「讃歌」

~ドSとドMの三昧境~
1972年 近代映画協会 新藤兼人監督



いわゆる「春琴抄」ものの映画化を最初に観たのは、山口百恵が主演のアイドル映画が最初だったと思う。佐助はあの三浦友和なのは言うまでもない。が、百恵は「伊豆の踊り子」みたいな旅芸人の娘とか、山番の娘とか、島の娘とか、総じてそういう庶民や日陰の娘にはハマるのだが、贅沢に育った傲慢な女とか、臈たけた高貴な女性とか、そういうのは、ちっと無理だなぁと子供心にも思った記憶がある。
で、この「讃歌」はリアリスト・新藤兼人が独立プロの低予算の中、彼らしい視点で存分に撮った「春琴抄」の映画化作品で、綺麗事でごまかしていない「春琴抄」映画。16、7の頃、TVの邦画枠で放映されたのを観たきりだったのだが、昨年CSで放映されたのを録画しておいて随分久々の観賞。
「春琴抄」の最初の映画化は田中絹代主演の1935年の松竹作品「春琴抄 お琴と佐助」だろうと思うのだが、田中絹代の伝記を読んだ時、この映画のスチール写真が載っていた。目を瞑り、切り下げ髪に被布を着た若い絹代の春琴がちょっと綺麗に見えたので、後年、もの好き心を起こしてVTRを買ってみた。田中絹代も庶民派ではあるが、なにぶん戦前のスターなので百恵よりは春琴にハマって見えた。この映画の監督は島津保次郎で、「盲目でも目が利かなければ」と言って、毎日メイクが一通り終わった絹代の閉じた瞼に、自ら筆で薄墨をすっと引いて仕上げた、というエピソードがなんとなく気に入っている。

 絹代の春琴

その他、山本富士子が春琴を演じた大映版「お琴と佐助」(1961年)もあるが、これは未見。なんとなく観るまでもない気がする。

新藤兼人の「春琴抄」は、なんせ独立プロ作品なので、春琴の衣装などに、いかにも低予算な気配がにじみ出ているし、春琴を演じている渡辺督子という女優もこの作品以外では観たことがない。(フィルモグラフィをチェックしたらロマンポルノ系に多く出演していた。お目にかからないわけである)が、春琴と佐助の(主に精神的な)ドSとドMの関係性をリアリズムをもって容赦なく描き、春琴という女の、とり澄ました顔でいながら独善的で、好色、美食、吝嗇であるという面などをオブラートにくるまずに描くには、もってこいなキャスティングだったと思う。下手にスター女優などを配すると、思う通りの映画を作れない可能性は大。綺麗ごとはダメなのだ。だって、新藤兼人だから。

 渡辺督子の春琴

つい最近作られた「春琴抄」の最新作(金田敬監督)でも、春琴はクレオパトラのようなおかっぱ頭のようだが、春琴をおかっぱ頭にしたのはこの「讃歌」が最初。絹代は切り下げ髪、百恵は小振りなももわれと、それまでの映画では春琴は髪を結っていた。春琴がおかっぱ頭であるというのは、低予算だからというわけではなく、芸をもって自立し、結婚で男に隷属することもせず、徹頭徹尾好きな事だけをして過ごし、唯一芸の道にはとことん精進するという、因習に捉われない自我の強さと、自分の個性を押し通す女のありようを表現するのに効果的だったと思う。

春琴を演じた渡辺督子はあまり知られていないが、佐助は河原崎三兄弟の次男・河原崎次郎が扮し、実直で春琴の奴隷として尽くしぬく事に至上の喜びを感じる男にハマっていた。その他、脇は新藤兼人らしい味なキャスティングが目白押し。
春琴の師匠・春松検校に殿山泰司(泰司としてはクセなしで、ただ顔見世だけという感じ)。春琴の母に初井言栄、父にはなんと武智鉄二!あほボンの利太郎に原田大二郎、確か、原作には出て来ない語り部の女中に乙羽信子が扮して、ふてぶてしい白塗りのお化けのような老女になった姿で、知られざる春琴と佐助の物語を断片的に語って行く。


