♪ Love is a many splendored thing

-かつて、風の吹く小高い丘で-
1955年 作詞:Paul Francis 作曲:Sammy Fain



ふと思いつきで作ってみた新しいカテゴリ、「My favorite Songs」。
第1回目は、何故かベタベタ、大甘のスタンダード曲“Love is a many splendored thing”という事になったのだけど、なぜ1回目にこんなベタな曲を持ってきたかといえば、久々にナット・キング・コールのアルバムを聴いていて、中でも、物凄く久々にこの曲を聴き、そしてやっぱりなんだか良いなぁ、と思ってしまったからである。ただ、ワタシの場合、誰が歌ってもいい曲だと思うのではなく、あくまでもナット・キング・コールが歌っている場合のみ、この曲が良いと思えるわけなのだけど…。

「慕情(原題は主題歌と同じ“Love is a many splendored thing”)」という映画の主題歌として有名なこの曲だが、昨今では、映画の「慕情」を観たことのある人は、どんどん少なくなっているのではないかと思われる。いかにも50年代ハリウッド的な、古臭いメロメロのメロドラマである。香港を舞台にしたというところで極東のエキゾティシズムを盛り込んだところが当時としては新し味でもあったのだろうか。とにかく、今となっては、あの主題歌が無かったら映画史に名を残せたかどうか危ういような、戦争とロマンスを絡めた、涙、涙の悲恋メロドラマである。一応、混血の中国人女医であるヒロインの自伝がベースではあるようだけれど、原作と映画は微妙に異なるらしい。



ワタシはといえば、子供のころに民放でやっていた洋画劇場のどれかで放映されたのを一度観た、という感じである。主題歌のメロディだけは有名なので子供ながらに知っていたが、実際に映画を観ても、映画の中で流れてくる曲を聴いても(映画の中では主題歌はコーラスで歌われている)とくに良いとは思えなかった。なんだか古臭いなぁ、というイメージだった。ただ50年代の香港は、昔ゆえに、昨今よりも強いエキゾティシズムを放っていて、それだけは記憶に残った、という感じだろうか。

だから、「慕情」のテーマの事なども、コテコテのメロドラマの主題歌というだけの事で忘れ果てていたのだが、オトナになってからナット・キング・コールにハマり、CDで彼のアルバムを幾つか買った中に、この曲が入っているものがあり、ナット・キング・コールの歌で聴いて初めて、あぁ、確かにいい曲だったのだな、と気づいたのだった。この人は「キサス・キサス・キサス」など、ラテンの曲のカバーもいい味を出しているものが多いけれど、特に自前の曲というわけでもない、誰でも知っているスタンダード曲を歌って、聴き古した曲をキラキラと輝かせてしまう魔法の力を持っていて、“Stardust”も、“Love letters”も、この人の持ち歌というわけでもないのに、今では彼の歌唱が定番になっている気もするスタンダード曲である。 
“Love is a many splendored thing”も、そんな彼の魔法の力が輝かせた曲の1つだとワタシは思う。



世間的に、この歌でもっとも定番的だと思われているのはアンディ・ウイリアムス盤ではないかと思うけれども、アンディ・ウイリアムスの歌だったら、この曲はワタシの耳を素通りしていただろう。いわゆる甘ったるい、イージー・リスニング的な、ありがちな映画主題歌として、BGMのように流れ去っていったに違いない。ちなみに、この曲で最初にレコードを出したのはフォー・エイシズという男性コーラス・グループだったらしい。
アンディ・ウイリアムス以外にも、シナトラも歌っているし、エンゲルベルト・フンパーディンクなどもカバーしているようだ。(フンパーディンクについて、村上春樹が何かの小説の中で、「トム・ジョーンズの醜いクローンであるエンゲルベルト・フンパーディンク」と言い放っていて、かなり笑った。ヒドい)また「ロシアより愛をこめて」の主題歌を歌った事で有名なマット・モンローもこの曲をカバーしている。マット・モンローの歌唱は、シナトラよりもナット・キング・コール寄りの味わいで悪くはないが、コールの歌を聴いたあとでは、その印象を凌駕するものではない。ちなみに、マット・モンローはイギリス出身で、声質がシナトラに似ているので、イギリス版シナトラ、と呼ばれたらしいが、あまり風采は上がらないけれども声が良く、ムーディな歌を得意とした、という点で、イギリスのフランク永井という感じもする。

