予想された内容で、予想外な展開などは特に無かったけれども、淡々として進む物語の中で、登場人物たちがそれなりに葛藤し、ひとつの結論に自然にたどり着くのは流れとしてさもありなん、という感じだった。今時、病院で取り違えなんて発生するの?という疑問には、ちゃんと答えが用意してあったが、いささか驚きの原因だった。自分がモヤモヤ悩んでいたからって、他人の子供を故意に取り違えて幸福な家庭にヒビを入れようなどとは恐れ入った看護師である。そんな事をしでかしても5年たつと時効で、何の罪にも問われないというのも不条理な話だ。が、この不届きな看護師の存在(その家庭)が、結末へ向けての伏線にちゃんと組み込んであるのは無駄がないな、とも感じた。

6歳といえば可愛い盛りだけれども、突然、生物学的に親子ではない、と言われたら、どんな気がするものだろうか。ワタシは子供を持たないので、うちの子がもし病院で取り違えられてたらどうしよう、なんて疑念は湧かないのだけど(笑)、もし、こういう立場に置かれたら、どうするのがベストなのかは、なかなかに難しい選択ではある。この映画では、一応、対象的な家庭、という事ではあったけれども、かたや都心に住んで経済的に余裕はありそうだが、父親は不在な事の多い、母子家庭のような生活を余儀無くされる。かたや、北関東の地方都市の潰れかけたような電気屋で、父親はさしたる稼ぎもなくウダツは上がらないが、子煩悩で常に家族の傍に居る。弟妹もいる。母親もガサツだが愛情はある。一長一短でどちらとも言えない。



リリー演じる斎木は、病院相手の訴訟で得られる金に関心があり、稼ぎがないせいか、かなり金にいじましい、という感じもあるが、子供や家族をとても愛していて、よく面倒を看る。子煩悩な男だ。つまり、斎木も良多も、どちらもそれなりに欠点はあるが、悪い男ではない。でも、斎木を金に細かいが、基本的には愛情深い善人キャラとするなら、福山演じる良多はもっとタカビーで、何でも金で解決しようとするような傲慢な様子を強く出した方が良かったような気がする。つまり、どちらも中庸で歴然とした差がないのである。だから余計に選択が難しいという事もあるので、そうしたのだろうけれど、良多がもっと傲慢でないと、クライマックスの、子供への愛に目覚めて行くシーンで、それまでとの落差があまり際立たないような気がした。



***
映画を観ていて、些細な事ながら、設定的にちょっとそぐわない、あるいは奇異に感じた事がいくつかあったので、ワタシ的な突っ込みどころを挙げると、
前橋に住む、もう一方の家族の父親を演じるリリー・フランキーが何故か時折関西弁なのが気になった。北関東でさびれた電気屋を経営する男が、なんで関西弁?何か訛りを入れるなら北関東の訛りじゃないと面妖である。電気屋は妻(真木よう子)の実家なのかもしれないが、取り違えられた良多の息子・琉晴も、リリーの影響か時折、関西弁または関西イントネーションになるのがちょっと引っ掛かった(この子役は関西出身なのかもしれない)。リリー演じる斎木が時々関西イントネーションなのは、リリーの素の福岡訛りがそのままセリフに出ただけかもしれないけれども…。

また、福山演じる良多は、大会社でバリバリやって、都心の夜景が一望の(おそらく城東エリアの)高層マンションに住む勝ち組、という設定だが、その割には、良多一家の住いは、あまり大したマンションでもなかったなぁ、とも感じた。リビングもさして広くないし、作りもごく普通。ダイニングセットも何かチャチかった。「ホテルみたいなマンション」という割には部屋の作りやインテリアなど、見た目にイマイチな感じがしたのはワタシだけだろうか。(どうでもいい事に細かくて申し訳ないけれど)

