「トランス」(TRANCE)

-魔女たちの飛翔と記憶を操る女-
2013年 米/英 ダニー・ボイル監督



ダニー・ボイルとジェームズ・マカヴォイが組んだクライム・サスペンス。ダニー・ボイルはその昔、ユアン・マクレガーと組んでユニークな作品をあれこれと世に送り出していた。ユアンとのコンビを解消してからも「スラムドッグ$ミリオネア」でアカデミー賞を獲ったりしたが、ワタシはこれにはサッパリ感心しなかった。続く「127時間」は面白かったが、さて、今回、マカヴォイ先生と組んだ「トランス」はこれいかに?と劇場に観に行ってみた。

とあるオークション会場で、ゴヤの「魔女たちの飛翔」がオークションにかけられていた。「魔女たちの飛翔」はその日の目玉で、価格は競売会社の思惑通りに競りあがった。ところに客に化けた窃盗団が行動を開始。競売会社の社員サイモン(マカヴォイ)は、実は窃盗団の手先で、美術品を窃盗団の首領フランク(ヴァンサン・カッセル)に裏で引渡す筈だった。が、サイモンは何故か抵抗し、フランクに殴り倒され、絵画は奪われるが、後でフランクがケースを開いてみると、そこには絵を刳り貫かれた額縁だけがあった。ゴヤの絵はどこに消えたのか?フランクに殴られて脳内出血を起したサイモンは一命を取りとめるが、短期記憶喪失になっていた。拷問してもいっこうに埒があかぬため、フランクらはサイモンをセラピストの催眠療法(トランス)にかけることにするが…。



と、いうわけで、窃盗団の首領フランクでヴァンサン・カッセルが出てきた時点で、なんかこの首領、頼りないわね。裏をかかれそうだけど大丈夫かしらんなどと心配になったりする。ヴァンサン・カッセルは、当初は黒いスーツでキメて、細身でクールにカッチョよく現れ、盗んだ絵画をもって、さっと逃走するのだが、案の定、鉄板の悪役/首領ではなく、なんとなく間が抜けていて、変なところでツメが甘かったり、お人よしだったりする。実に毎度ながらのヴァンサンの役回りである。でも、背も高いし、ラクダに似た面差しに変な愛嬌のあるヴァンサン。どことなく21世紀のアンソニー・クインという趣もなきにしもあらず。嫌いじゃない。憎めない。この人はダイナマイトボディのイタリアのセクシー美女モニカ・ベルッチを妻にしていたが、昨今、二人はすれ違いのあまりに離婚してしまったようだ。残念。ともあれ、天下の美女モニカ・ベルッチを妻にしていただけあって、ヴァンサンは二枚目ではないが奇妙な魅力がある(本作にも、その変な魅力の一端が迸っていたような気がする)。J・P・ベルモントの後継者という感じもある。悪役が多い気がするけれども、幅広く活躍していかれる資質を持った人で、年を取れば取るほど良くなっていくタイプかもしれない。



対するマカヴォイ先生は、いつものように青い目に赤い唇の生贄の子羊みたいな風貌で、つもり積もった博打の借金を返そうとして美術品の窃盗を企てたものの…という賭博好きな競売会社の社員を演じているが、今回は、その生贄の子羊みたいな風貌はどんでんの為の隠れ蓑である。ダニー・ボイルは、俳優のルックスや持ち味を順手、逆手で使って、ストーリーに捻りを加えている。



生爪をペンチで剥がしても、絵のありかを思い出せないというサイモンに業を煮やしたフランクは尚も拷問にかけるのはやめて、セラピストの催眠療法で、サイモンから絵のありかを聞き出す事にする。サイモンに選ばせたセラピストはエリザベス(ロザリオ・ドーソン)だった。滅多なことには動じなさそうな落ち着きをもつエリザベスは、あっという間にサイモンが脅されている事に気づき、フランクらと直談判を始める。タダモノではない雰囲気を漂わせるエリザベスは何者なのか…。

というわけで、サイモンの記憶の闇に埋もれたゴヤの絵画「魔女たちの飛翔」の行方をめぐるサスペンス。セラピストで登場するロザリオ・ドーソンが何かしらワケアリなのはすぐに分るけれども、サイモンの記憶を掘り起こしていく途中で人間関係が怪しく錯綜し、被害者と加害者が入れ替わったりするのが面白いところだ。

主演の3人、マカヴォイ先生、ヴァンサン・カッセル、ロザリオ・ドーソンの誰にとっても演じ甲斐のある役で、誰にとっても役者として損はなかっただろうところが、なかなかよく出来ている。マカヴォイ先生は生贄の子羊ばかりが能じゃないところを存分に見せつけ、ヴァンサン・カッセルは悪ぶっていても憎めない男という、男としての可愛らしさのようなものをアピールでき、ロザリオ・ドーソンはセクシーかつミステリアスという女優にとっては咽喉から手が出るほど欲しいような美味しい役どころをダイナマイトボディと冷静な声という持ち前の武器をフル活用して演じる事ができた。



催眠術というのは、あんなに自由自在に人の意識を操れるものだろうか。かかり易い人とかかり難い人といるだろうけれども、かかり易い人の潜在意識を操るのは赤子の手を捻るよりやさしい、なんて事だとしたら、操られないようにするのはなかなか大変である。