シナトラ盤がいい人もいるだろうし、アンディ・ウイリアムスが良いという人もいるだろう。それぞれの好みで聴けばいいわけだが、ワタシは断然、ナット・キング・コールである。まず第一に、あの声である。低くてやや枯れたセクシーな声。その上、この人の歌い方はメリハリがあって、しかもサラリとしている。押し付けがましくないのに、十分にロマンティックであり、センチメンタルである。そして曲のアレンジともども、今聴いても全く古さを感じないのだ。ワタシはこの人の歌でこの曲を聴いて、“Once on a high and windy hill”のところで、初めて、風の吹く小高い丘を脳裏に思い浮かべた。二人の男女の思い出の丘、そして、最後は1人でありし日の思い出を噛みしめる丘の光景を。

キング・コールの歌を聴いていると、かつて2人で登った風の強い丘を、今は1人で登り、そして丘の上の木の傍で風に吹かれながら1人思い出をかみしめる女の姿が浮かんでくるから不思議である。



一度だけしか観ていない古い映画のシーンが、ちゃんと脳裏に甦ってきて、しかも映画を観た時よりも、ずっとヒロインの心情にシンパシーを感じられるから奇妙だ。ワタシは、ウィリアム・ホールデンもジェニファー・ジョーンズも全然好きじゃない上に、映画そのものも古臭くてなにがどうというシロモノでもなかったので、「慕情」というのは本当にどうでもいい映画なのだけど、子供の頃にTVで適当に流し観たその映画のシーンが、ナット・キング・コールの歌を聴いていると、ちゃんと脳裏に浮かんでくるのである。

そして、“Yes, true love's a many splendored thing”というシメの部分で、コールが高らかに声を張ると、晴れ晴れとした青空の下の悲しみのようなものが胸に去来する。これはプッチーニの「ある晴れた日に」を聴いていても、特に出だしの “Un bel dì, vedremo levarsi un fil di fumo”(ある晴れた日に 海の彼方にひとすじの煙が上る)のところと、末尾の “io con sicura fede l'aspetto.”(私は信じて待つの)のところで必ず湧き起こる感興だけれども、同じようなものを、ナット・キング・コールが歌う “Love is a many splendored thing” を聴いても感じるのである。

ただ、「ある晴れた日に」の場合は、プッチーニ先生の溢れる才能により、ほぼ歌手を選ばず、誰が歌っても、また、歌なしのインストゥメンタルの場合でも、毎回、同様の感興を覚えるが、“Love is a many splendored thing” については、ワタシの場合、ナット・キング・コールの歌でなければ何も感じない。でも、それこそは歌手の力、歌唱の魔法にかけられることの至福ではないかとも思ったりする。でも、なんでキング・コールの “Love is a many splendored thing” を聴くと、プッチーニの「ある晴れた日に」を何となく思いだすのだろう?と思ったら、作曲者のサミー・フェインは、「ある晴れた日に」を参考にこの曲を作曲したらしいという事が分かった。極東の地で、海を見下ろす小高い丘の上、アジア系の女性と白人男性とのロマンス、などの共通点もあるし、蝶々さんをベースにするというのはイマジネーションが湧き易かったのかもしれない。フェインはわずか2時間で作曲し、第28回のアカデミー映画音楽賞、歌曲賞を獲ったとか。コスパが良い。

Youtubeで Love is a many splendored thing で検索すると、いろんな歌手が歌っているものが出てくるので、ご興味のある方は、聴き較べてみるのも一興かも、でございます。

コメント

  • 2014/03/28 (Fri) 16:47

    kikiさん、こんちは!
    亀レスですが・・・。
    私もこの曲好きですよ。でも歌い手は誰であってもかまいません。勿論ナット・キング・コールは素敵ですが、マット・モンローでもシナトラでも。あ、でもホセ・カレーラスのを聞いた時はちょっと違和感がありました(笑)。映画のエンドに流れる合唱も好きです。
    子どもの頃から何度も観た映画でした。「慕情」と言えば♪Love is〜が頭の中で鳴り響き、ジェニファー・ジョーンズに憧れたものです。だって黒髪でチャイナドレスだったら日本人としても張り合えるかな、なんて思えてww この題をモチーフにした抽象画を描いて部屋に飾ってました〜。小学校の図工の時間では「ブルーライトヨコハマ」を題材にしたサイケ(死語か)な絵を描いて担任を困らせましたっけ。で、この記事読んだ頃たまたまbsで「慕情」がかかったので久しぶりに観てみた。kikiさん仰るとおり甘ったる〜いメロドラマでなんであんなに憧れたのだろうって気分になってしまいました。