そして、一番うーん、と思ったのは、子役の選定。息子役は二人とも演技か地かわからない自然さで、さすが子供使いの是枝監督、と思ったけれども、似ている、似ていない、という事で良多が心の中で葛藤したり(自分の子供時代の写真を出して琉晴の写真を見比べ、やはり似ている、というような顔をするシーンがあるのだけど…うーむ。似てるのか?)、双方ともに、近所の人から折々似てないと言われた、などというセリフが何回も出てくるのだが、取り違えられた息子たちが、育った家にどちらもしっくりと容姿から馴染んでいて、実の親の方に似たところがどこにも見出せなかったのは、映画の主題的にどうだろうか、という気もした。斎木(リリー)のところで育った琉晴がもっと良多に似ていないとあまり説得力がない。どちらかといえば斎木の息子として違和感がない。また、良多の家で育った慶多も、実は斎木一家の息子なのに全く似ていない。逆に、それが狙いで、結末への道筋を自然に辿らせるために、そういうキャスティングにしたのかなとも思うけれども、そのへんはどうなのだろうか。



ただ、見せ方としてうまいな、と思ったのは、始めて双方の一家が子供を連れて会ったシーンで、スーパーの中のフードコートで飲み物を飲んだ時、琉晴は、ストローの先端を歯でかじって折り、噛み潰すのだが、それは斎木(リリー)のやり方と全く同じなのである。噛み潰されたストローが並んだテーブルを、福山演じる良多が凝然としてみつめるシーンが印象的だ。

生まれてから6年というのは、子供の基本的な人格や習慣を形成する上でけっこう大きな時間だと思う。血よりも、環境が人を作るのかもしれない。たとえば、歌舞伎役者の子に生まれても、幼い時から修行を始めず、舞台にも立たずに普通に生活してきて、大人になってから父親が歌舞伎役者だから自分だって出来るだろうと、歌舞伎の真似事を始めても、そう簡単には身につかない。逆に、歌舞伎役者の家に生まれなくても、子供の時から弟子入りして修行した人の方がきちんと所作が身について、歌舞伎役者らしい役者になるのだと思う。血ではなく、環境なのだ。



***
突如、病院から6年前の取り違えについて連絡が来て、DNA鑑定の結果として厳然たる事実が差しつけられ、これまで育てた子供への愛惜と、実際の血を分けた子供への思いがないまぜになる2つの家族。親も煩悶するだろうが、何がなんだか分らぬままに家族ぐるみで付き会い始めた別の家族ができて、突如、明日からそこの家の子供になりなさい、と言われた双方の息子は全く可哀想である。子供だって6歳ともなれば、身に馴染んだ習慣もあるし、かくあるべき日常もある。見慣れた光景もある。突然、環境が全て変わって、明日からずっとそのままだ、と言われたって納得できるもんじゃない。何故?と尋ねて「何故でも」なんて返事をされても困惑は深まるばかりである。4月に入学したばかりの学校だって転校しなくちゃならないだろうし。(この学校については、慶多のお受験と新入学以降さっぱり語られなかったが、琉晴が東京に住んでいた間はどこの学校に通っていたのだろうか?)



大体、予想されたとおりの内容、トーンの映画だったな、という印象だけれども、クライマックスの、デジタル一眼レフのカメラに収められた写真の中で、良多と慶多の首を傾げる方向、角度が全く同じなのは、斎木と琉晴のストローと同様、息子の父親への強い愛(無意識に父親の癖が伝染している=父親のようになりたいという思い)を現しているのだろう。そういう、ささやかだけれども印象的な事柄に、息子の父親への想いをにじませたのが是枝裕和らしい演出だな、と思った。別れ際にカメラをいらないと言った慶多の気持ちがやっと分った良多。息子からの無言のメッセージに胸を衝かれるシーンは、本作のハイライトなので、やはりジンワリとした。