新藤作品では常に汚れ役の乙羽信子 殆ど妖怪状態

何しろ、この映画はリアリズムなので、他の映画ではごまかしてきた描写も手抜きをしない。
うんうん言いながら有馬温泉で佐助の子を産むシーンや、道端で尿意を催した春琴が佐助に見張らせておいて、横丁で裾をまくって用を足すシーン、畳敷きの厠(トイレ)で用を足し、佐助に始末をさせるシーン、風呂で体を入念に洗わせるシーン、床に横たわって脚を投げ出し、佐助にマッサージをさせるシーン、マッサージの後で性欲も満足させるシーンなど、リアリズムをもって手抜きをせずに描いていく。原作にもあったが、春琴のトイレは特別製で、二畳程度の畳敷きの部屋の中央に木製の便器があり、下は床下になっていて、そこに蒔絵の不浄箱が置かれてある。その箱の中には小鳥の羽を敷き詰めてあり、排泄物はその羽の中へ音もなく吸収される。用が終わると一回一回、佐助が箱を取り出して、庭の片隅に排泄物を埋め、そして再び箱の中に小鳥の羽を敷き詰めてトイレの床下に置いておくのである。こういう形式の厠は桂離宮にあったらしい。世界一優雅な厠であると原作にも書いてあったと思う。このあたりの厠のシーンまできっちりと映像化しているのは新藤兼人の面目躍如。
それまでの表面だけをかいなでた映画化作品に飽き足らず、そういうところをきっちりと映像化したいので、映画化を思い立ったんだろうなぁと推察されるわけである。

 嬉々として春琴の排泄物を処理する佐助

この老女となった語り部の女中に話を聞くインタビュアーが新藤兼人本人で、「佐助さんの尽くしようは度が過ぎて、変態的ですねぇ」と言うと、乙羽信子の女中に「それを変態というあんたが、一番変態なのと違いますか?」と切り返されるシーンに笑った。自から変態だという事をちゃんとカミングアウトしている。さすが、新藤兼人。

主演の渡辺督子は痩せ型、長身の植物的な体つきで、観ていて不潔感がないのはいいが、春琴というには、やはり不足はある。氷のように取り澄ました美女が平然と裸になったり、奴隷のように奉仕する男に様々なことをさせる様子というのは、非常にエロティックなものだと思うのだけど、その醍醐味を観客に味わわせるためには、やはり地味で華が足りない。が、これはまぁ仕方が無いことでしょうね。でも、いまいち華がない事を除けば、傲慢で身勝手で自分にとことん奉仕する事を求める春琴を、なかなかうまく演じていたと思う。

そんな春琴の意を迎え、彼女に奉仕すること、殉ずることに生きがいを見出していた佐助なので、夜のことも春琴さまのお求め次第に奉仕し、自分から主体的にどうこうするなどという事は一切なかったわけだが、それにしても全く予防策など講じなかったのか、春琴は生涯に三度、子供を生む事になる。が、二人だけが世界の全て、というカップルにはありがちな事だが、春琴も佐助も子供には一切の興味がなく、生み落すと犬か猫の子をやるように里子に出して平然としていた、という下りは、例の佐藤春雄との三角関係の後、彼に妻を譲って関西に移住した谷崎が、松子夫人と知合って結婚したのち、二人の世界に異物が入り込むのが厭だと言って、松子夫人に子供を堕ろさせたというエピソードだ。春琴の徹底してエゴイスティックに自分の趣味嗜好を追求し、芸術至上主義に生きるそのありようは、原作者・谷崎潤一郎のスタイルがそのまま投影されている気がする。殊に、春琴が鯛の刺身が大好きだったという下りは、谷崎本人の食の嗜好も反映されているような感じである。

その他、ケチで欲張りな春琴が、独立後に弟子たちの付け届けをいちいちチェックして品定めをする様子は大阪商人の出らしいシワいところもちゃんと描いている。付け届けの少ない弟子を口を極めて影では罵りつつ、慌てて付け届けを増やすと、今度は猫なで声を出して心にもないお世辞を弟子に言ったりするのはさもありなんというところ。