マカヴォイ先生のファンにとっては、ちっとショッキングな筋立てでもあるかしらん。ふふふ。でも思いっきりやってたわね。先生ったら。俳優としては、いつもと違う役を演じるのはきっと凄く楽しいに違いない。なんか楽しそうだったなぁ、マカヴォイ先生。体も思いなしか頑張って鍛えてあったようにお見受けした。あまり彼が鍛えている事の意味はないのだけれど…。

昨今、俳優はちょっとでも脱ぐシーンがあると、ある程度は大胸筋だの上腕二等筋だのが出ていないと、観客は言うまでもなく、同業者に対して恥ずかしいというような気分になっちゃうのかもしれない。マカヴォイ先生のような非肉体派俳優ですら、とりあえず鍛えてしまうのだから、他は推して知るべしである。俳優はきちんと演じられる上に筋肉があってナンボ、という世界的な潮流もあるだろうし、ハリウッド映画に一度でも出たら、俳優は老人以外は体を鍛えておくべし、というような空気を感じるのかもしれない。今回の役では、マカヴォイ先生の大胸筋などは特に鍛えておく必要などは感じなかったのだが、先生は割に鍛えた体でシャツレスになっていた。無論のこと、ヴァンサン・カッセルも誇らしげに腹筋を刻んだ体をスクリーンにさらしていた。ロザリオ・ドーソンがダイナマイト・ボディだったので、なおのこと絡む俳優は恥ずかしくないように鍛えておく必要があったのかもしれない。つくづくと、俳優は肉体が武器であり、商売道具なのだなぁ、などと、改めて思ってしまった。

***
序版で、盗まれてしまって今日に至るまで出て来ない絵画のひとつとして、レンブラントの「ガラリアの海の嵐」という絵画が紹介されていた。嵐に揉まれる船の乗組員の1人として、レンブラントが自分を描き込んでいる絵である。1990年にこの絵を所蔵していた美術館から盗まれて以来、杳として行方がしれないままらしい。盗まれた名画といえば、1911年に、あの「モナリザ」も一度ルーヴルから盗まれた事があったようだ。今から思えば、よく戻ってきたものだと思うけれども、そのまま闇に消えていたら、誰も二度と本物を見ることができなかったわけなのだ。つい最近もオランダの美術館から盗まれたピカソやモネの作品が、発覚を恐れて燃やされた可能性があるというニュースが出ていた。美術品窃盗犯というのは、映画や小説などの影響で、他の強盗などよりも幾分エレガントなイメージがあるけれども、世界的な美術品を人々が平等に目にする機会を永久に奪い去るという点で、かなり赦しがたい罪人といえるかもしれない。ましてや、発覚を恐れて、証拠隠滅のために犯人の母親が盗まれた絵を焼いてしまうなんてことが起きると、その絵は永久に闇に葬られてしまって、金輪際、陽の目を見なくなってしまうのである。

今回、盗まれたという設定で使われたのは、ゴヤの「魔女たちの飛翔」だ。この絵には色々な寓意が籠められていそうだし、ダニー・ボイルはこの絵から、本作のインスピレーションを得たらしい。ゴヤといえば、一番有名なのは「裸のマハ」「着衣のマハ」という2枚のマハ像かもしれないが、ワタシにとって最もインパクトがあったのは「我が子を喰らうサトゥルヌス」である。自分の息子を頭からバリバリと食べる巨人の図なんて、悪夢以外の何ものでもないが、物凄いインパクトで一度観たら到底、忘れられるものではない。
そんな強烈な絵を描くゴヤの「魔女たちの飛翔」とは、以下のような絵である。



画面の下中央に白い布を被った男が描かれているが、これはこの映画においては、マカヴォイ先生が演じたサイモンそのものであるらしい。では、画面の上半分、3人の魔女に抱えられて宙に浮かんでいる男は誰なのか。また、耳を塞いで地面に倒れ伏している男は誰なのか…。ヴァンサンは魔女に抱えられて宙に浮いている男であろうかしらん。それとも、画面下右端のロバ?

記憶の闇と、その記憶を操るトランスの綾なすサスペンスで、最近の映画の中では面白かった。ロザリオ・ドーソン演じるセラピストのエリザベスは何故、「魔女たちの飛翔」が欲しかったのだろう。そのへんの説明が不足していたような気もするが、なんでも積み木でも片付けるように明快に説明されても興ざめな時もある。その程度のささやかな謎は残しておくべきかもしれない。

***
サスペンスとしてそれなりによく出来ていて面白かったし、静かな部屋でセラピストと対峙し、耳に心地よい声で、あなたは今、○○しています…なんて催眠にかけられて、ある事ないことしゃべってみたい、という衝動をうっすらと観客に植えつけられるだけでも、この手の映画としては上出来じゃないかと思う。殊に男性は、セクシーな女性のセラピストに心地よい声で深層心理を操られたい、なんて気分になってしまうのではなかろうか(下手すると大ヤケドですけどね。飛翔する魔女の生贄にされぬようにご用心)。



ワタシとしては、それに加えて、ヴァンサン・カッセルってなんとなくカワイイな、などとも思ってしまった映画でもあった。

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