「ハウス・オブ・カード」(HOUSE OF CARDS)

-策謀の果てに待つものは何か-
2012年 米  Media Rights Capital他 デヴィッド・フィンチャー監督



デヴィッド・フィンチャーが初めてプロデュースしたTVドラマ。主演にケヴィン・スペイシーを迎え、権力の中枢・ワシントンの裏側でうごめく野望と裏切りのパワーゲームを、復讐に燃える一人の男を通じて描く。梗概と主演俳優を知った時から面白いに違いないと期待していたが、やはり期待にたがわぬ面白さだ。こういうドラマに違いない、と思った通りのドラマで、ケヴィン・スペイシーは当り役を得て久々に活き活きして見えた。
2013年1月。アメリカで新政権が誕生する。新大統領の選挙戦への貢献で国務長官のポストを貰えるはずが、大統領と首席補佐官の裏切りで約束を反故にされ、下院の院内幹事に留め置かれたベテラン議員フランシス・アンダーウッド(ケヴィン・スペイシー)は、この屈辱をけして忘れまい、とひそかに復讐を誓う。煮えくり返る腹を押さえて、引き続き下院の院内幹事という縁の下の力持ち役に徹する風を装いつつも、その日から、フランシスの陰湿で粘り強い復讐のパワーゲームの火蓋は切って落とされたのだった…。



というわけで、もう、ケヴィン・スペイシーのために書かれたような老獪な議員役を、いかにもな雰囲気で余裕綽々に演じるスペイシーは久々の本領発揮。これは縦から見ても横から見ても、ケヴィン・スペイシーのための役だろう。根っから政治家のようなフランシス・アンダーウッドが、折々、心の中の囁きを声に出してカメラ目線で視聴者に語りかけるのが、このドラマらしい演出だ。言うまでもないが、常にフランシスの口と腹の中は別である。

また、「野望・野心」という強い絆で結ばれたフランシスの妻・クレアにはショーン・ペンと別れて姓から「ペン」がとれたロビン・ライトが、クールなマキャべリストの妻をアグレッシヴかつエレガントに演じていて適役だ。本作でのロビン・ライトはきつい化粧に独特なショートヘアで、どことなくシャロン・ストーン風味でもあるが、しかし、クレア役をシャロン・ストーンが演じたのでは品がなさ過ぎて不適だったろう。年を取って、顔にやや険の出てきたロビン・ライトだが、この人のクールで知的な雰囲気は、今回の役にもよく生かされていると思う。ケヴィン・スペイシーとのコンビネーションも良い。



慈善団体を運営する妻クレアと、下院の実力者であるフランシスは互いに互いの仕事と存在をカバーしあいつつ、上昇志向で結びついた夫婦である。彼らはいわば同志的な夫婦であり、精神的に双子のように似ている。あまりに強く野望で結びついているために、もはや肉体的に結びつく必要がないのではないかと思えるほどだ。しかし、夫婦はともに相手を唯一無二の存在だと思っているし、互いを最高の助言者だと思っている。自分のパートナーにふさわしい相手だと満足している。野望のためには手段を選ばないような二人ではあるが、妻は誘惑があっても、今のところ最終的に踏みとどまって夫を裏切らない。夫は野望ついでのいきがけの駄賃のように、若手記者ゾーイと寝るが、同じく野望のためだとしても妻が他の男と寝ることは許さない。そういう気配が漲っている。そして、何もかもお見通しのこの夫をたばかる事は、到底不可能だと賢い妻には分かっているのだ。



体に贅肉をつけぬように気を配り、ジョギングを欠かさない妻クレアは、夫の体型にも妥協を許さない。腹の出てきた夫に、ボート漕ぎ運動のマシンを買ってエクササイズを促す。人にそういう事を押し付けられるのが大嫌いなフランシスも当初は抵抗したが、ある時から黙ってボート漕ぎマシンを使うようになる。このドラマを見ていると、フランシスは少しヒマがあるとせっせと地下室に設置されたボート漕ぎマシンで運動をしているようだが、さっぱり痩せないどころか、余計に腹が出てきているように見えるのは気のせいか。ケヴィン・スペイシーも年のせいでか、「アメリカン・ビューティ」の時ほど、エクササイズ効果を演じる人物の体に反映させることができなくなっているのかな、とニヤっとした。

自分を裏切ってただ働きをさせた大統領と主席補佐官に思い知らせるため、フランシスは水面下で行動を始める。野心で充満した駆け出しの政治記者ゾーイ(ケイト・マーラ)に、教育法案の内容をリークして記事を書かせ、教育長官を陥れて後釜に座る。また、麻薬や不倫、アル中などの火種を抱えた若手議員ルッソの弱みを握って操り、陰謀の為の手駒として自在に動かし、利用する。貧しい生い立ちから身を起こして下院議員になったものの、精神的な弱さを抱え、酒やドラッグや女に逃避した挙句に、そんな秘密をフランシスに握られてしまい、いい様に追い使われる悩み多き議員ルッソは、毎回、悪魔のようなフランシスに無理難題をふっかけられて実に気の毒としか言いようがない。弱い生き物をあんまりいたぶると自殺しちゃうよ、とハラハラする。あるいは窮鼠猫を噛むってことにもなりうるよ、なんてね。