    そうか、「蝶々夫人」を参考に作曲されたのね。確かに「ある晴れた日に」と雰囲気がよく似てますね。作曲家の西村朗と吉村隆の対談(面白い!)読んでたら『アメリカ文化はオペラというヨーロッパの滅びかけた舞台芸術をミュージカルという形で再生させた。オーケストラは映画音楽という世界で、ちがった形ながら再生させた』で『結局現代においてオペラに相当するのはハリウッド映画』と言ってます。「蝶々夫人」→「慕情」→「ミス・サイゴン」って良い例かも。それから印象的な話として『オペラは単純にして深い。演劇でやったら退屈になる』『題材が良すぎると音楽の出る幕はない。音楽なんかなくても劇として成立する』等々(『西村朗と吉村隆のクラシック大作曲家診断』より)だからベタなメロドラマの方がオペラやミュージカルには良いのね。納得!

    そういえば林望がロンドンで「ミス・サイゴン」を観た時の嫌悪感(そこはかとない人種差別に対して)を綴ったエッセイがありました。途中で席を起ったんだっけ。でも周りの紳士たちは満足げにヒロインを哀れんでたそう。リンボウ先生イギリス礼賛ばかりではなく批判もちゃんとするんだ!って思った事でした(笑)

    私、香港映画でサミー・チェンとアンディ・ラウのコンビが繰り広げる一連のスクリューボール的コメディが好きで中でも「マジック・キッチン 魔幻厨房」がお気に入りなんですが、一瞬だけあのヴィクトリア・ピークと思しき場所(あの丘の木の・・・)でサミーがジェリー・イェンとピクニックしてるとこが出て来て「慕情」へのオマージュかな、ふふふって感じでした。今でも香港では観光案内で「慕情」のこと話題にするのかな?

    kikiさんのブログ読んでるとついつい追想にふけってしまいます。
    今後も“My favorite songs”楽しみにしています☆



  • 2014/03/29 (Sat) 22:44

    ジェーンさん。
    この歌お好きですのね。誰が歌っててもOKなんだ。そうか。ワタシはやっぱりナッキンコーじゃないとグっと来ないですが(笑)
    ホセ・カレーラスとか、プラシド・ドミンゴが歌うと大向こうに見得を切るような歌い方になって、やや巻き舌だったりもするので違和感がありそうですね。そうも、まっこう微塵に歌い上げられても気恥ずかしいというか、ね。
    この映画をモチーフに抽象画を描かれたりもしたざますか。そんなに筋金入りのファンだったんですね。へぇ~、ちょっとビックリなり。

    そうなの。「ある晴れた日に」と、「Love is a many splendored thing」って曲想が似てますよね。すごく晴れ晴れとしているけど哀しみが漂っているという感じね。オペラのアメリカナイズされた形がミュージカル、というのは、その通りでしょうね。ただ、ハリウッドでも、ひところのような純然たるミュージカル映画は殆ど作られなくなったけれども。お話はベタな方が音楽が乗り易い、というのも、そうだろうと思います。筋が込み入ってたら歌なんかで表現できないものね。

    香港では、一応やっぱり「慕情」の舞台になった場所に行けば、そういう説明はするんじゃないですかね。分らないけど何となく。狭いところだし、そう幾つも名所があるわけじゃないし、主題歌が有名だから、いまだに紹介はしそうだな、という気がしますわ。

    ワタシのブログは昔の映画なども多いので、追想を呼び易いのかもしれませぬね。別に過去にばかり目をむけているわけじゃないんだけれど、新しければいいってもんじゃない、というのは昔から変わらないスタンスです。
    “My favorite songs”、また、これについては書いておきたい、と思う曲が脳裏に浮かんだら書きますね。

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