春琴目当てで稽古に通ってくるアホボンの利太郎役は、一番ねっとりと厭らしかったのは百恵版の津川雅彦。アホボンというにはちょっとトウがたっている感じではあったが、その好色でねっちょりとした厭らしい感じはやはり地なのか、津川が一番だったと思う。原田大二郎はへなちょこの若造過ぎて、軽薄でキモい感じはあったが、良くも悪くもアクが足りない。

傲慢な春琴は、実質的には夫婦関係にある佐助を、他人が自分の配偶者とみなすことを嫌い、常に厳しく主従関係を揺るがせにせず使用人として扱う。佐助の方では使用人として扱われる事が嬉しいわけなので、もう割れ鍋に閉じ蓋。よくもまぁ、こんなに互いのニーズがぴったりと合ったものではあるが、その究極は顔面にやけどを負って醜いケロイド状態になった春琴の顔を見ないために、佐助が目を針で突いて失明する下りであるのは言うまでもない。ずっと傲慢に主人として命令ばかりしてきた春琴が、ヤケドの包帯が取れる直前に「おまえにだけは、この顔を見られとうない」と佐助に言う。初めて女としての心を吐露した春琴の前に、佐助のドM魂は燃え上がり、歓喜の極、針で目を突くに至る。揃って盲目となり、まさに何人の容喙も許さない三昧境に二人してどっぷりと浸るのである。なんという至福。佐助が失明するに至って二人の理想境は成就するのである。めしいになっても、佐助はそれまでと変わりなく春琴に仕え続け、嬉々として引き続き排泄物の処理も行う。そんな二人が、「濃やかな情を深めていくにつれて、段々他人行儀になっていった」というのが深い。



それにしても、目を閉じた盲目の美女が、男に手を引かれて、そろりそろりと歩く様子というのは妙にエロティックな風情のあるものだ。ワタシは春琴の姿としては、やはり大昔の絹代版が一番しっくりと来るような感じがする。切り下げ髪に胸元に房飾りのついた被布姿の古風な面差しの小造りな美女…。あの時の絹代で、この新藤兼人演出の「春琴抄」が観られたら、それはこの作品のベストの映画化という事になるのではないか、と思えてならない。

コメント

  • 2009/02/15 (Sun) 23:25

    コメント連投させていただきます(笑)。

    ついこのあいだ「遺言 アートシアター新宿文化」という本を図書館で借りて読んでいたら、渡辺督子は文学座かなにかの研究生だったのを、新藤兼人が「讃歌」の春琴役に抜擢した、というようなエピソードが出てきました。なお、渡辺督子は撮影前から前髪パッツンのオカッパだったらしく、この本の著者の葛井欣士郎氏曰く「背も高く、一種異様な容貌」だった、のようにも書かれていまして、この容貌を新藤兼人が気に入ってキャスティングしたようですね。その甲斐あって、オカッパが映像表現としていい味を出しているように思います。ちょっと栗山千明に似てるかな?という気がして(ロマンポルノに出演しているのも何本か見ましたが)私は結構好きな女優さんです(春琴を演じるには、確かに華はないかも。。。ですが。。。)

  • 2009/02/16 (Mon) 00:41

    yukazoさん、何度でも歓迎ですよん。
    渡辺督子は文学座の研究生だったんですか。道理で演技はしっかりしていましたね。
    あのおかっぱは新藤兼人の演出じゃなくて、彼女の元々のヘアスタイルだったんですね。なんかこのぱつーんという感じが70年代っぽいですね。山口小夜子なんかが出てきた頃でもありましょうかね。彼女の独特のムードが、これまでの春琴抄とは一線を画す作品になった一番の要因だろうとは思いますよ。新藤兼人もそれを狙ったと思うし、確かに気に入りそうな感じです。ただ、惜しいのね。もう少し口元がキリっと締まってたら、ひやりとした美女という雰囲気が出ただろうと思うんだけど、口元がモワっとしているので印象がイマイチになっちゃう感じ。いずれにしても「春琴抄」映画として、これが一番好きだというのは変わりません。一番新しい映画化作品を観てない段階で言ってますけど、これに及ぶ出来だとはちょっと思えない感じだし。(笑)

  • 2012/06/11 (Mon) 17:23
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