この二組の家族はそれきり会わなくなるのではなく、双方の息子を軸にして、赤の他人の家族なのに親戚のようにつかず離れず付き合って行くんじゃないかな、と思われた。お互いに納得していれば、そういうありようも可能だろう。他人の家で育つ実の子を折々に眺めつつ、自分は相手の家の子をいつくしんで育てる、ということも…。



***
チェンジ・オブ・ペース的に差し込まれた良多の会社の研究所のシーンで、研究所を取り囲む人工の林を見回る研究員として井浦 新が1シーンだけ登場する。外から飛んで来る蝉もいるが、この林で育った自前の蝉が幼虫から成虫になるまでに15年かかった、と言う。15年も!?と驚く良多に長いですか?と問い返し、不思議な微笑を浮かべる。1シーンしか出ないのに、妙に印象に残った。

コメント

  • 2013/09/30 (Mon) 16:34

    コンチハ。
    kikiさんの映画解説読んだだけでもう見た気分になります(笑)。
    ところで、スピルバーグがこの映画にいたく感動してDWでリメイクするとの事ですが、kikiさん的には“アリ”ですか?
    私は、未見だし何とも言いようが無いのですが、最近のハリウッドってオリジナリティに欠けるよね。やっぱり経済の地盤低下が問題なのかしら。

  • 2013/09/30 (Mon) 22:42

    ジェーンさん。 時々、ワタシのレビュー読んだら映画見なくてもみた気分になる、と言われるのだけど、それってあまりいい事じゃないかもですね。もう見なくてもいい、んじゃなくて、映画を観てみたくなるような記事を書かないと基本的にはイカンわけじゃない?ちょっと内容を書きすぎって側面あるかもね(まぁ職業的な映画ライターじゃないから別にいいんだけど)
    で、スピが手がけるハリウッドリメイクなんて、もう今からくさクサそうで辟易。見なくても想像がつく感じ。本作にはベタなところやクサいところは無かったですが、スピのハリウッド・リメイクと来たらもうねぇ。きっとクサクサ大行進でしょうね。ハリウッドはここ数年、よその国の映画のリメイクを頻繁に作りますね。ハリウッドに限らず、リメイクって一体なんだろうな、と時折思うのね。無意味って感じがしてしょうがない。イーストウッド作品の和製リメイクというのもねぇ。なんでそんなにまでして舞台を日本に持ってこないといかんの?と首を傾げたくなってしまったりしてね。(笑)

  • 2013/10/04 (Fri) 13:15

    kikiさん。ジェーンはkikiさんのレビュー大好きだよ。詳しい解説と鋭い論評。昔、角川のコピーに「読んでから見るか、見てから読むか」というのがあったよね。私はどっちでもOKだと思った。ミステリー映画でも結末知らされても腹は立たない。っていうか、本だと最後のページから読む邪道な私。クサクサ大行進。。ってお茶吹いた~~。ザ・シンプソンズのバートの口癖“ク○ク○ク○!”を想い出したし。ほんと、リメイクはほどほどにしてほしいですわね。

    kikiさんのレビュー読んで、見たいと思ったものたくさんあるよ。私は映画館で見ると後必ず体の具合が悪くなるという悲しい定めを持っているので、家で寝ころんで見るのが常。最近は映画よりドラマが面白いと思っているのでとても参考になります。「HOMELAND」もダミアン・ルイスがタイプじゃないし「24」の制作陣なのちょっと疲れるかな~と敬遠してたのだけどkikiさん解説でルパート・フレンド(ロシア・グルジア戦争を描いた「5デイズ」が良かった!)が出てると知って即見てみたの。私的に?の部分もあるけど面白かったです。シーズン3始まったね。
    そういえば、ニューヨークのホームズ「Elementary」がWOWOWで始まるってやたらネットで宣伝してるので第一話を見てみた。ルーシー・リューは好きだし主演の男子も結構はまってると思うけどこれどうしてホームズとワトソンの設定にしなきゃならないの?って正直思った。でも今後アイリーン・アドラーやモランそしてモリアーティも出てくるそうなので見ようかどうか迷ってます。
    “エレメンタリー”って言葉、それこそソ連版ホームズでのせりふ“エレメンタ~ルノ ドルーク モイ”(初歩だよ!我が友)が流行り、以来“初歩だよ”はロシア人がよく使う言い回しとなったそう・・・あ"、、、kikiさん後ずさりしてませんよね?