操り人形の悲哀に満ちた悩み多き若手議員ルッソ

野心満々の駆け出し政治記者ゾーイを演じるケイト・マーラは、「ドラゴン・タトゥの女」でハリウッド版リスベットを演じたルーニー・マーラの姉。「サイド・エフェクト」のレビューにも書いたけれども、妹ルーニーの方が万人受けするタイプの美人で、ケイトはとにかく鼻柱が強くて猛烈に生意気そうな感じがする。そういう彼女の持ち味が、このゾーイ役には100%生きている。この記者ゾーイの存在が、そのうちフランシスにとっての獅子身中の虫となるのかどうか…。



表面は何食わぬ顔をしながら、人知れず強大な権力を握る為の布石を着々と打っていくフランシスだったが、常に順風満帆というわけでもない。3話目では、彼の地元で、ある交通事故をキッカケにフランシスを引き摺り落とそうと画策する人物が現れ、重要な法案の審議を放り出して、故郷に火消しに向うフランシスが描かれる。強硬なネガティブ・キャンペーンを打たれつつも、いかなる時にも動揺しない老練さで、老獪な術策を弄して鮮やかに窮地を脱するフランシス。政治家というのは、役者以上に演じる事が天性でなくては務まらない稼業だとつくづく思う。口とお腹は常に別で、怒ってもいないのに怒るフリをしたり、毛筋ほども同情していないのに、いつでも涙を流す事ができ、掃き溜めのような過去を、人前では世にも美しい思い出に変える事ができなくてはならない。それも、なんら無理をせず、呼吸するように自然に演じて、人心を操れなくてはならないのである。そういう事が芯から楽しく感じられるような人間でないと政治家などは務まるまい。フランシスはまさにそういう男である。実にタフで、煮ても焼いても食えない。こんな男をニンジンで釣って、いざとなったらニンジンをやり渋るような事をしたら、本当に後が怖いだろう。ワシントンのような、人の心がはかりがたい、何が本当で何が嘘かなど誰にも分らない権謀術数にまみれた場所だからこそ、肝心要の、それだけは外してはならない約束は守られなくてはならないのだ。それを紙くずでも捨てるように反故にされたら、こんな執念深くて老獪な男が黙って泣き寝入りなどするわけがない。



***
これまでのところ、フランシスの計画は着々と進んでいるように見える。まだ誰も彼の腹黒い画策に気付いていないし、何か彼の行く手を阻むものが出てきても、排除して進み続けている。しかし、そのまま進んでいかれるものだろうか。どんな人間でも、ずっと勝ち続ける事などできないのだ。そうそう毎度、計算通りになど行くわけがない。他人に強いた無理は、そのうち自分に還って来るのだ。フランシスにもいつか蹉跌が巡ってくるのか。それともカタストロフが来る前に勝ち逃げできるのか…。どちらもありそうな雰囲気のドラマで、この先、どういう方向に進んでいくのか興味深い。

まぁ、このドラマを見なくてもワシントンというところは、そういうところに違いないとは思っていたが、洋の東西を問わず議員というやつは、次の選挙に当選するために地元に利益を齎すことを優先し、机の上で互いに手を握りあいながら、机の下ではむこう脛を蹴りあったりしつつ、姑息な計算をしたり、腹黒いたくらみ事をしていたりするわけなんだねぇ、と今更に思うわけである。三島由紀夫は「本物の権謀術数は絹のような手触りを持つべきだ」と書いたが、フランシス・アンダーウッドのそれは、絹の手触りを持っているのか、それとも化繊なのか…。
それはそれとして、約束のポストを貰えなかったからといって、以降、私的な復讐のためだけに政治活動をされたのではたまったものじゃないけれどね。もっと大局的な視野を持たんか。税金使ってパワーゲームにいそしむなかれ。いまに痛い目を見るぞよ。

と、4話目まで見たところで、早くも予想通りの面白さにニヤニヤしているワタクシだけれど、シーズン1は全13話あって先はまだ長い。デヴィッド・フィンチャーとケヴィン・スペイシーが組んだだけのことはある、見応えのある人間ドラマだ。来年はシーズン2が放映される予定らしい。今からこんなに面白くてこの先どう話を転がしていくのだろうと気になってしまうが、じっくりと拝見していこうと思う。大予算を投入して制作されているが、USではネット配信方式で視聴されているドラマだというのも面白い。原作はマイケル・ドブスの小説で、元はイギリスの政界が舞台。道理で権謀術数がテーマなわけである。1990年~95年にかけてBBCで三部作としてドラマ化(邦題「野望の階段」)もされている。これも出来が良かったらしいのだけど残念ながら未見だ。今回の放映に便乗して、そのうちどこかから放映されそうな気がするけれど、どうだろうか。何はともあれ、この「ハウス・オブ・カード」も「ステート・オブ・プレイ」などと同様に、元はUKのものをUSでリメイクした作品なのである。どうも作品の空気感や持ち味が、純正のアメリカ産とは異なると思ったら、そういう事だったのか。これはますます先が楽しみだ。まずはUSリメイク版をじっくりと楽しんで、機会が巡ってきたら、オリジナルのUK版も味わってみたいと思う。

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