  • 2013/10/04 (Fri) 18:22

    ジェーンさん。
    映画を見なくても見たような気になる、と言ってくれる人は、良い意味で言ってくれてるってことはちゃんと分かってましてよ。でも、ワタシ自身は、見なくてもいいような気になるってのは、あまり良い事じゃないんじゃないか、と時折思ったりもするってことね。記事の書き方として。
    まぁ、ワタシのブログの常連読者の人は、多少のネタバレありでも一切構わずに記事を読む人が多いけれどね(笑)そんな事に神経質になる必要もないしね。
    ワタシ、大嫌いなのよ。ネタバレにやたら神経質な奴とか、映画館では儀式かなにかのようにエンドロールが出終って明るくなるまで座っていることを美徳としているような宗教的映画好きって。キモチわるいなり。

    最近、映画よりもドラマの方がずっと面白いですね。面白い映画に段々出くわさなくなってきたなぁ、というのは年々歳々、強く感じます。「HOMELAND」は先がますます楽しみだし、ルパート・フレンドの参加で明らかに面白味が増したものね。10月から放送が始まる「ハウス・オブ・カード」もかなり面白い感じ。…と、こうして楽しみなドラマは目白押しなんだけど、映画ってね。面白い、封切りが待ち切れない!というものは本当に少ないし、いざ、封切られて見てみても、期待したほどじゃないってのが、昨今あまりにも多くてね。映画を見終ったあと、あぁ、良かったな、見てよかった、と思える事が本当に少なくなってきたから、そういう気分を映画館で味わいたいんだけどねぇ…と、思う事が増えたざますわ。

  • 2014/08/10 (Sun) 00:50
    環境が人を作る

    ひとつだけ。
    たぶん、福山が本当にイヤな奴だったら、成立しないし、改心しないんじゃなかったかなと思いました。夏八木さん演じる父親のような人に育てられ、それなりに寂しい思いをして、愛情に飢えてて…だから仕事に存在価値を見出して、世間に対して勝ち組になることで自分を確立して生きてきて…

    自分の価値観に合わせて子供にも育って欲しいという、彼ならではの子供への愛情と向き合い方で生きてきて…でも、自分は寂しさを克服してきたつもりだったのに、克服したのではなくて、目をつぶっていただけだと…寂しさを抱えていたことに気がついて行けたのが、この事件をきっかけにした出来事だったのではないかと感じました。
    後妻への謝罪、母親を探して家出した思い出、看護師の子供の態度…リリー一家の子への接し方も含め、自分が抱えてきた寂しさを子供にも感じさせてしまっていたという後悔…自分が感じたことのある、そして諦めていた親への愛を、カメラに残された写真で思い出す…自分は諦めていた親への素直な愛情を、子供が撮った自分の写真を見て、抑えさせていたのは自分であり、抑えていた息子にかつての自分を見たんじゃないかなと…
    最初から最後まで、彼はイヤな奴というより、寂しい人間で、その寂しさに気がつけた事が、この映画の救いだった気がします。
    夏八木さん的な昭和のお父さんは、愛情表現が不器用で、そんな父に認められたくて頑張ってきたけど、自分も気がつけば…
    なかなか、自分を見つめることって難しいですけどね。

  • 2014/08/10 (Sun) 21:23

    なはさん
    この映画、とてもお好きなんですね。というか、凄く熱心に観られたんだな、と思いました。深く、作品の中に入り込んでおられますね。
    確かに、福山が演じている男は、イヤな奴というより寂しい人間だったのかもしれませんね。

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